【今回深掘りする原理のみ言】
 洗礼ヨハネはイエスに仕えるために胎内から選ばれ(ルカ一・75)、彼の道をまっすぐにするために、荒野で苦難の修道生活をしたのであった。さらにまたイエスが公生涯路程を出発されるときに、天はだれよりも先に、イエスがだれであるかを彼に教え、また、それを証言させてくださった。
 このような天の恩賜をそのまま受け入れなかった洗礼ヨハネから、そのような質問を受けたので、イエスは改めて、自分がまさしくメシヤであるとは答えられなかったのである。
 彼は、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ一一・4、5)と、婉曲な返事をなさった。(『原理講論』p201)

 

霊的な摂理が切れてしまった洗礼ヨハネから「『きたるべきかた』はあなたなのですか」と質問されたとき、イエス様は間接的な表現で答えられました。

今回は、洗礼ヨハネが預言者であることを否定した理由と、イエス様が婉曲な返事をされた原理的な事情を深掘りしてみたいと思います。

そして、最後に洗礼ヨハネの失敗から私たちが学べる教訓とその対策についてお伝えします。

イエス様の第一弟子としての洗礼ヨハネとペテロ

(1)洗礼ヨハネはなぜ預言者であることまで否定したのか?

洗礼ヨハネは、ユダヤ人たちから「では、あの預言者ですか」と尋ねられたとき、「いいえ」と答えています。(ヨハネ福音書1章21節)

エリヤであることだけでなく、預言者であることまで否定しているのですが、それはなぜだったのでしょうか?

そのときの洗礼ヨハネは、「当時のユダヤ人たちが、あるいはメシヤ、あるいはエリヤ、あるいは預言者であると考えるくらいに立派な人」(『原理講論』p202)でした。

そうだとすれば、洗礼ヨハネが「私は預言者である」と言っても、誰からも批判されなかったはずです。

洗礼ヨハネが預言者であることを否定した理由について、文鮮明先生のみ言を見てみると、次のようになっています。

 ヨハネ福音書の1章19節以下を見ると、人々が洗礼ヨハネに、「あなたはどなたですか、エリヤですか、預言者の1人ですか」と尋ねています。ところが、洗礼ヨハネはすべて違うと否定してしまいました。預言者だということまで否定したのです。なぜそのように言ったのでしょうか?皆さんはそれを考えてみなければなりません。
 預言者であるにもかかわらず、すべての人が預言者だと思っているにもかかわらず、なぜ預言者であることを否定してしまったのかというのです。それは、イエス様を口実に言いがかりをつけようとして尋ねてきたからです。
 その時、その時代においてイエス様は、間違いなくコーナーに追い詰められ、行く道のない痛ましい立場にいることを知っていたので、洗礼ヨハネは人間的な立場でそれ(言いがかり)を避けるためにそのように答えたと考えざるを得ないというのです。(『文鮮明先生御言選集』73-210 1974.9.18)

 

このみ言によると、このとき洗礼ヨハネは、神様の立場ではなく人間的な立場でイエス様を見ていて、窮地に立っていたイエス様と関係があると思われたくなかったということになります。

このみ言をさらに深く理解するために、イエス様の十二弟子のひとりであるペテロがイエス様を3度否認したことについて調べてみましょう。

(2)イエス様を3度否認したペテロ

第2次世界的カイン復帰路程で、洗礼ヨハネの代わりに召命された人物がペテロです。

イエスは彼の第一の弟子として洗礼ヨハネを選ばれたのであるが、彼がその責任を完遂し得なかったために、その代わりとしてペテロを選ばれた。(『原理講論』p433)

 

このみ言のように、ペテロは、洗礼ヨハネが担っていたいくつかの使命の中で、「第一の弟子」の使命を担っていました。

ですから、洗礼ヨハネの立場を蕩減復帰しなければならなかったのがペテロです。

それでは、ルカ福音書にあるペテロがイエス様を3回にわたって否認してしまった場面を見てみましょう。

 それから人々はイエスを捕え、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。ペテロは遠くからついて行った。人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。
 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
 約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。(ルカ福音書22:54~61)

 

このようにペテロは、3回にわたってイエス様との関係を否認してしまいましたが、彼は洗礼ヨハネの代わりに召命された人物ですから、洗礼ヨハネの失敗を蕩減復帰しなければならない立場です。

このペテロの言動から考えてみたとき、洗礼ヨハネが預言者であることを否定した理由は、文鮮明先生のみ言どおり、自分がイエス様と無関係であることを主張したかったからだということが分かります。

このような洗礼ヨハネやペテロをみつめる神様とイエス様は、どれほど悲しくつらい心情だったでしょうか。

次に、その洗礼ヨハネが弟子を通してイエス様に尋ねてきたとき、イエス様は婉曲な返事をされたのですが、その理由について考えてみましょう。

イエス様が婉曲な返事をされた理由

(1)獄中にいた洗礼ヨハネの責任分担

洗礼ヨハネは獄中から弟子たちをイエス様のところに送ったのですが、そのときに獄中にいた理由は、当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したからでした。

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。(マルコ福音書6章17~8節)

 

批判されたヘロデヤは、洗礼ヨハネを処刑したいと思っていましたが、夫のヘロデのためにそれができずにいました。

そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。(マルコ福音書6章19~20節)

 

もしこの段階で洗礼ヨハネが神様に深刻に祈っていれば、どうなっていたでしょうか?

本来の自分の立場と使命を思い出し、獄中にいるのが神様のみ旨ではないことを悟って、ヘロデやヘロデヤに謝罪するなどして監獄から出ることもできたのではないでしょうか。

これは先回の記事で紹介したみ言のように、天使長から誘惑されたとき、エバが神様に尋ねていれば、霊的に堕落することを避けられたのと同じです。

 アダムとエバが、彼らが堕落する前に神様に先に尋ねていたならば堕落しなかったでしょう。「天使長がこれこれこうするのですが、どうしましょうか」と尋ねなければなりませんでした。そうしていたならば、神様が答えたはずです。
 この、尋ねてみることが責任分担の五パーセントです。尋ねてみるのは自由です。しかし、尋ねないで横的関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねないで行動したので問題が起こったのです。(『文鮮明先生御言選集』33-241 1970.8.16)

 

このことから、獄中にいた洗礼ヨハネは、一刻も早くそこを出て自らイエス様のもとに行くことこそが彼の責任分担だったと考えることができます。

ところが、実際には、その責任分担を果たすことができず、結局はそのまま獄中にいて命を失ってしまったのです。

イエスの福音は、だれよりも先に洗礼ヨハネ自身が伝えるべきであった。しかし、彼の無知によりこの使命を完遂することができず、ついには、イエスのためにささげるべき彼の命までも、あまり価値もないことのために犠牲にしてしまったのである。(『原理講論』p200)

 

ここにある「あまり価値もないこと」とは、上述したようにヘロデの結婚問題のことです。

それは、本来洗礼ヨハネが果たすべきだったことは、イエス様の結婚を成就することだったからです。

(2)婉曲な返事をせざるを得なかったイエス様

洗礼ヨハネの弟子たちが「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」(マタイ一一・3)と質問してきたとき、イエス様は次のような返答をされました。

「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている」(マタイ一一・4、5)

 

このように、イエス様は、洗礼ヨハネの質問に対して直接答えず、間接的な表現で答えられているのですが、それはどうしてでしょうか?

神様から直接、イエス様がメシヤだと教示されたにもかかわらず、不信してしまった洗礼ヨハネです。

そのようなすでに霊的な摂理が切れてしまった洗礼ヨハネに対して、「私がメシヤである」と言っても、再び不信する可能性の方が高かったからだと考えられます。

また、責任分担を果たしていなければ神様が干渉することができないというのが創造原理です。

ですから、責任分担を果たしていない洗礼ヨハネに対して、イエス様はみ言を語ることができなかったのです。

そして、蕩減復帰原理から見ても、神様から与えられたみ言を不信した場合、何の条件も立てないままもう一度同じみ言を受けることはできません。

そのため、獄中で責任分担を果たしていない洗礼ヨハネから質問されたとき、イエス様は間接的に答えるしかなかったのです。

洗礼ヨハネの失敗から学ぶ教訓とその対策

(1)神様のみ言に対する信仰が揺らぐときとは?

信仰者がサタンに侵入されやすくなるときは、神様のみ言と現実が一致していないと思うようになってしまい、混沌となったときです。

一致していないと思ってしまうのは、神様のみ言と現実の間に自分の先入観やイメージが入ってしまうからです。

洗礼ヨハネの場合は、「その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかた」(ヨハネ1/33)という神様のみ言と実際のイエス様との間に自分のメシヤ観が入ってしまいました。

このことから、神様のみ言に対する信仰が揺らぎ、不信の道を行くようになったわけです。

(2)み言と現実が一致しないときは反対の経路で考えてみる

『原理講論』のp541には「天の側であるとかサタンの側であるというのは、我々の常識や良心による判断と必ずしも一致するものとはいえない」とあります。

そして、その例として、モーセがエジプト人を殺したことや、イスラエル民族が何の理由もなくカナンの地へ侵入して数多くの異邦人を全滅させたことが挙げられています。

このように神様の復帰摂理では、全体の摂理でも個人の路程でも、私たちの価値観では理解できないことが多くあります。

いまだ成長期間の間接主管圏内にいる私たちですから、その考えや価値観が神様のみ言と一致していないというのは当然のことではあります。

そこでサタンに侵入されないために、反対の経路をたどって蕩減条件を立てるという蕩減復帰原理を応用するという方法があります。

『原理講論』には、洗礼ヨハネが責任を果たしたかどうかについて、これまでとは反対の立場で見つめなおしてみることで、真実が解明されたことが記述されています。

我々は、イエス以後二〇〇〇年間も、洗礼ヨハネがその責任を完遂したという先入観をもって聖書を読んできたので、聖書もそのように見えたのであった。ところが、それと反対の立場から聖書を再び詳しく調べてみることによって、洗礼ヨハネは、その責任を完遂できなかったという事実が明らかにされたのである。(『原理講論』p562~3)

 

もしあなたが日常生活で自分の考えや価値観では理解できないことに遭遇したとき、すぐに結論を出さずに、自分とは反対の立場でも考えてみるようにするのです。

それは、自分ひとりだけでディベートをやるようなもので、その問題について肯定側と否定側のそれぞれの立場に立って考えてみるということです。

こうすることでこれまでとは違うまったく新しい発見をしたり、自分の考えや判断を客観的に見ることができるようになります。

そして、自分の不足な点や間違いに気付き、より一つ次元の高い結論にたどり着くこともあるので、自分を成長させることにもなるのです。

(3)神様の立場で全体を俯瞰して見る

堕落性を持っている私たちは、自分の一方的な考えに執着してしまう思いや、自分の間違いや失敗、欠点を認めたくないという負のエネルギーを抱えています。

このような負のエネルギーを方向転換させるためにも、自分の観点とは真逆の方向から考えてみることも試してみてください。

そのような考え方を心がけていくと、神様の立場に立って自分を見たり、物事を見たり、考えたり、全体を俯瞰して見ることができるようになります。

自分を中心とする立場で考えると、天から与えられた自分自身の立場と使命が分からなくなるものです。

神様と同じ立場に立って初めて、自分自身の天的な立場と使命を自覚できるようになるのです。