Q:副題に「再臨主の十字架」とありますが、文鮮明先生は失敗したメシヤということですか?
A:文鮮明先生は、再臨のメシヤとして完全に勝利されました。しかし、韓鶴子女史と祝福家庭の失敗によって摂理が延長し、本来のみ旨ではない路程を歩まれるようになりました。副題の「再臨主の十字架」はそのことを意味しています。
まず、イエス様が十字架の路程を歩まれるようになった理由について確認してみましょう。
下記のみ言にあるように、イエス様の十字架路程は、イエス様の失敗による結果ではなく、洗礼ヨハネ、マリア、イスラエル民族の失敗によるものです。
ところが、洗礼ヨハネがエリヤの再臨者であったということは、一般ユダヤ人はもちろん、洗礼ヨハネ自身も知らなかったので(ヨハネ一・21)、このときから、イエスに対する洗礼ヨハネの疑惑(マタイ一一・3)と、これに伴うユダヤ人たちの不信は日増しに深くなって、ついにはイエスが十字架の道を行かなければならなくなったのである。(『原理講論』p193)
イエスは結論的に、「知恵の正しいことは、その働きが証明する」と言われた。洗礼ヨハネに知恵があって、知恵のある行動をとったならば、イエスのひざもとを離れることもなかったし、したがって、彼の行跡は永遠に義なるものとして残るべきであったが、不幸にも彼は無知であったので、彼自身はもちろんのこと、ユダヤ人たちがイエスの前に出る道さえも、みな遮ってしまったのである。我々は、これによって、イエスが十字架の死を遂げるようになった大きな要因が、洗礼ヨハネにあったことが分かるのである。(『原理講論』p204)
マリヤはエバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、その後にも夫婦関係を結んではならないのが神様の願いでした。
ヨセフはマリヤに対して、イエス誕生の後にもずっと愛の心を持ち続けました。マリヤはヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。本心ではだめだと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになって子女をもつことにより、エバの失敗を反復した結果となってしまいました。
サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、すべてサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすべてサタン側になってしまいました。
人がサタンの侵入を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまいます。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてのものを人間的に考えるようになるのです。
これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚を助けることができず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるをえなかった直接的な原因になったのです。(『文鮮明先生御言選集』 277-209 1996.4.16)
このように十字架路程は、イエス様の失敗による結果ではなく、洗礼ヨハネ、マリア、イスラエル民族の失敗を蕩減復帰するために、イエス様が自ら選ばれた道です。
しかし、イエス様がその道を勝利されることによって、イエス様から再臨主降臨までの期間が2000年に短縮され、その間、人類は霊的重生による救いの恩恵を受けることができました。
また神様と人間が父子の関係であること、人間が原罪をもって生まれたことなど、重要な真理の恩恵を受けることもできるようになりました。
そして、文鮮明先生が霊肉の勝利をされたからこそ、二代王様と監察総監様を中心とする三大王権中心の摂理が今も継続し、蕩減期間も短縮され、失敗した立場の私たち自身がその恩恵を受けています。
もし蕩減期間が短縮されていなければ、私たちが地上にいる間に再び三大王権が顕現してみ旨が成就することはなく、次の世代以降に延長されていたでしょう。
さらに文鮮明先生の勝利によって、私たちは新しい真理である「統一原理」を知り、祝福を通して霊肉の重生による救いの恩恵を受けているのです。
文鮮明先生の勝利とその恩恵
■再臨のメシヤとして真理を解明し真の母を迎えられた。(第一祝福)
■天の血統(天の三大王権)を実体で残された。(第二祝福)
■サタンを自然屈伏させて地獄を解放し、「神様王権即位式」によって神様を解放され、神様主権の「天宙平和統一国(天一国)」を制定された。(第三祝福)
これらのことは、無原罪誕生のメシヤでなければ不可能なことであり、メシヤのみが達成可能な責任分担と言えます。
上に記載した文鮮明先生の勝利基台は、もちろんこれだけではなく、私たちが知りえないはるかに多くの勝利があるはずです。
それらは今後、復帰摂理の発展と共に明らかにされ、具体的な目に見える形として現れてくるでしょう。
また、『原理講論』のp67には、「神を中心として四位基台をつくった家庭や社会は、個性を完成した人間一人の容貌に似るようになる」とあります。
個性を完成した一人の人間がいなければ、神様を中心とする家庭も世界も実現しません。
文鮮明先生は、再臨のメシヤとして、正にこの個性を完成した一人の人間となられ、地上生活の最後の瞬間までその位置を守られたのです。
この真の父の勝利基準がなければ、真の母や子女たちが責任分担を全うしても、神様の創造目的である第二祝福や第三祝福は実現できません。
重ねて言いますが、文鮮明先生は、再臨のメシヤとして完全に勝利されましたので、文鮮明先生が聖和された段階で、第一祝福の個性完成は内外共に勝利が確定しています。
ただ、第二祝福と第三祝福の実体的勝利は、真の父の責任分担完成だけでは実現されません。
真の母や子女の責任分担完成が伴わなければならないため、その勝利が実体化するには一定の期間が必要です。
皆さんが知らないなかで、97パーセントまですべて先生がつくっておきました。3パーセントを皆さんの名で埋め合わせるのです。(『文鮮明先生御言選集』590-173 2008.5.20)
文鮮明先生の勝利によって三大祝福が実現することは確定しているので、三大祝福実現までの期間が短くなるか長くなるか、それは私たち自身の責任分担にかかっています。
摂理が延長した理由
イエス様を中心とする第1次世界的カナン復帰路程では、洗礼ヨハネとマリア、そしてユダヤ教の指導者たちが責任を果たせないことによって摂理が延長しました。
そして、第2次世界的カナン復帰路程では、イスカリオテのユダ、マリア、そして12弟子が責任を果たせないことによって、イエス様は自ら十字架の道を選択され、第3次世界的カナン復帰路程を霊的路程として出発されるようになりました。
文鮮明先生を中心とする第1次天宙的カナン復帰路程では、金百文牧師、崔先吉女史、キリスト教徒が責任を果たせないことによって摂理が延長しました。
そして、第2次天宙的カナン復帰路程では、郭錠煥氏(2007年韓国大統領選挙不出馬)、韓鶴子女史(真の父に対する不信・不従順)、祝福家庭(氏族的メシヤの使命未完遂)が責任を果たすことができませんでした。
そのため、文鮮明先生は自ら十字架の道を選択され、天上の真の父と地上の真のアベル・カインが一体となって進める路程として、第3次天宙的カナン復帰路程を出発されるようになりました。
「基元節」に対する本来の天のみ旨
文鮮明先生は、少なくとも2009年の段階で、104歳まで地上にいらっしゃるお考えであったことが次のみ言から分かります。
先生が90歳を中心として104歳まで越えていかなければなりません。92歳でこのことが終ります。ですから、104歳まで越えていかなければならないのです。104数を、100数を越えて、億万数まで連結できる道が生じました。(『文鮮明先生御言選集』615-10 2009.8.16)
今、先生は90歳の生涯を経てきましたが、92歳が「ディデイ(D-day)」でしょう? 104歳までです。90がいつのまにか100歳になり得るのですが、104歳までなれば、地上にいても霊界の実相と通じることができ、境界線のない世界に入っていくのです。(『文鮮明先生御言選集』615-64 2009.8.18)
このみ言どおりになっていれば、文鮮明先生は地上で「基元節」を迎えられ、そこで文亨進二代王様にすべての権限を相続することによって第二祝福の家庭的四位基台が完成し、実体の天一国がスタートする、というのが本来の天のみ旨だったのではないでしょうか?
ところが、韓鶴子女史と祝福家庭の失敗によってそれが実現不可能となり、ご自身の肉身を犠牲にされ、真のアベル・カイン一体化の基台を条件として、聖和以降、韓鶴子女史が真の母の責任を果たすことができる機会を再び下さったのだと思われます。
もし「基元節」で、韓鶴子女史が文亨進二代王様を真の後継者として侍ることができていれば、韓鶴子女史は真の母の位置を追われることはなかったはずです。
これが第二の天のみ旨だったと思われますが、実際には実現されず、文鮮明先生を中心として実現した第二祝福の家庭基盤が、韓鶴子女史の失敗によって失われてしまいました。
そのため、文鮮明先生を中心として一つになられた文亨進二代王様と文国進監察総監様の勝利基盤の上で、再び第二祝福の家庭基盤を実体的に復帰するための延長路程を歩んでいるのが現在なのではないでしょうか。