【今回深掘りする原理のみ言】
 ノアは、世が神の前に乱れて、暴虐が地に満ちたとき呼ばれ(創六・11)、120年間あらゆる罵倒と嘲笑を受けながらも、神の命令だけには絶対に服従して、平地ならばともかく、山の頂上に箱舟をつくったのである。それゆえに、神はこれを条件として、ノアの家庭を中心とする洪水審判を敢行なさることができたのである。(『原理講論』p303)

 

 「統一原理」では、ノアが神様の命令に従って箱舟を建造した期間を120年としています。

 ところが、箱舟の建造期間が120年だったという記録は、聖書のどこにもありません。

 今回は、なぜ「統一原理」は箱舟の建造期間を120年としているのかについて深掘りしてみることにします。

(1)統一教会に反対するキリスト教牧師の「統一原理」批判

 冒頭でお伝えしたように、聖書のどこにもノアが120年かけて箱舟をつくったという記録はありません。

 ただ「120年」という期間については、洪水審判が起こる前の聖句(創世記6章3節)で次のように記録されています。

 

 そこで主は言われた、『わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は120年であろう』。(口語訳)

 主は言われた。「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから。」こうして、人の一生は120年となった。(新共同訳)

 主は言われた。「私の霊が人の内に永遠にとどまることはない。人もまた肉にすぎない。その生涯は120年であろう。」(聖書協会共同訳)

 

 この聖句では、このときから人間の寿命が120年になったという意味になっています。

 このように箱舟の建造期間とはまったく異なる内容なので、キリスト教の一部の牧師は、この点を指摘して「統一教会の教理は聖書的ではない」と批判するわけです。

 特に、脱会説得の場で統一教会に反対する牧師がこの点を指摘し、統一教会員の「統一原理」に対する確信を揺るがせる材料の一つとして使うことがありました。

 では次に、創世記6章3節の聖句について、「人間の寿命のことではない」と主張する解釈がキリスト教内にもありますので、それを見てみましょう。

(2)「ノアの箱舟建造期間120年」の聖書的根拠

 ①創世記6章3節のもう一つの解釈

 この創世記6章3節の聖句については、キリスト教の中でもその解釈が分かれていて、「この聖句は誤訳である」と主張する人たちもいます。

 例えば、ドン・ボスコ社のカトリック聖書で同じ箇所の聖句を見ると、次のようになっています。

 

 すると主は、『私の霊はいつまでも人間のうちに居つづけないだろう、かれは、肉だけのものでしかないからである。かれの日かずは、あと120年』とおおせられた。(創世記6章3節 カトリック聖書訳)

 

 このカトリック聖書では、人間の寿命ではなく、神様が当時の人々に対して、「あなたたちはあと120年しか生きられない」と宣言されています。

 この解釈であれば、120年後に洪水審判が下されることを暗示していると考えられ、「統一原理」の解釈と矛盾しません。

 他にもこの解釈を支持する文献がありますので、下記にご紹介します。

 

「〈人の齢は120年〉。文法的には人のさばきの執行猶予の期間(Iペテロ3:20)とも、地上の人間の寿命の短縮ともとれる」(『新聖書註解1』いのちのことば社、110ページ)

「一般人類の生命の息……は、120年後の洪水によって断たれるであろうという神の宣言(おそらくヨナ3:4の場合と同じような悔い改めの期間……)以上の解釈はギリシャ語訳、ラテン語訳、シリヤ語訳に一致するものである」(聖書〈原文校訂による口語訳〉フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社55ページ)

「J(モーセ五書を構成していると思われる文献J、E、D、Pなどの一つ……著者注)は、物語を『非神話化』して使うことによって、全般的に堕落した人間の状態の証拠として、その寿命が120年に限定されたと考えたのであろう。
 しかしこの逸話と結びつけた洪水物語との関連上、120年を大災害の発生前に人類に与えられた恩恵の期間とした、と解釈する方がよいと思われる。明らかにこれが創世記の最終著者の意図である。なぜなら、後にPにおいては、120年以上の寿命が個人に与えられているからである」(『カトリック聖書新註解書』エンデルレ書店210ページ)

 

 このように、創世記6章3節の120年は、人間の寿命ではなく、その当時の人々はあと120年の命、すなわち洪水審判までの命を意味しているとする解釈がキリスト教の中にも存在するのです。

 ですから、洪水前に120年という期間があり、それが箱舟の建造期間だとする「統一原理」の主張は、決して勝手な解釈ではなく、聖書的根拠に基づいていると言えます。

 ②ノアの時代以降、本当に人間の寿命が120年になったのか?

 もし本当に神様によってノアの時代から人間の寿命が120年になったのなら、それ以降の人間は120年以上生きることができないはずです。

 ところが、さきほど紹介した『カトリック聖書新註解書』で「後にPにおいては、120年以上の寿命が個人に与えられている」とあるように、旧約聖書を見てみると、120年以上生きた人たちが何人も登場するのです。(※Pとはモーセ五書を構成しているとされる文献の一つ)

 例えば、アブラハムは175歳、イサクは180歳、ヤコブは147歳で亡くなっています。

 

 アブラハムの生きながらえた年は175年である。(創世記25章7節)

 イサクの年は180歳であった。(創世記35章28節)

 ヤコブはエジプトの国で17年生きながらえた。ヤコブのよわいの日は147年であった。(創世記47章28節)

 

 以上のように、ノアの時代以降、必ずしも人間の寿命が120年にはなっていないことが分かります。

 さらに、旧約聖書の詩篇90章10節には「われらのよわいは70
年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしょう」という聖句もあります。

 したがって、「統一原理」の「箱舟建造期間120年」を批判する一部のキリスト教牧師の主張だけが聖書的で、正統な聖書解釈であるとは言い切れないのです。

 またキリスト教の中でも、「統一原理」と同様の解釈をしている教派や学者がいるということも事実です。

 では、次に「箱舟建造期間120年」の原理的な根拠について確認してみましょう。

(3)「ノアの箱舟建造期間120年」の原理的根拠

 「ノアの箱舟建造期間120年」の原理的根拠は、主に復帰原理の摂理的同時性にあります。

 摂理的同時性は、象徴的同時性の時代(旧約前時代)、形象的同時性の時代(旧約時代)、実体的同時性の時代(新約時代)という段階を経て、今日の再臨主の時代(成約時代)まで展開してきました。(『原理講論』p287参照)

 その過程で12数を復帰するための蕩減期間として、「箱舟建造期間120年」と摂理的同時性の時代に該当するのは下記の時代になります。

 

 ノアが箱舟をつくる期間120年モーセを中心とするカナン復帰摂理期間120年アブラハムが召命されたのち、ヤコブがエサウから、長子の嗣業を復帰できる蕩減条件を立てるまでの120年、また、この期間を蕩減復帰するための、旧約時代における統一王国時代120年と、新約時代におけるキリスト王国時代120年などは、みな、この12数を復帰するための蕩減期間であったのである。(『原理講論』p444)

 

 

 このうちキリスト王国時代120年以外は、聖書にその根拠が明示されているので、その聖句を確認しておきましょう。

 ①アブラハム召命からヤコブの長子の嗣業復帰までの120年

■アブラハムの召命:アブラハム75歳
 アブラムは主が言われたようにいで立った。ロトも彼と共に行った。アブラムはハランを出たとき75歳であった。(創世記12:4)

■イサク誕生:アブラハムの召命から25年
 アブラハムはその子イサクが生れた時100歳であった。(創世記21:5)

■ヤコブ・エサウ誕生:イサク60歳
 その後に弟が出た。その手はエサウのかかとをつかんでいた。それで名をヤコブと名づけた。リベカが彼らを産んだ時、イサクは60歳であった。(創世記25:26)

■エサウ結婚:エサウ40歳
 エサウは40歳の時、ヘテびとベエリの娘ユデテとヘテびとエロンの娘バスマテとを妻にめとった。(創世記26:34)

 

 エサウが40歳で結婚したその直後にヤコブは祝福を受けて長子の嗣業を復帰しています。

 以上のように、アブラハムの召命から25年目にイサクが誕生し、イサクが60歳の時にエサウが誕生し、エサウが40歳の時にヤコブが長子の嗣業を復帰したので、合計で125年となり、これが摂理的な数として120数となります。

 ②モーセを中心とするカナン復帰摂理期間120年

 「モーセは死んだ時、120歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった」(申命記34:7)

 

 「統一原理」では、モーセがパロ宮中にいたのは40歳まで、そしてミデヤンの地にいたのは80歳までとしていますが、この聖書的根拠は新約聖書の使徒行伝にあります。

 40歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。
 翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。
 モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。40年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。(使徒行伝7章23~31節)

 

 このように、モーセを中心とする路程では、3次にわたる40年路程があり、合計で120年の摂理期間となっています。

 ③統一王国時代120年

 「イスラエルの人々がエジプトの地を出て後480年、ソロモンがイスラエルの王となって第4年のジフの月すなわち2月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた」(列王紀上6:1)

 

 サウル王の在位40年と、ダビデ王の在位40年を経たのち、ソロモン王在位4年を経たときが、ちょうど、イスラエルの子孫がエジプトの地を出てから480年目に当たるということです。

 そして、列王記上11章42節に「ソロモンがエルサレムでイスラエルの全地を治めた日は40年であった」とあるので、サウル、ダビデ、ソロモンの統一王国時代は116年ですので、摂理的な数として120数となります。

 摂理的同時性の時代は、象徴的時代、形象的時代、実体的時代へと発展し、摂理が進むほどより具体的な摂理的史実と数理(数的原理)性が展開します。

 ですから、のちの時代の摂理的史実や数理性を見ることで、象徴的同時性の時代がより明確に分かるようになっています。

 よって、アブラハム家庭、モーセ路程、そして統一王国時代の数理性から、その摂理的同時性の時代であるノア家庭の摂理でも120数の蕩減期間があったことが分かり、それがまさにノアの箱舟建造期間だったわけです。

(4)まとめ

 現在、私たちが手にしている聖書は、旧約聖書も新約聖書も、すでに原本が存在せず、最も古いとされる数十種類の写本をもとに、おそらくこれが正しいであろうという内容で編纂されています。

 したがって、ある聖句が本当に原本を正確に書き写したものなのかどうかを確認することはできません。

 今回、取り上げた創世記6章3節の聖句についても、原本を確認することはできないので、誤訳なのかどうか永遠に結論は出ないでしょう。

 そのため、キリスト教の中でも、この聖句に限らず、聖書については様々な解釈が存在し、今後も同じ状況が続かざるを得ないというのが実状です。

 しかし、だからといって聖書がすべて人によって創作されたものなのではなく、間違いなく神様の啓示による書であり、そこには神様が意図して残されたみ言が数多くあることは疑いの余地もありません。

 「統一原理」を解明された文鮮明先生は、聖書全体を見られつつ、創世記6章3節の「120年」について、神様の啓示と霊界の聖賢たちとの交流によってノアの箱舟建造期間であるとされたのです。

 そして、同時に私たちは、「統一原理」の「ノアの箱舟建造期間120年」という主張が決して非聖書的な解釈ではないこと、またキリスト教の中でも同様の解釈があることを理解しておきましょう。

 それでは、最後に文鮮明先生のみ言から、神様の命令を受けて箱舟をつくったときのノアの心情と事情、そして信仰について学んでみることにしましょう。

(5)文鮮明先生のみ言に学ぶノアの信仰

 ノアは、祝福される前に、120年という長い間、激しい苦難を受けながら忠誠を尽くさなければならない命令を受けました。その条件を立てるために苦労した期間は、12か月や12年ではなく、120年という期間でした。その上、彼が受けた命令は、海辺ではなく山の頂上に箱舟をつくることでした。ノアがこのような神様の命令を受けたとき、すべての人たちは懐疑的でした。それは一種の狂想だと思ったのです。当時の人たちは、そのようなことは夢にも考えられないと思ったので、彼らはいつもと変わらず飲み食いして享楽にふけりながら、神様を忘れて生きていました。
 しかし、ノアにとって神様の命令は絶対的なものでした。そのようなノアの心情を心から理解してくれた人は誰もいなかったのです。ただ自分が分かっているだけでした。彼の妻も理解してあげることができず、彼の子女たちもノアの事情を理解できませんでした。ましてや、彼の親戚たちがどう思ったか、簡単に推し量ることができます。(『文鮮明先生御言選集』 15-63 1965.2.13)

 神様がノアに要求した事情は、人類全体との関係を完全に放棄しなさいというものでした。このような神様の命令を完遂するために、ノアはあらゆる因縁を断ち切ってしまわなければなりませんでした。彼の妻や子女たちを神様の命令以上に愛することはできなかったのです。ノアは、絶対的で微塵も揺らぐことのない盤石のような神様の命令以外には、他の何ものも選ぶことはできませんでした。このような立場にいたノアを、当時の人たちはどのように接したでしょうか。それは、皆さんが簡単に推し量ることができるでしょう。
 事実、その時において、その妻は自分の夫に従わなければなりませんでした。聖書には記録されていませんが、その当時、彼の家族全員がノアを捨てたので、彼は一人で箱舟をつくる仕事を果たしたのです。ノアの家族たちは、ノアの計画を拒絶しました。彼の意志に反対したのです。もし彼が、少しでも側近者たちから協助を得ることができていれば、外部から来る迫害を簡単に耐え忍ぶことができたでしょう。しかし、そのようにできない立場で、10年、20年、30年、そして120年を過ごしながら、おじいさんになったノアは狂った人として世の中に知られるようになってしまったのです。(『文鮮明先生御言選集』 15-63 1965.2.13)

 ノアは神様の命令と共に120年後の洪水審判の日を望みつつ、一つの希望として、一つの信仰基台の条件として、神様の愛を生活の圏内に連結しようとしました。それは神様の摂理でした。その期間は1年でもなく、10年でもなく、20年でもなく。120年という長い間、ノアは毎日同じことを繰り返してきたのです。家庭が歓迎したと思ったら大間違いであり、親戚あるいは村人が助けてくれたと思ったら、大間違いです。12日後のことでもなく、120年後のことなのです。生きているか死んでいるかも分からないのです。そのようなノアに対して、多くの人たちが批判しました。
そのように環境から排斥されるなかで、神様は何を願ったでしょうか。「我のみ信じよ」ということでした。周囲に渦巻くあらゆるものに対して、自分に逆らうあらゆるものに対して、それを踏み越え、あるいはそれを退けて神様と一体となる信仰の基準と希望の基準を立てなければならなかったのです。(『文鮮明先生御言選集』 15-103 1965.10.3)

 ノアは悲しい人でした。自分は鉄石のように堅く神様の命令とみ旨を信じたのですが、妻子たちは信じませんでした。その時の環境がどれほど困難で悲惨だったでしょうか。環境が困難であれば困難であるほど、「父よ、この地上で父を信じる者は私だけです」と言ったノアでした。しかし、迫害と嘲笑が大きくても、神様に対する信仰心が大きかったために、その時代の悪の勢力を抑えることができたのです。このような信仰の基盤がノアにあったことを私たちは知らなければなりません。
 ノアは神様のみ旨を知ったので、死んでも行こうと考えました。ノアは、嘲弄され、迫害されることに対して、憤るひまもありませんでした。自分が冷遇されるのは腹立たしいことですが、自分を信じて訪ねてこられた神様が、120年後に世の中を審判すると語られ、箱舟をつくりなさいと命じられたのに、もし私がそのみ旨に反対すればどれほど悲しまれるかと、自分の悲しみを超えて神様を慰労することに忙しかったのです。それでノアは、120年間、耐えることができました。
 ノアが箱舟をつくることに対して、朝に夕に妻子たちから反対されました。聖書にはありませんが、調べてみてください。祈ってみれば、嘘かどうか分かります。父親がすることに対して、互いに助けようとしなかったのです。ノアの妻が箱舟をつくることを承諾したでしょうか。そのような環境にいたノアでしたが、神様の近くに立ち、自分のために準備された神様を慰労しました。このようなノアの信仰によって、復帰の道を受け継いであまりある基盤が築かれました。ですから、神様の審判を行使することができたのです。(『文鮮明先生御言選集』 13-184 1964.3.15)

 

 

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