「聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅲ」では、恐怖が人間をどのように支配するかを見てきました。本シリーズ「Ⅳ」は、その続編として、恐怖の先に何が起こるのかを問うところから始まります。

恐怖は人間を苦しめるだけで終わるものではありません。その真の目的は、人間から「考える力」を奪い、思考を停止させることにあります。

第1回では、恐怖が判断力を弱め、思考そのものを機能させなくなる仕組みを明らかにします。そして聖書における従順は、何も考えずに服従することではなく、真理を知ったうえで自ら選び取る主体的な応答であることを確認します。

第2回では、思考停止が繰り返されることによって「惰性の習慣」が形成されていく過程を考察します。習慣とは選択の積み重ねでありながら、やがて主体的な選択の意識が失われた状態へと変化したものです。エペソ書が語る「無感覚になって」という言葉が示すように、この状態では悪への感覚そのものが鈍くなり、支配は見えない形で完成していきます。

第3回では、この習慣を生み出す「悪の戦略」を分析します。偽り、恐怖との結合、忙しさと情報過多、疑問を持たせない環境という四つの要素が組み合わさることで、人は強制されることなく自ら考えることをやめていきます。

第4回では、これらの要素が最も深く作用する領域として「教育」を取り上げます。幼少期に形成される思考の枠組みは、その後の人生全体に影響を及ぼします。何を教えるかだけでなく、何を教えないかによっても人間の思考の範囲は決定されます。批判的思考が育てられないとき、人は誤った教えに気づくことすらできなくなるのです。

第5回では、このような支配からの回復を「主体的信仰の確立」として論じます。思考の回復は外的な環境の変化から始まるのではなく、神のみ言を判断の基準として据え直すことから始まります。吟味する姿勢を取り戻すとき、思考は受動的なものから主体的なものへと変わります。

最終回では、「真の自由とは何か」が問われます。それは外的な制約がない状態ではなく、恐怖にも惰性にも支配されず、真理に基づいて選択できる状態です。

そして、内的支配から解放されたとき、人は初めて神と隣人のために自分を用いることができる存在として立つことができます。真の自由とは束縛からの解放であると同時に、自らの天命へと向かう力の回復なのです。

聖書に学ぶ悪の誘惑とその克服Ⅳ