【今回の原理のみ言】
復帰摂理時代における統一王国時代に、神殿が摂理のうちで建てられなかったので、この王国が南朝と北朝に分裂され、四〇〇年間の南北王朝分立時代がくるようになった。ゆえに、復帰摂理延長時代においても、この時代を蕩減復帰する時代がなければならない。これが、すなわち、キリスト王国時代が過ぎたのち、西暦一三〇九年に、法王庁が南仏アヴィニョンへ移されるまでの、東西王朝分立時代四〇〇年であったのである。(『原理講論』p462)

 

今回は、新約時代の東西王朝分立時代400年を蕩減復帰する「天地王権分立時代」について解説します。

「天地王権分立時代」は、文鮮明先生が天上で役事され、地上ではその相対として文亨進様が立ち、韓鶴子オモニとの対立関係が顕現する時代です。

この時代に起きた主な摂理的同時性の現象をピックアップし、それらを比較しながら検証してみたいと思います。

 

「天地王権分立時代」の概要

最初に、東西王朝分立時代400年の原理的な意味を『原理講論』から確認してみましょう。

復帰摂理時代における統一王国時代に、神殿が摂理のうちで建てられなかったので、この王国が南朝と北朝に分裂され、四〇〇年間の南北王朝分立時代がくるようになった。ゆえに、復帰摂理延長時代においても、この時代を蕩減復帰する時代がなければならない。これが、すなわち、キリスト王国時代が過ぎたのち、西暦一三〇九年に、法王庁が南仏アヴィニョンへ移されるまでの、東西王朝分立時代四〇〇年であったのである。(『原理講論』p462)

 

この東西王朝分立時代400年を実体的に蕩減復帰するのが「天地王権分立時代」です。

具体的な年代で言うと、2012年9月3日に文鮮明先生が聖和されてから、家庭連合が2016年6月から始めた「天一国四大聖物の伝授式・聖酒式」を康賢實真のお母様に強要するまでの4年路程を意味します。

そして、この時代は、東西王朝分立時代400年を100分の1の期間で蕩減復帰する路程で、これを年代別に区分するとおおよそ次のようになります。

 西暦921~1020年 ⇒ 西暦2012年9月~2013年8月
 西暦1021~1120年 ⇒ 西暦2013年9月~2014年8月
 西暦1121~1220年 ⇒ 西暦2014年9月~2015年8月
 西暦1221~1320年 ⇒ 西暦2015年9月~2016年8月

それでは、最初に、神様の復帰摂理史上、最も重要な文鮮明先生の聖和とその天の勝利圏から説明していくことにします。

文鮮明先生の聖和と天の勝利圏

成約時代の摂理的同時性において、最も重要なターニングポイントになっているのが文鮮明先生の聖和式になります。

まず、文鮮明先生が生涯にわたって神様のみ旨の道を歩まれた結果、どのような勝利をされ、それによってその後の復帰摂理がどうなったのかを見てみましょう。

文鮮明先生が勝利されたこと

1 第3アダムとして勝利

創世記5章5節に「アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった」とありますが、第3アダムとして降臨された文鮮明先生は、数えで93歳で地上での歩みを終えられました。

神様の復帰摂理歴史において、生涯にわたって中心人物の立場に立ち続け、そして誰にも成し得ない勝利基準を立てられたのは、イエス様と文鮮明先生だけです。

他の中心人物たちは、生涯のある一時期だけであったり、最後にはその立場を離れてしまっています。

生涯にわたってアダムの位置を守り、中心人物として立ち続けられたことが、どれほど大きな勝利圏なのか、『原理講論』のこちらの箇所をご覧ください。

エバが堕落したとしても、もしアダムが、罪を犯したエバを相手にしないで完成したなら、完成した主体が、そのまま残っているがゆえに、その対象であるエバに対する復帰摂理は、ごく容易であったはずである。しかし、アダムまで堕落してしまったので、サタンの血統を継承した人類が、今日まで生み殖えてきたのである。(『原理講論』p111)

 

たとえエバが霊的に堕落してしまったとしても、堕落していないアダムの実体さえ残っていれば、人類救済の復帰摂理はこんなにも長く険しい路程にはならなかったということです。

文鮮明先生が第3アダムとして、アダムが堕落したことを実体的に蕩減復帰してくださったことにより、失われた真の母を復帰する最短の道が開かれたのです。

2新しい真理である「統一原理」を解明

後のアダムとして来られたイエス様は、伝えたかったことを伝えることができず、悲しみの心情をかかえたまま亡くなられたことが『原理講論』には次のように書かれています。

イエスは「わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか」(ヨハネ三・12)と話されたみ言の通り、ユダヤ人達の不信によって、語ろうとするみ言も語り得ず、十字架に亡くなられたのであった。そればかりでなく、イエスは弟子達にまでも、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」(ヨハネ一六・12)と、心の中にあるみ言を、みな話すことのできない悲しい心情を表明されたのである。(『原理講論』p171)

 

文鮮明先生は、「統一原理」を明らかにしてくださることによって、このようなイエス様の悲しい心情を解いてくださったのです。

その真理探究の道は大変険しいものであったことが『原理講論』には次のように表現されています。

先生は、幾十星霜を、有史以来だれ一人として想像にも及ばなかった蒼茫たる無形世界をさまよい歩きつつ、神のみが記憶し給う血と汗と涙にまみれた苦難の道を歩まれた。人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできないという原理を知っておられたので、先生は単身、霊界と肉界の両界にわたる億万のサタンと闘い、勝利されたのである。そうして、イエスをはじめ、楽園の多くの聖賢たちと自由に接触し、ひそかに神と霊交なさることによって、天倫の秘密を明らかにされたのである。(『原理講論』p38)

 

文鮮明先生は、「人間として歩まなければならない最大の試練の道」を歩むことによって「七つの封印」(黙示録5章1~5節)を解き、「統一原理」を解明してくださったのです。

3霊肉両面の救いの摂理を完成

イエス様の十字架による救いの恩恵と限界について、『原理講論』には次にように記述されています。

イエスの十字架による救いは、あくまでも霊的な救いのみにとどまり、我々の肉身を通して遺伝されてきたすべての原罪は依然としてそのまま残っているので、イエスはこれらを贖罪し、人間の肉的救いまで完全に成就するために、再臨されなければならないのである。(『原理講論』p576)

 

霊肉両面の救いの摂理を完成するという使命をもって降臨された文鮮明先生は、真の母を迎えて「聖酒式」と「祝福式」により、それを実現されました。

霊的救いによっても清算されなかった堕落人間の原罪を取り除き、サタンの血統から神様の血統に転換される道を開いてくださったのです。

4神様の真の血統を地上に残された

文鮮明先生は、イエス様の結婚と、それが実現されていればその後の世界がどのようになっていたのかについて以下のように語られています。

 洗礼ヨハネの母エリザベツとマリヤは従姉妹関係なので、二人が一つになって早くイエス様を結婚させなければなりませんでした。
 イエス様が洗礼ヨハネの妹と一つになっていたならば、世界は完全に一つになることができたのです。イエス様はアダムの代表者として生まれたのですが、神側の女性がいませんでした。カイン側から復帰してくるには、最も近いのが洗礼ヨハネの妹だったのです。そのようになれば、自然に洗礼ヨハネと一つになることができたのです。
 もしイエス様が結婚していたならば、きれいな血統がこの地上に残され、イエス様の子孫がキリスト教をすべて統一して、教派分裂のない統一世界がなされて久しいはずなのです。(『文鮮明先生御言選集』243-199 1993.1.10)

 

イエス様が果たそうとして果たせなかった第二祝福の子女繁殖を文鮮明先生は実現され、神様の血統を中心とする三代圏を実現されました。

その三代圏とは、文鮮明先生、七男の文亨進様、お孫様の文信俊様であり、文鮮明先生が聖和されたあと、文亨進様と文信俊様を中心に復帰摂理が展開していくようになっています。

文鮮明先生の勝利圏による恩恵

それでは、このような文鮮明先生の勝利圏によって、その後の復帰摂理はどうなったのでしょうか。

1蕩減期間が100分の1に短縮

文鮮明先生の聖和式の前までは、新約時代の復帰路程を10分の1の期間で蕩減していました。

しかし、聖和式以降はさらに短縮されて、100分の1の期間で蕩減するようになりました。

つまり、新約時代の100年を1年で蕩減復帰する摂理になったため、2012年以降、神様の復帰摂理はもちろん、世界のあらゆる分野で、変化と発展が驚くほどの速度で展開しているのです。

2戦争から法廷闘争へ

新約時代のキリスト教の歴史を見ると、十字軍戦争や三十年戦争など、幾たびも宗教間での戦争が行われてきました。

成約時代においても統一教会内での争いがありますが、より犠牲の少ない法廷闘争へと移っていくようになっています。

特に文鮮明先生の聖和式を前後して起きたヨイドパークワン訴訟やUCI訴訟などがその例です。

ヨイドパークワン訴訟はヨイド聖地を巡る争いでしたので、時期は少々ずれますが、エルサレムの支配権を巡って起きた十字軍戦争と同時性的な現象の一つと言えるでしょう。

3真の母を復帰する最短の道が開かれる

韓鶴子オモニが文鮮明先生と文亨進様と対立することにより、真の母の立場を離れてしまいました。

しかし、文鮮明先生が第3アダムとして勝利されたことにより、真の母を再び立てる最短の道が開かれました。

詳細は次の記事で解説しますが、アダムの堕落以降、6000年目に真の母が立ちましたが(1960年)。

その6000年を短縮して文鮮明先生の聖和から60ヵ月後の2017年9月23日に「天宙完成祝福聖婚式」が行われ、新たな真の母が復帰されるようになったのです。

このように、韓鶴子オモニの天の三代王権(文鮮明先生・文亨進様・文信俊様)に対する不信は、一つの民族が一瞬で滅びてしまうほどの歴史的大罪ですが、それを補ってあまりある勝利が、文鮮明先生の天宙的な勝利圏なのです。

この勝利圏により、文鮮明先生の聖和以降の復帰摂理は、新約時代のキリスト教を蕩減復帰しつつ、短期間のうちにより摂理を発展させることができるようになっていきます。

それでは次に、中世のキリスト教と家庭連合、そして文亨進様と韓鶴子オモニに注目して、摂理的同時性の現象を検証してみましょう。

東西王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象

1王朝の東西分立と王権の天地分立

神様が立てたキリスト王国が東西に分立してしまった理由として、『原理講論』には次のように説明されています。

神がキリスト王国時代を立てられたのは、法王と国王を中心として、「再臨のメシヤのための基台」を造成され、その基台の上で、メシヤとして再臨なさる王の王に、その国と王位を引き渡すことによって、メシヤ王国を建設するためであった(イザヤ九・6、ルカ一・33)。しかし、国王と、「実体基台」の中心人物として立てるための霊的な基台を造成しなければならなかった法王たちが、あくまで悔い改めなかったので、彼らは「再臨のメシヤのための基台」をつくることができなかったのである。(『原理講論』p479)

 

成約時代の天一国時代(2001~2012年)においては、法王の立場にいた韓鶴子オモニが、国王の立場にいた文亨進様を支え、従う立場を離れることによってサタンに侵入されてしまいました。

このため、真の父(文鮮明先生)が天において神様の王権を代表し、地においては偽りの母(韓鶴子オモニ)がサタンの王権を代表するようになってしまいました。

そして、天の真の父の相対圏に立ち、天の血統と伝統を守る立場にいらっしゃるのが文亨進様だったため、地上においては、文亨進様と韓鶴子オモニの対立がさらに激しくなっていきました。

文亨進様と韓鶴子オモニの対立が、公の場で初めて明らかになったのは、陽暦2013年2月10日の「真の神の日」でした。

この日、韓鶴子オモニは、「真の神の日」を「天の父母様の日」に、そして『家庭盟誓』の「神様」を「天の父母様」、「成約時代」を「天一国時代」に改変しました。

「真の神の日」を迎えた零時の祝祷で韓鶴子オモニは、「神様」をすべて「天の父母様」と呼んで祈祷しました。

それに対して、当時世界会長だった文亨進様は、同日の代表祈祷で「神様」を「天の父母様」と呼ばず、すべて「天のお父様」と祈祷されています。

このお二人の対立は、2013年の「真の神の日」まで真の家庭内で起きたことでしたが、この日を期して、韓鶴子オモニの文鮮明先生との対立、そして文亨進様との対立が公の場でもはっきりと分かるようになっていきます。

2中世のキリスト教と家庭連合の腐敗・堕落

東西王朝分立時代のキリスト教の使命とその腐敗・堕落について語られた文鮮明先生のみ言を引用してみましょう。

 キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の旧約歴史を清算して勝利し、キリスト教が国教として立つようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。
 当時、教皇庁とローマは、どのような犠牲も辞さず、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心に全世界を結束させて統一の理想世界を建設しなければなりませんでした。
 しかし、教皇庁はこのような重大な使命を悟ることができず、教権を濫用し、腐敗がはびこるようになったために、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨は再び離脱してしまったのです。(『文鮮明先生御言選集』88-209 1976.9.18) ローマ教皇庁を中心として見るとき、中世には既に腐敗して彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨が世界を救うことであるということを忘却してしまいました。
 世界はすべてほうり出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、目を丸くしながら、そこに反対する者はすべて切ってしまいました。
 世界を救うためには、自分の氏族などを百パーセント犠牲にしなければならないのに、自分たちの立場と栄光を得るためにそれを擁護したのです。(『文鮮明先生御言選集』69-102 1973.10.21)

 

このように腐敗・堕落してしまった中世のキリスト教に対して、神様は内的な刷新としてトマス・アクィナスや聖フランシスなどを立てました。

しかし、それでも当時のキリスト教の指導者たちが悔い改めなかったため、外的な粛清の摂理として十字軍戦争が起きました。

この十字軍戦争は1096年から約200年に渡って行われましたが、その結果、キリスト教がどのようになったのかについて、該当する箇所を『原理講論』から引用してみましょう。

 南北王朝分立時代において、北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国の国民たちが、みな、異邦人の捕虜となって連れていかれたので、イスラエルの君主社会は、崩壊してしまった。
 これと同じく、東西王朝分立時代においても、十字軍が異教徒に敗れ、法王権が、その権威と信望とを完全に失墜するにつれて、国民精神は、その中心を失ってしまったのである。
 それだけでなく、封建社会を維持していた領主と騎士たちが、多く戦死してしまったので、彼らは政治的な基盤を失ってしまい、また、度重なる敗戦により、莫大な戦費が消耗されたので、彼らは甚だしい経済的困窮に陥ってしまったのである。(『原理講論』p478)

 

この一連の出来事と摂理的同時性の現象が、「天地王権分立時代」の家庭連合にも起きています。

家庭連合の指導者たちの腐敗・堕落については、ネット上に情報提供されているので、ここではその詳細は省きます。

十字軍戦争の敗戦によって中世のキリスト教が経済的な困窮に陥ったように、家庭連合も、ヨイドパークワン訴訟やUCI訴訟などで敗訴することにより、財政が厳しくなると同時に、教会員たちからの信頼を失い、その求心力を失っていくようになりました。

3聖フランシスと文亨進様の教会刷新運動

『原理講論』のp477~8に「法王庁が腐敗して、トマス・アクィナス、聖フランシスなど、修道院の人物たちが彼らに勧告して、内的な刷新運動を起こしたのである」とあるように、聖フランシスは神様がキリスト教の内的刷新のために立てた人物です。

聖フランシスが活躍した時代(1182年7月5日生~1226年10月3日没)を「成約時代の摂理的同時性」の観点から見たとき、2014年9月から2015年8月の時期に該当します。

そして、聖フランシスの内的刷新運動の摂理的同時性の現象が、2015年1月18日の「沈黙を破って」のメッセージから始まった文亨進様の教会刷新運動です。

文亨進様の「世界平和統一聖殿」(サンクチュアリ教会)を中心とする教会刷新運動は、フランチェスコの修道院を中心とする教会改革と清貧運動の同時性となります。

これと関連する啓示を受けた方がいらっしゃいますので、ご紹介したいと思います。

「21年間の公職生活に決別して( 横畑薫元静岡教会副婦人代表の証し)」

横畑さんのご主人が霊界から啓示を受けられたのですが、そのことについて、この動画の52分から54分くらいまでで語られています。

これ以降、文亨進様御夫妻と文国進様御夫妻は、聖フランシスからマルチン・ルターまでの教会刷新運動を蕩減復帰する路程を歩まれるようになります。

4キリスト教封建社会と家庭連合封建社会の存続

神様の復帰摂理歴史において封建社会が誕生する理由は、神様が罪悪世界から善の個体を召命し、彼らを中心として善の氏族社会を立て、更に善の封建社会をつくったのち、善の王国を建設することによって、メシヤを迎えるための善の版図と主権を樹立するためでした。

『原理講論』のp489に「封建社会の特性は、奉仕と服従とを前提とする主従関係による政治制度と、封土を中心とする封鎖的な自給自足の経済体制にある」とあるように、封建社会における一般民衆は、その社会の性格上、その領主の思想と指導に絶対服従していたのです。

したがって、当時の教区長などのキリスト教指導者たちと一般信徒たちの関係は、主人と僕のような主従関係でした。

教区長制キリスト教会時代から始まったキリスト教の封建社会は、本来なら「善の王国」が到来した時点で終るべきでしたが、実際にはどのようになったのか『原理講論』から引用してみましょう。

キリスト王国時代がくることにより、封建時代は、そのときに、完全に終わってしまわなければならなかったのである。ところが、法王や国王たちが、みな、神のみ旨に反するようになったので、チャールズ大帝の本来の理想を実現することができなくなり、そのため頑強な封建制度の基礎は揺るがず、その後においても、長い間にわたって存続したのであった。(『原理講論』p501)

 

このように、キリスト王国時代以降も、キリスト教指導者たちと一般信徒たちの主従関係は続いてしまいました。

この教会指導者と信徒たちの主従関係は、成約時代の復帰摂理歴史でも同様に展開し、2001年の「神様王権即位式」まで、統一教会の祝福家庭と信徒たちは教会指導者をアベルとして従う立場にいたのです。

しかし、「神様王権即位式」以降の「天一国時代」になって再臨のメシヤを中心とする王国ができれば、この関係は完全に終らなければなりません。

「神様王権即位式」以降の祝福家庭は、自分の名前で直接神様に祈ることができるようになっていましたので、祝福家庭がアダムの立場、そして教会は天使長の立場です。

ですから、教会とその指導者たちは、祝福家庭が氏族メシヤとして勝利できるよう支援する立場になるべきでした。

ところが、中世のキリスト教と同様に腐敗していた家庭連合の指導者たちは、その地位と権益を手放すことができなかったのです。

また祝福家庭たちも、自ら主体的な信仰をもとうとはせず、教会指導者からの指示をただ待ってそれに従うという、形式的な信仰生活に囚われていました。

このように、成約時代の「天地王権分立時代」においても、それまでの封建的な主従関係がそのまま存続してしまったのです。

まとめ

 

【南北王朝分立時代と天地王権分立時代の同時性的現象】

①王朝の東西分立 ⇒ 王権の天地分立

②キリスト教指導者の腐敗・堕落 ⇒ 家庭連合指導者の腐敗・堕落

③聖フランシスの教会改革と清貧運動 ⇒ 文亨進様の教会刷新運動

④キリスト教封建社会の存続 ⇒ 家庭連合封建社会の存続

 

以上で「天地王権分立時代」の解説を終ります。次回は「真の母捕虜および帰還時代」についての解説になります。

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