摂理から見たアベルたち(9/10)

1979年12月30日(日)
アメリカ・ベルベディア

※このみ言は、1979年12月30日の聖日に、新しく80年代を迎えるに当たって、私たち統一教会員のアベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、10時間にわたって語られたものです。また、日本では、『摂理から見たアベルの正道』というタイトルで小冊子になりました。

 映画をつくるのも神様のみ旨と自由世界のため

 さあ、それでは、神様の前にレバレンド・ムーンが何を間違ったのか、人類の前に何を間違ったのか、出してみなさいというのです。

 皆さん、私が映画をつくったことを知っている人は手を挙げてみてください。いくらもいないではないですか。現金で3000万ドルを払ってつくったのです。韓国にある統一教会の財産とアメリカの財産よりももっと多い金額だというのです。もちろん、銀行から借りたものを合わせればそれよりも多いのですが、現金で計算すればそうなのです。

 その映画をつくって私が何をするのですか? 商売をして利益を残そうと考えるでしょうか? そのようにすれば泥棒です。何かやることがなくて、このゆとりのないところで映画をつくるのですか? 何のために3ヵ月間でその多くのお金を空中にまくようなことをするのですか? そのように狂った人がどこにいますか? 統一教会のためにこのようにしなさいと言えばやりますか?(「いいえ」)。だからといって、私たちが何か映画会社をもっていますか、映画をつくってみた人がいますか? 何もないのです。

 それも、アメリカ人にさせればどれほどよいですか? アメリカ人を使わずに日本人を使っているではないですか。こうだから狂った人と言われるのでしょう? アメリカの青年を使えばよいのに、日本の青年です。石井という日本の青年は、英語で「ムービー」という文字も書けない人だというのです。英語ができません。英語では「サンキュー」しか知らないのです。その人たちが映画界に入っていき、ハリウッドでお金持ちの人、銀行家たちと向き合おうとするのですから、どれほど大変でしょうか? どれほど大変かというのです。それでもハリウッドで「あうだこうだ、こいつ!」、このようにしているのです。それがアベルの行く道です。世界に行く過程だということです。

 さあ、ですから、責任者が眠ることができますか? 人を呼び、お金を使っているので、監督しなければならないのですから、夜眠れるでしょうか? ご飯を食べる時間があるでしょうか? 足をばたばたさせながら大変なことになったというのです。また、先生が気合を入れて……。それで内外共に大変なことになりました。そして、ハリウッドでは、私たちが何も知らないので騙そうとし、会う人がみな騙そうとするのです。3ヵ月を過ぎてみると、みな騙そうとしているというのです。

 俳優は、25か国から400人を集めて使いました。なぜそうしたのですか? 韓国動乱のときに16か国の軍人が来たので、その軍人をすべて準備しようとしたのでそうしなければならないのです。それで、石井が彼らの国に入っていって人を選んでしたというのです。そのようにしてすべて準備しましたが、25か国の人たちを言葉もできないのにつれて歩くのです。口のきけない人だというのです。(笑い)責任者が監督に会って話をするときも通訳を通して話し、トイレに行くときになっても、言葉ができず目ばかりパチパチさせて……。それが何の謎めいた行動か考えてみてください。

 お金を稼ごうとそのようなことをしますか? 石井がお金を稼ごうとそうしますか? そうだとすれば、逃げていくにしても、すでに逃げています。先生が教えることは、神様のみ旨と自由世界の愛のためにするということです。私はこのようなみ旨のために、どんな映画会社、ハリウッドで今までつくったどんな映画よりもっと多くのお金がかかるとしても私はするということです。これは神様の名によって、神様のために、アメリカのために、自由世界のために絶対的に必要なのでするのです。さあ、それを見るとき、カイン映画の伝統が正しかったですか、正しくなかったですか?

 皆さんはアベルの伝統の道をそっくりそのまま従っていかなければ

 私は「ラスベガスに行こう」と言ってラスベガスにも行きます。アメリカの会社のためではなく、世界と神様のみ旨のためにラスベガスに行って娯楽もするということです。ですから、ラスベガスでアベル的ラスベガスの道を行かなければならないという、そのような論理が広がるのです。そうすれば、レバレンド・ムーン自身が賭博をしても罪ではないということです。何の話か分かりますか?(「はい」)。そのような考えをしているというのです。

 ですから、私がどこかに休養に行けば、24時間以内に戻ってくるのです。一晩過ごして戻ってくるのではありません。それは何の話か分かりますか?(「はい」)。一般の人たちはあざ笑います。「レバレンド・ムーンは休養に行き、遊覧してどうだこうだと言うが、その話は正しくない話だ」と言います。私は、ラスベガスの背後をすべて調査しているのです。調査するというのです。

 さあ、いつか会おうということです。いつか会おう! 私が手をつければ、お金を出して根こそぎ買うでしょう。私がお金を稼ぎ、それが天の前にお返しできることであればするのであり、人類の前に返すことができることであればするということです。誰かそのようなことを考える人がいますか? 私が8番街、私娼街に出ていき、「よく遊んでいるな。私が再びあなたたちの前に現れるから、どこかで会おう」と言ったというのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。

 アベルの道をつくっておかなければなりません。ですから、どれほど大変なことですか? 映画をつくるのも、統一教会のためではなく世界のためです。新聞をつくるのも世界のためです。そうでしょう? そのお金があれば、すぐにでもこのアメリカの50州に大きなビルをいくつも買ってあまりあるのに、それを使っています。それを考えなかったでしょうか? それは統一教会のために買うことであり、統一教会のために使うことですが、これは自由世界と神様のために使うことなのです。

 このような伝統によって行うので、私が何をしても、神様と人類の前に讒訴されません。統一教会員たちからも讒訴されません。良心の呵責も受けないということです。もし赤字が出て一銭も戻らなくても、私は惜しいと思いません。私が思想の基準をハリウッド街に立てようと決心したので、これはいつか、私が死んだあとでも行かなければならないということです。

 それで何をするのですか? 今後、ハリウッド街にムーニーの世界的な大学をつくるのです。淪落の巣窟であり、麻薬の巣窟であり、フリーセックスの巣窟であるここに、世界の人たちがすべて夢中になってしたがっているので、これをそのままにしておいてはいけないということです。

 皆さんを苦労させたとしても、私は良心の呵責を受けないということです。分かりますか? これは、アベルが行く伝統の道を私がそのまま立てるためのことなので、皆さんは従っていかなければなりません。アベルの伝統と違いますか?(「違いません」)。

 アメリカがアジアと黒人を助けてあげなければならないのは蕩減法則によるもの

 アメリカが共産党に負けないために武器をつくらなければならないのですが、それはアメリカのためではなく、世界と神様のためにはソ連よりももっと軍備をもたなければならないというのが先生の主張です。ですから、アメリカは、共産党以上に世界のために、神様のみ旨のために準備しなければなりません。アメリカのためではなく、自由世界を保護するためだというのです。その観がアベルの立場から見るアメリカに対する政策的方向だと、レバレンド・ムーンは考えています。

 その代わり先に攻撃しないのです。共産党が攻撃する日には……。アメリカはそれも分からず、ただ共産党の勢力がどうでこうでと言いながら、お金ばかり惜しんでいます。最近になって明らかになったようですが、国防省で「ああ、軍備を再び武装しなければならない」と言って騒いでいます。しかし、時が遅れたというのです。何の話か分かりますか?

 このような解釈法から「黄色人のアメリカインディアンが犠牲になったのは、このようなアベルの伝統から起こったことだ。アメリカの人たちが、この世界と神様の未来の世界のために祭物として犠牲になったのである」と言うとき、「あ!」と思うのです。アメリカのために犠牲になったのではなく、神様と人類のために、人類の自由と平和の世界を建設する、その神聖で偉大なみ旨のために皆さんたちを犠牲にしたということです。

 それでは、死んだ人たちはどのようになったのですか? 祭物になったのです。このアメリカは、そのような責任を歴史的に担ったので、これを黄色人に返さなければなりません。しかし、このインディアンには、世界的な立場で返すことができる資格がなく、そのようにできる数が満ちていないため、アメリカがアジアに対して返す出来事が起こったのです。それでアメリカの若者たちが、多くの犠牲の代価を払わなければなりません。蕩減復帰しなければならないのです。そのインディアンの人はいくらにもならないので返すことができないということです。ですから、韓国を中心として韓国動乱に参戦して返すのです、自由世界が。

 ですから、レバレンド・ムーンは、アメリカに対して返す責任があるというのです。また、私が獄中に入っているとき、アメリカ国民が来て私を解放させてくれました。それで、私がここに来て、この国のために血と汗を流しながらこのことをしているのです。歴史はこのように蕩減法によって展開されます。したがって、統一教会がこのことをするのです。

 神様のために行かなければならず、人類のために行かなければなりません。命があるのですから、感謝して行きなさいということです。分かりますか? そうだというのです。その次には、皆さんが韓国人の世話になったので、アメリカの自由独立のために、アメリカの解放のために働いたレバレンド・ムーンのように、韓国と韓国人の解放のために韓国に行かなければなりません。私の命が生きたので、死ぬとしても韓国に再び行かなければならないということです。

 皆さんの心情が韓国に行かなければならないのです。外的なアメリカの軍隊が韓国に行って韓国のために生きることよりも、内的な皆さんがもっと韓国のために生きなければなりません。そうでしょう?(「はい」)。今もそうでしょう。アメリカの未婚女性たちは韓国の男性と、アメリカの未婚男性たちは韓国の女性と結婚しようとします。それはなぜですか? なぜアメリカの男性たちが韓国の女性と結婚することを願うのですか? それは内外に結ばれた因縁なのです。そうすることによって、インディアンを愛することができず、一つになれなかったことを蕩減できるということです。その説明は正しいでしょう? 先生はそのように見ています。摂理的な目をもってアメリカの歴史をそのように見るのです。

 さあ、このように見るとき、黒人たちもやはりすべて許すのです。み旨の中にいるようになるとき……。アメリカという一つの国を生まれさせるために、アジア人は血を祭物として捧げたのであり、黒人は体を祭物として捧げたのです。それでは、黒人が体を祭物として捧げたという主張に抗議できますか? このように解釈することに反対できますか? このようにすべて解釈するのです。それで、これからアメリカはアフリカを助けてあげなさいというのです。アフリカを助けてあげるのです。物質的にも助けてあげなさいというのです。アメリカの物質をつくるために黒人の血を吸ったので、アフリカの黒人世界を助けてあげなければならない責任がアメリカにあるということです。それがレバレンド・ムーンの観点であり、摂理的観点だということです。人が行って犠牲になることはできなくても、物質を送って復帰しなければなりません。これがアメリカで白人たちが黒人を犠牲にしたことを蕩減する方法なのです。

 白人たちが韓国で体で祭物になる道を覚悟し、銃弾の真正面に立って守ることが、インディアンを銃弾の先で犠牲にさせたことを蕩減する方法です。何の話か分かりますか?(「はい」)。アメリカの若者がアジアに来て蕩減するために血を流したところは、摂理的に重要なところです。そこは、神様の摂理のみ旨のなかで重要なところだという結論が出てきます。

 そのような場所は、神様の摂理のみ旨の中で重要なところですが、韓国に来て血を流したので、韓国は重要な摂理の中心地だという結論が出てくるということです。因果の法則に合わなければなりません。

 アメリカは統一教会から共産党と闘う伝統を受け継がなければ

 また、韓国はどうですか? 韓国は、神様の名で、人類の名で、共産党によって血を流したところです。ですから、韓国から手を離す日には、自由世界は滅びるのであり、アメリカは滅びるのです。共産党に滅ぼされるということです。アメリカが韓国を放棄すれば、何十倍に蕩減しなければなりません。何の話か分かりますか?(「はい」)。アメリカが神様の教えから顔を背ければ滅びるというのです。

 さあ、それでは、アメリカがなぜ韓国を握っていなければならないのですか? アメリカが韓国を握っていて何の利益がありますか? 何の利益もありません。共産党と闘う伝統を受け継ぐことが何よりも貴いことだというのです。韓国人たちがアメリカ人よりももっと多く犠牲になりながら、もっと多く命を失いながら闘ったのであり、今も共産党に勝とうとしています。これが今後、アメリカの伝統にならなければなりません。その伝統をアメリカが受け継いでこそ、生き残るのです。何の話か分かりますか? それがアメリカに対するレバレンド・ムーンの責任なのです。

 それを誰がやっていますか? 誰もやらないので、私が来て……。韓国が備えるべき思想武装を私がやってあげ、日本での共産党との闘いも私がやっているのです。アメリカに来てこの伝統を皆さんに伝授するということです。アメリカの国民と軍隊と国務省と国防省にこれを伝授してあげようとやって来たというのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。

 それで、武力でも強くなければならず、思想でも強くなければなりません。共産党は物質的宗教のような立場なので、共産党以上、神様を愛する伝統を立てなければなりません。それでレバレンド・ムーンが出てきたのです。

 私は、空手を学びなさい、道場をつくりなさいと言います。これは、自分の体を保護するためではありません。私たち統一教会員たちは、自分の体を保護するためではなく、世界を保護し、神様を保護するためです。分かりますか?(「はい」)。歴史と正義によって、あらゆるものがきれいに整理されるのです。

 今後、アフリカにソ連共産党が侵犯したなら、皆さんが自ら願って「先生、私は銃をもってアフリカに闘いにいきます」と言うときは、「OK」と言うのです。「神様と世界のためにアフリカに行って闘わなければならない」と言うとき、レバレンド・ムーンは「行ってはいけない」と言わなければなりませんか、「行きなさい」と言わなければなりませんか?(「行きなさいと言わなければなりません」)。そうでなければ、この世の中を収拾する人がいないということを知らなければなりません。この世の中を一つにする人がいないということです。それでは神様もみ旨を成し遂げることができないという結論が出てくるというのです。

(『文鮮明先生御言選集』 106-249~253)

 

 

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