本シリーズは、「悪の誘惑とその克服」という主題を扱う連続講座の第三弾です。
Ⅰではエバへの誘惑、Ⅱでは荒野におけるイエスへの誘惑を取り上げましたが、Ⅲではその視点をさらに深め、「恐怖」という感情を切り口に、悪の支配がどのように成立し、どのように克服されるのかを聖書の言葉に基づいて体系的に考察しています。
全13回の構成は、大きく三つのパートに分かれています。
第一のパートでは、恐怖の起源と本質を明らかにします。聖書によれば、人間はもともと恐れを持つ存在として創られたわけではありません。創世記2章が示すように、アダムとエバは神の前に裸でありながら恥じることもなく、何の不安も持っていませんでした。
しかし、堕落によって神との関係が断たれたとき、初めて「恐れ」という感情が現れました。
「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」(創世記3章10節)
この言葉に示されているように、恐怖とは外的な危険への反応ではなく、神から離れた結果として生じた内面的な不安、すなわち霊的な症状なのです。
第二のパートでは、恐怖が人間をどのように支配するのかを具体的に見ていきます。恐怖は思考に入り込み、現実を誇張し、まだ起こっていないことを確定した未来として感じさせます。歪められた思考はそのまま行動に反映され、習慣化することで無意識のうちに固定化されていきます。
ヘブル人への手紙は「死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた」と語っており、恐怖が単なる感情ではなく人間を縛る支配力として働くことを明言しています。
さらに、貧困・死・人間関係という三つの具体例を通して、恐怖がどのように日常生活の中で人を支配するのかを丁寧に考察しています。
第三のパートでは、克服の原理として「真理・信仰・愛」という三つの要素を取り上げます。イエスが「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」と語られたように、恐怖は偽りによって支えられており、真理によってその根拠が崩れます。
次に、真理の認識に基づいて生きる力としての「信仰」が必要です。神への信頼に立つとき、状況の意味づけが変わり、恐怖の前提そのものが崩れるのです。
そして最終的には「愛」によって恐怖の根が取り除かれます。「完全な愛は恐れをとり除く」(ヨハネ第一4章18節)という言葉の通り、神の愛の中に置かれるとき、自分を守る必要がなくなり、人は本来の自由を取り戻すことができるのです。
最終回では「真の自由とは何か」が問われます。それは恐怖のない世界ではなく、恐怖があっても支配されない状態です。そして恐怖から自由になることは終点ではなく、神と隣人のために自分を用いることができる生き方への出発点なのです。
悪の誘惑を正面から見つめ、その構造を聖書の言葉によって解き明かした本シリーズが、多くの方にとって恐怖から解放される歩みへの確かな導きとなることを願っています。

