【今回深掘りする原理のみ言】
 堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足るある条件を立てなければならない。
 堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、蕩減復帰のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。(『原理講論』p274)

 

UPMCでは、「創造本然の位置」と「創造本然の状態」は二つで一つであり、それぞれが「信仰基台」と「実体基台」に対応していると考えています。

今回は、この「創造本然の位置と状態」について、その意味を深掘りしてみたいと思います。

「創造本然の位置」と「創造本然の状態」は二つで一つ

(1)地球の公転・自転から見た創造本然の位置と状態

「創造本然の位置」と「創造本然の状態」は二つで一つであり、そのどちらが欠けてもいけません。

これを地球の公転と自転に例えて考えてみましょう。

太陽の周りを公転し、自転している地球が、その軌道から外れてしまった場合、もとの状態に戻るには、まず公転軌道に戻らなければなりません。

これは創造本然の位置に戻ることと同じなのですが、それだけでは完全にもとの状態に戻ることはできません。

公転軌道に戻って自転をしなければ、地球上の生物が生命活動を維持できないからです。

また、太陽の公転軌道でないところでいくら自転しても、結果は同じです。

このように、地球にとっては、公転軌道が創造本然の位置で、そこで自転していることが創造本然の状態になります。

地球が公転と自転をしているからこそ、地球にいる生物たちは生きていくことができるのです。

これは復帰摂理も同様で、「創造本然の位置」と「創造本然の状態」はどちらが欠けても復帰摂理の目的は達成されません。

(2)創造本然の位置と状態の観点で説明されている例

『原理講論』には、創造本然の位置と状態の観点で説明されているところがいくつかあるのでご紹介します。

【創造本然の位置と状態の観点で説明されている例①】
このような「死」に対する「生」の意義は、神の愛の主管圏内において、神のみ言のとおりに活動している状態をいうのである。(『原理講論』p209)

 創造本然の位置:神の愛の主管圏内
 創造本然の状態:神のみ言のとおりに活動

【創造本然の位置と状態の観点で説明されている例②】
堕落前の未完成期のアダムとエバは、成長期間の三段階を経て、第四段階である神の直接主管圏内に入って、初めて四位基台を完成するようになっていた。(『原理講論』p444)

 創造本然の位置:神の直接主管圏内
 創造本然の状態:四位基台を完成

 

このような「創造本然の位置」と「創造本然の状態」は二つで一つという観点で『原理講論』をもう一度通読してみると、「統一原理」に対する理解がより深まると思います。

人間堕落の結果と蕩減条件

人類始祖のアダムとエバが堕落した結果、人間自身と被造世界がどのようになってしまったのかを確認しておきましょう。

(1)堕落したあとの人間の位置

人間が堕落したあとどのような位置におかれるようになったのかについて『原理講論』では次のように説明されています。

 元来、人間始祖が堕落しないで完成し、神と心情において一体となることができたならば、彼らは神のみに対して生活する立場におかれるはずであった。しかし、彼らは堕落してサタンと血縁関係を結んだので、一方ではまた、サタンとも対応しなければならない立場におかれるようになったのである。
 したがって堕落直後、まだ原罪だけがあり、他の善行も悪行も行わなかったアダムとエバは、神とも、またサタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。それゆえ、アダムとエバの子孫たちもまた、そのような中間位置におかれるようになったのである。(『原理講論』p272)

 

このように、人類始祖のアダムとエバが堕落して神様とサタンの中間位置に立つようになった結果、その子孫たちも生まれながらにして原罪をもち、中間位置におかれるようになりました。

このような堕落人間を天の側に復帰するには、堕落人間自身が何らかの蕩減条件を立てなければなりません。

その蕩減条件として最初に立てなければならないのが「信仰基台」であり、それを立てる目的について『原理講論』では次のように説明されています。

 堕落した人間は、万物よりも劣る立場におかれるようになったので(エレミヤ一七・9)、旧約以前の時代においては、供え物、あるいは、その供え物を代表する箱舟などの万物を条件物として立て、「信仰基台」をつくるようになったのである。それゆえに「信仰基台」は、人間の不信によってサタンの侵入を受けた万物を復帰する基台ともなるのである。
 そして、旧約時代においては律法のみ言、あるいはそれを代表する契約の箱、神殿、中心人物などが、この基台を造成するための条件物であった。また、新約時代においては福音のみ言、さらには、そのみ言の実体たるイエスが、「信仰基台」造成のための条件物であったのである。
 人間が堕落したのちにおけるこのような条件物は、人間の側から見れば、それは「信仰基台」を復帰するためのものであるが、神の側から見るときには、それはどこまでも所有を決定するためのものであったのである。(『原理講論』p279)

 

このように、堕落によって神様とサタンの中間位置に置かれるようになった人間は、条件物を通して「信仰基台」を立てることで、神様の所有としての位置を復帰することができるのです。

(2)堕落したあとの人間の状態

それでは次に、堕落したあとの人間がどのような状態になったのかを調べてみましょう。

天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という。(『原理講論』p122)

 

アダムとエバが天使長と血縁関係を結んだ結果、人間は堕落性本性をもつようになりました。

そのため、「実体基台」を立てるために必要となった蕩減条件が「堕落性を脱ぐための蕩減条件」になるのです。

このような蕩減条件を立てることによって、条件的ではありますが、堕落する前の堕落性本性のない創造本然の状態に復帰できるわけです。

それでは次に、創造本然の位置と状態への復帰と「信仰基台」及び「実体基台」の関係についてさらに深掘りしてみましょう。

創造本然の位置と状態と「信仰基台」及び「実体基台」

(1)創造本然の位置を復帰する「信仰基台」

『原理講論』のモーセ路程に、「信仰基台」を蕩減復帰したモーセについて次のように記述されています。

 アベルは、アダムの代わりに、父母の立場で献祭したので、その献祭に成功することにより、彼はアダムが立てなければならなかった「信仰基台」とともに、「実体献祭」のためのアベル自身の立場をも確立することができたのであった。
 これと同一の原理により、そのときのモーセも、父母でもあり、また子女でもあるという二つの立場に立っていたために、彼もまた、父母の立場で「信仰基台」を蕩減復帰するようになれば、同時に彼は、子女の立場で「実体献祭」をするためのアベルの位置を確立することができたのである。(『原理講論』p354~5)

 

このように、アベル的な人物たちは、「信仰基台」を蕩減復帰することによってアダムとアベルの位置を復帰することができます。

このアダムとアベルの位置とは、人間が堕落する前の創造本然の位置ですから、「信仰基台」を立てることは創造本然の位置に立つことを意味していると考えることができます。

文鮮明先生は、創造本然の位置への復帰について、ヤコブの路程を例にあげて次のように説明されています。

 21年後のヤコブの使命は何だったのでしょうか? 皆さんは、アダムがどのようにして失われていったかということを考えてみなければなりません。なぜなら、そのアダムの位置の復帰ということが、第一に重要な彼の使命であったからです。アダムは誰に主管されたのですか? 天使に主管されたのです。
 ですから、その立場を復帰するためにヤコブは天使と戦わなければならなかったのです。これがヤボク川で起こったことです。彼は天使と一晩中戦いました。その結果、何が起こりましたか? 天使はヤコブの勝利を認め、彼を祝福したのです。このようにして、本然の位置は復帰されたのでした。(『文鮮明先生御言選集』55-111 1972.4.1)

 

以上のように、私たちが「信仰基台」を立てることは、条件的ではありますが、堕落前の創造本然の位置に復帰することを意味しています。

(2)創造本然の状態を復帰する「実体基台」

人間と天使の創造本然の関係について、『原理講論』のp276に「人間はあくまでも自分の責任分担を全うすることによって完成し、天使までも主管しなければならなかった」とあります。

本来、人間は責任分担を完成した位置で、神様の真の愛で天使を主管するというのが創造本然の状態でした。

これが堕落によって堕落性本性をもつようになり、天使に逆主管されるようになってしまいました。

そのため、復帰摂理では、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を立て、弟のアベルが兄のカインから長子権復帰するというかたちで、失った主管性を取り戻す摂理が行われるのです。

ですから、「実体基台」を立てるということは、条件的ではありますが、人間が創造本性をもって天使に対する主管性を確立していた創造本然の状態を復帰することを意味しているのです。

まとめ ~神様中心の創造本然の世界は私から~

堕落することによって人間は、神様とサタンの中間位置に立ち、原罪と堕落性をもつようになりました。

そして、本来の主人を失った被造世界は、サタンが支配するようになってしまいました

しかし、「信仰基台」と「実体基台」を立て、創造本然の位置と状態に復帰された人が増えれば増えるほど、世界全体も創造本然の位置と状態に復帰されていきます。

このような人をイエス様は「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者」(マタイ5・48)と表現されています。

『原理講論』ではイエス様の語られた「完全な者」について以下のように説明されています。

 創造目的を完成した人間に復帰され、イエスが言われたとおり、天の父が完全であられるように完全になった人間とは、いかなる人間なのだろうか。
 このような人間は、神と一体となり、その心情を体恤することによって、神性をもつようになり、神と一体不可分の生活をするようになるのである。
 また、この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要がなく、したがって、救い主が不必要であり、堕落人間に要求される悔い改めの祈祷や、信仰の生活も、また必要ではないのである。(『原理講論』p179)

 

このみ言で創造本然の位置にあたるのが「原罪がない」ことであり、創造本然の状態にあたるのが「神と一体不可分の生活」をしていることです。

また、文鮮明先生は、創造本然の位置と状態に復帰された世界について次のように語られています。

復帰という言葉は、本然の状態に帰るという言葉です。本然の状態という言葉は、堕落のない創造理想の園で、神様を中心とする完成した人間として、神様の愛を中心として心から喜ぶことができ、あらゆる万物がその神様の心に和動すると同時に、アダムとエバ自身が神様と和動する対象となり、その愛を中心として完全に統一されている世界だという意味です。(『文鮮明先生御言選集』164-249 1987.5.17)

 

このような神様を中心とする創造本然の世界は、私たち一人ひとりから始まっていくのです。

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