ヨハネによる福音書の1章1節から3節に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」という聖句があります。
キリスト教の正統神学では、この「言(ことば)」はイエスのことであるとしています。
また、イエス様ご自身が「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい」(ヨハネ福音書17章5節)と語られていることから、イエス・キリスト=神ご自身であり、イエス様は天地創造の前からいらっしゃったと信じるのがキリスト教の正統な信仰と言えます。
もしそうだとすれば、神とアダム、またアダムと「最後のアダム」(コリントⅠ15・45)と言われるイエス・キリスト、さらには、イエスと再臨主はどのような関係になるのでしょうか?
これらの問題、特に「キリストは創造前から存在した」ということについて、「統一思想」の「神による創造の二段階過程」の観点から、数回に分けて考察してみることにします。
今回は、「神による創造の二段階過程」をまとめたこちらの概念図の解説になります。
1.四位基台の種類
①4種類の四位基台
「統一思想」によれば、四位基台には自同的(自己同一的)四位基台と発展的四位基台があり、合性体を形成するときの四位基台が自同的四位基台、新生体を形成するときの四位基台が発展的四位基台です。
合性体(統一体・中和体)とは、性相と形状が心情を中心として授受作用して一つに統一された形態を言い、新生体(繁殖体)とは、性相と形状が目的を中心として授受作用し、新たな個体として出現、あるいは産出されたものを言います。
そして、それぞれに内的な四位基台と外的な四位基台があるので、下の図のように合わせて4種類の四位基台があります。
創造原理の三大祝福(個性完成、子女繁殖、万物主管)は、それぞれの段階で神を中心とする四位基台を造成することですが、第一祝福(個性完成)と第三祝福(万物主管)の四位基台は合性体を形成するので自同的四位基台、第二祝福(子女繁殖)の四位基台は新たな個体を生み出すので発展的四位基台となります。
②自同的四位基台と発展的四位基台の形成過程の違い
自同的四位基台と発展的四位基台は、それぞれ同じように内外の四位基台があるのですが、その形成過程に違いがあります。その違いについて「統一思想」では次のように説明されています。
自同的四位基台とは、性相と形状が授受作用を行ったのち、その結果として合性体または統一体を成す四位基台を意味する。ところが、そのような四位基台が実は内外に同時に形成されるのである。(『統一思想要綱』p93)
四位基台は内外において形成される。しかし自同的四位基台の場合とは違って、発展的四位基台の場合、同時的ではなくて継時的である。すなわち、まず内的な発展的四位基台が形成され、続いて外的な発展的四位基台が形成される。(『統一思想要綱』p96)
このように、自同的四位基台の場合は内外の四位基台が同時に形成されますが、発展的四位基台の場合は、内外の四位基台が継時的、つまり段階的に形成されるので、内的発展的四位基台が先に形成され、そのあとに外的発展的四位基台が形成されるという違いがあります。
それでは、創造が始まる前と後で、神を中心としてどのような四位基台が形成されていたのかを調べてみることにします。
③神による創造前後の四位基台
まず、神が創造を始められる直前の四位基台についてです。
これ(外的自同的四位基台)は、外的四位基台と自同的四位基台が一つに組み合わさったものである。すなわち本性相の外部の(本性相と本形状の)外的四位基台が自己同一性(不変性)を帯びるようになったものをいい、神が万物を創造する直前の属性の状態、すなわち性相と形状が中和を成した状態を意味するのである。(『統一思想要綱』p94)
「統一思想」では、神が創造を始められる直前の四位基台は外的自同的四位基台を形成している状態だったと説明しています。自同的四位基台の場合は内外の四位基台が同時に形成されるので、神の創造前の四位基台は内外の自同的四位基台だったということになります。
次に神が創造を始められた後の四位基台についてです。
神が創造を考える前段階、すなわち心情を中心とした四位基台(自同的四位基台)だけの段階もあったが、心情は抑えがたい情的な衝動であるために、自同的四位基台の上に必然的に創造目的が立てられ、発展的四位基台が形成されたと見なければならない。(『統一思想要綱』p111)
内的発展的四位基台は創造において最初に形成される四位基台である。例えば人間が製品を作るとか作品を作るとき、まず心で構想し、計画を立てる。次にその構想や計画に従って道具や機械を使用して製品(作品)を製作(創作)する。そのように構想の段階が先であり、製作の段階が後である。構想は心で行うために内的であり、製作は道具や機械を使用しながら行うために外的である。(『統一思想要綱』p97)
このように創造前の自同的四位基台の状態から創造目的が立てられ、内的発展的四位基台が立てられたのですが、これがまさに創造の始まりでした。
したがって、創造後の神における四位基台は、内外の自同的四位基台を土台として内的発展的四位基台、そして外的発展的四位基台が形成されたということになります。
発展的四位基台は、内外の四位基台が段階的に形成されるので、神の天地創造は、内的発展的四位基台を形成する第一段階と外的発展的四位基台を形成する第二段階があります。次はこの創造の二段階過程について考察してみます。
2.創造の二段階過程
①創造の第一段階-内的発展的四位基台
1)創造の第一段階の初期と後期について
内的発展的四位基台を形成する創造の第一段階には、さらに初期と後期の二段階があります。まず初期の段階では新生体としての「前ロゴス(前構想)」が形成され、次の後期においては、同じく新生体としての「ロゴス(構想)」が形成されます。
創造の第一段階の初期と後期について説明されている箇所を『統一思想要綱』から引用します。
本性相内において、新生体の形成のための授受作用によって内的発展的四位基台が形成されるが、そのときの授受作用が内的授受作用である。この授受作用もやはり主体と対象間の授受作用であって、それは内的性相である知情意の統一的機能と内的形状との授受作用を意味する。もちろん創造目的を中心とした授受作用である。この内的授受作用は要するに「考えること」、「思考すること」、「構想すること」を意味する。(中略)
この考えの流れは、いったんまとめられる。すなわち創造しようとする被造物の鋳型(模型)になる観念(単純観念と複合観念)が決められる。それを「鋳型性観念」と呼ぶことにする。これは対比型の授受作用によって新生体が形成されたことを意味する。すなわち創造に関する鋳型は新生体としての「新生観念」なのである。
しかしこれはまだロゴス(構想)としての新生体ではなく、その前段階である。したがってこれを「前ロゴス」(Pre-logos)または「前構想」ということができよう。新生観念である鋳型性観念は、その観念に必要な概念、原則、数理などの要素をみな備えており、緻密な内部構造までも備えた具体的な観念なのである。そのように新生観念が形成される段階が内的授受作用の初期段階である。そして実際の被造物に対するロゴス(構想)は後期段階において立てられるのである。(『統一思想要綱』p104・110)
冒頭で紹介したヨハネによる福音書の1章1節の聖句(「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」)にある「言」が「ロゴス(構想)」です。この「ロゴス(構想)」が形成される前の初期段階で「前ロゴス(前構想)」が形成されるということです。
では次に、この「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」の違いについて見てみましょう。
2)「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」の違い
「統一思想」では、この二つを画像と動画にたとえて次のように説明しています。
すでに内的授受作用の説明の中でも構想を扱ったが、それは新生体(結果物)としての構想ではなく、主として考えるという意味の構想、すなわち授受作用としての構想、観念の操作としての構想であった。(中略)
しかしそのような構想は、神が宇宙を創造した言としての構想ではなくて、ただその前段階にすぎないのである。それは写真と同じような静的映像にすぎず、映画のような生動感のある動的映像ではない。それは文字どおりの設計図である。しかし、神が宇宙を創造した言であるロゴスは生命が入っている生きた新生体であり、生きた構想なのである。ヨハネによる福音書一章にはその事実が次のように書かれている。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものはこれによってできた。……この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」(ヨハネ一・一―四)。(『統一思想要綱』p113)
このように「前ロゴス(前構想)」と「ロゴス(構想)」の違いは、そこに生命が宿っているかいないかです。「前ロゴス(前構想)」が一つの設計図にすぎないのに対して、「ロゴス(構想)」は、その設計図に生命が与えられたものであり、これを「統一思想」では、「前構想」に対して「構想体」と表現しています。
そして、「前ロゴス(前構想)」に生命が注入されるのは、創造の第一段階後期です。そのときどのようにして生命が宿るようになるのかを確認してみましょう。
万物を創造した言(=ロゴス)は、生命をもった生動する構想体であった。それは観念の操作の段階(=創造の第一段階初期)で形成された新生体としての緻密な内部構造を備えた新生観念(鋳型性観念)に生命が与えられて、動的性格を帯びるようになったものである。では、いかにして静的な性格をもった新生観念が動的性格を帯びるようになったのであろうか。内的授受作用における初期と後期の二段階の過程によってそうなったのである。(中略)
その初期段階において、観念の操作によって新生観念(前構想)が形成される。そして後期段階において、心情(愛)の力によって知情意の機能が注入され、新生観念が活力すなわち生命を得るようになって、完成された構想として現れるのである。(『統一思想要綱』p114)
以上のように、神と共にあった「言(ことば)」、すなわち「ロゴス(構想)」は、ただの設計図ではなく、知情意の機能を備えた生命ある存在ということです。
3)「生きている鋳型」としてのロゴス
ここで補足として、生命を持つロゴスについて解説されている『統一思想要綱』の注釈を見てみましょう。
ここで「生命をもつ鋳型性観念」、「生きている鋳型」の意味を具体的に説明する。鋳型性観念は鋳型または模型となる観念であるが、それが生きているとは、どういうことであろうか。観念は映像であるから、生きている観念とは、とりあえず映画のスクリーンに現れるような、動いている映像と見てもよいであろう。しかし映画の映像は、実際に生きている映像ではなくて、ただフィルム上の静的映像が映写機を通じてスクリーンに映る時に現れる仮の運動にすぎないのである。しかしここでいう鋳型性観念は真の生命力をもっているために、文字どおり生きているのである。これに関する適当な比喩はないが、若干似た例を挙げてみる。
夢の中で、今まで一度も見たことのない人に会って、その翌日、実際に全く同じ人に会ったと告白する人が時々いる。そのとき夢の中の人物と実際の人物が同じ人であったとすれば、夢の中の人物の映像は「生きている鋳型性観念」に相当し、実際の人物はその鋳型性観念に質料が満たされて現れた被造物としての人間に相当すると見ることができよう。(『統一思想要綱』p767)
神の創造と人間の子女の誕生が同じ原理によって展開するとすれば、生命を持つロゴスとは、男性の精子と女性の卵子のようなものと言えるかもしれません。
ロゴスが神の本性相の中にあって神と一体であるように、精子と卵子もそれぞれ男性と女性の体中で一体として存在し、さらにロゴスのように人体の設計図であるDNAを持つと同時に、生命を宿しているという点で共通するところがあります。
それでは次に、そのロゴスが実体化する創造の第二段階について、「統一思想」の説明を見てみましょう。
②創造の第二段階-外的発展的四位基台
創造の第二段階は、創世記1章1節の「はじめに神は天と地とを創造された」で始まる天地創造の段階であり、ここから実体の被造世界が造られていきます。
神の本性相内に形成されたロゴスがどのようにして実体になっていくのかついて、「統一思想」では次のように説明しています。
ロゴスは生きた構想であり、活力を帯びた観念にすぎない。それは動く映像のようなものであり、夢の中で会うようなものである。人間や万物がロゴスの二性性相に似ているということは、そのような生きた映像に似ていることを意味する。夢の中の人間や万物は物質的な体をもっていないが、その他の面では現実の人間や万物と似ている。それが物質的な体まで備えた存在になるためには、神の二性性相に似なければならない。すなわち神の本性相と本形状に似なければならないのである。
それでは、いかにすれば神の本性相と本形状に似るようになるのであろうか。それは外的授受作用によって、本形状である質料的要素(前エネルギー)が本性相である生きた鋳型の緻密な空間の中へ浸透することによって、似るようになるのである。そのような授受作用を通じて、動く映像が物質的な体を備えるようになり、現実的な実体となるのである。そしてそのとき被造物は、神の二性性相に似た被造物となるのである。(『統一思想要綱』p133)
以上が「統一思想」から見た神による創造の二段階過程です。
つづく