【原語で『原理講論』を読むプロジェクト活動報告】

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https://unification-principle.com/category/upmcproject/hangleproject/

 

先日の4月23日木曜日、【原語で『原理講論』を読むプロジェクト】として、第12回目の韓国語『原理講論』訓読会を行いました。

訓読したみ言の中で、もう少し原文に近い日本語にしたほうが良いかもしれないと思われる箇所をピックアップしてみました。

現在の日本語訳と韓国語原文の直訳文とを比べて、意味やニュアンスの違いなどに注目してみてください。

■第12回韓国語『原理講論』訓読会

日付:2020年4月23日木曜日午後1時~
場所:オンラインにて
訓読:韓国語『原理講論』本文p159~172(メシヤ論)

■今回の訓読で確認した日本語『原理講論』の修正検討箇所一覧

(1)日本語『原理講論』p185の3行目

【日本語】
イエスが預言されたように(ルカ一九・44)、彼が亡くなられたのち、イスラエル選民が衰亡したのを見ても、イエスはユダヤ人たちの不信によって死の十字架につけられたことが分かる。

【韓国語】
예수님이 예언하신 대로(눅 19 : 44) 그가 돌아가신 후 이스라엘 선민이 쇠망한 것을 보아도, 예수님은 유대인들의 불신으로 말미암아서 십자가에 돌아가셨다는 것을 알 수 있다.

【韓国語原文の直訳】
イエス様が預言されたように(ルカ一九・44)、彼が亡くなられたのち、イスラエル選民が衰亡したのを見ても、イエス様はユダヤ人たちの不信によって十字架で亡くなられたことが分かる。

(2)日本語『原理講論』p185の後ろから4行目

【日本語】
これによって、神がアブラハムからイスラエル選民を召し、二〇〇〇年間も苦難の中で導いてこられたのは、イエスをメシヤとして降臨させて、永遠に存続する王国を打ち建てるためであったことが了解できるのである。

【韓国語】
이로써 우리는 하나님이 아브라함으로부터 이스라엘 선민을 불러 2천년간이나 고난 가운데서 이끌어 나오신 것은, 예수님을 메시아로 보내시어 영원히 존속할 왕국을 이룩하시기 위함이었다는 것을 알 수 있다.

【韓国語原文の直訳】
これによって私たちは、神がアブラハムからイスラエル選民を導き、二〇〇〇年間も苦難の中で導いてこられたのは、イエス様をメシヤとして送り、永遠に存続する王国を築かれるためであったことが分かる。

(3)日本語『原理講論』p185の後ろから1行目

【日本語】
それは、彼らが信奉すべきメシヤをかえって殺害して、救いの摂理の目的を失敗させたその犯罪に対する罰であった。

【韓国語】
이것은 그들이 신봉해야 할 메시아를 도리어 살해함으로써 구원섭리의 목적을 이루시지 못하게 하였던 그 범죄에 대한 벌이었던 것이다.

【韓国語原文の直訳】
これは、彼らが信奉すべきメシヤをかえって殺害することによって、救援摂理の目的を成し遂げられないようにしたその犯罪に対する罰であったのである。

(4)日本語『原理講論』p187の4行目

【日本語】
こういうわけで、いくら篤信者であっても、イエスの十字架の贖罪では、肉的救いを完成することができなくなったのである。したがって、アダム以来の血統的原罪は清算することができず、いくら誠実によく信じる信徒であっても、彼に原罪がそのまま残るようになり、また、原罪のある子女を生むようになるのである。

【韓国語】
이렇게 되어 아무리 독실한 신앙자라도 예수님의 십자가의 속죄로써는 육적 구원은 완성할 수 없게 되었다. 따라서 아담으로부터 내려오는 혈통적인 원죄가 청산되지 않았기 때문에, 아무리 잘 믿는 성도라 할지라도 그에게 원죄는 그대로 남아지게 되어 그는 또 원죄 있는 자식을 낳게 되는 것이다.

【韓国語原文の直訳】
このようになり、いくら篤実な信仰者でも、イエス様の十字架の贖罪では、肉的救いを完成することができなくなった。したがって、アダムから下ってくる血統的な原罪が清算されなかったため、いくらよく信じる聖徒であっても、彼に原罪がそのまま残るようになり、彼はまた、原罪のある子女を生むようになるのである。

(5)日本語『原理講論』p189の9行目

【日本語】
このような例を聖書で挙げてみれば、善悪の実を取って食べないのが人間の責任分担であった。アダムは神のみ言により、それを取って食べないで完成することもできるが、その反面、結果に表れた事実のように、取って食べて死ぬようなことも起こり得る事実だったのである。

【韓国語】
이러한 예를 성서에서 들어 보면, 선악과를 따먹지 않아야 하는 것은 인간의 책임분담이었기 때문에 아담은 하나님의 말씀을 따라 그것을 안 따먹고 완성될 수도 있는 반면에 결과적으로 나타난 사실과 같이 따먹고 죽을 수도 있었던 것이다.

【韓国語原文の直訳】
このような例を聖書で挙げてみれば、善悪の実を取って食べてはならないことは人間の責任分担であったため、アダムは神のみ言に従い、それを取って食べないで完成することもできる反面、結果的に表れた事実のように、取って食べて死ぬこともできたのである。

(6)日本語『原理講論』p190の1行目

【日本語】
このように、人間には、人間自身が遂行すべき責任分担があって、神のみ旨どおりにそれを成し遂げることもできるし、逆に、そのみ旨に反して、成し遂げられないこともあり得る。このように、人間は人間自身の責任分担の遂行いかんによっては、そのいずれの結果をももたらすようになるのである。したがって、神はみ旨成就に対する預言を両面性をもってなさざるを得なかったのである。

【韓国語】
이와 같이 인간에게는 인간 자신이 수행해야 될 책임분담이 있어서 하나님의 뜻대로 그것을 이루어 드릴 수도 있고, 혹은 그 뜻에 반하여 이루어 드리지 못하게 될 수도 있기 때문에, 인간은 그 자신의 책임분담 수행 여부에 따라 그 어느 한 면의 결과를 이루어 놓게 되는 것이다. 따라서 하나님은 뜻 성사에 대한 예언을 양면으로 하시지 않을 수 없는 것이다.

【韓国語原文の直訳】
このように、人間には、人間自身が遂行すべき責任分担があって、神のみ旨どおりにそれを成し遂げてさしあげることもでき、あるいは、そのみ旨に反して、成し遂げてさしあげられないこともあるため、人間はそれ自身の責任分担の遂行いかんによって、そのどちらか一面の結果を遂げるようになるのである。したがって、神はみ旨成就に対する預言を両面でなさざるを得ないのである。

(7)日本語『原理講論』p191の3行目

【日本語】
これは、実のところ、イエスはそのとき既に、ユダヤ人たちの不信により、結局、霊肉共の救いの摂理は完成することができない状態になっていたので、霊的救いだけでも達成なさるために、その蕩減条件として、やむを得ず十字架の道を行くことに決定されたときだったからなのである(ルカ九・31)。

【韓国語】
그러나 실에 있어 예수님은 그때 이미 유대인들의 불신으로 인하여 어차피 영육 아우른 구원섭리를 완성하실 수 없게 되자, 영적 구원만이라도 이루시려고 그 탕감조건으로서 부득이 십자가의 길을 가시기로 결정하고 계시던 때였다(눅 9 : 31).

【韓国語原文の直訳】
しかし、実のところ、イエス様はそのとき既に、ユダヤ人たちの不信により、どのみち霊肉共の救いの摂理が完成できなくなると、霊的救いだけでも成し遂げようと、その蕩減条件として、やむを得ず十字架の道を行くことに決定されたときだった。(ルカ九・31)。

(8)日本語『原理講論』p191の後ろから7行目

【日本語】
それゆえに、「すべてが終った」と言われたみ言は、ユダヤ人たちの不信により、第二次的な救いの摂理の目的として立てられた十字架による霊的救いの摂理の基台が、すべて終わったということを意味するのである。

【韓国語】
그러므로 예수님이 다 이루었다고 하신 그 말씀은, 유대인들의 불신으로 인하여 제2차적인 구원섭리의 목적으로 세우셨던 십자가에 의한 영적 구원섭리의 기대를 다 이루었다고 하신 말씀이었던 것이다.

【韓国語原文の直訳】
それゆえに、イエス様が「すべてが終った」と言われたそのみ言は、ユダヤ人たちの不信により、第二次的な救いの摂理の目的として立てられた十字架による霊的救いの摂理の基台をすべて成し遂げたと語られたみ言だったのである。

(9)日本語『原理講論』p192の2行目

【日本語】
生きてみ旨を完成するために降臨されたのにもかかわらず、ユダヤ人の不信によって、願わざる十字架の道を行かれたイエスの悲痛な心情を晴らし、彼のみ旨に協力する新婦が、もし地上に現れなければ、イエスはいったいだれと共にそのみ旨を完成しようとして再臨されるであろうか。

【韓国語】
살아서 뜻을 이루시려고 오셨다가 유대인들의 불신으로 원치 않는 죽음의 길을 가신 예수님의 억울하고도 비통한 심정을 풀어 드리고 그의 뜻을 맞추어 드리는 신부가 지상에 생겨나기 전에, 예수님이 누구와 더불어 그 뜻을 이루시겠다고 재림하실 것인가!

【韓国語原文の直訳】
生きてみ旨を成し遂げようとして来られ、ユダヤ人の不信によって、願わざる死の道を行かれたイエス様の無念で悲痛な心情を晴らしてさしあげ、彼のみ旨に合わせてさしあげる新婦が地上に現れる前に、イエス様がだれと共にそのみ旨を完成しようと再臨されるであろうか!

(10)日本語『原理講論』p192の後ろから3行目

【日本語】
もしも、自分が霊通できないならば、他人の証を通じてでも、正しい信仰をもって初めて、終末において、メシヤを迎えることができる新婦の資格を備えることができるのである。

【韓国語】
만일 자기가 영통을 하지 못하면 영통하는 딴 사람의 증언을 통하여서라도 바른 신앙을 가져야만 끝날에 메시아를 맞을 수 있는 신부의 자격을 갖출 수 있을 것이다.

【韓国語原文の直訳】
もしも、自分が霊通できないならば、霊通する他の人の証言を通じてでも、正しい信仰をもって初めて、終末にメシヤを迎えることができる新婦の資格を備えることができるのである。

(11)日本語『原理講論』p195の8行目

【日本語】
しかしユダヤ人たちをして、洗礼ヨハネがエリヤであると言ったイエスの証言を一層信じられなくしたものは、ヨハネ福音書一章21節の記録に見るように、やはり、洗礼ヨハネ自身が既に、自分はエリヤでないとはっきり否認したことであった。

【韓国語】
유대인들이 세례 요한이 엘리야라고 하신 예수님의 증언을 더욱 믿을 수 없었던 것은, 요한복음 1장 21절의 기록에 보이는 바 이미 세례 요한 자신이 자기는 엘리야가 아니라고 명백히 부인한 뒤의 일이었기 때문이다.

【韓国語原文の直訳】
ユダヤ人たちが、洗礼ヨハネがエリヤだと語られたイエス様の証言をさらに信じることができなかったのは、ヨハネ福音書一章21節の記録に見るように、既に洗礼ヨハネ自身が自分はエリヤでないとはっきり否認したあとのことだったからである。

(12)日本語『原理講論』p195の後ろから4行目

【日本語】
イエスは、洗礼ヨハネを指して、彼こそまさしく、ユダヤ人たちが待ち望んでいたエリヤであると言われたのであるが(マタイ一一・14)、これと反対に、当人である洗礼ヨハネ自身は、既にこの事実を否認してしまった。ではいったいユダヤ民族は、だれの言葉を信じ、従っていくべきなのであろうか。

【韓国語】
예수님은 세례 요한을 가리켜서 그가 바로 유대인들이 고대하고 있는 엘리야라 하셨고(마 11 : 14), 이와 반대로 장본인인 세례 요한 자신은 이미 이 사실을 부인하여 버렸으니 유대민족은 누구의 말을 곧이듣고 따라갈 수 있었을 것인가?

【韓国語原文の直訳】
イエス様は、洗礼ヨハネを指して、彼がまさしく、ユダヤ人たちが待ち望んでいるエリヤであると言われ(マタイ一一・14)、これと反対に、張本人である洗礼ヨハネ自身は、既にこの事実を否認してしまったので、ユダヤ民族は、だれの言葉を本当だと思い、従っていくことができただろうか?

(13)日本語『原理講論』p196の2行目

【日本語】
それでは先に、当時のユダヤ民族の立場から見て、イエスの姿がどんなふうに映ったかを調べてみることにしよう。イエスは貧しい大工の家庭で成長した一人の無学な青年であった。このような青年が名もない布教者として立ちあがり、自ら安息日の主であると称しながら、ユダヤ人たちが命のごとく考える安息日を破った(マタイ一二・1~8)。

【韓国語】
그러면 먼저 당시 유대민족의 입장에서 예수님의 모습은 어떠한 것으로 보여졌을 것인가 하는 것을 알아보자. 예수님은 빈천한 목수의 가정에서 생장한 하나의 배우지 못한 청년이었다. 이러한 청년이 이름 없이 일어나 스스로 안식일의 주인이라 칭하면서 유대인들이 생명과 같이 여기는 안식일을 범하였다(마 12 : 1∼8).

【韓国語原文の直訳】
それでは先に、当時のユダヤ民族の立場で、イエス様の姿はどのようなものに見えたかということを調べてみよう。イエス様は貧しい大工の家庭で成長した一人の無学な青年であった。このような青年が名もなく立ちあがり、自ら安息日の主であると称しながら、ユダヤ人たちが命のごとく考える安息日を破った(マタイ一二・1~8)。

(14)日本語『原理講論』p198の5行目

【日本語】
このような観点から見るとき、ユダヤ人たちは、マラキの預言を信じる立場に立てば、まだエリヤは来ていないのであるから、メシヤとして自称するイエスを見捨てるよりほかはなく、これと反対に、イエスを信じる立場に立てば、エリヤが来たのちにメシヤが来ると預言した聖書を捨てる以外にはないという二者択一の立場であった。

【韓国語】
이러한 견지에서 볼 때, 유대인들은 말라기의 예언을 믿는 입장에 서면 아직 엘리야가 오지 않았기 때문에 메시아로 자처하는 예수님을 버릴 수밖에 없었고, 이와 반대로 예수님을 믿는 입장에 서면 엘리야가 온 다음에야 메시아가 오시리라고 예언한 성경을 버릴 수밖에 없는 입장에 있었다.

【韓国語原文の直訳】
このような見地から見るとき、ユダヤ人たちは、マラキの預言を信じる立場に立てば、まだエリヤは来ていないのであるから、メシヤとして自称するイエス様を見捨てるよりほかはなく、これと反対に、イエス様を信じる立場に立てば、エリヤが来たのちにメシヤが来られると預言した聖書を捨てざるを得ない立場であった。

(15)日本語『原理講論』p198の後ろから5行目

【日本語】
既に詳述したように、当時の祭司長や、全ユダヤ人たちが、洗礼ヨハネを崇敬するその心は、ついに彼をメシヤであると信じさせるまでに至った(ルカ三・15、ヨハネ一・20)。

【韓国語】
위에서 상론한 바와 같이, 당시의 제사장이나 전유대인들이 세례 요한을 숭경하던 마음은 그를 메시아로 생각하는 데까지 이르렀던 것이다(눅 3 : 15, 요 1 : 20).

【韓国語原文の直訳】
既に詳述したように、当時の祭司長や、全ユダヤ人たちが、洗礼ヨハネを崇敬していた心は、彼をメシヤと考えるところまで至ったのである(ルカ三・15、ヨハネ一・20)。

■第13回韓国語『原理講論』訓読会の予定日

日付:2020年5月21日木曜日
場所:東京日暮里の某会議室
訓読:韓国語『原理講論』本文p172~186(メシヤ論~復活論)

 

※韓国語『原理講論』は2006年2月20日発行の42刷標準横書きから引用
※日本語『原理講論』は2014年5月30日発行の第5版第1刷から引用
※韓国語原文の直訳文の文責は当ブログ管理者にあり、翻訳に際して使用した辞書は『朝鮮語辞典』(小学館)

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