【原語で『原理講論』を読むプロジェクト活動報告】

※【原語で『原理講論』を読むプロジェクト】の詳細はこちら
https://unification-principle.com/category/upmcproject/hangleproject/

 

先日の5月21日木曜日、【原語で『原理講論』を読むプロジェクト】として、第13回目の韓国語『原理講論』訓読会を行いました。

訓読したみ言の中で、もう少し原文に近い日本語にしたほうが良いかもしれないと思われる箇所をピックアップしてみました。

現在の日本語訳と韓国語原文の直訳文とを比べて、意味やニュアンスの違いなどに注目してみてください。

 

■第13回韓国語『原理講論』訓読会

日付:2020年5月21日木曜日
場所:オンラインにて
訓読:韓国語『原理講論』本文p172~186(メシヤ論~復活論)

■今回の訓読で確認した日本語『原理講論』の修正検討箇所一覧

(1)日本語『原理講論』p202の6行目

【日本語】
地上天国を建設するために来られたイエスであるから、彼には、ただ従ってくるだけの千人よりも、先に立って千人を指導できる一人の指導者の方がより必要だったのである。

【韓国語】
지상천국을 건설하러 오신 예수님이었으니 그에게는 따라 다니는 천 명보다도 먼저 천 명을 영도할 수 있는 한 사람이 더욱 필요했던 것이다.

【韓国語原文の直訳】
地上天国を建設しようとして来られたイエス様だったため、彼には、つき従う千人よりも、先に千人を領導できる一人がより必要だったのである。

(2)日本語『原理講論』p202の10行目

【日本語】
しかし、イエスが親しく言われたように、あらかじめ備えられた宴席に招待を受けた客たちは一人も応じなかったので、やむを得ず町の通りに出て、彷徨する乞食どもを呼び集めなければならなかったのである。
このように、招かれざる客をしか迎えに出られぬイエスの悲しい心情から、ついに、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ一一・6)という審判のみ言が吐かれたのである。

【韓国語】
그러나 예수님이 친히 말씀하신 바와 같이 예비한 잔치에 청함을 받은 객들은 하나도 응해 오지 않았기 때문에 하는 수 없이 거리에 나가 방황하는 거지떼를 불러 모아야만 하셨다.
이처럼 불청들을 맞으러 나선 예수님의 서러운 심정은 드디어 누구든지 나를 인하여 실족하지 않는 자는 복이 있도다(마 11 : 6)라고 하는 심판의 말씀을 토하시고 말았다.

【韓国語原文の直訳】
しかし、イエス様が親しく言われたように、あらかじめ備えられた宴席に招待を受けた客たちは一人も応じなかったので、やむを得ず町の通りに出て、彷徨する乞食の群れを呼び集めなければならなかったのである。
このように、招かねざる客を迎えに出られたイエス様の悲しい心情は、ついに、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ一一・6)という審判のみ言を吐かれてしまったのである。

(3)日本語『原理講論』p205の後ろから5行目

【日本語】
我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を通じて教えられる。

【韓国語】
우리는 인습적인 신앙 관념과 구태를 벗어 버리기를 두려워하는 고루한 신앙태도를 단연 버려야 한다는 것을 이 세례 요한의 문제를 중심하고 배웠다.

【韓国語原文の直訳】
我々は、因習的な信仰観念と旧態を脱いでしまうことを恐れるかたくなな信仰態度を、断固として捨てなければならないことを、この洗礼ヨハネの問題を中心として学んだ。

(4)日本語『原理講論』p206の1行目

【日本語】
我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる信徒たちには、ここに記録されたみ言がみな真実であるということを、もっとよくのみこむことができるであろう。

【韓国語】
우리는 지금까지 성서의 말씀에 의하여 세례 요한의 진상을 밝혀 왔지만, 누구든지 영통하여서 영계에 있는 세례 요한의 모습을 직접 볼 수 있는 성도들은 여기에 기록된 말씀이 모두 사실이라는 것을 더욱 잘 알 수 있을 것이다.

【韓国語原文の直訳】
我々は、今まで、聖書のみ言により、洗礼ヨハネの真相を明らかにしてきたが、だれでも霊通して、霊界にいる洗礼ヨハネの姿を直接見ることができる聖徒たちは、ここに記録されたみ言がみな事実であるということを、もっとよく理解できるであろう。

(5)日本語『原理講論』p207の4行目

【日本語】
しかし、これは現代人の理性では到底納得できない事実である。そのため結局我々の信仰生活に大きな混乱をきたすようになる。したがって、この問題の真の内容を解明するということは、極めて重要なことであるといわなければならない。

【韓国語】
그러나 이것은 현대인의 이성으로는 도저히 납득할 수 없는 사실이기 때문에, 결국 우리들의 신앙생활에 커다란 혼란을 가져오게 된다. 그러므로 이 문제의 진정한 내용을 해명하는 것은 지극히 중요한 일이 아닐 수 없는 것이다.

【韓国語原文の直訳】
しかし、これは現代人の理性では到底納得できない事実であるため、結局我々の信仰生活に大きな混乱をきたすようになる。したがって、この問題の真の内容を解明することは、極めて重要なことであるといわなければならない。

(6)日本語『原理講論』p209の後ろから6行目

【日本語】
このみ言は、イエスを信じる者は、地上で永遠に死なずに生きるという意味ではなく、肉身のある間にイエスを信じる者は、現在生きているのはいうまでもなく、後日死んで肉身を脱ぎ地上を離れるとしても、彼の霊人体は、永遠に神の愛の懐で、依然として生きつづけるはずであるから、したがって、永遠に死なないという意味で言われたのである。

【韓国語】
이 말씀은 예수님을 믿는 자는 지상에서 영원히 죽지 않고 산다는 뜻이 아니라, 육신을 쓰고 예수님을 믿는 사람은 현재 살아 있는 것은 말할 것도 없고, 후일 그가 죽어 육신을 벗어 버리고 지상을 떠난다 할지라도 그의 영인체는 영원히 하나님의 사랑의 품속에서 여전히 삶을 계속할 것이기 때문에 영원히 죽지 않는 것이라는 뜻으로 하신 말씀이다.

【韓国語原文の直訳】
このみ言は、イエス様を信じる者は、地上で永遠に死なずに生きるという意味ではなく、肉身をまとってイエス様を信じる人は、現在生きているのはいうまでもなく、後日彼が死んで肉身を脱ぎ、地上を離れるとしても、彼の霊人体は、永遠に神の愛の懐で、依然として生を継続するのであるから、永遠に死なないという意味で言われたみ言である。

(7)日本語『原理講論』p211の7行目

【日本語】
もし、青虫に意識があるとすれば、ちょうど人間が肉身生活に対して愛着を感じているように、それもやはり青虫の生活に愛着を感じて、青虫として永存することを欲するであろう。ところがこれは、青虫がいったん殻を脱いで蝶となり、香の良い花や甘い蜜を自由に味わうことができる、また一つの新しい世界があることを知らなかったからであろう。

【韓国語】
만일 애벌레에게 의식이 있다고 하면, 마치 인간이 육신생활에 대하여 애착을 느끼고 있듯이 그도 역시 허물 속의 생활에 애착을 느끼어 벗고 나오려 하지 않을 것이다. 그렇다면 이것은 애벌레가 일단 나비가 된 후에는 향화와 감밀을 마음대로 즐길 수 있는 또 하나의 새로운 세계가 있다는 것을 알지 못하기 때문일 것이다.

【韓国語原文の直訳】
もし、青虫に意識があるとすれば、ちょうど人間が肉身生活に対して愛着を感じているように、それもやはり皮膜の中の生活に愛着を感じて抜け出てこようとしないであろう。そうだとすればこれは、青虫がいったん蝶となったのちには、花の香りと甘い蜜を自由に味わうことができる、また一つの新しい世界があることを分からないからであろう。

(8)日本語『原理講論』p212の8行目

【日本語】
堕落によって招来したその死は、肉身の寿命が切れて死ぬことを意味するのではなく、神の善の主管圏から、サタンの主管圏に落ちるという意味での死をいうのであることを、我々は明確に知ることができる。

【韓国語】
타락으로 인하여 초래된 그 죽음은 육신의 목숨이 끊어지는 것을 의미하는 죽음을 말하는 것이 아니라, 하나님의 선주관권으로부터 사탄의 악주관권으로 떨어지는 것을 의미하는 죽음을 말하는 것임을 바로 알 수 있다.

【韓国語原文の直訳】
堕落によって招来したその死は、肉身の命が途切れることを意味する死をいうのではなく、神の善の主管圏から、サタンの悪の主管圏に落ちることを意味する死をいうのであることを、明確に知ることができる。

■第14回韓国語『原理講論』訓読会の予定日

日付:2020年6月25日木曜日
場所:東京日暮里の某会議室
訓読:韓国語『原理講論』本文p187~200(復活論)

 

※韓国語『原理講論』は2006年2月20日発行の42刷標準横書きから引用
※日本語『原理講論』は2014年5月30日発行の第5版第1刷から引用
※韓国語原文の直訳文の文責は当ブログ管理者にあり、翻訳に際して使用した辞書は『朝鮮語辞典』(小学館)

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