摂理から見たアベルたち(6/10)

1979年12月30日(日)
アメリカ・ベルベディア

※このみ言は、1979年12月30日の聖日に、新しく80年代を迎えるに当たって、私たち統一教会員のアベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、10時間にわたって語られたものです。また、日本では、『摂理から見たアベルの正道』というタイトルで小冊子になりました。

 アベルは大胆でなければならない

 皆さんがある家に行き、7回以上冷遇されれば、その娘と妻は誰の味方になるかというと、私たちの味方になります。「この夫は、罰を受けて当然だ。性格がそうだから、私たちも困らせて、今度はムーニーにやられた。私はムーニーの味方だ!」と言うのです。(笑い)それはどれほどおもしろいですか? 何度かやればこのようになると自分で脚本を書いて、実際にそのようになるとき、どれほどおもしろいだろうかということです。

 そして、クリスマスになれば、飴玉を包みにくるみ、服もサンタクロースのおじいさんのように着て、「サンタクロースのおじいさんが来たので、飴玉をもらいに出てきなさい」と言うこともできるというのです。そうしてすべて配り終わったあと、サンタクロースの服を脱げば、「ああ、ムーニーだったのか」と思うのです。そうすれば、一度に町内の人たちを……。町の人たちに、「何日何時にサンタクロースのおじいさんが来て小さなプレゼントをくれるので、プレゼントが好きな人は皆来なさい」と言えば、皆出てくるようになっています。

 そのようになれば、この町の人はどうで、誰の家がどうで、その人が福を受ける人なのか、救いを受ける人なのか、すべて分かるようになるのです。そして、その人たちの案内員の役割をするのです。そのようにしてその人たちを救ってあげれば、その人たちが怨讐視しますか?

 それで、ある地域の、あるムーニーのホームチャーチエリアの360軒で、ミスター何々スミス、ミスター何々ポール、ミスターキム、このようにして、その人たちの日記に残るようになるのです。誰かの日記に残らないでしょうか? 日記を書く人がいれば、必ず残るでしょう?

 さあ、360軒でそのような記録が出てきたと考えてみてください。それは何ですか? 自分の財産だというのです。「ああ! このような人もいるのだな」と思うのです。母と父は悪口を言いますが、彼らの息子、娘たちは、ついてきて慰労してくれるというのです。そのようになれば、どれほどおもしろいかということです。

 さあ、それで「20年後に父母たちは亡くなり、その息子、娘たちが成長して30歳になるので、そのときには私がこの家の居間に入っていくだろう」、そのように考えれば、それはどれほどすばらしいですか? それを考えてみましたか? なぜそのように考えることができないのかというのです。今までそのようにしなかったではないですか。

 アベルは大胆でなければなりません。義なる者は大胆でなければならないのです。では、レバレンド・ムーンは大胆ですか?(「はい」)。カーター政府が私の悪口を言わなければ、私は悪口を言われないというのです。私は、「アメリカが火事になったので消防士の隊長として来た」と言い、「アメリカが病気になったので医者として来た」と言い、「若い人たちをすべて救うために来た」と、そのような話をする必要がないということです。聞きたくない話をなぜするのですか? それがすばらしいのです。そのようなことを知っていますか?

 息子、娘たちが最も嫌う父母たちは、質のよくない父母なので、彼らが反対すれば、その息子、娘たちは、「私たちはレバレンド・ムーンを調べてみよう」と考えるというのです。そうすれば、その息子、娘たちは私の味方になります。

 ムーニーを見ればすぐに分かります。他の人とは違うというのです。反対してもよく、歓迎してもよく、聞かなくてもよく、聞いてもよく、とにかくすべてよいのです。そのようにすれば問題になり、先生の悪口を言う人もいて、そのまま越えていく人もいて、良心の呵責を受けて話をする人もいて、立派だと言う人もいて、また原理のみ言を聞いて喜ぶ人もいます。どんどん問題が継続するからといって悪いことではなく、問題が継続すれば、よい問題がひっきりなしに生じるというのです。

 それが1年になり、10年になれば、ムーニーはよいということを知って、「ああ、いつか私がひどく反対したそのムーニーはどこにいる? あのアラスカで暮らしているそうだが? 私が訪ねていって悔い改めなければならない」と考えて、アラスカ行きの飛行機に乗って飛んでいくということが起こるというのです。10年後、20年後に……。それを考えてみましたか? 10年後に、20年後に原理を聞き、悔い改めて訪ねていくということです。悔い改めながら訪ねていくのです。悔い改めなければなりません。歴史はそのようにつくられていくのです。

 以前に私が飛行機の中で、「私がレバレンド・ムーンに反対し、統一教会を最も嫌っていたが、統一教会を知ってみると、本当によいことを知ったので、悔い改めている」と言う人と会ったというのです。何の話か分かりますか? (「はい」)。そのような事情がたくさんあります。そのような事情が皆さんにもたくさんあれば、どれほど慰労になり、誇りになるでしょうか?

 アベルの正道は自分の十字架を背負っていく道

 それでは、皆さん、カインクラブをもっていますか、もっていませんか? 皆さんたちは何ですか?(「アベル」)。先生が皆さんたちをアベルとして認定して送り出したのです。そうして皆さんは、カインたちが「私はカインです」、このように言うことができるようにしなければなりません。皆さんはそうですか?

 さあ、「私たちの家はカインの家であり、あなたの家はアベルの家です」と言うことができる家を12軒だけつくっておけば、どれほどよいですか? 座って電話しながら、「もしもし、私はどこどこに行って今戻った。私の代わりに何々をちょっとやらなければならない」と言えば、「はい、はい、はい」と言うのです。これがどれほどすばらしいですか? 「あ! あの人はそのとき、3年前に悪口を言われていたのに、この間にあのようになったのだな。いやあ、ムーニーの活動はよいので、私も一度あのように……」となれば、これがどれほど拡大されるだろうかということです。

 そうすれば、隣人たちがどのように言うでしょうか?「いやあ、私は億万長者で、この町で地位の高い人間だが、私より立派だ」と思うでしょう。そうですか、そうではないですか? それがどれほど横的に……。レバレンド・ムーンもそうではないですか? 皆さんは、レバレンド・ムーンが命令するとき、「アラスカに行きなさい」と言えばアラスカに行き、「アフリカに行きなさい」と言えばアフリカに行き、「どこどこの海外に行きなさい」と言えば海外に飛んでいくでしょう? 同じだというのです。「レバレンド・ムーンは悪口を言われていたが、今見ると、本当にうらやましいほどになった」、アメリカの人たちがそう言うでしょうか、そう言わないでしょうか? アメリカで事業をする人たちで、組織をもって活動しながら何かやろうという人たちが見るとき、レバレンド・ムーンがうらやましいと思うでしょうか、思わないでしょうか?

 「あなたはなぜレバレンド・ムーンの従者になったのか?」と尋ねられれば、「レバレンド・ムーンのためではなく、世界のためであり、神様のためだ」と言えば、それがどれほどすばらしいですか? 「いやあ! 大きなことをするのだな」と言うでしょう。さあ、レバレンド・ムーンのためではなく、世界と神様のためにするということがどれほどすばらしいですか? 命令はレバレンド・ムーンがしたのですが、世界のために行い、神様のために行う……。考えてみなさいというのです、どれほどすばらしいか。

 「もうレバレンド・ムーンは年齢が60になったから、いくらもたたずに死んでも、彼らは残る、今後、世界がすべてレバレンド・ムーンの思いどおりになるな」と思うのです。永遠に……。「ああ、私が反対していたレバレンド・ムーンが死んでも残るだろう。これからは反対してはいけない」、そのように考えるということです。

 さあ、それで今後、レバレンド・ムーンがありとあらゆる悪口を陰で言われ、レバレンド・ムーンに台風が吹きつけ、ありとあらゆることがこれからあるとしても、よい意味として取るのです。何の話か分かりますか? 楽しくするのです。楽しくしなければできないというのです。「アベルが行く道は孤独な道だ。私が行くべき運命の道だ。どのみち打たれるなら、1000回打たれるのも一度にすべて打たれよう。ああ、放っておくと10日後にまた打たれ、そのように100日間も打たれることはできない。倒れて死んだとしても、1日で一度に打ってほしい」、このようにするのです。1000回打たれるところを、1日で打たれてしまおうということです。1日に10回ずつ打たれていては、100日打たれても足りません。そうだというのです。

 3次7年路程とは何かというと、2000年間打たれたことを20年間で打たれてみようというのです。打ってみなさいということです。2000年間の曲折を20年で打たれてみようということです。先生の3次7年路程がそうだというのです。数千年の歴史を通して叩いてみると、罪がないということです。それでは、どのようにしなければなりませんか? 大統領から2億4000万のアメリカ国民が間違ったのなら悔い改めなければなりません。悔い改めなければならないというのです。悔い改める人が「レバレンド・ムーン、私たちの話を聞きなさい」と言いますか?「ああ、あなたの言うとおり、私たち市民がすべて……」とこのように言うでしょう。

 自由世界を屈伏させ、共産世界を屈伏させ、既成教会の人たちも屈伏させることができる基準がこれです。キリスト教、自由世界、共産世界を屈伏させることができる方法をレバレンド・ムーンがもっているのです。(拍手)分かりますか?

 さあ、それがアベルだというのです。それがアベルが勝利する方法です。分かりますか? もし地上でできなければ、天の国、霊界に行けば、間違いなくそのようになります。間違いなく霊界ではそのようになるというのです。ここで悔い改めなければ、霊界では千倍万倍もっと悔い改めなければなりません。分かりますか? アベルの道は、いつも世の中ばかり見て生きることができないことを知らなければなりません。

 ですから、100年たってもムーニーは誇ることができ、1000年たってもムーニーたちはもっと誇ることができ、万年たってもムーニーたちはもっと誇ることができるのです。迫害する人の子孫が残っているかぎり、統一教会が滅びることはないということです。天が滅びるようにできないのです。

 さあ、そのときに自分が迫害を受けて死ぬとき、山で安物のむしろに包まれて死んだとしても、その遺体が行くところは公園になり、そこにハイウェイができて参拝する群れが千年万年、時がたてばたつほどより多くなるということです。

 私たちは霊界に行くとき、神様に歓迎される存在にならなければ

 さあ、きょうこのレバレンド・ムーンが話すこのことは、今後、歴史的に学問世界の文献の中に残ることを知らなければなりません。歴史に取り消すことのできない事件を宣布したことを皆さんは知らなければなりません。あらゆる文献の中でもなくならないということです。必ず図書館に行くようになるのです。ですから、今後数多くの国、数多くの民族がそれを考えなければなりません。それは何の話か分かりますか?(「はい」)。

 ムーニーはそのような希望をもって生きるのです。さあ、それでは皆さん、アベルの正道を行きますか?(「はい」)。自分がアメリカと自由世界、共産世界の十字架を背負えるのかということです。答えがそこにあります。イエス様も言ったように、皆さんも自分の十字架を背負って私についてこなければなりません。アベルが行く道はそのような道です。アベルが行く道は、誰も行くことができない道です。自分の十字架を背負ってついてくるようになっているのです。

 若い人が、「私は若い時代に成功しよう」と願う人は、絶対にアベルになることができません。あるいは壮年たちが、「ああ、私は壮年のときに成功しよう」と思えばアベルになれません。何百年後に、何千年後に、永遠の世界で……。このように考えなければならないというのです。

 さあ、それでは、皆さんは、神様を訪ねていったとき、神様が、「お、お前も来たな」というこのような人になりますか、あるいは喜んで「おお! お前が来たのか! こっちに来なさい」というそのような人になりますか、涙を流して「おい、おい、おい、お前はどれほど苦労したのか?」という人になりますか? どのような人になりますか? 涙で迎えてくれる人にならなければなりません。レバレンド・ムーンはそのように考えているというのです。そして、神様だけでなく、霊界にいるあらゆる霊人たちまでも……。迫害をたくさん受けていけば、アメリカで生きてはいった霊人たちが、「ああ、ああ、アメリカの罪を許してくれ」ということが起こります。痛哭するのです。

 皆さんはどのように神様の前に行きますか? 神様がすべての霊界を率いて自分が来ることを準備され、涙を流して迎えられる、そのような息子、娘になりますか、来るなら来て、来ないならこないで僕に出迎えさせる、そのような息子、娘になりますか? レバレンド・ムーンは皆さんを、神様からすべての霊界が涙を流して歓迎できる、そのような人にしてみようというのです。皆さんが霊界に行けば、神様が「あ! 誰々の息子、娘が来る」と誇り、手を握って皆さんを歓迎できる、その日があることを願うのが先生の仕事なのです。先生が皆さんより先にいくでしょう。では、それが簡単でしょうか? (「いいえ」)。それがどれほど難しいかというのです。

 その涙の筋は、神様の涙と、あらゆる聖賢たちの涙と、先生の涙と、皆さんの涙が一筋になって大洋に向かい、永遠の世界の主流として流れていくのです。神様の喜びがあれば皆さんの喜びであり、皆さんの喜びが私の喜びだ、そのようになります。そのような世界になっていくのです。

 霊界はどのようなところですか? 霊界について話をすれば「精神病者だ」と言うので、話をしないようにしています。しかし、少しだけ話をしましょう。霊界はどのような世界ですか? 神様の心情と同級に立つことができる心情をもてば、何でも可能なそのような場所なのです。今後、ムーニーが何千万人になっても、「お! あなたたちは全員、このような新しい服に着替えなさい」と言えば、さっと新しい服に全員が着替えることができます。その次には、「バンケット場、これこれこのような場所、現れなさい」と言えば、すぐにそのようになるのです。テーブルは金装飾、銀装飾で五色燦然と整えられ、またそこにある椅子もそうであり、そこに座ったすべての人たちは、歓喜と嬉しさと愛に酔いしれて踊るのです。千年踊っても喜べるところです。

 ムーニーたちは、理想のために苦労するのですが、苦労すればするほど、高い理想をすべて成就してあまりあるのです。自分の相対に腫れ物があって器量がよくなくても……。何の話か分かりますか?(「はい」)。そのような世界を歓迎するのです。この世界をすべて……。私とお母様が行くそのような行列に、皆さんの相対と2人でついていきたいと思いませんか?(「ついていきたいと思います」)。

 さあ、そのようなことを知っているので、先生は迫害を受けながらもすべて忘れてきたのです。私はすべて知っている人だというのです。それで、霊通人たちはすべて先生の弟子です。先生は、真理によって、神霊によって築いてきたのです。その世界では、語る前に分かります。考えただけで分かるのです。私がオペラ歌手になりたいと思えばオペラ歌手になります。詩人になりたいと思えば詩人になり、文学者になりたいと思えば文学者になり、何にでもなることができます。

 サタン世界を心情的に同化させればどこでも通じることができる

 心情の世界は無限な幸福の世界です。しかし、その下では、千層万層の訓練の階段を踏んで再教育を受けなければなりません。無限な試練を受けていきながら一段階、一段階、何億万年をかけて行かなければならないのです。誰もがそのような運命の歩みをしなければなりません。アメリカ人でも、東洋人でも、大統領も、世の中の誰もがすべてこのような歩みを……。自分のために涙を流す人ではなく、人のために涙を流す人でなければなりません。

 私が知ってみるとそのようになっているので、皆さんに教えてあげるのです。先生が過去に経験したことをいつ話すことができるでしょうか? 話すことができないのです。皆さんがいくら理解しようとしても、理解できないということです。すべて「あのレバレンド・ムーンは頭の狂った話をする」と思うでしょう。

 私たちは、その世界に拍子を合わせるための準備をしているのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。さあ、このような背景を見るとき、皆さんはレバレンド・ムーンを疑う余地がないというのです。信じるにあたいするということです。良し悪しを問わず信じるにあたいするのです。ここまで基盤をすべて築いてきたので、この次に死んだらその世界に行くのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。先生は、そのようなことを考える人です。死を超越した人です。死ぬことを恐れる人ではありません。死んでみれば分かるというのです。

 さあ、ここから霊界にこのような穴があるとすれば、地上にもこのような場に穴があります。宇宙、霊界という大きなところの中で、一点、中心点があるのです。私は地上にいるこの上なく小さな存在です。宇宙と比べればどれほど小さいですか? しかし、ここの小さなこの中に点があるのです。それが見えますか? さあ、ここのこの心情というものが何かというと、これとこれが同じなのです。さあ、これを大きくすれば、これがこのようになるということです。大きくなれば、心情の中心は絶対的なものです。これがすべて中央なので、同じ距離だということです。(板書しながら語られる)

 ですからサタンは、「お前の心情をこちらに移しなさい。ここがよい」と言いながら版図を変化させるのです。「この中心をこの場に定めて、このように行けばよいのではないか? このようにすれば大きいではないか。ここより大きいのに、なぜ小さなものでそうするのか? 中心をここに定めなさい。中心をここに定めればよいではないか?」と言います。それは、中心がずれてもよいという話だというのです。サタンは、「さあ、このセンター、このようにすればこのように大きくなるのに。ああ、このように来ればよいではないか? それは私がしてあげよう。あなたがそうしても仕方ない。このすべてがあなたの側ではなく、私の側だ、私の側。あなたはすでに滅び、死ぬようになっている。私がやりなさいというとおりにやりなさい」と言いながら、心をすべて奪い取って殺そうとするのです。(板書しながら語られる)

 ですから、ぐずぐずせずに、「さあ、やりなさい。私は死ぬ。死んでもいく。早くやりなさい。思い通りにやりなさい。この心情の中で死のう」と立ち向かい、「あなたが死んだとしても、私の心情が生きているかぎり、私を殺すことはできない。私は霊界にこの心情をもっていって繋ぐのだ」と言いながら立ち向かう日には、「あなたが神様の心情圏を侵犯するのか? サタンの心情圏を侵犯することはできるが、神様の心情圏は侵犯できないというのが天理原則ではないか?」と神側で言うのです。

 サタンは、サタン世界の心情圏は主管しますが、天の心情圏は主管できないということです。(サタンが私を)殺す日には、この神様のセンターである愛の心情圏内できちっと一つになるのです。ですから、この心は、サタン世界のどこに行っても歓迎しません。最も嫌うのです。霊界を中心とする神様と、世の中を中心とする私の心情が天秤にかかっているのです。相対基準ができるということです。

 それで、ここでこの心情圏を中心として、サタン世界を心情的に同化させてきたとすれば、この世界全体が同化されると見るのです。そのようになれば、境界線がなく、天の国の王国となり、東西南北の十二真珠門の中で、どの真珠門を通ってもさえぎる者がいないということです。すべて歓迎するのです。何の話か分かりますか? ここに入っていっても、こちらに出ていくことができ、こちらに入っていっても、こちらに出ていくことができ、12の門のどこであっても思い通りに行くことができる、ということです。また、ここから12の門のどこに行こうと、すべて……。12の12倍なので144の門のどこでも行くことができます。

 なぜそのようになるのですか? 神様の心情、天の国の心情を通せば、どこであってもすべて一つになることができ、どこであってもすべて合わせることができるからです。(板書しながら語られる)そのようになれば、どのようになりますか? その門を通ることができる階級で生きる人は、「わ! 万歳! 神様、うれしいです!」と言うのです。(笑い)ひたすらついてまわりたいと思い、すべてが喜ぶのです。食べたいと思うものがあれば何でも食べることができ、着たいと思うものがあれば着て、遊びたいと思えば遊び、やりたいと思うことを思い通りにできるのです。この地球上で100年生きても感じることができないことを、一瞬生きるだけで感じることができます。あらゆる幸福と感謝を感じることができるということです。

 7年路程は必ず経なければならない

 さあ、それでは、世の中に私のような心情の世界の王者のごとき理想主義者はいないということです。どんな幻想家がいて、どんな妄想家がいて、夢想家がいても、私に及ばないというのです。お母様も、「その世界のどこに行くのか」と言います。お母様もその世界を知りません。しかし、お母様も簡単です。お母様は、「私の夫は、神様の心情をもっている、神様の一番の息子だ。私は彼と共に永遠に行く」と信じて従っていけばいいというのです。

 皆さんはどのようにしなければなりませんか? お母様がするとおりに従っていけばよいのです。先生が送ってくれなければ行かず、先生が韓国に行けば韓国に行きたいと思い、「太平洋を飛んでいこうか(飛び越えるしぐさをされる)。しかし体があるので越えていけない。霊界なら行けるのに」と考えなさいというのです。「ああ、世界の太陽は、愛の太陽は先生だ。先生がいなければ心が渇き、楽しくない」、このように思うのです。すべてが愛の世界です。「ああ、7時間たってたくさん聞いた。しかし、時間がおしくない。ああ、うれしい。お腹が空いても昼食の時間を忘れるほどであり、おしりが疲れても分からない。神様が一番よい」、このようになるというのです。(拍手)

 さあ、先生がいれば、この部屋がぎっしりいっぱいのようで、先生がいなければがらんと空いているように思うのです。寝ていてもイーストガーデンを見つめるようになり、ご飯を食べるときも思いが行き、休むときも行く、このようになるというのです。そのようにならなければなりません。1日の生活をそのようにしなければなりません。皆さん、そのように生きていますか?

 では、皆さん、「会いたい人」と言えば「先生」と言い、「行きたいところ」と言えば「イーストガーデン」と言い、「やりたいこと」と言えば「先生と共に死の道を行くこと」と言えなければなりません。「誰と会いたいか?」と言えば「先生」、「何をしたいか?」と言えば「先生と同じことをしたい」、こうですか? その愛の関係を誰も断ち切ることはできません。その関係が、ここにこのように行ったとしても、このようにつながっているというのです。そのようなものを相続してあげようということです。それは、この地球星にあるダイヤモンドのようなものを渡しても買うことができません。さあ、それほどのものなら、一度やってみる価値があるでしょう?(「はい」)。

 皆さん、心の故郷がどこですか? (板書しながら語られる)ここです。地の本拠地がここであり、これが心の故郷です。故郷に行けば、父母がいらっしゃる家や畑に行っても、どこに行っても思い通りにして、財産があれば思いのままに自分のものだと言い、思い通りに食べ、思い通りに暮らすでしょう? その愛の関係に従ってそうするのです。同じことです。それが嫌ですか? そのような責任をレバレンド・ムーンは天から受けました。み旨に従ってくればそのようにしてあげようと許諾されたということです。何の話か分かりますか?(「はい」)。

 1980年代は、そのような世界のために行くのです。ですから、7年期間は必ず経ていかなければなりません。7年で行けなければ21年に延長されます。分かりますか?(「はい」)。アメリカで今から1987年まで行かなければなりません。87年まで皆さんがしなければならない責任が残っています。その期間までは、アメリカがひどく落ちていくでしょう。見ていなさいというのです、そうかそうでないか。教会を収拾することができず、若い青少年を収拾することができず、共産主義を収拾することができないということです。青少年問題、ドラッグ(drug:麻薬)問題を中心として、「だからムーニーでなければだめだ」と思うようになるというのです。

 間違いなくすべて解決します。見ていてください。分かりますか? アメリカの国民がそのようになる日には、共産世界はそのときから傾き始めるのです。共産主義が手を出すことができないようにして、私たちがこれをすべて収拾していくことができる時が来るというのです。そうしようとすれば、今からカナン福地に入っていなければなりません。ソ連ならソ連に入っていなければならないということです。それは何の話か分かりますか?(「はい」)。見ていなさいというのです。そのようになるかならないか。原理がそのようになっているのです。

 レバレンド・ムーンのことを「すばらしい」と言う日にはどのようになると思いますか? 「レバレンド・ムーンは本当に立派だ。若い人にはレバレンド・ムーンが指導者だ。教会を生かすためにも、共産党を生かすためにも、レバレンド・ムーンについていかなければならない」という噂がアメリカ全体に満ち溢れるとき、どのようになるか考えてみなさいというのです。そのときレバレンド・ムーンは他のところに行っています。ここにはいません。そうすれば皆さんが栄光を受けるようになるのです。

(『文鮮明先生御言選集』 106-223~234)

 

 

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