ここまで「キリストは創造前から存在するとはどういうことか?」について、「統一思想」の「神による創造の二段階過程」を解説した上で、その観点から聖書を中心に考察してみました。
今回は同じ観点から、文鮮明先生のみ言(『原理原本』・『文鮮明先生御言選集』)を中心に、人間の生と霊的救いについて考察してみたいと思います。
そして、最後のまとめとして、神様とイエス様、そして再臨主の関係を理解する上で、貴重な資料となるみ言をご紹介します。
1.「神による創造の二段階過程」から見た人間の生
①創造の二段階過程と人間の誕生過程
神は二段階を経て人間を始めとする被造世界を創造されましたが(※創造前の段階を含めると三段階)、人間が新たな命を生む過程も、下の図のように神の創造と同じ過程になっています。
例えば、人間の精子は、思春期の10歳くらいまではつくられません。これは創造を始められる前、神が唯一の存在として自存していらっしゃった段階に相当します。
そして、思春期以降(平均11~15歳)になると精子がつくられはじめ、それは生涯に渡って続きます。このような精子の生成は、創造の第一段階で内的発展的四位基台が形成され、新生体としてロゴス(生きた構想)が形成されることに相当します。
一方で卵子は、女性が胎児の時に卵子のもとである卵母細胞が形成され、女性はその卵母細胞を持ったまま生まれます。数にするとおよそ約100~200万個です。そして、初潮を迎える頃には約30~50万個まで減少し、その後も減少していきます。
このように、精子の場合は思春期以降に新たにつくられるのですが、卵子は誕生後に新しくつくられることはありません。これが人間の精子と卵子の違いの一つです。
②Y染色体を持つ精子とX染色体を持つ精子
誕生後につくられる精子も、誕生前につくられる卵子も、同じようにDNAを持っていますが、男女の性別の決定は精子のタイプ、すなわちY染色体を持つ精子とX染色体を持つ精子によって決まります。Y染色体を持つ精子が卵子と受精すれば男の子が生まれ、X染色体を持つ精子が卵子と受精すれば女の子が生まれます。ですから、父親の中に息子と娘の種があるわけです。『原理原本』には次のようにあります。
本来、人間という存在は、父を中心に生まれるようになっている。世上の父を見ても、子女(息子・娘)という基本存在の核体は父の中から始まっている。これは「父なる神」の中に男女があることを示しているが、これを実体として分けたのが人間の創造である。(『原理原本』p672)
このように、創造の第一段階で神の本性相にロゴスのアダムとエバが内在していたように、思春期以降の男性の中に、息子、娘の種が内在するようになっているわけです。
この息子、娘の種が生まれるためには、母親が持つ卵子と受精し、胎中期間を経て成長しなければなりません。この過程は、下記のようなロゴスが実体化する過程と同じと見ることができます。
いかにすれば神の本性相と本形状に似るようになるのであろうか。それは外的授受作用によって、本形状である質料的要素(前エネルギー)が本性相である生きた鋳型の緻密な空間の中へ浸透することによって、似るようになるのである。(『統一思想要綱』p133)
神の本性相に内在するロゴスに、本形状である質料的要素(前エネルギー)が浸透してロゴスが実体化するように、男性の精子が卵子と結びついて受精卵となり、その受精卵が母親の子宮に着床して母体から栄養を受けながら胎児へと成長していきます。
(※『原理講論』に神の属性について「本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体」とあるように、男性と女性は性相と形状の関係であり、そこには主体と対象の格位が存在します。)
以上のように、「神による創造の二段階過程」と人間の生命誕生は同じ過程を経ていることが分かります。
2.アダムとイエスと再臨主の勝利圏
次に、「創造の二段階過程」から見たとき、アダムとイエスと再臨主はどの段階まで完成されたのかを見てみます。まず、堕落前のアダムについて語られた文鮮明先生のみ言をご紹介します。
アダムが16歳で堕落したので、16歳になるまでは本然のアダムの体です。(アダムは)天の国にある神様のあらゆるものを相続できる本然的な、堕落していない完成に向かう男性でした。 (『御言選集』265-142, 1994.11.20)
エバは、アダムの16歳以降のサタンの体を中心として人類を繁殖しました。(『御言選集』336-270,2000.10.14)
アダムの16歳までの血統的基準があるので、再び祝福して天使長復帰と同時に堕落した世界が完全に解放されるのです。(『御言選集』424-102, 2003.11.4)
エバは天使長と霊的に堕落し、肉的にもアダムと堕落しました。しかし、アダムは霊的には堕落していません。そして、上のみ言にあるように、堕落する16歳までは本然の体を持ち、神の血統的基準を備えていました。
サタンの体になったのは堕落した16歳以降なので、その時までアダムが成長した基準はサタンに奪われていないことになります。
「創造の二段階過程」から見ると、アダムはすでに思春期を迎えていたので、体内にY精子とX精子を生成していたわけです。この精子はサタンに汚されていません。これがアダムが勝利した基準です。
つまり、アダムが勝利したこととは、霊的堕落をしていないこと、創造の第一段階においてYとXの精子を実体で生成できたことです。地上にこのような実体の基台が造成されたため、この基台の上で、神は再び「ひとり子」としてイエス様を地上に送ることができたと言えます。
そして、ご存じのように、イエス様は創造の第一段階において、アダムのように堕落することなく、地上にいらっしゃる最後の瞬間まで、神を中心とする内的発展的四位基台を保持され、その上で聖霊を迎えて霊的な救いの基台を完成されました。
さらに、アダムの勝利圏とイエス様の霊的な勝利基台の上で、再臨主は、創造の第二段階における外的発展的四位基台を完成して神の血統を地上に結実させ、神の創造理想である三代王権を成就して勝利されました。
先生は、アダムの16歳から今までのアダム世界とは関係のない、勝利したアダムの位置で全人類を取り戻したのです。 (『御言選集』265-143, 1994.11.20)
以上がアダム、イエス、再臨主の勝利圏です。
3.霊的重生による霊的救いとは何か
①イエスと聖霊による霊的重生
前回の記事でお伝えしたように、アダムの霊が注入され再び来られた方がひとり子のイエス様です。(『原理原本』p89)文鮮明先生のみ言では、イエス様と聖霊による霊的重生の役事について次のように説明されています。
イエス様は、この地上に来て、愛を中心とする父的アダムの霊を完全に体得して形成できる基準にいましたが、愛を通してアダムとエバが一つになる基準には立つことができませんでした。ですから、イエス様は、霊的基準の父を中心として天上世界に上がっていきましたが、エバの霊は実体を持つことができなかったが故に、形のない母として地上に来るのです。
天上世界と地上世界の愛は垂直的愛です。神様と息子の位置で成し遂げようとしていた垂直的愛を実現できなかったのです。その代わりに、霊的に完成したイエス様は天上世界に上がっていき、聖霊は地上に降りてきて垂直な相対になるのです。(『御言選集』212-70, 1991.1.2)
この垂直的愛とは、縦的な愛であり霊的な愛なので、その愛によって新たに与えられる命も霊的な命です。さらに続けて次のように語られています。
イエス様が下りてきて、聖霊が上がっていき、新郎と新婦として一つになった霊の中で、その体が完全に和合し、天のみ旨による一つの実体物として聖霊を受けなければなりません。聖書に「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」(ヨハネ福音書3章5節)とあるとおりです。その聖霊とは何かというと、母の神です。
そうして聖霊を受け、20歳まで成長して自立する時まではイエス様と聖霊が保護してあげなければなりません。父と母が保護するように、霊界と肉界を連結させて熱心に信仰し、霊界だけを考える、このような基準で伝統的な因縁を受け継ぐようになるときに、それが霊的救いを受ける実体になるのです。(『御言選集』212-70, 1991.1.2)
これがイエス様と聖霊による霊的重生の役事です。それでは、霊的な真の父母の愛により、新たに霊的な命を受けて霊的に救われた信徒たちは、どのような立場になったのかを見てみましょう、
②霊的重生による霊的救いの結果と再臨
霊的に救われたキリスト教の信徒たちについて『原理原本』では次のように記されています。
神が人間に対して父格としてのみ存在するため、今の人間がどのような格(身分)かといえば、世上の父の中にいる子女と同じ格に属している。ゆえに、いまだ世上に出てくることができず、母を迎えることができないまま、父の中に存在している子女と同じ立場なのである。(『原理原本』p673)
今までは、神の愛を受けて代わりの生を造成する様相で来たため、神は「父なる神」としてのみいらっしゃった。すなわち、人間がどのような立場だったかといえば、完成の時を待ちながら天の父の中にいる子女と同じ立場の存在であった。(『原理原本』p675)
人間始祖アダムとエバが霊肉共に堕落することによって、その子孫はすべてサタンの子孫になってしまいましたが、霊的な救いを受けることによって、父の中の息子、娘の種の立場にまで復帰されます。これは、創造の第一段階で神の本性相に内在していたロゴスのアダムとエバと同じ立場にまで復帰されたということです。
しかし、前回の記事で「ロゴスの二性性相」に似るだけでは、神の本性相に似るだけなので、神の完全なる喜びの対象にはなれないことを説明しました。霊的救いの段階はこの段階です。ですから、イエス様は、肉的救いを成就するために再臨を約束されたのであり、その再臨も霊的な再臨ではなく、肉身をまとった再臨でなければならないのです。
(肉的に)生まれる時は他のところから生まれましたが、(霊的な)父母様の愛の圏内で化身体のような代身者となったその人たちの霊は、霊界に行ってイエス様と聖霊に侍ることができます。しかし、これは実体ではないので、本来の創造理想とは一致しないのです。ですから、2000年の歴史に渡って、個人時代から家庭時代、氏族、民族、国家、世界版図まで復帰してきました。ローマが全世界を掌握して動かしていたのと同じように、キリスト教文化圏が世界を動かす版図まで発展していかなければなりません。(『御言選集』212-70, 1991.1.2)
神の完全なる喜びの対象になるためには、アダムの霊を宿す再臨主を通して霊肉共に重生され、実体の真の母を通して再び生まれた立場に立たなければなりません。そして、再臨主が神を中心とする実体の三位一体をつくられるように、私たちも神を中心とする実体の三位一体をなし、神の完全なる喜び対象にならなければなりません。
4.神とイエスと再臨主の関係についてのみ言
①イエス様から召命を受けられた文鮮明先生
15歳になった年の復活祭(イースター)を迎える週でした。その日も、いつもと同じように近くの猫頭山に登って、夜を徹して祈りながら、神様に涙ですがりつきました。なにゆえこのように悲しみと絶望に満ちた世界をつくられたのか。全知全能の神がなぜこの世界を痛みの中に放置しておられるのか、悲惨な祖国のために私は何をしなければならないのか。私は涙を流して何度も何度も神様に尋ねました。
祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。
その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのではないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。(『平和を愛する世界人として』p62)
②文鮮明先生の霊界試練40日と統一教会の出発
世界統一の理念を立たせるには、この霊界における最高の勝利を得なければならない。そういうことになるんです。すべてに道がある。すべてに道師がいる。孔子やら釈迦やら、マホメットとか、たくさんの世界的な宗教の道師がおる。そういう道師たちにみんな先生が会って、「あんたの道義はどういう結果か。こういう問題とかがあるじゃないか」。「はい、そうです」。頭を下げなければならない。霊的統一の権限を持たなければ、地上統一はできない。
最後にはイエス様に会って、先生は質問したわけなんです。「歴史の根源においてこういう問題がある。どういうようになるか」と。聖書を見たらイエス様はみんなわかっておるように信じておるんだけれど、そうじゃない。再臨の時は自分も知らず、父にしかわからない。わからないんですよ。神がそれを教えるから、その時はわかるんだけれど、それ以上はわからなかった。
「イエスはもう全能なる神の子だから何でもできる。全知全能の子だから、ヤーッと言ったら何でも」、そうじゃない。相撲をとるのもイエス様が一等じゃない。走るのもマラソンも一等じゃない。サタンを屈伏することにおいて、その分野におきまして最高であるという、そこなんですよ。それでイエス様の失敗についても、「こういう問題は、あなたのその責任として解決することができなかった」と。「はい」。そういう霊的方面において実力問題ですね。実力は最後の勝利を得るんだ。
それで先生がですね、そこまで行くというと、最後にはアダムが神に反対したでしょう。それと同じように、イエス様がその十字架につかれた時の祈りがあるでしょ。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われたでしょう。神は、何故我を見捨て給うか。それが最後の決定点ですよ。それみたいに、先生におきまして、40日間の神の裁きがあった。試験があったわけなんです。この試験に堂々と勝利を得たということになったわけなんですね。
その時はイエス様を中心としてすべての霊界、まあ楽園ですね、すべての霊界全部が、「文某は、霊界の大敵である」という。「怨讐か?」。「怨讐だ」。そういうわけなんですね。それでもって、40数を中心として復帰の路程を解決していくんだから、40日間の闘い。そこにおいて先生は、死を何十遍も覚悟したわけなんです。
それで神に談判するわけなんですね。「こういう、こういう、こういう、こういう、こういうその天宙の原理だとしたら、こういう結果にならなきゃならない」。そうすると神もそれを聞かないんですね。霊界全体が、天地創造の神も、天に行っておるすべての善なる道師もね、先生にみんな反対した。それで、そういう独りぼっちで闘わなければならない。そして40日間を闘っていく。何といっても真理は真理であるという。
それで最後にこの闘いをいつまでも続けることはできない。先生はサタンたちに譲らない。嫌だと頑張っておると、いつまでもその闘いを続けなきゃいけない。40日経てば、この問題は神ご自身が判断を下す。勝利者を決定する。ここでもって勝利しなきゃならない。だから霊界におきまして、どうしても御印を、天の父から御印を、天の王様から印をもらわなければならないわけなんです。そうしてそれが決定してから地上の摂理を始めることができるというんです。統一教会の出発ですね。(1965年1月29日、南平台本部教会、日本語で語られたみ言)
③イエス様は神御自身ではないと語られたみ言
もしアダムとエバが堕落していなければ、どのようになったでしょうか? 神様の基準に上がっていき、神様を中心として三位一体になっていたでしょう。そして、ここから生まれた子女たちは、すべて天国に行くことができる息子、娘になるのです。(中略)
神様を中心とする三位一体が崩れたので、これを再び探し立てなければなりません。それで、アダムの代身として立てられた存在がイエス様です。アダムが失敗したので、失敗した三位一体の空席を埋めるためにイエス様が来られたのです。
ところが、このような内容も知らずに「イエス様は神様だ」と言っています。神様が神様に祈るのですか。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください」(マルコ福音書14章36節)と祈ることができるのですか。では神様が2人いるのですか。それではイエス様が十字架にかけられて亡くなったとき、神様御自身が十字架にかかられたということになってしまうのです。(『御言選集』22-283, 1969.5.4)
④「ひとり子」としての堕落前のアダムとイエス
アダムは何ですか? 神様の王子です。そうですか、そうではないですか? アダムは神様の「ひとり子」だったというのです。人間から生まれてきたのではなく、神様が直接、造った絶対的な「ひとり子」だったのです。エバもそうです。
それでは、イエス様は何ですか? 「ふたり子」ですか、「ひとり子」ですか?(「ひとり子です」)。聖書に「ひとり子」とあるのです。「ひとり子」のイエス様と堕落する前の「ひとり子」のアダムとでは、どちらが貴いですか? 堕落しなかった場合には、アダムですか、イエス様ですか?(「アダムです」)。なぜですか? アダムは神様から造られたというのです。イエス様は、堕落した子孫の女性から生まれました。キリスト教はこれを知らなければなりません。
イエス様は、数千代の汚れた血統を条件的に清めた基盤の上に植えられ、条件的な立場で「ひとり子」として生まれたと認めたのです。本来は、神様御自身が造った長男、長女が「ひとり子」であり「ひとり娘」だということを忘れてはいけません。(『御言選集』 218-345, 1991.8.22)
⑤文亨進二代王様のみ言
他国の人、つまり私たちを植民地化する者たちのために働き、ヤクザ組織を運営し、私たちの民族を迫害してお金をかすめていく、そのような者たちが取税人です。そのような人たちをイエス様は祝福し、共に過ごされました。ルカによる福音書の19章を見ると、李完用のような取税人のかしらザアカイの家で過ごされたことが記録されています。これは、人間の目で見れば、完全に狂った行いです。
お父様も同じように行動されました。本当に同じ方です。本当に再臨のイエス様です。イエス様もメシアだったではないですか。神様がイエス様の中にいらっしゃったではないですか。(2015年1月1日)