【新約時代の法王捕虜および帰還時代について
東西王朝分立時代において、不信仰によりみ旨に反した法王クレメンス五世が、西暦一三〇九年に、ローマから南仏アヴィニョンへ法王庁を移したのち、法王が捕虜と同様な生活をするようになり、その後、再びローマへ帰ったのち、一五一七年宗教改革が起こるまで、約二一〇年間にわたる法王捕虜および帰還時代が生ずるようになった。(『原理講論』p463)

 

今回は、新約時代の法王捕虜および帰還時代210年を蕩減復帰する「真の母捕虜および帰還時代」について解説します。

「真の母捕虜および帰還時代」は、真の母の立場を離れた韓鶴子オモニの不信を蕩減復帰するため、康賢實真のお母様が家庭連合から文亨進二代王様のもとに帰還される時代です。

この時代に起きた主な摂理的同時性の現象をピックアップし、それらを比較しながら検証してみたいと思います。

第1節 「真の母捕虜および帰還時代」の概要

最初に、法王捕虜および帰還時代210年の原理的な意味を『原理講論』から確認してみましょう。

 南北王朝分立時代において、北朝イスラエルは、偶像崇拝によりアッシリヤに滅ぼされ、南朝ユダも不信仰により神殿理想を再建できなかったので、彼らはサタン世界であるバビロンに捕虜として捕らえられるようになり、帰還して、再び神殿理想を立てるまで二一〇年かかったのである。
 したがって、この時代を蕩減復帰するために、東西王朝分立時代において、不信仰によりみ旨に反した法王クレメンス五世が、西暦一三〇九年に、ローマから南仏アヴィニョンへ法王庁を移したのち、法王が捕虜と同様な生活をするようになり、その後、再びローマへ帰ったのち、一五一七年宗教改革が起こるまで、約二一〇年間にわたる法王捕虜および帰還時代が生ずるようになった。ゆえに、この時代は形象的同時性の時代のうち、ユダヤ民族捕虜および帰還時代の二一〇年を実体的な同時性として蕩減復帰する時代に相当するのである。(『原理講論』p462~3)

 

この法王捕虜および帰還時代210年を実体的に蕩減復帰するのが「真の母捕虜および帰還時代」です。

具体的な時期で言うと、康賢實真のお母様が家庭連合に偽りの聖酒式(「天一国4大聖物伝授及び聖酒式」2016年6月~)を強要された時から、文亨進様が聖霊の役事を始められた時(2018年9月~)までの2年間を意味します。

そして、この時代は、法王捕虜および帰還時代210年を100分の1の期間で蕩減復帰する路程で、これを三段階に区分するとおおよそ次のようになります。

 西暦1309~1379年 ⇒ 西暦2016年9月~2017年4月(蘇生期)
 西暦1380~1450年 ⇒ 西暦2017年5月~2017年12月(長成期)
 西暦1451~1517年 ⇒ 西暦2018年1月~2018年8月(完成期)

それでは、新約時代のキリスト教と法王、そして文亨進様と康賢實真のお母様の動向に注目して、摂理的同時性の現象を検証してみましょう。

第2節 法王と康賢實真のお母様の捕虜生活と帰還

(1)70年苦役路程の意味と康賢實真のお母様の帰還

まず、法王が捕虜となって70年の苦役路程を歩むようになった理由を、『原理講論』から確認してみましょう。

 神がキリスト王国時代を立てられたのは、法王と国王を中心として、「再臨のメシヤのための基台」を造成され、その基台の上で、メシヤとして再臨なさる王の王に、その国と王位を引き渡すことによって、メシヤ王国を建設するためであった(イザヤ九・6、ルカ一・33)。
 しかし、国王と、彼を「実体基台」の中心人物として立てるための霊的な基台を造成しなければならなかった法王たちが、あくまで悔い改めなかったので、彼らは「再臨のメシヤのための基台」をつくることができなかったのである。ここにおいて、神は、この基台を復帰するための新しい摂理をされるために、法王が捕虜となって苦役を受けるようにされたのであった。(『原理講論』p479)

 

このように、法王と国王が一つになって「再臨のメシヤのための基台」をつくれなかったため、その基台を復帰するために法王が捕虜生活をするようになったわけです。

成約時代においては、韓鶴子オモニが文亨進様と一つになれなかったため、文鮮明先生が聖和されたのち、その蕩減復帰路程を康賢實真のお母様が代わりに歩まれるようになりました。

康賢實真のお母様は、2012年9月から2016年8月まで、4年間のサタン分立路程を歩み、その最後に家庭連合から偽りの「聖酒式」を強要されるという試練に勝利されました。

そして、韓鶴子オモニが文亨進様と一つになれなかったことを蕩減復帰するため、家庭連合からの脅迫にも屈することなく、2016年12月21日に韓国を出国してアメリカに向かわれました。

ちょうどこの時期に、韓鶴子オモニの『クリスマス発言』があり、「お父様は原罪を持って生まれた」(2016年12月25日)と明言し、文鮮明先生がメシヤであることを完全に否定しています。

康賢實真のお母様が渡米して文亨進様の下に行かれた翌月の2017年1月、康賢實真のお母様は『天一宮』に入宮されました。

これは、家庭連合が偽りの「聖酒式」を始めた2016年6月から7ヵ月後のことでした。

(2)偽りの「聖酒式」の狙いは康賢實真のお母様

家庭連合の『天一国4大聖物』は、2016年4月22日に韓鶴子オモニから世界大陸会長に伝授され、2016年6月2日に「『天一国4大聖物伝授及び聖酒式』の意義と精誠条件」という公文が出されました。

そして、2016年6月以降、2017年3月まで、『天一国4大聖物伝授及び聖酒式』特別恩赦ということで、家庭連合では「聖酒式」が行われています。

この偽りの「聖酒式」は、神様と真のお父様が姜賢実先生(当時の康賢實真のお母様のお名前)を真の母に立てようとしていることを知ったサタン勢力が、それを阻止するために行ったものです。

偽りの聖酒を姜賢実先生に飲ませることによって、真の母に即位する資格を奪おうとしたのです。

しかし、姜賢実先生は、この偽りの「聖酒式」の試練に勝利され、文亨進様の下に帰還されました。

(3)苦役路程を歩むようになった祝福家庭

捕虜のような苦役路程を歩むようになったのは、韓国や日本にいる祝福家庭たちも同様でした。

その具体的な現象として、2016年から2017年の朝鮮半島情勢を振り返ってみましょう。

2016年9月9日、北朝鮮が過去最大規模の核実験を行い、朝鮮半島情勢は一気に緊張状態になります。

翌年の2017年になると、北朝鮮は毎月のようにミサイル発射実験を行い、いつ在韓米軍との軍事衝突が起きてもおかしくない事態となります。

また、韓国においても、2016年10月末に発覚した「崔順実ゲート事件」により、朴槿恵大統領の支持率が急落、11月初頭には5%までに下落しました。

そして、12月9日、国会で弾劾訴追案が可決され、弾劾訴追議決書の送達を受けた同日19時3分から、大統領としての職務が停止されてしまいます。

翌年の2017年3月10日午後、憲法裁判所により、朴槿恵大統領の罷免が裁判官8人の全員一致で決定し、その2ヵ月後の5月10日、親北と言われる文在寅大統領が就任することになりました。

こうして、韓国と日本にいる祝福家庭は、教会内では偽りの「聖酒式」、教会外では共産主義政権と戦争の脅威により、内外の苦役路程を歩むことになったのです。

第3節 「コンスタンツ公会議」と「天宙完成祝福聖婚式」

(1)「コンスタンツ公会議」について

1414年から1418年にかけて、ドイツで「コンスタンツ公会議」が開催されましたが、このことについて『原理講論』には次のように記述されています。

 法王グレゴリー十一世は一三七七年に至ってローマに帰還した。彼が死んだのち、枢機卿たちは、イタリアのバリの監督ウルバヌス六世を、法王として選出したのであった。しかし、フランス人が多数であった枢機卿たちは、間もなくウルバヌスを排斥して、別に、クレメンス七世を法王に選出し、南フランスのアヴィニョンに、また一つの法王庁を立てるようになった。この分離は次の世代に入り、改革会議において解決されるときまで継続されたのである。
すなわち、一四〇九年に枢機卿たちは、イタリアのピサにおいて会議を開き、分離されてきた二人の法王をみな廃位させ、アレクサンドリア五世を正当な法王として任命したのである。しかし廃位された二人の法王がこれに服さなかったので、一時は、三人の法王が鼎立するようになった。
その後、再び監督と大監督のほかに、神学者、王侯、使節など、多くの参席者をもって、コンスタンツ大会を開催、三人の法王を一斉に廃位させ、再び、マルチヌス五世を法王に選出したのである。
(『原理講論』p480~1)

 

このように、「コンスタンツ公会議」は、既存の3人の法王を廃位させ、新たに正統な法王を立てることによって、40年続いた教会大分裂(シスマ:1378~1417)を終結させる会議でした。

(2)「天宙完成祝福聖婚式」により真の父母様が再び顕現

「コンスタンツ公会議」は、法王捕虜および帰還時代210年(1309~1517年)の中間地点を過ぎたころに行われています。

したがって、「コンスタンツ公会議」と摂理的同時性の現象と考えられるのが2017年9月23日に行われた「天宙完成祝福聖婚式」です。

新約時代の3人の法王を蕩減復帰する立場が韓鶴子オモニ、郭全淑様、李妍雅様でしたが、「天宙完成祝福聖婚式」により、姜賢実先生が真の母となられました。

文鮮明先生が2012年9月3日に聖和されてから5年後(60ヶ月後)に真の母が復帰されたのです。

これは、アダムとエバの堕落から6000年後に初めて真の母が復帰(1960年)されたことを、6数期間(2012・13・14・15・16・17)をもって再蕩減復帰したことになります。

 2012年1月 真のお父様に絶対服従を誓う儀式※
  ↓8ヵ月後
 2012年9月 文鮮明先生の聖和式

 

       ⇓ 6数期間(2012・13・14・15・16・17)

 2017年1月 姜賢実先生が天一宮入宮
  ↓8ヵ月後
 2017年9月 「天宙完成祝福聖婚式」

 

このようにして、失われてしまった真の母が復帰され、真の父母様が再び顕現されるようになったのです。

2012年1月19日の天正宮訓読会にて、文鮮明先生は、韓鶴子オモニをご自身の前に立て、その後ろには石俊淏氏、尹晶老氏、黄善祚氏、金孝律氏の4人を立てて、文鮮明先生に絶対服従を誓う儀礼を行われました。

 

【新約時代における正統な法王選出までの経緯】

①ウルバヌス6世とクレメンス7世
⇒ 対立関係

②「ピサ教会会議」(1409年)
⇒ 2人の法王が廃位され、アレクサンドリア5世(アレクサンデル5世)が法王として選出される。

③「コンスタンツ公会議」(1414~18年)
⇒ マルチヌス5世が正統な法王として選出される。

 

【成約時代における真の母選出までの経緯】

①韓鶴子オモニと郭全淑女史
⇒ 対立関係

②「三大王権完成者相続宣布式」(2015.5.24)
⇒ 三代王である文信俊様に李妍雅様が敬拝をされ、韓鶴子オモニの失敗を蕩減復帰される。
(※この40ヵ月後の2018年9月から文亨進様による聖霊の役事がスタート)

③「天宙完成祝福聖婚式」(2017.9.23)
⇒ 康賢實真のお母様が文鮮明先生の相対として立たれる。

(3)文鮮明先生が直接伝道された康賢實真のお母様

康賢實真のお母様は、『原理原本』の執筆が完了した1952年5月10日、初めて文鮮明先生を訪ねられました。

当時、既成教会の伝道師だった康賢實真のお母様は、伝道目的で文鮮明先生のところに行かれたのですが、反対に文鮮明先生から伝道されたわけです。

文鮮明先生は、康賢實真のお母様を伝道したときのことについて次のように語られています。

 韓尚東(ハン・サントン)が姜賢実を最愛の娘のように思っていたのに、(先生に)ひっかかったのです。再建教会にいたのですが、それを無視してしまったのです。それで反対されたではないですか? 姜賢実の父と韓尚東が友人で、娘のように思っていたのです。(『文鮮明先生御言選集』309-157 1999.4.29)

 再建教会の金尚東ですか?(「韓尚東です。韓尚東は再建教会ではなく高神派です」)。高神派ですが、それは再建教会の分派でしょう?(「はい」)。賢実を失ってしまったと言うので、私が(彼に)会いにいったではないですか? (中略)私がそのためにどれほど批判されたか分かりません。(『文鮮明先生御言選集』325-71 2000.6.9)

 私があなたのために、その(高麗神学校の)総長と副総長に会ったではないですか? 「神学校で最も優秀な女性を、どのようなことをして惑わしたのか?」と言うのです。たくさん悪口を言われました。先生に狂ってそそのかされていると言われたのです。
 毎日のように(私のところに)訪ねてくるので、近所の人にどれほど後ろ指をさされたでしょうか? 「到底信じられないことばかり言うのに、あの女性は凡一洞の美男子に狂ってしまった」と言われました。この人は、21歳から有名な復興師だったのです。(『文鮮明先生御言選集』333-131 2000.9.25)

 

韓尚東牧師は、高神大学校と高麗神学大学院の設立者で長老教の牧師です。

日帝時代の神社参拝拒否運動では代表的な人物でもあり、当時のキリスト教のなかでアベル的な立場にいた人でした。

かつて文鮮明先生に反対してそのアベルの立場を離れた教団に属し、韓氏(韓尚東牧師)から寵愛を受けていたのが康賢實真のお母様だったのです。

そのような立場から文鮮明先生が直接伝道された康賢實真のお母様には、蕩減復帰の原理的な条件と背景があったと言うことができます。

つまり、韓鶴子オモニが真の母の責任を果たせなくなったため、韓氏を中心とする摂理が失敗したのですが、立てられた使命者が責任を果たせなかったとき、次の使命者は「サタンが一番愛する立場にいる存在」(『原理講論』p316)を復帰してくるというのが蕩減復帰の原則です。

ですから、韓氏の韓尚東牧師から寵愛を受け、しかも既成教会では名の通った伝道師という立場から文鮮明先生が直接伝道されたという背景と経歴があったため、康賢實真のお母様が立てられたのです。

さらには、人類史上、最初に『原理原本』を筆写されたのは康賢實真のお母様です。

2001年6月、康賢實真のお母様のご自宅で行われたインタビューによると、1952年7月から8月、筆写のために『原理原本』を借りられ、その後、文鮮明先生にお返ししたそうです。

最初から最後まで、文鮮明先生とそのみ言に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従を貫かれた信仰姿勢は、私たちの手本であり目指すべき境地です。

そして教会員たちを愛し、尽くされるそのお姿は、真の母としてこれ以上相応しい方はいないと言えるでしょう。

(4)「天宙完成祝福聖婚式」の摂理的意義

「コンスタンツ公会議」は、その後のルターを中心とする宗教改革が始まるきっかけとなる会議でもありました。

なぜかというと、この会議で、教会改革を主張する指導者たちを極刑に処したからです。

この経緯について説明されている箇所を『原理講論』から引用してみましょう。

 この会議は、その後、スイスのバーゼルにおいて、ローマ教会の機構を立憲君主体にする目的をもって開催された。ところが、法王は、会衆がこのように会議を牛耳るのを快く思わず、この会議に参席しなかったばかりでなく、それを流会させようとまでたくらんだのである。
 これに対し法王党以外の議員たちは開会を強行したのであるが、結局一四四九年に至って、自ら解散してしまった。このようにして、ローマ教会内に立憲君主体を樹立しようとした計画は、水泡に帰してしまい、その結果一三〇九年以来、失った法王専制の機能を回復したのである。
 十四世紀の諸会議の指導者たちは、平信徒たちを代表として立て、この会議に最高の権限を与えることによって、腐敗した法王と僧侶たちを除去しようとした。ところが、法王権は彼らを幽閉してしまったので、前回と同じ立場に立ち戻ってしまったばかりでなく、ウィクリフとフスのような改革精神を抱いていた指導者を、極刑に処するようにまでなったので、このときからプロテスタントの宗教改革運動が芽を吹きだしはじめたのである。(『原理講論』p481)

 

康賢實真のお母様は、文亨進様の下に帰還され、文亨進様御夫妻の導きにより真の母に即位されました。

この一連の出来事は、「コンスタンツ公会議」にて、法王たちが教会改革の指導者たちを極刑に処したことを蕩減復帰することにもなります。

第4章「天一国時代」でも説明したように、新約時代の法王を蕩減復帰する立場にいるのが成約時代の真の母の立場です。

そして、文亨進様は、聖フランシスからルターまでの教会改革指導者たちの歩みを蕩減復帰する路程を歩まれています。

ですから、教会改革者たちを処刑してしまった新約時代の法王の失敗を、康賢實真のお母様が文亨進様の下に帰還され、その指示に従われることによって蕩減復帰されたことになるのです。

したがって、康賢實真のお母様は、縦的には新約時代の法王の失敗を蕩減復帰され、横的には韓鶴子オモニの失敗を蕩減復帰されたわけです。

この「天宙完成祝福聖婚式」以降、文亨進様御夫妻と文国進様御夫妻を中心とする「世界平和統一聖殿」(サンクチュアリ教会)は、キリスト教福音派との交流が盛んになっていきます。

そして、その1年後、文亨進様が聖霊役事を始められることによって、成約時代の宗教改革が始まるようになるのです。

第4節 神殿理想の再建と「天一宮入宮式」

(1)神殿理想と「天福宮」へのサタン侵入

旧約時代の統一王国時代では、ソロモンが一度は神殿理想を実現しましたが、王妃たちが信じていた異邦人の神々に仕え、堕落して淫乱に溺れてしまうことにより、神殿理想にサタンが侵入するようになりました。

そのため、そのあとの南北王朝分立時代には、その侵入したサタンを分立する摂理が行われました。

統一王国時代において、ソロモンの堕落により、彼の神殿理想はサタンの侵入を受けるようになった。そして、成就できなかった神殿理想を再び探し立てて、実体神殿としてのメシヤを迎えさせるために、神は四大預言者と十二小預言者を遣わし、サタン分立の摂理をされた。(『原理講論』p193)

 

このように、この時代に神様は、エリヤをはじめとする預言者たちを遣わしてサタン分立の摂理をされました。

第4章「天一国時代」(2001~2012年)で説明したように、旧約時代のソロモンの神殿建設を、成約時代において蕩減復帰したのが文亨進様による「天福宮」(2010年2月21日)の建設と奉献でした。

文亨進様はソロモンの受けた試練に勝利されましたが、韓鶴子オモニが偽りの神に仕えることによって、統一王国時代と同じように「天福宮」がサタンに侵入されてしまったのです。

そのため、文鮮明先生が聖和されたのちの「天地王権分立時代」(2012年9月~2016年8月)は、旧約時代の南北王朝分立時代のように、神殿理想に侵入したサタンを分立する路程となりました。

(2)「天一宮入宮式」の摂理的意義

イスラエル民族が70年のバビロン捕虜生活から解放され、エルサレムに帰還して最初にしなければならなかったことが神殿の再建でした。

その神殿建設の意義と目的について、文鮮明先生は次のように語られています。

 イスラエル民族がバビロンに行って暮らし、そこから戻ってきて最初にしなければならないことが何だったかというと、国を指導できる聖殿を建てることです。イスラエル民族は聖殿を建てて何をしようというのでしょうか。自分の暮らしが問題ではありません。国を取り戻さなければならないのです。イスラエル民族がカナンの福地に来たのは、国を求めてきたのです。建国のためだったというのです。(『文鮮明先生御言選集』174-85 1988.2.24)

 イスラエル民族は、カナンの七族を越えて建国を考えなければなりませんでした。建国のためには、神様の聖殿を建てなければなりませんでした。その聖殿は国の土台となって国を求めることができなければなりません。その聖殿と一つになり、精神的な国の基準において一致しうる思想的土台を成し遂げなければならなかったのです。(『文鮮明先生御言選集』174-85 1988.2.24)

 

このように、神殿は国家建設の土台であり、国を指導できる内的な基台となるものでした。

そして、イスラエル民族がエルサレムに帰還して神殿を再建し始め、それを完成してメシヤ降臨の準備期に入るまでに140年かかったことが『原理講論』に次のように説明されています。

 北朝イスラエルが、彼らの不信により、アッシリヤへ捕虜として捕らわれたのち、南朝ユダもまた不信に陥ったので、バビロニアの王ネブカデネザルによって捕虜として捕らえられた。このときから彼らは、バビロンで七十年間捕虜になっていたが、バビロニアがペルシャによって滅ぼされたのち、ペルシャ王クロスの詔書によって解放された。
 ユダヤ民族はその後、長い期間にわたってエルサレムへ帰還したが、ネヘミヤが残りのユダヤ人を導いて帰国し城壁を再建したのち、彼らは預言者マラキを中心として彼の預言によって(マラキ四・5)、メシヤを迎えるための準備期に入った。このときが、彼らがバビロンに捕らえられてから二一〇年目に当たり、解放されはじめてから約一四〇年になるときであった。(『原理講論』p458)

 

このように神様は、南北王朝分立時代に預言者たちを遣わしてサタン分立の摂理をされ、その基台の上で民族捕虜及び帰還時代の210年を経て、再び神殿理想を立てるようにされました。

このエルサレム帰還後の神殿再建と摂理的同時性の出来事が、2017年1月1日に文亨進様御夫妻と文国進様御夫妻を中心として行われた「天一宮入宮式」です。

この「天一宮入宮式」は、大統領選挙に当選したトランプ氏が、カイン圏のホワイトハウスに入って大統領就任式を行う1月20日よりも前にやらなければならない摂理的な理由がありました。

さきほどの文鮮明先生のみ言にあるように、神殿建設は国家建設のためであり、その土台となるものです。

ですから、天が立てたカイン圏の中心であるトランプ大統領を守り、支える基台を、アベル圏の中心である文亨進様御夫妻と文国進様御夫妻が先に造成しなければならなかったのです。

そのために行われた摂理的行事が「天一宮入宮式」だったわけです。

以上のように、「天一宮入宮式」は、縦的には旧約時代の神殿再建を蕩減復帰し、横的にはサタンに侵入された「天福宮」を蕩減復帰するものです。

まとめ

 

【真の母捕虜・帰還時代】(2016年9月~2018年8月)※陽暦

新たに召命された真の母を中心とするアベル圏の祝福家庭たちが、サタンの主管下から真の父の権威圏に復帰していく時代です。

 

【法王捕虜および帰還時代と真の母捕虜および帰還時代の同時性的現象】

①法王の捕虜生活と帰還

 ⇒ 康賢實真のお母様の捕虜生活と帰還

②1414~18年「コンスタンツ公会議」

 ⇒ 2017年9月23日「天宙完成祝福聖婚式」

③プロテスタントの宗教改革運動

 ⇒ 「世界平和統一聖殿」(サンクチュアリ教会)の宗教改革運動

 

【ユダヤ民族捕虜および帰還時代と真の母捕虜および帰還時代の同時性的現象】

①エルサレム帰還後の神殿建設
  ⇒2017年1月1日「天一宮入宮式」

 

以上で「真の母捕虜および帰還時代」の解説を終わります。次回は「真の家庭降臨準備時代」についての解説になります。

Print Friendly, PDF & Email