【今回深掘りする原理のみ言】
 創世記一章26節に書かれている天地創造の記録を見ると、神は「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」と、自らを複数をもって語っておられるのであるが、これは今日まで多くの神学者たちが解釈してきたような三位神の立場から、そのように言われたのではなく、人間よりも先に創造されていた天使たちを考慮において、それらを含めた立場から言われたみ言であったことを知らなければならない。(『原理講論』p106)

 

 今回は旧約聖書の創世記1章26節と27節に記録されている聖句について、「統一原理」の観点から解説します。

 「統一原理」では、神様が創造された人間をはじめとする被造物は、すべて性相と形状、陽性と陰性の二性性相から成り立っているとしています。

 それは神様ご自身がそのような存在だからであり、そのことを示しているのが創世記1章26節と27節の聖句です。

 それでは最初に、「統一原理」が定義している「神のかたち」について確認していきましょう。

1.「統一原理」から見た「神のかたち」とは?

 「統一原理」では、神様の属性について、次のように三つの属性をもつと定義しています。

 神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(『原理講論』 p47)

 

 ここで言う「本性相的男性と本形状的女性」は「本陽性と本陰性」とも言います。

 このような「神のかたち」、すなわち神様の性相と形状、陽性と陰性の二性性相に似せて創造された人間は、心と体からなり、男性と女性が存在し、心が体の主体であるように、人間以外の自然界に対しては万物の霊長として存在しています。

 そして、性相と形状の二性性相と陽性と陰性の二性性相の関係を「統一原理」では次のように説明しています。

 性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。(『原理講論』 p46)

 

 表現を変えて言えば、性相と形状の二性性相は神様の直接的な属性であり、陽性と陰性の二性性相は神様の間接的な属性です。ですから、神様の性相もその属性として陽性と陰性をもち、神様の形状もその属性として陽性と陰性をもっています。

 以上のような神様の性相と形状、陽性と陰性の二性性相に対する聖書的根拠となるのが創世記1章26~27節です。

【創世記1章26~27節】
 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(口語訳)

 

 創世記1章26節は性相と形状の二性性相、27節は陽性と陰性の二性性相を意味しています。それぞれ見ていきましょう。

2.「創世記」に記された神の性相と形状の二性性相

【創世記1章26節】

 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」

 

 冒頭で紹介した『原理講論』の一節にあるように、この聖句の「われわれ」とは、人間より先に創造された天使たちを含めた立場で語られたものです。

 新約聖書のへブル書1章14節を見ると「御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか」とあり、黙示録22章9節では、天使自身が自分は僕であると語っています。

 したがって、仕える霊や僕としての役割を果たせるよう、天使にも創造本性として神様のみ旨を理解する知能や、自らの役割を果たしたいという欲望が与えられていました。

 このような知能や欲望は人間で言うところの心に相当するものであり、霊的存在である天使も、人間の心に相当する性相部分と体に相当する形状部分をもつように創造されていることが分かります。

 ですから、創世記1章26節で言う「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」というのは、神様や天使たちのかたち、すなわち性相と形状の二性性相と同じように人間も創造されたという意味です。では次に27節の聖句を見てみましょう。

3.「創世記」に記された神の陽性と陰性の二性性相

【創世記1章27節】
 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

 

 ここで特に注目すべきところは、冒頭の「神は」というところです。なぜなら、直前の26節では「われわれ」と一人称の複数形で語られているのに対して、ここでは主語が単数形で記録されているからです。

 つまり、この聖句では天使たちが含まれていないということです。なぜ含まれていないのかというと、聖書のなかで天使の性別について明確に記述されているところがなく、男女を区別して表示されるとしても、男性として表示されることが多いからです。

 例えば、イエス様は「復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」(マタイ福音書22章30節)と言われました。

 また、ロトの家に2人の天使が訪ねてきたときの描写で、「ロトは彼らを見て」(創世記19章1節)とあり、その天使に対して色情を起こしたその町の民が「われわれは彼らを知るであろう」(創世記19章5節)と叫んだとあります。

 そして、文鮮明先生も「女性の天使長はつくりませんでした」(『御言選集』328-71 2000.7.31)と語られています。

 ですから、ここで言う「神のかたち」というのは、神様の中にある本陽性と本陰性のことであり、それをかたどって人間を男性と女性に創造されたことが示されているのです。

 天使には性別もなく、女性の天使も存在しないので、27節の聖句では、「神はというように主語が単数形になっているわけです。

4.まとめ

 創世記1章26節:「われわれのかたち」
   ⇒性相(心)と形状(体)の二性性相

 創世記1章27節:「神のかたち」
   ⇒陽性(男)と陰性(女)の二性性相

 創世記1章26節の「われわれのかたち」とは、神様の性相(心)と形状(体)の二性性相のことであり、1章27節の「神のかたち」とは、神様の陽性(男)と陰性(女)の二性性相のことを意味します。

 参考として同じ箇所の韓国語と英語の聖句を挙げておきます。

 하나님이 이르시되 우리의 형상을 따라 우리의 모양대로 우리가 사람을 만들고 그들로 바다의 물고기와 하늘의 새와 가축과 온 땅과 땅에 기는 모든 것을 다스리게 하자 하시고 하나님이 자기 형상하나님의 형상대로 사람을 창조하시되 남자와 여자를 창조하시고

 And God said, Let us make man in our image, after our likeness: and let them have dominion over the fish of the sea, and over the birds of the heavens, and over the cattle, and over all the earth, and over every creeping thing that creepeth upon the earth. And God created man in his own image, in the image of God created he him; male and female created he them.

 

 ヘブル語の原本でもやはり同様で、26節は一人称の複数形、27節は一人称の単数形です。

 

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