【今回深掘りする原理のみ言】
堕落人間は、上述した「信仰基台」を蕩減復帰した基台の上で、「実体基台」を立てることによって成就される「メシヤのための基台」があって、初めてその上でメシヤを迎えることができるのである。(『原理講論』p280)

 

「統一原理」では、「あらゆる存在は二重目的をもつ連体である」(『原理講論』p65)とされています。

性相と形状の二性性相の原理に基づき、性相的な全体目的と形状的な個体目的の二重目的があるということですね。

「メシヤのための基台」にも、それを立てる目的には全体目的と個体目的の二重目的がありますので、今回はその内容について深掘りしていきます。

信仰基台と実体基台は堕落によって生じた条件なのか?

復帰原理によれば、堕落した人間は信仰基台と実体基台をつくってメシヤを迎え、原罪を清算しなければなりません。

ところで、この信仰基台と実体基台は、堕落したために生じた条件だと考えている人もいるかもしれません。

しかし、信仰基台と実体基台は、もともと堕落する前の創造本然のアダムが立てなければならなかった基台だということが『原理講論』に明記されています。

アダムが神のみ言を信じ、それに従順に従って、その成長期間を完全に全うすることにより「信仰基台」を立てることができたならば、彼はその基台の上で神と一体となり、「実体基台」を造成することによって、創造本性を完成した、み言の「完成実体」となり得たはずであった(ヨハネ一・14)。アダムがこのような「完成実体」となったとき、初めて彼は、神の第一祝福であった個性完成者となることができたはずである。(『原理講論』p278)

 

このように、堕落していない創造本然のアダムが成長期間において立てるべき基台が信仰基台と実体基台であり、それらが造られたときにアダムは個性完成者になるのです。

ですから、信仰基台と実体基台は、堕落によって必要になったものではなく、創造本然の人間が立てるべき基台なのです。

堕落する前と後の信仰基台・実体基台の違い

それでは、堕落前の信仰基台・実体基台と堕落後の信仰基台・実体基台はどのように違うのでしょうか?

アダムが堕落することなく信仰基台と実体基台を立ててみ言の完成実体になれば、そのまま成長期間を越えて神様の直接主管圏に入ることができます。

しかし、堕落後の復帰摂理における信仰基台と実体基台は、堕落する前の立場に復帰するための条件です。

この堕落後の信仰基台と実体基台について、文鮮明先生は次のように語られています。

「統一原理」において、信仰基台と実体基台を中心として成し遂げようとするものは何でしょうか。堕落する前の約婚段階の立場に復帰しようというのです。堕落する直前は約婚段階だったので、堕落していないアダムとエバの位置に復帰しなければならないのです。(『文鮮明先生御言選集』35-215 1970.10.19)

 

そして、堕落前の本然の位置に復帰したのち、メシヤをむかえて原罪を清算することによって本然の状態に復帰されるのです。

したがって、復帰摂理における信仰基台と実体基台は、堕落前のアダムの場合とは異なり、堕落前の本然の位置に復帰するための条件です。

「メシヤのための基台」の個体目的と全体目的

それでは、冒頭で紹介した『原理講論』のみ言のように、信仰基台と実体基台によって成就されるという「メシヤのための基台」について考えてみましょう。

「メシヤのための基台」とは、実際にメシヤを地上にお迎えするための基台のことです。

それでは、そのメシヤはどのような立場で地上に降臨されるのかを『原理講論』で確認してみましょう。

メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである。(『原理講論』p277)

 

人類の原罪を贖ってくださる真の父母として来られるというのが一つ目です。さらに、もう一つの立場があります。

イエスはどこまでも王の王として来られた方であった(黙一一・15)。それゆえに、神がイスラエル民族の君主社会を形成されたのは、将来メシヤが来られて、王の王として君臨することができるその基台を造成なさるためであったのである。(『原理講論』p490)

 

このように、メシヤという方は、真の父母と王の王という二つの立場をもって地上に降臨される方です。

これを創造原理から見ると、個体目的として私たちの原罪を清算してくださる真の父母、全体目的として神様の王国を地上に建設してくださる王の王ということになります。

つまり、メシヤとは、個体目的の観点からは真の父母として、全体目的の観点からは王の王として地上に降臨される方なのです。

したがって、メシヤを迎えるための基台においても、個体目的と全体目的の二つがあることになります。

この「メシヤのための基台」を立てる個体目的と全体目的とは何かについて『原理講論』で確認してみましょう。

【「メシヤのための基台」を立てる個体目的】堕落人間が創造本然の人間に復帰するためには、「メシヤのための基台」を完成した基台の上でメシヤを迎え、原罪を取り除かなければならない。
(『原理講論』p277)
【「メシヤのための基台」を立てる全体目的】
堕落人間が「メシヤのための基台」を立てるのは、既にサタンを中心としてつくられた世界を、メシヤのための王国に復帰できる基台をつくるためである。(『原理講論』p334)

 

以上のように、「メシヤのための基台」には個体目的と全体目的の二つがあるのです。

「メシヤのための基台」の成立とメシヤの降臨

復帰摂理歴史において最初に「メシヤのための基台」が成立したのは、ヤコブとエサウの時です。

本来であれば、この時にメシヤが降臨しなければならないのですが、実際にはメシヤの降臨はありませんでした。

その理由を知ることで、「メシヤのための基台」やその全体目的と個体目的について理解が深まりますので、この内容を深掘りしてみます。

まず、ヤコブとエサウが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて実体基台を造成したことについて『原理講論』から引用します。

エサウとヤコブは、神がアベルの献祭を受けられるときの、カインとアベルの立場を確立したので、彼らが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるには、エサウはヤコブを愛し、彼を仲保として立て、彼の主管を受ける立場で従順に屈伏し、祝福を受けたヤコブから善を受け継いで、善を繁殖する立場に立たなければならなかった。事実においても、エサウは、ヤコブがハランで二十一年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物とを得てカナンへ帰ってきたとき、彼を愛し、歓迎したので(創三三・4)、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることができたのである。(『原理講論』p332~3)

 

このように、エサウがヤコブに自然屈服することによって「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられ、実体基台がつくられました。

『原理講論』のp297に「メシヤのための基台は、信仰基台を蕩減復帰した基台の上で、実体基台を立てることによってつくられる」とありますので、この時に「メシヤのための基台」が成立したはずです。

しかし、このときにメシヤの降臨はありませんでした。その理由について『原理講論』では次のように説明されています。

 アダムの家庭や、ノアの家庭を中心とした復帰摂理においては、その家庭に侵入できる他の家庭がなかったので、「メシヤのための家庭的な基台」さえできれば、その基台の上にメシヤは降臨されるようになっていた。
 しかしアブラハムの時代には、既に、堕落人間たちがサタンを中心とする民族を形成してアブラハムの家庭と対決していたので、そのとき「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台の上にすぐにメシヤが降臨なさるわけにはいかない。すなわち、この基台が、サタン世界と対決できる民族的な版図の上に立てられたのち、初めてメシヤを迎えることができるのである。(『原理講論』p334)

 

ヤコブとエサウが一つになることによって成立した「メシヤのための基台」は家庭的なものだったため、メシヤは降臨できなかったわけです。

つまり、このときの「メシヤのための家庭的基台」では、メシヤ降臨の全体目的である神様の王国を建設するための基台としては十分ではなかったということです。

サタンの基盤がまだ家庭の中にしかなければ、信仰基台と実体基台が成立することで「メシヤのための基台」になり、原罪の清算も神様の王国も実現可能でしょう。

しかし、サタンの基盤が世界的なものになっている場合には、メシヤ降臨の個体目的である真の父母としての原罪清算はできても、全体目的である王の王として神様の王国建設は困難です。

以上のことから、メシヤが地上に降臨するためには、真の父母と王の王の使命を両方とも果たし得る「メシヤのための基台」が成立しなければならないことが分かります。

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