Q:2020年から第2次7年路程が始まったとされていますが、「成約時代の摂理的同時性」との整合性はどのようになっているのでしょうか?

A:「成約時代の摂理的同時性」では、新約時代の700年(920年~1620年:ピルグリム・ファーザーズ米国上陸)を成約時代の7年(2012年~19年10月:第1回鉄の杖祝祭)で蕩減復帰する路程になっていると見ています。
 この路程が第1次7年路程ですから、2020年からの第2次7年路程は、1620年のピルグリム・ファーザーズ米国上陸以降の時代を蕩減復帰する路程となります。

(1)文鮮明先生の聖和以降の7年路程

 文鮮明先生が聖和されたのち、その勝利圏によって蕩減期間が短縮され、新約時代の100年を1年で蕩減復帰する路程となりました。

 そのため、2012年から2019年までの7年は、新約時代の700年のある期間を蕩減復帰する期間となります。

 「成約時代の摂理的同時性」では、「神様王権即位式」から文鮮明先生が聖和されるまでの「天宙平和統一王国時代」は、新約時代の「キリスト王国時代」を蕩減復帰する期間と見ています。

 したがって、「キリスト王国時代」が終った920年以降の700年間が、2012年から2019年までの7年路程に該当することになります。

 復帰摂理歴史上で、920年から700年後に起きた重要な史実と言えば、1620年にピルグリム・ファーザーズがアメリカ大陸に到着し、新教を中心とする摂理がヨーロッパ大陸からアメリカ大陸に移行した出来事です。

 「成約時代の摂理的同時性」では、ピルグリム・ファーザーズのアメリカ大陸上陸と同じ摂理的意味をもつ史実が、2019年10月に行われた第1回鉄の杖祝祭と見ています。

 成約時代においては、この時から天の三大王権を中心とする摂理がアメリカ大陸に移行したということになります。

 

新約時代の700年:920年~1620年ピルグリム・ファーザーズ米国上陸
 ⇒成約時代の7年路程:2012年~19年10月第1回鉄の杖祝祭

 

 以上の観点により、2020年からの第2次7年路程は、1620年以降のアメリカ大陸を中心に展開する摂理を蕩減復帰する路程となり、前半の3年が1620年から再臨主降臨の1920年に該当する期間になります。

 

※上の図で表示した7年路程は、文鮮明先生が聖和されたときからの7年路程ですが、もう一つ「基元節」(2013.2.22陽)からの7年路程という観点もあります。
 この160日間(「聖和式」2012.9.15陽の翌日から「偽りの基元節」2013.2.22陽まで)は、摂理上とても重要な期間で、韓鶴子女史が真の母の位置を守れるか離脱するかを決する期間でした。
 なお、『ヨハネの黙示録』ではこの期間について「5か月」と表記されて預言されています。詳しくは『成約時代の摂理的同時性Ⅱ-御国の福音は必ず成就する』をご覧ください。

(2)もう一つの7年路程

 「成約時代の摂理的同時性」の観点からは、さらに2015年8月30日に行われた文亨進二代王様の戴冠式から始まる7年路程があると見ています。

 この7年路程は、新約時代の聖フランチェスコの時代から再臨主降臨までの700年間を蕩減復帰する期間です。

新約時代の700年:1220年~1920年
  ⇒成約時代の7年路程:2015年9月~22年8月

 

 新約時代は、聖フランチェスコのときから宗教改革運動が始まり、摂理の中心がプロテスタントに移行していきました。

 聖フランチェスコとカソリックの関係が、成約時代では文亨進二代王様と家庭連合の関係として再現されており、文亨進二代王様の2015年1月18日「沈黙を破って」の宣言から成約時代の宗教改革運動が始まり、天の三大王権を中心とする統一聖殿へと摂理の中心が移行しています。

 現在は、日英同盟が復活の兆しを見せるなど、再臨主が降臨した1920年前後の情勢が再現される現象が起きています。

 1920年から再臨主を中心とする成約時代の天宙的カナン復帰路程が始まったように、22年8月以降、天の三大王権を中心としてその路程が再現されるというのが「成約時代の摂理的同時性」から見た摂理観です。

(3)摂理の発展と共に明確になっていく復帰摂理歴史

 ご存知のように、旧約前時代のノアと旧約時代のモーセは摂理的に同時性の立場にいた中心人物です。

 ノアが箱舟をつくる期間の120年と、モーセを中心とするカナン復帰摂理期間の120年は、「信仰基台」復帰のための12数を復帰する数理的な蕩減期間でした。

 3次にわたる40年路程によってモーセを中心とする120年の蕩減期間が形成されているとすれば、ノアが箱舟をつくる期間も同様に3次にわたる40年路程があったと推測されます。

 では、どのような路程だったのか、箱舟建設の期間に関する文鮮明先生のみ言を見てみましょう。

 ノアは、120年の間、あらゆる情熱と自分のすべての財産を投入して箱舟をつくりました。誠心誠意を尽くして働きながら、時間があるたびに、120年後に水で審判されることを叫んだのです。120年間叫びましたが、1人の同志も見つけることができなかったノアでした。大勢の群集は、彼を嘲弄しました。青々とした天を見つめながら嘲笑い、道端で嘆息するノアを見つめて嘲笑いました。そのように笑われて追い立てられたノアだったのです。(『文鮮明先生御言選集』 9-23 1960.4.3)

 

 このみ言には、ノアが箱舟をつくりながら人々に洪水審判が起きることを叫んだとあります。

 このことから、蘇生、長成、完成の3段階にわたる40年の伝道期間があったにもかかわらず、人々は誰一人として耳を傾ける人がいなかったため、洪水審判によってノア家庭以外の人々は滅びてしまったと見ることができます。

 これはちょうどモーセ路程で、モーセを中心としてエジプトを出発した外的イスラエルが荒野で滅び、荒野生活中に出生した内的イスラエルだけがカナンに入ったのと同じです。

 このように、復帰摂理が発展していくほど、それまでの復帰摂理歴史が明確になっていきます。

 成約時代に韓鶴子女史と祝福家庭の失敗によって摂理が延長し、第1回鉄の杖祝祭を中心として、再び天の三大王権を中心とする摂理がアメリカ大陸に定着するまでに7年の蕩減期間がありました。

 このことから 新約時代は、カソリックを中心とする摂理が失敗したあと、プロテスタントを中心とする摂理に以降し、それがアメリカ大陸という新しい地に定着するまでに700年という蕩減期間があったことが分かります。

 神様の復帰摂理歴史は蕩減復帰の歴史ですから、過去に成就できなかったことを、現在に再現して蕩減復帰していきます。

 イエス様が「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである」(ヨハネ福音書5章19節)と言われたように、今までの復帰摂理歴史を知り、そこから現在の私の立場と使命を確認する以外に勝利の道はないと考えます。

 『原理講論』のp117には、「人間は、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させてこそ、創造本然の人間に復帰することができるのである」とありますので、自分の復帰の道に必要なみ言は、自分自身が探し出さなければなりません。

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