【今回深掘りする原理のみ言】
神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。したがって、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ。(『原理講論』p50)

 

「統一原理」の創造原理で「力」をテーマにした概念は、「万有原力」、授受作用の力(生存・繁殖・作用)、そして愛の力と原理の力があります。

この中から今回は、『原理講論』では詳細に説明されていない「万有原力」と授受作用の力に注目してみたいと思います。

それでは、文鮮明先生のみ言と「統一思想」から、「万有原力」とは何か、また「万有原力」と授受作用の力とはどのような関係にあるのかを深掘りしてみましょう。

み言から見た「万有原力」

「万有原力」について、『原理講論』で説明されているのは、冒頭で紹介したみ言だけになります。

そこでまず、文鮮明先生が「万有原力」についてどのように語られているのかを確認してみましょう。

 すべての核心は同じです。ペア・システムです。私たちの原理で言えば、この全体を連結するのが「万有原力」です。すべてのものに神様の二性性相が入っていき、それがすべて「万有原力」になっているのです。
 皆さんの髪の毛を一本抜いてみても、「万有原力」によって必ずプラス・マイナスになっています。ペア・システムになっているので、髪の毛一本一本がすべてそうです。レベルが低くても、すべて神様に似ているのです。ですから、「万有原力」は授受作用を起こす力です。(『文鮮明先生御言選集』293-11 1998.5.1)

 

このように、文鮮明先生は、「万有原力」を「授受作用を起こす力」と説明されています。

そして、『原理講論』の創造原理によると、主体と対象が授受作用をする前に相対基準を結ぶのですが、神様の場合も被造物の場合も、その相対基準が「万有原力」によって造成されることが次のように説明されています。

【神様の場合】
神はそれ自体の内に永存する二性性相をもっておられるので、これらが万有原力により相対基準を造成して、永遠の授受作用をするようになるのである。この授受作用の力により、その二性性相は永遠の相対基台を造成し、神の永遠なる存在基台をつくることによって、神は永存し、また、被造世界を創造なさるためのすべての力を発揮するようになるのである。(『原理講論』p51)
【被造物の場合】
あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。(『原理講論』p51)

 

このように『原理講論』では、神様に内在する「授受作用を起こす力」も、被造物に内在する「授受作用を起こす力」も、「万有原力」としています。

そして、「統一思想」では、神様の中で授受作用した結果、発生する作用エネルギーを「原力」と表現しています。

この「原力」が被造物に作用することによって、すべての被造物に「万有原力」、すなわち「授受作用を起こす力」が備わるようになるのです。

神様から被造物に作用する「原力」と、被造物に備わっている「万有原力」は、縦的な力と横的な力、原因と結果の関係になります。

それでは次に、「統一思想」でこの「原力」についてどのように説明されているのかを調べてみることにしましょう。

「統一思想」から見た「原力」

 

(1)神様の本性相と本形状の授受作用

 

神様の本性相の核心は心情ですが、心情とは情的な衝動力であり、これが神様の内的性相にある知情意に対して、常に働きかけています。

また「統一思想」では、神様の本形状について、エネルギーの前段階という意味で前エネルギーとしています。

これは、現代の科学が、物質の根本原因を素粒子の前段階としてのエネルギーとしているからです。

この科学がいうエネルギーは、物質的なものなので、究極の第一原因にはなり得ません。

そのエネルギーのさらに原因となるのが神様の本形状であり、「統一思想」ではそれを「前エネルギー」と称しているのです。

(2)本性相と本形状によって発生する二つの力

そして、神様の本性相と本形状の授受作用によって形成エネルギーと作用エネルギーの二つの力が発生します。

今日の科学では、物質の根本原因のエネルギーは粒子性と波動性を帯びているとしていますが、形成エネルギーは粒子化して物質的素材となって被造物を形成します。

『原理講論』では、この形成エネルギーの粒子化による被造物形成を繁殖作用として次のように記述されています。

 ある目的を立てて、心が望むとおりに体が実践して、体と心とが授受作用をするようになれば、同志ができ、同志たちがお互いに良く授け、良く受ければ、もっと多くの同志を繁殖する。
 このような面から見れば、被造世界は、無形の神の本性相と本形状が、その創造目的を中心として、授受作用をすることによって、それが実体的に展開されて繁殖したものであると見ることができる。(『原理講論』p62~3)

 

また作用エネルギーは、被造物に働きかけて被造物自体、及び被造物同士の間で授受作用を起こす力になります。

このように、神様の心情の衝動力と前エネルギーの授受作用によって形成された力が「原力」です。

ちなみに、「統一思想」では、主体と対象の相互間に働く力の原因的な力が「万有原力」、その相互間に働く力を結果的に見たものが「万有引力」であるとしています。

「原力」と「万有原力」と授受作用の力

(1)「原力」と「万有原力」の関係性

神様の心情の衝動力と前エネルギーの授受作用によって発生した「原力」が、被造物に作用して現われた力が「万有原力」です。

ですから、神様の「原力」の延長にあるのが「万有原力」であり、「原力」は被造物に対して縦的に作用し、「万有原力」は被造物自体及び被造物相互間に横的に作用して授受作用を起こすのです。

 

(2)「万有原力」と授受作用の力と三大祝福

神様を中心として被造物の主体と対象が授受作用した結果、そこから発生する力が生存と繁殖と作用の力です。

特に神様の形象的な実体対象である人間の場合、その力には三大祝福を実現しようとする方向性をもっています。

つまり、生存の力は個性完成、繁殖の力は子女繁殖、作用の力は万物主管にそれぞれ対応しているのです。

その反対に、人間がサタンを中心として授受作用すれば、そこから発生する力は、三大祝福に逆行する方向性をもつようになります。

そして、「万有原力」と授受作用の力の関係性について『原理講論』では次のように説明されています。

万有原力と授受作用の力とは、各々原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという、相対的な関係をもっている。したがって、万有原力は縦的な力であり、授受作用の力は横的な力であるともいえるのである。(『原理講論』p50~1)

 

ここで「原力」と「万有原力」と授受作用の力を整理すると、神様から「原力」が被造物に作用して「万有原力」となり、それによって授受作用の力が発生するわけです。

被造物全体に内在する「万有原力」は、神様の心情に由来する力ですから、私たちが三大祝福を完成して神様の創造目的を実現するための原動力となる力です。

神様は、人類始祖のアダムとエバに三大祝福を下さったときから今に至るまで、常にその三大祝福を実現するための力を私たちに投入してくださっているのです。

「万有原力」には神様の愛の力が宿っている

『原理講論』のp64には「神の三大祝福は、いかにして完成されるのだろうか。それは、創造の根本基台である四位基台が成就された基盤の上でのみ成就される」とあるので、私たちが三大祝福を完成するためには四位基台をつくらなければなりません。

この四位基台をつくるための根本的な力について、『原理講論』にはこのような記述があります。

このような四位基台の三対象の愛において、その主体的な愛が、まさしく神の愛なのである。それゆえ、神の愛は三対象の愛として現れ、四位基台造成のための根本的な力となるのである。(『原理講論』p73)

 

このように、神様の愛が四位基台造成のための根本的な力だとすれば、三大祝福完成の原動力である「万有原力」には神様の愛の力が宿っていることになります。

「統一思想」にも、「万有原力」には、物理的な力だけでなく神様の愛の力も作用しているとされています。

万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味する。(『統一思想要綱』p58)

 

以上のように、私たち人間を中心とするこの被造世界には、常に神様の愛の力が作用しているのです。

人間と万物に宿る神様の愛

「万有原力」には物理的な力だけでなく神様の愛の力が宿っていて、その力が常に私たちに働きかけているとすれば、人間同士がお互いに愛し合うことは、選択の問題ではなく、必然的な道理だということになります。

最後に、人間と万物に宿る神様の愛に関する文鮮明先生のみ言をご紹介します。

 見た目がいくらみすぼらしい人でも、その人には神様の愛があふれるように流れていて、神様の生命のみ言が芽生え、神様の愛の歌を詠むことができるのです。堕落した人間には夢にも想像できないほど、神様を中心とする高貴な価値をもっているのが人間です。
 そのような姿は一個人の姿ですが、神様は宇宙を代表する姿としてその人を見ざるを得ないというのです。なぜでしょうか。すべての神経を集中し、あらゆる精誠を尽くして造られたからです。それが人類始祖の姿でした。
 周囲につくられたあらゆる万物は、人間にとって一つの刺激的な象徴体でした。聞こえてくる鳥の鳴き声は、アダムの心情を響かせて波動を起こせる一つの動機でした。蝶や虫、それ以外のあらゆる万物を、(神様が)アダムとエバを愛さざるを得ないことを象徴する一つの刺激的な象徴体としてつくったのです。
 吹きつける風も、流れていく水も、野原に生えている一株の草も、すべてがアダムとエバを愛していることを象徴する実体としてつくられました。人間を万物の中心に置いて造られたのです。このような人間の位置はどれほど恵まれた位置でしょうか。神様が御覧になって誇らしい人間だったのであり、神様の懐に抱いて永遠に、永遠に手放したくなかったのが人類始祖なのです。(『文鮮明先生御言選集』20-207 1968.6.9)
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