【今回深掘りする原理のみ言】
「メシヤのための基台」は、「信仰基台」を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」を立てることによってつくられる。(『原理講論』p297)

 

「メシヤのための基台にも個体目的と全体目的がある」の記事では、王の王と真の父母の二つの使命を果たし得る基盤ができなければ、メシヤは降臨されないことを説明しました。

上記のみ言のように、『原理講論』には「実体基台」が成立した瞬間に「メシヤのための基台」がつくられると解釈できる記述があります。

今回はそれと関連して、創造原理の三段階原則から見た「メシヤのための基台」について深掘りしていきます。

三段階原則から見た「メシヤのための基台」

『原理講論』のp416に「創造原理によれば、人間は正分合の三段階の過程を経て、四位基台をつくって初めて、神の創造目的を成就するようになっているのである」とあるように、目的成就においては正分合の三段階を経るという原理があります。

神様が三数的存在でいらっしゃることから、被造物も成長期間の三段階を経て四位基台を完成するようになっているわけです。

そして、文鮮明先生は、神様の創造過程も三段階であることを次のように説明されています。

 神様御自身の創造過程を中心として見てみると、三段階の原則があります。まず神様の考えがあり、その次に心を通してその考えを表し、その次にその実現が展開します。そのような三段階を経て創造物が形成されたのです。み言を実践するときにも心だけではいけません。そこでもやはり神様を中心として、神様の心と神様の体が一つにならなければなりません。そして、「このようになれ、このように創造されよ」と言ってこそ創造が実現するのです。
 私たち人間も何かをしたとき、神様の創造と同じように、心と体が一つになって働いたその結果が現れるのです。今日のあらゆる社会組織や国家を見ても、あることを成し遂げようとすれば、まず文章で表示します。言葉の代わりに表示するのが文章です。ですから、言葉で立てた計画を文章で表示し、その立てた計画どおりに実践すれば、その目的としたことが成就するのです。(『文鮮明先生御言選集』60-260 1972.8.18)

 

ですから、再創造摂理である復帰摂理も、この創造原理の三段階原則に従って展開していくようになっています。

それでは、この三段階原則から見た「メシヤのための基台」について、文鮮明先生のみ言をいくつかご紹介します。

 復帰の路程は、蘇生、長成、完成、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代を経ていきます。原理のみ言を見れば、信仰基台、その次に実体基台、その次に「メシヤのための基台」があります。その「メシヤのための基台」とは、どのような基台を言うのでしょうか。相対的対象の価値を備えた心情の基台をいうのです。(『文鮮明先生御言選集』68-125 1973.7.29)

 復帰の道においては、僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がっていくのです。そのまま直系の時代と因縁を結ぶことはできません。必ず、原理によって「信仰基台」を経て、「実体基台」を経て、「メシヤのための基台」を経なければなりません。つまりメシヤを迎えないといけないということです。(『文鮮明先生御言選集』55-192 1972.5.9 )

 実体基台を通過したのちには、必ず「メシヤのための基台」が造成されなければなりません。堕落した人間の前にこのメシヤがいなければ、本然の位置に復帰することができません。(『文鮮明先生御言選集』35-215 1970.10.19)

 

このように文鮮明先生は、信仰基台、実体基台、「メシヤのための基台」を三段階とし、それぞれを明確に区別しておられることが分かります。

一方で、『原理講論』には、「メシヤのための基台は、信仰基台を蕩減復帰した基台の上で、実体基台を立てることによってつくられる」(p297)のように、信仰基台+実体基台=「メシヤのための基台」と考えられる記述が複数個所あります。

これは、堕落前のアダムが立てるべきだった信仰基台+実体基台=み言の実体(個性完成)という観点では原理的な表現です。

しかし、「メシヤのための基台」を立てる目的から見たとき、文鮮明先生のように信仰基台、実体基台、「メシヤのための基台」を三段階とみるのが創造原理的です。

『原理講論』に見る三段階目の「メシヤのための基台」

ヤコブとエサウのときに信仰基台と実体基台が成立しましたが、メシヤを迎えるためには、その後、さらにその基台を広げる段階が必要だったことが『原理講論』にも記述されています。

アブラハムが「象徴献祭」に失敗せず、「実体献祭」に成功して、「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台を中心としてその子孫がカナンの地で繁殖して、「メシヤのための民族的な基台」を造成するところまで行かないと、メシヤを迎えることはできなかったのである。(『原理講論』p334)

 

復帰摂理では、信仰基台と実体基台を立てたあと、その「メシヤのための基台」をサタン世界と対等な基盤に拡大する段階があるということです。

また、イエス様の3弟子や12弟子、70人門徒について、『原理講論』には次のように記述されています。

イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。(『原理講論』p432)

 

イエス様の3弟子や12弟子、70人門徒は、実体基台の基盤拡大ではなく、「メシヤのための基台」を家庭的なものから氏族的なものに拡大していくものだと説明しています。

このように、復帰摂理が延長されることによってサタン世界が広がってしまったため、「メシヤのための基台」もそれに応じて広げなければならなくなったということです。

これは、『原理講論』のp451にあるように、「摂理歴史が延長されるにつれて、復帰摂理を担当する後代の人物が立てるべき横的な蕩減条件は、次第に加重される」という蕩減復帰原理によるものです。

『原理講論』には、他にも信仰基台と実体基台と「メシヤのための基台」を三段階として表現している箇所があります。

神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造のための復帰摂理も、外的なものから、内的なものへと復帰していく摂理をされるのである。既に、後編第一章で論述したように、堕落人間は、外的な「象徴献祭」をささげた基台の上においてのみ内的な「実体献祭」をささげることができ、ここで成功することによってのみ、更に内的な「メシヤのための基台」をつくり得るのであるが、その理由はここにあるのである。(『原理講論』p512)

 

ここでは、「メシヤのための基台」について、明確に実体献祭よりも更に内的な基台であると表記されています。

「メシヤのための基台」とは?

それでは、「メシヤのための基台」はどのような内容なのでしょうか? 『原理講論』には次のように記述されています。

カインとアベルは、善悪の母体であるアダムを分立した存在であったので、彼らが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立ててサタンを分立したならば、その父母であるアダムはサタンを分立した立場に立つことができるので、その子女たちよりも先に「実体基台」の上に立つようになり、「メシヤのための基台」をつくったはずなのである。(『原理講論』p300)

 

信仰基台と実体基台が成立すると、父母のアダムからサタンが分立され、アベルとカインよりも先にアダムがその基台の上に立つとあります。

このサタンに侵入されたアダムが、サタンを分立して信仰基台と実体基台の上に立って、はじめて「メシヤのための基台」がつくられるのです。

この「基台の上に立つ」とは、例えば、家督権を相続する立場のカインが、アベルに家督権を相続させてほしいとアダムに頼み、アダムがそのとおりにアベルを祝福するといったことが考えられます。

 

以上のように、創造原理の三段階原則によって、復帰摂理においても、信仰基台、実体基台、「メシヤのための基台」の三段階で展開されていくと考えることができるのではないでしょうか。