【今回深掘りする原理のみ言】
四位基台を完成した各個の被造物を個性真理体という。しかるに、上述したように、この個性真理体は、形象的個性真理体(人間)と、象徴的個性真理体(人間以外の被造物)とに大別される。(『原理講論』p58)

 

「個性」や「真理」という言葉はありますが、「個性真理体」という言葉は一般にはなく、「統一原理」独自の言葉であり概念です。

そのため、その意味を各自が個別の観念をもってしまいやすい言葉でもあります。

今回は、この「個性真理体」について、文鮮明先生のみ言や「統一思想」などの観点から深掘りしてみたいと思います。

「個性真理体」とは?

まず「個性真理体」という言葉の意味について、文鮮明先生のみ言と「統一思想」から確認してみましょう。

(1)文鮮明先生のみ言から見た「個性真理体」

冒頭のみ言のように、『原理講論』では、神様を中心とする四位基台を完成した被造物のことを「個性真理体」と表現しています。

文鮮明先生は、「個性真理体」という言葉が何を意味し、どのようになることなのかについて次のように語られています。

神様は縦的な父であり、アダムは横的な父です。この縦と横が真の愛で一つにならなければなりません。私たちの体も、神様の真の愛を中心として縦的に一つになるようになっています。心と体が、主体と対象の関係において、神様の真の愛の核を中心として一つになるようになっているのです。アダムとエバもそのような立場であり、そのようになったものが個性真理体だというのです。(『文鮮明先生御言選集』173-287 1988.2.21)

 

文鮮明先生のみ言によれば、「個性真理体」とは、神様の真の愛を中心に心と体が一つになった完全な真理体(真理の実体)を意味しています。

イエス様が「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ福音書5章48節)と語られたみ言も、「個性真理体」になることを意味していることになりますね。

(2)個別相と普遍相からなる「個性真理体」

「統一思想」では、次のように「個性真理体」には「個別相」と「普遍相」の二つの属性があると説明しています。

個性真理体は性相と形状、および陽性と陰性の普遍相のほかに、個体ごとに独特な属性をもっている。それが個性真理体の個別相であって、原相の個別相に由来しているのはもちろんである。(『統一思想要綱』p174)

 

これを人間の顔に例えると、目や鼻、口、耳など共通の構成要素があり、またその数やおおよその位置も決まっているのですが、これが「普遍相」と呼ばれる部分です。

それに対して、各構成要素の大きさや形、微妙な位置が人によって異なっているのですが、これが「個別相」と呼ばれる部分です。

このように、あらゆる「個性真理体」は、この「個別相」と「普遍相」の二つの属性をもっているのです。

(3)「個性体」と「個性真理体」

『原理講論』には「個性真理体」と似た言葉で「個性体」という言葉が使われています。

神を中心として心と体が、主体と対象の立場において、愛と美を良く授け良く受けて合性一体化し、個人的な四位基台を造成して、創造目的を完成した個性体となり、神の第一祝福を完成するようになるとき、その個性体、または、そのような個性体をつくるための行為を善という。(『原理講論』p73)

 

『原理講論』全体では15ヶ所使われているので、「個性真理体」(19ヶ所)と同じくらいの頻度です。

「個性体」という言葉については、『統一思想要綱』で次のように説明されています。

個性体とは、原相の個別相に似た個性真理体という意味である。個性真理体は普遍相と個別相をもつ個体であるが、個別相に重点を置いて扱うときの個性真理体を個性体というのである。(『統一思想要綱』p234)

 

このように、「個性真理体」の構成要因である個別相と普遍相のうち、個別相に重点を置いた言葉が「個性体」なので、「個性真理体」とほぼ同義と考えてよいかと思われます。

以上のことから、「統一原理」で言う「個性真理体」とは、神様の愛を中心とする四位基台を完成した、個性をもつ真理の実体を意味することになります。

次に、象徴的個性真理体と形象的個性真理体について調べてみることにしましょう。

神様から見た象徴的個性真理体と形象的個性真理体

(1)象徴と形象の意味

まず象徴と形象という言葉の意味を辞書で確認してみると、次のようになっています。

【象徴の意味】
①ある別のものを指示する目印・記号。
②本来かかわりのない二つのもの(具体的なものと抽象的なもの)を何らかの類似性をもとに関連づける作用。例えば、白色が純潔を、黒色が悲しみを表すなど。シンボル。[広辞苑 第七版]

【形象の意味】
①表にあらわれた形。すがた。
②人間によって知覚された事物の像、また観念などの具象化された像。[広辞苑 第七版]

象徴は抽象的なものをそれとは別の具象でたとえることで、十字架でキリスト教を、白で純潔を、鳩で平和を表すといった例があります。

一方で形象は、無形なものが表に現われ、具体的な形をとった物事を意味しています。

それでは、象徴的個性真理体である万物とは何の象徴で、形象的個性真理体である人間とは何が形になったものなのでしょうか。

(2)神様の愛と「個性真理体」

文鮮明先生は、神様によって造られた万物が何を象徴しているのかについて次のように語られています。

 神様は人間の父であり、人間は神様の息子、娘です。(中略)周囲につくられたあらゆる万物は、人間にとって一つの刺激的な象徴体でした。聞こえてくる鳥の鳴き声は、アダムの心情を響かせて波動を起こせる一つの動機でした。
 蝶や虫、それ以外のあらゆる万物を、アダムとエバを愛さざるを得ないことを象徴する一つの刺激的な象徴体としてつくったのです。吹きつける風も、流れていく水も、野原に生えている一株の草も、すべてがアダムとエバを愛していることを象徴する実体としてつくられました。(『文鮮明先生御言選集』20-207 1968.6.9)

 

このように万物は、神様が人間を愛していらっしゃることを象徴したものです。

ですから、万物を見ながら、そこに私に対する神様の愛が宿っていることを連想するとき、その万物の価値は絶対的なものになります。

一方で、形象的個性真理体である人間は、神様の息子、娘ですから、「神様の真の愛の実体対象として創造された子女」(『文鮮明先生御言選集』357-119 2001.10.29)です。

神様の愛の人格がそのまま形状化されたものが人間であり、万物は神様の人間に対する愛を象徴したものなのです。

(3)象徴的個性真理体と形象的個性真理体の特性

象徴的個性真理体と形象的個性真理体の特性について、「統一思想」では次のように説明されています。

 人間においては個人ごとに特性が異なるために、人間の個別相を「個人別個別相」といい、万物においては種類によって特性が異なるために、万物の個別相を「種類別個別相」という。
 すなわち人間においては個別相は個人ごとの特性をいうが、万物(動物、植物、鉱物)の個別相は、一定の種類の特性すなわち種差(特に最下位の種差)をいう。
 それは、人間は神の喜びの対象および神の子女として造られているのに対して、万物は人間の喜びの対象として造られているからである。(『統一思想要綱』p47~8)

 

象徴的個性真理体の万物は種類ごとに特性があるわけですが、形象的個性真理体の人間は、一人ひとりに特性があるということです。

それは、神様から見るとき、その人からしか得ることができない喜びがあるということになります。

この点に関する内容を『原理講論』から引用してみましょう。

 神が人間を創造された目的は、人間を通して、喜びを得るためであった。ところで、人間はだれでも、他の人がもっていない特性を各々もっているので、その数がいくら多く増えたとしても、個性が全く同じ人は一人もいない。
 したがって、神に内在しているある個性体の主体的な二性性相に対する刺激的な喜びを、相対的に起こすことができる実体対象は、その二性性相の実体として展開されたその一個性体しかないのである。
 ゆえに、創造目的を完成した人間はだれでもこの宇宙間において、唯一無二の存在である。釈迦が「天上添加唯我独尊」と言われたのは、このような原理から見て妥当である。(『原理講論』p252~3)

(4)「個性真理体」と良心作用

文鮮明先生のみ言で「個性真理体」を検索してみると、良心と関連して語られているみ言が多くあります。

神様よりも良心が優ります。私がすることは、神様よりも良心が先に知るのです。行動したのちに神様が分かるようになっています。なぜでしょうか。私という人間は、神様とは別の人格体です。統一教会の用語で言えば個性真理体です。神様が私と同時に知るとすれば、私は神様の一つの属性になってしまいます。相対概念がなくなってしまうというのです。(『文鮮明先生御言選集』258-63 1994.3.16)

 

ここで語られている「個性真理体」は形象的個性真理体のことですが、人間に良心があることによって、神様とはまったく別の人格になっているということですね。

「個性真理体」と良心に関しては、次のようなみ言もあります。

 各自が個性真理体として、自分自身の良心を中心に第二の神様の立場に立つのです。第一の神様に対しては相対的な立場で第二の神様ですが、自分に対しては第一の神様です。ですから、ほかに祈祷したりする必要がなく、自分の良心と相談するようになっています。(中略)
 良心の権限の三大要目は何ですか。第一に良心は父母に優る、第二に良心は師に優る、第三に良心は神様に優る、この三つです。良心は第二の神様として、神様を中心としては相対的な立場に立ちますが、一つになればその良心が神様です。神様の命令を聞かなくても、良心自体を中心に個性真理体をなしているのです。(『文鮮明先生御言選集』252-151 1993.12.29)

 

天使を含め万物にはこのような良心が備わっていないのですから、この点が象徴的個性真理体と形象的個性真理体が大きく異なるところです。

以上のように、人間が完成すれば第二の神様となり、その人からしか感じられない神様の喜びがあるので、神様にとってかけがえのない存在になるわけです。

「個性真理体」の価値

完成した人間一人ひとりの価値について、『原理講論』では次のような例えをもって説明されています。

 例えば、ここに一つの完全な機械があるとしよう。そして、この機械のすべての付属品が、この世界にただ一つずつしかなくて、それ以上求めることも、つくることもできないとすれば、その一つ一つの付属品は、いくらつまらない微々たるものであっても、全体に匹敵する価値をもっていることになる。
 これと同様に完成した人間の個体は、唯一無二の存在なので、彼がいくら微々たる存在であっても、実に、全天宙的な価値と同等であると見ることができるのである。(『原理講論』p254)

 

人間が「個性真理体」であり、神様にとって唯一無二の存在だということが、人間のもつ価値や基本的人権の根拠になるということですね。

最後に人間の尊厳性と人権について語られた文鮮明先生のみ言をご紹介します。

 人間の尊厳性と人権は、人間が創造主、神様の子であるというところから起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているということから、人間の高貴な価値が生まれるのです。
 人間に害を及ぼすことは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人ひとりは神様が造られた個性真理体であり、人間一人一人は神様御自身を表す実体であり、人間の生命は神様が永遠であらせられるのと同じように、永遠のものです。(『文鮮明先生御言選集』164-190 1987.5.15)
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