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「成約時代の摂理的同時性」の記事一覧
■「成約時代の摂理的同時性」解明の趣旨
真のお父様のみ言に、「統一原理」の歴史観に関して次のようなみ言があります。
原理に添付されなければならないのは、先生の歴史が入っている「統一教会」の歴史である。(『文鮮明先生御言選集』23-255 1969.6.8)
「統一原理」に真のお父様の歴史が入った「統一教会」の歴史を添付する必要があると語られています。その原理的な理由を『原理講論』から確認してみましょう。
旧約聖書の歴史書には、第一イスラエルの二〇〇〇年の歴史が全部記録されているが、新約聖書の使徒行伝には、イエス当時の第二イスラエル(キリスト教信徒)の歴史だけしか記録されていない。
それゆえに、新約聖書の使徒行伝が、旧約聖書の歴史書に該当する内容となるためには、イエス以後二〇〇〇年のキリスト教史が、そこに添加されなければならないのである。したがって、キリスト教史は、イエス以後の復帰摂理歴史をつくる史料となるのである。(『原理講論』p467)
『原理講論』では、イエス様降臨までの旧約時代までの歴史に、新約時代2000年のキリスト教史が追加され、アダムから再臨主降臨までの摂理的同時性が形成されています。
そこに再臨主を中心とする「統一教会」の歴史が追加されることによって、旧約時代、新約時代、成約時代までの摂理的同時性が完成することになるわけです。
旧約時代の歴史:旧約聖書の歴史書(ヨシュア記~エステル記)
新約時代の歴史:新約聖書の使徒行伝+キリスト教史
成約時代の歴史:真のお父様の歴史+統一教会史
そして、新約時代のキリスト教信徒たちが歩んだ路程を蕩減復帰する路程を歩んでいるのが成約聖徒たちです。
「成約時代の摂理的同時性」は、摂理的同時性の観点から成約聖徒たちの路程を整理したもので、「統一原理」の摂理的同時性を完成するその一助になればということで解明されたものです。
■なぜ今「成約時代の摂理的同時性」が必要なのか?
共産主義思想は新約時代の「メシヤ再降臨準備時代」に現われましたが、キリスト教は、それを克服する理論を提示できませんでした。
それが共産主義思想の拡張をゆるして人々が無神論へと流れ、多くの犠牲者を出しながら、世界の半分を共産主義が支配するという結果を招いてしまいました。
そこで、以下のような摂理史的な背景から生まれてきた新しい真理が「統一原理」です。
サタンは歴史の終末をよく知っているので自分が滅亡することもよく知っている。したがって、結局はサタン自身も尊ばれないときが必ずくることを想定していながら、自分の犠牲を覚悟して神を否定したのがすなわち弁証法的唯物論なのである。
ゆえに、民主主義世界でその理論を屈服させる真理を出さない限り、天の側はいつまでもサタンの理論的な攻勢を免れる道がないのである。ここに、天の側で新しい完成的な真理を宣布しなければならない復帰摂理史的な根拠があるのである。(『原理講論』p554)
そして、共産主義思想の摂理的同時性の現象として現われてきたのが「独生女論」です。
この理論は共産主義思想と同じように“恨み”から派生しており、自らの破滅をも覚悟して、再臨主とそのみ言を否定、破壊しようとするものです。
この「独生女論」は現在、独生女の自叙伝によって再臨主を中心とする摂理史観を否定しようとしています。
天の三代王権を中心とする「世界平和統一聖殿」から、この「独生女論」の摂理史観を完全に克服する摂理史観を提示することにより、キリスト教の失敗を蕩減復帰しなければなりません。
もし神側からこのような摂理史観を提示できなければ、真のお父様が再臨主であることや「統一原理」が真理であることの絶対性が否定され、成約聖徒たちの心霊は停滞し、今後の伝道活動に多大な影響を及ぼすでしょう。
それに留まらず、「統一教会」内で「独生女論」の摂理史観が主流となれば、世界全体が再び共産主義思想に脅かされる条件が成立することになります。
ここに「成約時代の摂理的同時性」を解明し、「統一原理」を中心とする摂理史観を完成させる今日的意義があります。
■「成約時代の摂理的同時性」解明のきっかけ
もともと「成約時代の摂理的同時性」は、私がどうして「家庭連合」から「世界平和統一聖殿」に来たのか、その理由を摂理史的な観点からまとめたものでした。
本来なら、2022年までに起きた出来事を確認した上で公開するほうがよいのですが、成約聖徒たちを取り巻く内外の環境はますます混迷を極め、神様の摂理と世界はこれからどうなっていくのか判断が難しい状況になってきました。
そこで、不十分な点が多々あることは承知の上で、今迷いのなかにいる方たちに、一つの判断基準を提供できるのではないかと考え、このようなかたちで公開することにしました。
私がこのような摂理史観を考えるようになったきっかけは、次のみ言を翻訳したときでした。
今から2012年までにどのようにして世界的に王権を完成するのかという忙しい、区切られた計画圏内に入ってきたので、休む間がありません。戦争の中でこれ以上の戦争はありません。
(『文鮮明先生御言選集』 360-165 2001.11.15「天宙平和統一国(天一国)」宣布)
このみ言は、「神様王権即位式」から10ヵ月後に行われた「天宙平和統一国(天一国)」宣布式のときに語られたものです。
そのころから真のお父様は、「天一国摂理」として2012年までの12年路程について語られるようになりました。
このみ言を翻訳したとき、摂理的同時性の「400年+400年+120年」という数理的な原則と同じように、再臨主降臨以降、「40年+40年+12年」で摂理が展開しているなと思ったわけです。
「40年+40年+12年」というのは、再臨主降臨の1920年から真の父母の聖婚式(1960年)までの40年、そしてその時から「神様王権即位式」(2001年年)までの40年、さらに「基元節」(2013年)までの12年です。
そして、その「天一国摂理」が終る「基元節」のあとは、「南北王朝分立時代」や「東西王朝分立時代」のように、40年の分立時代が来るのかなと漠然と考えていました。
ところが、思いもしない想定外の出来事が起きました。そうです、真のお父様が聖和されたのです。
2012年から2013年が神様の復帰摂理において一つの大きな節目になるとは考えていましたが、まさか真のお父様が地上を離れて霊界に行かれるとは、考えてもいませんでした。
ほとんどの成約聖徒たちが信じていたように、私も真のお父様は地上でみ旨を成就されると信じていたからです。
「なぜ真のお父様はこの時期に聖和されたのか」、「これから復帰摂理はどこに向かっていくのか」など、信仰生活を続けていく上で、こういった問題をどうしても解決しなければならなくなりました。
100人いれば100通りの歴史観があり、それは摂理観についても同じです。
しかも、過去の縦的な歴史を横的に蕩減復帰する成約時代は、複数の蕩減復帰的現象が同時多発的に展開する複雑な重層構造になっています。
しかし、だからといって何の摂理観ももたなければ、これもまた信仰的にも、伝道活動においても大問題です。
そこで、真のお父様が地上にいらっしゃったときに教えてくださった同時性の原則(「40年+40年+12年」)をもとに、自分なりに摂理史観を考えてみようと思ったわけです。
「成約時代の摂理的同時性」を整理していく過程で、いくつもの新しい発見に導かれ、今も神様と真のお父様が、天の三代王権を中心に摂理を主導しておられることを確信するに至りました。
「統一原理」は間違いなく真理であり、真のお父様は本当に救世主、メシヤ、真の父母であられます。
今後、この「成約時代の摂理的同時性」に日本の統一運動史、イスラム教史、日本国史、経済史などとの関連性が確認、添付され、より完成度の高いものになることを切望する次第です。
■当カテゴリーについて
この「成約時代の摂理的同時性」のカテゴリーでは、今も続く復帰摂理が摂理的同時性の観点からどのように展開しているのかを考察しています。
ここに記載されている内容は、あくまでUPMC(「統一原理」マスタークラブ)の見解であり、今後より検証が進んだ段階で修正される可能性がありますので、ご了承ください。
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