このほかにも、神のみ旨のために天使が活動している例は、聖書の中に、無数に探しだすことができる。それゆえに、黙示録二二章9節では、天使が自分自身を「僕」と言い、またヘブル書一章14節においては、天使を「仕える霊」と記録しているのである。(『原理講論』p106)
「統一原理」は、神様が僕として天使を創造されたと説明しています。
それでは、すべての被造物が二性性相からなっているのであれば、その天使の相対問題はどうなっているのでしょうか?
今回は、文鮮明先生のみ言から神様と人間と天使世界の関係、そして天使の相対問題について考察します。
神様と人間と天使の立場
冒頭にあるみ言のように、天使は僕として創造されたのですが、文鮮明先生は、天使の立場について次のようにも語られています。
霊的弟の立場として創造された天使と神様が一つになってアダムをつくったとあります。
ところが、ルーシェル天使長がアダムを堕落させることによって、創造主である神様の立場を奪い、神様からアダムを奪って被造世界を支配するようになりました。
これは、弟の立場だった天使長が兄の立場を奪ったということになりますので、長子権復帰の摂理はこれを蕩減復帰する摂理と考えることもできます。
また、文鮮明先生はアダムについて「神様の弟であり、神様の息子です。弟の立場で育ち、神様の息子、娘になる」(『文鮮明先生御言選集』 601-289 2008.11.10)というみ言も語られています。
ですから、アダムも天使と同じ弟の立場でつくられましたが、成長して完成すれば神様の息子になるということです。
そして、そのとき天使はアダムに対して僕の立場になり、神様と人間と天使の父と子と僕という創造本然の立場が確定することになっていたと考えることができます。
それでは、その僕である天使に女性の天使が存在しているのかという天使世界の相対問題について考えてみましょう。
女性天使の存在有無と天使世界の相対問題
次のみ言は、文鮮明先生とある教会員との間で交わされた天使に関する質疑応答の場面です。
このように、文鮮明先生は、女性の天使は創造されていないと明言していらっしゃり、さらに次のようにも語られています。
理論的に尋ねてみれば答えることができません。理論に食い違うそのような創造はしていないのです。そのようにしたのなら、堕落した実体圏の人類始祖を祝福するよりも、天使世界を祝福すればどれほどよいですか? どれほど早いでしょうか? そうではないですか?
先に天使世界でそれをしたのなら、愛の理想が先に天使世界で成し遂げられた、ということになるのです。その愛の質は違うでしょうか? 質は同じですが、階級が違うでしょう? 階級をひっくり返したので、日の光が真っ黒になり得るのです。
そのような意味で、天使が(先に)結婚すればどうなりますか? 「ゴミ箱のような世の中の女性たちとしてあげるかもしれない」、(先生が)このような話をしていたと言って、「先生がゴミ箱のような女性たちと天使とを結婚させてあげる」と言っています。こいつ! うわさを立てて……。それは皆さんが心配することではありません。(『文鮮明先生御言選集』 365-96 2002.1.5)
このみ言は2002年に語られたみ言ですが、当時の清平でも、霊的存在の天使には男性の天使と女性の天使がいると認識していたことが分かります。
そして、そこからさらに神様に対しても同じように考え、父なる神様と母なる神様という二元論の神観に発展していったことは、今なら容易に推察することができます。
また、み言の最後にあるように、「天使と人間の女性の祝福」についても、文鮮明先生のみ言を誤って解釈したところから始まったと見ることができます。
ではなぜ女性の天使がいると思ってしまうのでしょうか? このことについては次のようなみ言があります。
このみ言から霊的存在の天使は、男性の姿でも女性の姿でも現れることができるため、女性の天使がいると考えてしまうということになります。
文鮮明先生は、ロトの家に来た2人の天使の例をあげて次のようにも語られています。
それでは、女性の天使がいないとすれば、天使世界の相対理想が実現するときはあるのでしょうか? 文鮮明先生は、天使世界の相対理想について次のように語られています。
このように、アダムとエバが愛の理想を成し遂げたのちに、初めて天使世界の相対理想が始まるということです。
この天使の相対問題については、李相軒先生の霊界メッセージの中でも言及されていますので、ご紹介します。
すべての天地万物は、神様の二性性相の似姿としてペアでないものは一つもありませんが、それなら男性天使の対象は果たして誰なのでしょうか。これは私たちが最も疑問に感じた内容でしょう。
神様はアダムを創造されたのちに、エバを創造されました。そして前述のとおり、すべての天使たちが男性ならば男性天使を創造されたのち、一方で女性天使を創造されたのかという疑問が生じることでしょう。神様はもともと、天使を人間の使者の格位に立てられました。男性天使は創造されましたが、女性天使は創造されませんでした。
天使は、人間の成長過程において、人間を保護するために創造されました。神様の子女がまだ相対関係を成していないのに、天使世界で先に相対関係を成して住むようになれば、人間を保護する情緒と精誠が集中しなくなります。神様は、何よりも愛する子女であるアダムとエバを創造し、四位基台を成して美しく生きていくようにされたのです。それなのに人間が完成する前に、天使、つまり使う立場の使者に対して、先に対象を結ぶようにされるでしょうか。端的に言うと、神様は男性天使の対象を創造されなかったのです。
では、天使は常に男性の姿で独りで生きるのでしょうか。そうではありません。人間の相対の決定が終わるとき、すなわち神様が願う人間の成熟の基準が決定されるとき、人間の祝福式ののちに天使も対象と結ばれるようにしてくださるのです。
『霊界の実相と地上生活 : 李相軒先生が霊界から送ったメッセージ : 合本版 1 』統一思想研究院 編著(2002年8月光言社発行)747ページ「三 天使の相対」より
そして、天使世界の相対理想が始まるのはアダムとエバが愛の理想を成し遂げたあとというのは、人間が堕落していなければそうなっていたということです。つまり、人間が堕落したため、復帰摂理路程ではもう一つ条件が必要になることが次のみ言から分かります。
真の父母と内的神様が愛の主人となって一つになり、その基盤の上に彼らの一つの国を成し遂げた、その次から天使世界の相対理想が与えられるのです。(『文鮮明先生御言選集』 601-289 2008.11.10)
人間の堕落によって神様の主権がサタンに奪われ、この世界がサタン主権の世界になったしまったため、真の父母を中心として神様の主権を取り戻すことがもう一つの条件となっているのです。
天使世界の相対問題はアダムが解決すべき問題
そして、このような天使世界の相対問題を解決する権限をもつのは、アダムとして来られたメシヤのみとなります。
それ(天使世界の相対問題)は、皆さんが心配することではありません。神様と先生が解決する問題です。興進君が解決する問題ではありません。清平が解決する問題ではありません。大母様、訓母様が解決する問題ではありません。分かりますか? 伝統を正しく知りなさいというのです。(『文鮮明先生御言選集』 365-96 2002.1.5)
天使世界の相対問題は神様とメシヤの専権事項ですから、子女の立場の私たちが考えることではないと言えます。
まとめ
以上のみ言から考察できることは、神様はご自分の霊的弟の立場で男性の天使を創造され、ご自身の実体の息子、娘であるアダムとエバが愛の理想を完成したのち、神様とアダムが共同で天使世界の相対問題を解決することで、すべての創造が完了するはずだったということになります。
そして、アダムは、このような創造過程、すなわち神様と共に天使世界の相対問題まで解決することによって神様の創造に加担し、神様の創造性と主管性を完全に相続して、神様と同じ創造主の立場であり万物の主管主の立場に立つことができるわけです。
『原理講論』には、人間と万物が異なる点について次のように記載されています。
神様が創造されたもののうち、未完成なのは人間自身と天使世界の相対でした。ですから、人間が自らの責任分担を完遂することによって自分自身を完成させ、創造主である神様と一体になり、共に天使世界の相対問題を解決することで万物を主管できる主人の権限をもつようになります。
それゆえ、その子孫たちは、真の父母となったアダムとエバを通して神様の真の愛を実体で受けることができ、自らの責任分担を完遂して個性完成すれば、神様の創造性と主管性を相続できるようになっていたのです。
すなわち、アダムは自分自身を完成させると同時に天使世界の相対問題を解決する責任があるのに対して、アダムの子孫たちは自分自身を完成するだけでよく、ここに真の父なるアダムと真の子女なるアダムの子孫たちとの格位の違いがあると言えます。
【編集後記】
今回は、天使世界の相対問題に焦点を当てて、神様と人間と天使世界の関係について考察してみました。
次の課題としては、「人間が愛の理想を成し遂げて愛の主人となり一つの国を成し遂げる」とは具体的にどういうことで、それはいつなのか、ということですね。
上記のみ言から推察すると、天の三大王権が完成し、天一国として一つの国が復帰されたときと考えることができそうですが、今後さらに復帰摂理が進展し、条件が立てられれば、これに関する真理も明確になると信じます。
※注
「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。」(ユダ書6~7節)
このユダ書にある「不自然な肉欲」について、キリスト教界では次の四つの解釈があります。
①同性愛
②天使と人間の性関係
③偶像崇拝
④性的な意味合いとは無関係
このように、ソドムとゴモラで横行していた「不自然な肉欲」については、必ずしも同性愛とだけ解釈されているわけではなく、英語圏の聖書研究者は①の同性愛説、ドイツ語圏の聖書研究者は②の天使と人間の性関係と解釈する傾向が強いようです。