【今回深掘りする原理のみ言】
被造世界の主権を握っているサタンが、現実生活を通して、人間に侵入してくる関係上、今までの宗教の道は、現実を見捨てなくては行かれない道であると見なされてきた。(『原理講論』p494)

 

今回は、サタン及びその勢力が侵入する経路と「信仰基台」を復帰する意義について深掘りします。

サタン及びその勢力である悪霊人たちが霊的な存在だからといって、最初から私たちの心に直接侵入しようとするわけではないんです。

【前編】では、信仰者がなぜ罪を犯すようになってしまうのか、そしてサタンが侵入する経路について解説します。

信仰者が罪を犯してしまう理由とサタンが侵入する経路

『原理講論』の総序では、信仰者が罪を犯してしまう理由を次のように説明しています。

今まで神を信ずる信徒たちが罪を犯すことがあったのは、実は、神に対する彼らの信仰が極めて観念的であり、実感を伴うものではなかったからである。神が存在するということを実感でとらえ、罪を犯せば人間は否応なしに地獄に引かれていかなければならないという天法を十分に知るなら、そういうところで、だれがあえて罪を犯すことができようか。(『原理講論』p34)

 

「統一原理」では、神様に対する信仰が観念的で実感が伴っていないことが、信仰者が罪を犯してしまう理由であるとしています。

さらに個性完成した創造本然の人間について、『原理講論』には次のような記述があります。

個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。(『原理講論』p67)

 

このように、創造本然の人間は、神様の存在はもちろん、その喜怒哀楽の心情まで感じることができるとあります。

それでは、このような人間に対して、サタンはどのようにして神様の存在やその心情に対する実感をもたせないようにしてきたのでしょうか?

『原理講論』のp135~6には「天国はちょうど、個性を完成した一人の人間のような世界である」とあります。

ですから、天国に向かって進んでいる人類歴史は、一人の人間が個性完成に向かう成長期間や復帰路程に見立てることができます。

そこで、人類歴史において共産主義と唯物思想がどのように生まれたのかを見ることで、信仰者が神様に対する信仰を失っていく過程を探ってみたいと思います。

共産主義及び唯物思想が発生した経緯について記述されている箇所を『原理講論』から引用します。

 初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である。
 神の愛を叫びつつ出発したキリスト教が、その叫び声のみを残して初代教会の残骸と化してしまったとき、このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうかと、反旗を翻す者たちが現われたとしても無理からぬことである。このようにして現われたのが唯物思想であった。(『原理講論』p26)

 

イエス様が「あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ福音書6:24)と語られているように、まずサタンは貧富の差をつくりだし、富を独占している人たちを「財欲」によって神様に対する信仰を失うようにさせます。

さらにサタンは、飢餓に苦しむ人たちに対して、「このように無慈悲な世界に神のいるはずがあろうか」と疑心の思いを抱かせ、神様に対する信仰を失わせます。

そして、富める人たちと貧しい人たちとの間に葛藤と対立をもたせ、人間同士が争いあうようにしていくのです。

このようにサタンは、実生活で貧富の格差をつくって人間に過度な欲望や不平不満を抱かせ、神様の存在に対する実感をもたせないようにしました。

なぜなら、実感というものは、現実のものとしてそう感じることや、心からそうだと感じることを意味するからです。

この歴史的な実例から、サタンは「現実生活を通して、人間に侵入してくる」(原理講論p494)ことが分かります。

現実生活を通して入ってくるサタン

サタン及び悪霊人たちは霊的存在なので、最初から私たちの心に直接働きかけてくると考える人もいると思います。

しかし、たとえこの世の支配者のサタンでも、その力を発揮するにはある一定の条件が必要です。

その条件について『原理講論』で確認してみましょう。

サタンも、ある対象を立ててそれと相対基準を造成し、授受の関係を結ばなければ、その存在、および活動の力を発揮することができない。ゆえに、いかなる存在でも、サタンが侵入できる条件が成立し、サタンの相対となって、サタンが活動できるようになったときに、そこで罪が成立するのである。(『原理講論』p310)

 

このように、悪の勢力が私たちの心に直接働きかけるとしても、私たちの心に彼らと相対基準が結べる要素がなければなりません。

そのため、過度な欲望を抱いて信仰を忘れさせたり、神様に対して不信や不平不満の思いをもつような状況に私たちを追い込もうとするのです。

例えば、旧約聖書にある「ヨブ記」に登場する主人公のヨブは、多くの苦しみの中で神様への信仰を貫いた人物として有名です。

このヨブに対してサタンがどのように試練してきたのかについて文鮮明先生は次のように語られています。

 聖書には、人として祭物の路程を歩んでいったヨブの一生に関する記録が出てきます。ヨブは、神様から福を受けることのできる祝福圏内にいたので、神様から物質の祝福と子女の祝福を受けました。しかし、サタンがどうしてヨブが祝福を受けることができるのかと神様に抗議してきました。それで神様は、サタンにヨブを試練することを許諾してあげました。
 そうして、サタンはまず、彼の祝福を受けたすべての物質を打ちました。そして子女たちを打ちました。その次には、ヨブの肉身まで打ちました。すると、ヨブの友人と隣人たちがヨブをあざ笑い、嘲弄し、愛する妻までヨブを非難しました。
 皆さんは、このように楽しく生きていくことができる物質と愛する子女を失ってしまったヨブの立場、また友人から裏切られ、妻から非難されていたその立場を考えてみなければなりません。
 自分の体を瓦で引っかかなければ耐えられないほど満身創痍になったヨブでしたが、彼は決して神様を恨むことなく、黙って瞑想することができ、そのつらさを越えて神様の側で病者の心情を体恤することもできました。このようなヨブだったので、彼は失ってしまった万物と子女を再び得ることができたのであり、天からより大きな祝福を受けたのです。(『文鮮明先生御言選集』2-113 1957.3.10)
 ヨブのような人は、十度も試練を受けても感謝し、「主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記一・二一)と言って、いつでも零点の立場を取りました。それで、何百倍、何千倍の福を受けたのです。これが復帰時代の勝利的な象徴として登場したことを知らなければなりません。
 ヨブが十度激しく打たれても「感謝します」と言って、零の位置で神様だけを絶対的に信じたので、サタンが離れていき、再復興して何でも願うとおりになったのです。(『文鮮明先生御言選集』246-19 1993.3.23)

 

『原理講論』のp116には、「サタンは、ヨブを神の前に訴えるように(ヨブ一・9)、絶えずあらゆる人間を神の前に訴え、地獄に引いていこうとしているのである」とあります。

このように、サタンは、私たちの心に侵入するため、自分が支配している現実の生活を通して試練してくるのです。

サタンの侵入経路である「現実生活」とは?

1肉身を通して侵入してくるサタン

サタンが侵入する経路については、『原理講論』では次のようにも説明されています。

我々が信仰生活において、肉身の苦行をしなければならないのは、原罪が残っているところから、絶え間なく肉身を通じて入ってくるサタン侵入の条件を防ぐためであり、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ1五・17)と言われたのも、このように、十字架の贖罪によっても根絶できなかった、原罪によるサタン侵入の条件を防ぐためなのである。(『原理講論』p187)

 

サタンはヨブの体を打って病気にさせたのですが、私たちが何かの病気にかかったり、体調不良を起こす要因として考えられることを衣食住の観点から見てみると、次のようなものを挙げることができます。

衣:体につけるものを通して皮膚から体内に入る有害なもの
(石鹸、化粧品、シャンプー、各種ワクチン、輸血、湿布、貴金属など)

食:食物などを通して口から体内に入る有害なもの
(食品添加物、遺伝子組み換え食品、農薬・放射線汚染された食品、薬、歯磨き粉、歯の詰め物など)

住:空気を通して鼻から体内に入る有害なもの
(内壁塗料や車シートから気化した化学物質、芳香剤・洗剤・化粧品の臭いなど)

このように、今私たちが生活している環境は、体にとって有害なものが氾濫しています。

これは、心と体のアベル・カインの問題であり、アダムに嫉妬心を抱いたルーシェルが、対象であるエバを誘惑したように、常にサタン及びその勢力は、対象である体を狙ってくるのです。

2人間関係を通して侵入してくるサタン

さらに、私たちにとって切っては切れない「現実生活」として挙げられるのが「人間関係」です。

フロイト、ユングと並び、心理学の三大巨匠と呼ばれているアドラーは、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と主張しています。

先ほど共産主義が生まれたときのことについて言及しましたが、この世界の主権を握っているサタンは、貧富の差をつくりだして人間同士を対立させます。

一方で、神様が創ろうとされている創造本然の世界は次のようなものです。

 神の創造理想から見るならば、人間に与えられた創造本然の価値においては、彼らの間にいかなる差異もあるはずがない。したがって、神は、あたかも我々人間の父母がその子供たちに対するように、だれにも均等な環境と平等な生活条件とを与えようとされるのである。
 したがって、生産と分配と消費とは、あたかも、人体における胃腸と心臓と肺臓のように、有機的な関係を保たなければならないから、生産過剰による販路の競争や、不公平な分配によって、全体的な生活目的に支障をきたすような蓄積や消費があってはならない。(『原理講論』p506)

 

サタンは、このような神様の創造理想とは真逆の不均衡で不平等な環境をつくろうとするのです。

例えば、極少数の人に権力や経済力、知識(情報)が集中するなどの極端な不均衡状態をつくりだします。

これが一時的なものであったり、意図的に行っているものであれば、人間関係においてそれほど大きな問題は起きません。

国で言えば、まだ経済的なインフラが整備されておらず、国民教育が行き届いていない状況では、独裁体制の方がかえって国内情勢が安定することがあります。

しかし、その状態が長期化して不均衡が慢性化すると、どうしても権力者の腐敗・堕落が起き、民衆の不満が高まります。

こういった問題は、あらゆる組織にも起き得ることで、私たちが所属している会社や学校、あるいは家庭の中でも、このようなアベル・カインの対立は発生します。

それでは、このアベル・カインの問題について、もう少し深掘りしてみましょう。

私たちが目指す理想世界

アドラー心理学では、人間の悩みはすべて対人関係の悩みだと言っているのですが、「お金や病気、老いの悩みもあるのでは?」と疑問に思う人もいるのではないでしょうか?

その点についてアドラー心理学では、次のように解釈しています。

■お金がなくなると他者に迷惑をかけてしまうため、それが悩みになる

■病気になると家族や職場の仲間に迷惑をかけてしまうため、それが悩みになる

■老いると体が不自由になって家族に迷惑をかけてしまうため、それが悩みになる

このように、アドラー心理学では、人間の悩みは、行き着くところすべて対人関係の悩みであり、対人関係の悩みを解決すれば幸せな人生を送ることができると考えます。

そして、対人関係の悩みを解決するのにもっとも大切なのが「他者は仲間である」と心から認識することだと主張しています。

人間関係がうまくいかない人は、「他者は敵である」、「他者は自分を傷つけようとしている」という認識をもっていることが多いというのです。

実際、私たちが暮らす生活環境では、「他者は敵である」と考えざるを得ないような出来事が頻繁に起きています。

それこそ、正に「現実生活」を通して入ってくるサタンが、人間同士を仲違いさせ、神様に対する信仰を失わせるための策略です。

『原理講論』のp310に、「キリスト教は、愛と犠牲により、イエスを中心として、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である」とあります。

サタンが「現実生活」を通して侵入してくるがゆえに、まず人間同士の横的な授受の回路を回復させて、サタンの侵入を防がなければなりません。

そして、私たちが目指す理想世界はこのような世界です。

真理の目的は善を成就するところにあり、そしてまた、善の本体はすなわち神であられるがゆえに、この真理によって到達する世界は、あくまでも神を父母として侍り、人々がお互いに兄弟愛に固く結ばれて生きる、そのような世界でなければならないのである。(『原理講論』p33)

 

現実の世界を今すぐに変えることはできませんが、私たちの考え方を変えることはできます。

そして、他者の考え方を変えることはできませんが、私の考え方を変えるのは、私自身にしかできないことなのです。

 

サタンが侵入する経路と「信仰基台」復帰の意義【前編】はここまでです。【後編】では、サタンが侵入するために行う具体的な戦略戦術について深掘りします。

 

※【アドラー心理学について】

UPMC(「統一原理」マスタークラブ)では、現在の状況を自己選択による結果と考えるアドラーの心理学をアベル的心理学と見ています。

現在の状況が自分の選んだ結果であるとすれば、自らの意思で、自由かつ主体的に変えていくことが可能です。

「統一原理」の蕩減復帰原理では、過去の出来事を現在に再現し、自らが主体となって過去をやり直すことで、現状を打開し、未来を切り開くことができるとしています。

こういった観点から、自己の主体性を強調するアドラー心理学は、人間の責任分担を主張する「統一原理」に通じるものがあります。

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