【新約時代の東西王朝分立時代について
 復帰摂理時代における統一王国時代に、神殿が摂理のうちで建てられなかったので、この王国が南朝と北朝に分裂され、四〇〇年間の南北王朝分立時代がくるようになった。ゆえに、復帰摂理延長時代においても、この時代を蕩減復帰する時代がなければならない。これが、すなわち、キリスト王国時代が過ぎたのち、西暦一三〇九年に、法王庁が南仏アヴィニョンへ移されるまでの、東西王朝分立時代四〇〇年であったのである。(『原理講論』p462)

 

今回は、新約時代の東西王朝分立時代400年を蕩減復帰する「天地王権分立時代」について解説します。

「天地王権分立時代」は、真の父に対する真の母の不信により、神中心の天の王権とサタン中心の地の王権に分かれ、祝福家庭たちがサタン主管下で苦役路程を歩む時代です。

そして、天上で文鮮明先生が役事され、地上ではその相対として文亨進様が立ち、韓鶴子女史との対立関係が顕現する時代でもあります。

この時代に起きた主な摂理的同時性の現象をピックアップし、それらを旧約時代、新約時代と比較しながら検証してみたいと思います。

第1節 「天地王権分立時代」の概要

旧約時代の南北王朝分立時代400年、そして新約時代の東西王朝分立時代400年を実体的に蕩減復帰するのが「天地王権分立時代」です。

具体的な年代で言うと、2012年9月3日に文鮮明先生が聖和されてから、家庭連合が2016年6月から始めた「天一国四大聖物の伝授式・聖酒式」を康賢實真のお母様に強要するまでの4年間を意味します。

そして、この時代は、東西王朝分立時代400年を100分の1の期間で蕩減復帰する路程で、これを年代別に区分すると次のようになります。

 西暦921~1020年 ⇒ 西暦2012年9月~2013年8月
 西暦1021~1120年 ⇒ 西暦2013年9月~2014年8月
 西暦1121~1220年 ⇒ 西暦2014年9月~2015年8月
 西暦1221~1320年 ⇒ 西暦2015年9月~2016年8月

それでは、最初に、神様の復帰摂理史上、最も重要な出来事の一つである文鮮明先生の聖和とその天の勝利圏から説明していくことにします。

第2節 文鮮明先生の聖和と天の勝利圏

まず、文鮮明先生が生涯にわたって神様のみ旨の道を歩まれた結果、どのような勝利をされ、それによってその後の復帰摂理がどうなったのかを見てみましょう。

(1)文鮮明先生が勝利されたこと

①第3アダムとして勝利

創世記5章5節に「アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった」とありますが、第3アダムとして降臨された文鮮明先生は、93歳(数え)で地上での歩みを終えられました。

神様の復帰摂理歴史において、生涯にわたって中心人物の立場に立ち続け、そして誰にも成し得ない勝利基準を立てられたのは、イエス様と文鮮明先生だけです。

他の中心人物たちは、生涯のある一時期だけ中心人物の立場に立っていたか、あるいは最後にはその立場を離れてしまっています。

生涯にわたってアダムの位置を守り、中心人物として立ち続けられたことが、どれほど大きな勝利圏なのか、『原理講論』のこちらの箇所をご覧ください。

 エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである。しかし、アダムまで堕落してしまったので、サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである。(『原理講論』p111)

 

たとえエバが霊的に堕落してしまったとしても、堕落していないアダムの実体さえ残っていれば、エバの復帰摂理は容易だったということです。

つまり、文鮮明先生が第3アダムとして、アダムの失敗を実体的に蕩減復帰してくださったことにより、失われた真の母を復帰するにおいて最短の道が開かれたのです。

 

②「統一原理」を解明され「八大教材教本」を残された

後のアダムとして来られたイエス様は、伝えたかったことを伝えることができず、悲しみの心情をかかえたまま亡くなられたことが『原理講論』には次のように書かれています。

 イエスは「わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」(ヨハネ三・12)と話されたみ言の通り、ユダヤ人たちの不信によって、語ろうとするみ言も語り得ず、十字架に亡くなられたのであった。
 そればかりでなく、イエスは弟子たちにまでも、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)と、心の中にあるみ言を、みな話すことのできない悲しい心情を表明されたのである。(『原理講論』p171)

 

文鮮明先生は、「統一原理」を明らかにしてくださることによって、このようなイエス様の悲しい心情を解いてくださったのです。

その真理探究の道は大変険しいものであったことが『原理講論』には次のように表現されています。

 先生は、幾十星霜を、有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。
 人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。
 そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。(『原理講論』p38)

 

文鮮明先生は、「人間として歩まなければならない最大の試練の道」を歩むことによって「七つの封印」(黙示録5章1~5節)を解き、「統一原理」を解明してくださったのです。

そして、人類への遺言として「八大教材教本」を残してくださいました。

 真の父母様は、すでに人類のための遺言を準備し、残しました。一生に六度、七度も生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言です。永遠なる人類の教材、教本として八種類の本を残しました。冊数としては千冊を超える分量です。
 『文鮮明先生み言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神經』、『天国を開く門真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、以上の八種類の書籍です。
 これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教本だからです。(『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』講演文より)

 

③霊肉両面の救いの摂理を完成

イエス様の十字架による救いの恩恵と限界について、『原理講論』には次にように記述されています。

 イエスの十字架による救いは、あくまでも霊的な救いのみにとどまり、我々の肉身を通して遺伝されてきたすべての原罪は依然としてそのまま残っているので、イエスはこれらを贖罪し、人間の肉的救いまで完全に成就するために、再臨されなければならないのである。(『原理講論』p576)

 

霊肉両面の救いの摂理を完成する使命をもって降臨された文鮮明先生は、真の母を迎え、「祝福式」によりその使命を完遂されました。

霊的救いによっても清算されなかった堕落人間の原罪を取り除き、サタンの血統から神様の血統に転換される道を開いてくださったのです。

 

④神様の王権を地上に定着された

『原理講論』には、アダムとエバがサタンを中心とする四位基台をつくってしまった結果について、次のように記載されています。

 アダムとエバが完成し、神を中心とする四位基台をつくったならば、そのとき、神の主権の世界は成就されるはずであった。しかし、彼らが未完成期において堕落し、サタンを中心とする四位基台をつくったので、この世界はサタン主権の世界となってしまったのである。(『原理講論』p115)

 

このように、アダムとエバが堕落してサタンを中心とする四位基台をつくったことにより、世界はサタン主権の世界となりました。

サタン世界となったこの世界を神主権の世界にするために来られるのがメシヤです。

文鮮明先生は、再臨のメシヤとしてこの使命を果たすため、「神様王権即位式」(2001年)をされました。

すなわち、神様の王権が復帰されることにより、神主権の国と世界が実現する道を開いてくださったのです。

 

⑤神様の真の血統を地上に残された

文鮮明先生は、イエス様の結婚と、それが実現されていればその後の世界がどのようになっていたのかについて以下のように語られています。

 洗礼ヨハネの母エリザベツとマリヤは従姉妹関係なので、二人が一つになって早くイエス様を結婚させなければなりませんでした。
 イエス様が洗礼ヨハネの妹と一つになっていたならば、世界は完全に一つになることができたのです。イエス様はアダムの代表者として生まれたのですが、神側の女性がいませんでした。カイン側から復帰してくるには、最も近いのが洗礼ヨハネの妹だったのです。そのようになれば、自然に洗礼ヨハネと一つになることができたのです。
 もしイエス様が結婚していたならば、きれいな血統がこの地上に残され、イエス様の子孫がキリスト教をすべて統一して、教派なく世界が統一されて久しいはずなのです。(『文鮮明先生御言選集』243-200 1993.1.10)

 

文鮮明先生は、イエス様が果たそうとして果たせなかった第二祝福の「子女繁殖」を成し遂げ、神様の真の血統を中心とする天の三大王権を実現されました。

天の三大王権とは、文鮮明先生、七男の文亨進様、お孫様の文信俊様であり、文鮮明先生が聖和されたあと、二代王の文亨進様と三代王の文信俊様を中心に復帰摂理が展開していくようになっています。

(2)文鮮明先生の勝利圏による恩恵

それでは、このような文鮮明先生の勝利圏によって、その後の復帰摂理はどうなったのでしょうか。

 

①蕩減期間が100分の1に短縮

文鮮明先生の「聖和式」までは、新約時代の復帰路程を10分の1の期間で蕩減していました。

しかし、「聖和式」以降はさらに短縮されて、100分の1の期間で蕩減するようになりました。つまり、新約時代の100年を1年で蕩減復帰する摂理になったのです。

 

そのため、2012年以降、神様の復帰摂理はもちろん、世界のあらゆる分野で、変化と発展が驚くほどの速度で展開しているのです。

 

②武力衝突から法廷闘争へ

新約時代のキリスト教の歴史を見ると、十字軍戦争や三十年戦争など、幾たびも宗教間での戦争が行われてきました。

成約時代においても統一教会内での争いがありますが、より犠牲の少ない法廷闘争へと移っていくようになっています。

特に文鮮明先生の「聖和式」を前後して起きたヨイドパークワン訴訟やUCI訴訟などがその例です。

ヨイドパークワン訴訟はヨイド聖地を巡る争いでしたので、時期は少々ずれますが、エルサレムの支配権を巡って起きた十字軍戦争と同時性的な現象の一つと言えるでしょう。

 

③真の母を復帰する最短の道が開かれる

韓鶴子女史が文鮮明先生を不信し、文亨進様と対立することにより、真の母の立場を離れてしまいました。

しかし、文鮮明先生が第3アダムとして勝利されたことにより、真の母を再び立てる最短の道が開かれました。

詳細は次の記事で解説しますが、アダムの堕落以降、6000年目に真の母が立ちました(1960年)。

その6000年が短縮され、文鮮明先生が聖和された2012年から数えて6数となる2017年の9月23日に「天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式」(以降、「天宙完成祝福聖婚式」)が行われ、新たな真の母が復帰されるようになったのです。

このように、韓鶴子女史の天の三大王権(文鮮明先生・文亨進様・文信俊様)に対する不信は、一つの民族が一瞬で滅びてしまうほどの歴史的大罪ですが、それを補ってあまりある勝利が、文鮮明先生の天宙的な勝利圏です。

この勝利圏により、文鮮明先生の聖和以降の復帰摂理は、新約時代のキリスト教の歩みを蕩減復帰しつつ、短期間のうちに摂理を発展させることができるようになっていきます。

それでは次に、中世のキリスト教と家庭連合、そして文亨進様と韓鶴子女史の対立に注目して、摂理的同時性の現象を検証してみましょう。

第3節 南北王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象

(1)南北王朝の分立と真の子女様の分裂

文亨進様は、2020年6月24日の水曜礼拝のなかで、次にように語られました。

 イスラエルの10支派は北側に行きました。完全に異端神の者たちになってしまいました。そして、南側のユダは2支派です。ユダ支派とベンジャミン支派です。
 ユダ支派とベニヤミン支派が下の方に行って守るのです。神様のみ言と誓いを守りました。お父様の家庭と同じく10支派は失敗です。サタンのほうにいきました。2支派だけが生き残りました。その2支派を通してイエス様が現れたのです。
 お父様の家庭のように2支派です。2代王様の支派と国進兄さんの支派を通して天一国が現れます。だからそういうパラレル(paralleis)、同時性摂理ではないですか? そのように同時性摂理も私たちは見るようになるのです。それも驚くべきことですね。(2020年6月24日 水曜礼拝のみ言より)

 

旧約時代のイスラエル民族は、統一王国時代のあとに南朝ユダの二部族と北朝イスラエルの十部族に分かれました。

成約時代の真の家庭においても、文鮮明先生のみ言と伝統に従う二人の真の子女様(亨進様と国進様)と、それに従わない他の真の子女様に分かれました。

文亨進様は、これは旧約時代におきたことと同時性の摂理だと語られています。

そして、イスラエル十二支派の分裂について、文鮮明先生は次のように語られています。

 ヤコブの家庭で12人の兄弟が一つになりませんでした。レアとラケルが闘ったのです。レアが欲心をもって自分の召使に生ませた4人の兄弟を合わせて、10人の兄弟が北朝イスラエルになり、ラケルのヨセフとベニヤミンの支派を中心として南朝ユダになりました。家庭的に一つにならなかったので、これが民族的に分かれていくのです。(『文鮮明先生御言選集』252-132 1993.11.14)

 南朝ユダの二支派と北朝イスラエルの十支派の闘争歴史は、カインとアベルの闘争であり、天の父母とサタンの父母の闘争です。ですから、ユダとイスラエルの国の歴史は悪魔に打ち勝つためのものでした。
 悪魔の足場になり、長子の立場に立っているのが北朝イスラエルの十支派です。南朝ユダの二支派がアベルの立場に立ち、北朝と南朝の闘争歴史を経てきたのです。(『文鮮明先生御言選集』145-324 1986.6.1)

 

二支派と十支派の闘争は天の側とサタンの側との闘争であり、南朝ユダの二支派がアベルの立場です。

これと同じように、文鮮明先生のみ言と伝統を守り、従われる文亨進様と文国進様が天の側であり、アベルの立場です。

(2)エリヤと文亨進様

南北王朝が分立された時代に活躍した預言者の一人がエリヤで、当時、横行していたバアル信仰の預言者たちを滅ぼしたことで知られています。

イスラエル民族の間にバアル信仰が広まったのは、北イスラエル王国の王アハブの妻イゼベルのためでした。

彼女は、自分の故国の宗教だったバアル信仰をイスラエルに強要して、バアルの神殿まで建設させました。

そのため、神様はエリヤを送ってバアルの預言者たちを滅ぼしたのですが、それを聞いたイゼベルは激怒し、民衆を煽ってエリヤを殺そうとします。

エリヤはその迫害を逃れて荒野に行き、40日のあいだ歩いたのちにホレブ山に到着します。

そこで神様からみ言を受けるのですが、そのみ言の内容を旧約聖書の列王記上から引用してみましょう。

 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。(中略)
 主は彼に言われた、「あなたの道を帰って行って、ダマスコの荒野におもむき、ダマスコに着いて、ハザエルに油を注ぎ、スリヤの王としなさい。またニムシの子エヒウに油を注いでイスラエルの王としなさい。
 またアベルメホラのシャパテの子エリシャに油を注いで、あなたに代って預言者としなさい。ハザエルのつるぎをのがれる者をエヒウが殺し、エヒウのつるぎをのがれる者をエリシャが殺すであろう。
 また、わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」。(列王記上19:8~18)

 

神様に「わたしの命を取ってください」(列王記上19:4)とまで言って絶望していたエリヤでしたが、このようなみ言を受けて自らの使命に目覚めます。

神様から受けたエリヤの使命は、イスラエルの王を立てること、自分の後継者を立てること、バアルに屈しない7000人を立てることの三つでした。

その後、エリヤに油を注がれて王となったハザエルとエヒウによってアハブ家は滅ぼされます。

そして、エリヤはエリシャを後継者として立てたのち、昇天するわけです。

成約時代においては、韓鶴子女史によって独生女信仰が統一家に蔓延するようになり、これに反対した文亨進様と文国進様は、公職を剥奪されて荒野に行かれます。

 

旧約時代:エリヤとイザベルの対立

成約時代:文亨進様と韓鶴子女史の対立

 

そこでどのような使命を神様と文鮮明先生から受けられたのかは分かりませんが、おそらくエリヤと同様の使命だったのではないかと思われます。

 

イスラエルの王を立てる ⇒ トランプ大統領を立てる

自分の後継者を立てる ⇒ 文信俊様を三代王として立てる

バアルに屈しない7000人を立てる ⇒ 世界平和統一聖殿7000家庭を立てる

 

第4節 東西王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象

(1)王朝の東西分立と王権の天地分立

神様が立てたキリスト王国が東西に分立された理由として、『原理講論』には次のように説明されています。

 神がキリスト王国時代を立てられたのは、法王と国王を中心として、「再臨のメシヤのための基台」を造成され、その基台の上で、メシヤとして再臨なさる王の王に、その国と王位を引き渡すことによって、メシヤ王国を建設するためであった(イザヤ九・6、ルカ一・33)。
 しかし、国王と、「実体基台」の中心人物として立てるための霊的な基台を造成しなければならなかった法王たちが、あくまで悔い改めなかったので、彼らは「再臨のメシヤのための基台」をつくることができなかったのである。(『原理講論』p479)

 

成約時代の「天宙平和統一王国時代」(2001~2012年)においては、韓鶴子女史が文鮮明先生を不信し、新婦と真の母の立場を離れることによってサタンに侵入されてしまいました。

このため、真の父(文鮮明先生)が天において神様の王権を代表し、地においては偽りの母(韓鶴子女史)がサタンの王権を代表するようになってしまいました。

そして、天にいらっしゃる真の父の相対圏に立ち、天の血統と伝統を守る立場にいらっしゃるのが文亨進様だったため、「天地王権分立時代」(2012年9月~2016年8月)は、文亨進様と韓鶴子女史の対立がさらに激しくなっていきました。

文亨進様と韓鶴子女史の対立が、公の場で明らかになったのは、陽暦2013年2月10日の「真の神の日」でした。

この日、韓鶴子女史は、「真の神の日」を「天の父母様の日」に、そして『家庭盟誓』の「神様」を「天の父母様」、「成約時代」を「天一国時代」に改変しました。

「真の神の日」を迎えた零時の祝祷で韓鶴子女史は、「神様」をすべて「天の父母様」と呼んで祈祷しました。

それに対して、当時世界会長だった文亨進様は、同日の代表祈祷で「神様」を「天の父母様」と呼ばず、すべて「天のお父様」と祈祷されています。

このお二人の対立は、2013年の「真の神の日」まで真の家庭内で起きたことでしたが、この日を期して、韓鶴子女史の文鮮明先生に対する不信、そして文亨進様との対立が公の場でもはっきりと分かるようになっていきます。

(2)中世のキリスト教と家庭連合の腐敗・堕落

東西王朝分立時代のキリスト教の使命とその腐敗・堕落について語られた文鮮明先生のみ言を引用してみましょう。

 キリスト教の信徒たちがローマで400年間、迫害と殉教の代価を払い、4000年の旧約歴史を清算して勝利し、キリスト教が国教として立つようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。
 当時、教皇庁とローマは、どのような犠牲も辞さず、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心に全世界を結束させて統一の理想世界を建設しなければなりませんでした。
 しかし、教皇庁はこのような重大な使命を悟ることができず、教権を濫用し、腐敗がはびこるようになったために、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨は再び離脱してしまったのです。(『文鮮明先生御言選集』88-204 1976.9.18)
 ローマ教皇庁を中心として見るとき、中世には既に腐敗して彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨が世界を救うことであるということを忘却してしまいました。
 世界はすべてほうり出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、目を丸くしながら、そこに反対する者はすべて切ってしまいました。
 世界を救うためには、自分の氏族などを100パーセント犠牲にしなければならないのに、自分たちの立場と栄光を得るためにそれを擁護したのです。(『文鮮明先生御言選集』69-99 1973.10.21)

 

このように腐敗、堕落してしまった中世のキリスト教に対して、神様は内的な刷新としてトマス・アクィナスや聖フランシスなどを立てました。

しかし、それでも当時のキリスト教の指導者たちが悔い改めなかったため、外的な粛清の摂理として十字軍戦争が起きました。

この十字軍戦争は1096年から約200年に渡って行われましたが、その結果、キリスト教がどのようになったのかについて、該当する箇所を『原理講論』から引用してみましょう。

 南北王朝分立時代において、北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国の国民たちが、みな、異邦人の捕虜となって連れていかれたので、イスラエルの君主社会は、崩壊してしまった。
 これと同じく、東西王朝分立時代においても、十字軍が異教徒に敗れ、法王権が、その権威と信望とを完全に失墜するにつれて、国民精神は、その中心を失ってしまったのである。
 それだけでなく、封建社会を維持していた領主と騎士たちが、多く戦死してしまったので、彼らは政治的な基盤を失ってしまい、また、度重なる敗戦により、莫大な戦費が消耗されたので、彼らは甚だしい経済的困窮に陥ってしまったのである。(『原理講論』p478)

 

この一連の出来事と摂理的同時性の現象が、「天地王権分立時代」の家庭連合にも起きました。

十字軍戦争の敗戦によって中世のキリスト教が経済的な困窮に陥ったように、家庭連合も、ヨイドパークワン訴訟やUCI訴訟などで敗訴することにより、財政が厳しくなり、文鮮明先生が残してくださったさまざまな摂理的遺産を売却するようになりました。

さらに、教会員たちからの献金を私的に利用、蓄財する聖職者が横行するなどして、その権威と信頼を失い、求心力を失っていくようになりました。

(3)聖フランシスと文亨進様の教会刷新運動

『原理講論』のp477~8に「法王庁が腐敗して、トマス・アクィナス、聖フランシスなど、修道院の人物たちが彼らに勧告して、内的な刷新運動を起こしたのである」とあるように、聖フランシスは聖フランシスは、再臨主降臨の約700年前に神様がキリスト教の内的刷新のために立てた人物です。

聖フランシスが活躍した時代(1182年7月5日生~1226年10月3日没)を「成約時代の摂理的同時性」の観点から見たとき、2014年9月から2015年8月の時期に該当します。

そして、聖フランシスの内的刷新運動の摂理的同時性の現象が、2015年1月18日の「沈黙を破って」のメッセージから始まった文亨進様の教会刷新運動です。

文亨進様の「世界平和統一聖殿」(サンクチュアリ教会)を中心とする教会刷新運動は、フランチェスコの修道院を中心とする教会改革と清貧運動の同時性となります。

(4)キリスト教封建社会と家庭連合封建社会の存続

神様の復帰摂理歴史において封建社会が誕生する理由は、神様が罪悪世界から善の個体を召命し、彼らを中心として善の氏族社会を立て、更に善の封建社会をつくったのち、善の王国を建設することによって、メシヤを迎えるための善の版図と主権を樹立するためでした。

『原理講論』のp489に「封建社会の特性は、奉仕と服従とを前提とする主従関係による政治制度と、封土を中心とする封鎖的な自給自足の経済体制にある」とあるように、封建社会における一般民衆は、その社会の性格上、その領主の思想と指導に絶対服従していたのです。

したがって、当時の教区長などのキリスト教指導者たちと一般信徒たちの関係は、主人と僕のような主従関係でした。

教区長制キリスト教会時代から始まったキリスト教の封建社会は、本来なら「善の王国」が到来した時点で終るべきでしたが、実際にはどのようになったのか『原理講論』から引用してみましょう。

 キリスト王国時代がくることにより、封建時代は、そのときに、完全に終わってしまわなければならなかったのである。ところが、法王や国王たちが、みな、神のみ旨に反するようになったので、チャールズ大帝の本来の理想を実現することができなくなり、そのため頑強な封建制度の基礎は揺るがず、その後においても、長い間にわたって存続したのであった。(『原理講論』p501)

 

このように、キリスト王国時代以降も、キリスト教指導者たちと一般信徒たちの主従関係は続いてしまいました。

この教会指導者と信徒たちの主従関係は、成約時代の復帰摂理歴史でも同様に展開し、2001年の「神様王権即位式」まで、統一教会の祝福家庭と聖徒たちは教会指導者を主体として従う立場にいたのです。

しかし、「神様王権即位式」以降の「天宙平和統一王国時代」になって再臨のメシヤを中心とする王国ができれば、それまでの主従関係から本然の兄弟姉妹関係にならなければなりません。

すなわち、「神様王権即位式」以降、教会とその指導者たちは、自らも氏族メシヤとして歩み、共に氏族メシヤとして歩む聖徒たちと善の基台を造成するべきでした。

ところが、中世のキリスト教と同様に腐敗していた家庭連合の指導者たちは、その地位と権益を手放すことができなかったのです。

また祝福家庭たちも、自ら主体的な信仰をもとうとはせず、教会指導者からの指示を待ってそれに従うという、旧態依然の形式的な信仰生活に囚われていました。

このように、成約時代の「天地王権分立時代」においても、それまでの封建的な主従関係がそのまま存続してしまったのです。

第5節 真の「基元節」の制定

(1)2013年2月22日(天暦1月13日)の「基元節」の根本意義

2013年2月22日(天暦1月13日)の「基元節」では、文鮮明先生を中心として真の父母様の「天宙完成祝福聖婚式」が行われ、祝福家庭が子女の立場でその祝福に同参するはずでした。

そして、すべての祝福家庭が天一国に入籍を果たし、氏族の王と王妃となり、実体的な天一国が出発することになっていたのです。

 真の父:文鮮明先生
 真の父母:文鮮明先生と韓鶴子女史
 真の子女:文亨進様ご夫妻を中心とする全祝福家庭

ところが、韓鶴子女史の不信によって、「基元節」がサタンに奪われて偽りの「基元節」となり、そのときに偽りの聖酒を飲んだ祝福家庭たちは、真の父母様の祝福圏から離脱して堕落圏に落ちてしまいました。

(2)失われた「基元節」の三段階復帰摂理路程

このようにして失われた「基元節」に対して、文鮮明先生が聖和されたのち、天の三大王権を中心に次のような三段階で蕩減復帰する摂理が行われてきました。

 蘇生段階:2015年天暦7月17日(陽暦8月30日)
  ⇒文亨進二代王様戴冠式(真の父復帰)

 長成段階:2017年天暦8月4日(陽暦9月23日)
  ⇒天宙完成祝福聖婚式(真の父母復帰)

 完成段階:2018年天暦1月13日(陽暦2月28日)
  ⇒天宙天地人真の父母様天一国生命の書入籍祝福式(真の子女~真の家庭復帰)

(3)真の「基元節」の制定と三大王権完成

聖フランシスの晩年と同時性の時期に相当する2015年8月30日(天暦7月17日)に真の「基元節」が定められました。

文鮮明先生の聖和3周年を迎えたこの日、真のカインとして立てられた文国進様が、真のアベルとして立てられた文亨進様に王冠を被せてさしあげました。

このことにより、神様と文鮮明先生を中心としてカインとアベルが完全にひとつになり、文亨進様が真の後継者として二代王の立場に立たれました。

この基台の上で、文鮮明先生の聖和からサタン分立の3年路程を経て真の「基元節」が制定されたのです。

これ以降、文亨進二代王様を中心とする「世界平和統一聖殿」の聖徒たちは、聖フランシスからマルチン・ルターまでの教会刷新運動を蕩減復帰し、「神殿」を再建しながら三大王権完成のための7年路程を歩むようになります。

その後、2017年9月23日(天暦8月4日)に「天宙完成祝福聖婚式」が行われ、これ以降、2018年の真の「基元節」3周年からは、天暦8月4日に「基元節」の記念式典が行われるようになります。

それは本来、2013年2月22日(天暦1月13日)の「基元節」で行われる中心式典は真の父母様の天宙完成祝福聖婚式であり、それを実体的に蕩減復帰したのが「天宙完成祝福聖婚式」だからです。

したがって、2021年2月現在、真の「基元節」は、制定年度が2015年、日付が天暦8月4日となっています。

 

文鮮明先生の聖和からの10年路程(2012年9月~2022年8月)
 ⇒サタン分立3年路程+真の「基元節」(2012年9月~2015年8月)
 ⇒三大王権完成基台造成7年路程+三大王権完成(2015年9月~2022年8月)

 

まとめ

 

【天地王権分立時代】(2012年9月~2016年8月)※陽暦

真の父に対する真の母の不信により、神中心の天の王権とサタン中心の地の王権に分かれ、祝福家庭たちがサタン主管下で苦役路程を歩む時代です。

 

【南北王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象】

①南朝二部族と北朝十部族の分立
  ⇒ 文亨進様・文国進様とその他の真の子女様の分立

②エリヤの荒野路程と三つの使命
  ⇒ 文亨進様の荒野路程と三つの使命

 

【東西王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象】

①王朝の東西分立
  ⇒ 王権の天地(真の父と真の母)分立

②キリスト教指導者の腐敗・堕落
  ⇒ 家庭連合指導者の腐敗・堕落

③聖フランシスの教会改革と清貧運動
  ⇒ 文亨進様の教会刷新運動

④キリスト教封建社会の存続
  ⇒ 家庭連合封建社会の存続

 

以上で「天地王権分立時代」の解説を終ります。次回は「真の母捕虜および帰還時代」についての解説になります。

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