【今回深掘りする原理のみ言】
 神が万物を主管せよといわれたみ言の通りに(創一・28)、個性を完成した人間達は、科学を発達させて自然界を征服することによって、最高に安楽な社会環境をこの地上につくらなければならない。このような創造理想の実現されたところが、即ち地上天国なのである。
 このように人間が完成して地上天国の生活を終えたのちに、肉身を脱ぎすてて霊界に行けば、そこに天上天国がつくられるのである。ゆえに、神の創造目的はどこまでも、まず、この地上において天国を建設なさるところにあると言わなければならない。『原理講論』p136)

 

『原理講論』に出てくる「創造目的」という言葉は、3種類の意味で使われています。

一つは文字通りの「創造目的」の意味ですが、他に「創造理想」と「被造目的(存在目的)」の意味で使われていることがあります。

今回は、それぞれの意味の違いを確認しながら、『原理講論』で使われている「創造目的」という言葉について深掘りしてみたいと思います。

「創造目的」について

最初に「統一原理」で言う「創造目的」の概念について確認しておきましょう。

(1)心情と原理の観点から見た「創造目的」

神の三大祝福は、いかにして完成されるのだろうか。それは、創造の根本基台である四位基台が成就された基盤の上でのみ成就されるのである。それゆえに、神が被造世界を創造なさった目的は、人間をはじめ、すべての被造物が、神を中心として四位基台を完成し、三大祝福のみ言を成就して、天国をつくることにより、善の目的が完成されたのを見て、喜び、楽しまれるところにあったのである。(『原理講論』p64~5)

 

このように、心情の観点から見た神様の「創造目的」は、「喜びを感じること」になります。

また、『原理講論』には、次のように神様の「創造目的」が「四位基台の造成」であると記述されています。

四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。(『原理講論』p55)

 

以上のことから、神様を中心とする四位基台が造成されたとき、神様がそれを見て喜ばれるのですが、それが神様の「創造目的」ということになります。

次に、「創造目的」の概念を理解するために、人間と万物の「創造目的」の違いについても確認しておきましょう。

(2)人間と万物の「創造目的」の差異

『原理講論』のp48には、「万物は神の二性性相が象徴的な実体として分立された実体対象であり、人間はそれが形象的な実体として分立された実体対象である」と記述されています。

神様が被造世界を創造された目的は喜びにあるわけですが、神様は万物からも喜びを感じることができます。

ただ、神様にとって万物から感じる喜びは直接的なものではなく、しかも人間が完成したあと、その完成した人間を通して万物から間接的に喜びを感じるようになっているというのが創造原理です。

『原理講論』では、「創造目的」の観点から人間と万物の関係が次のように説明されています。

万物世界はどこまでも、人間の性相と形状とを実体として展開したその対象である。それゆえに、神を中心とする人間は、その実体対象である万物世界からくる刺激によって、自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるために、喜ぶことができるのである。(『原理講論』p68~9)

 

このことから万物は、神様の間接的な喜びの対象として創造され、また人間の直接的な喜びの対象として創造されたことが分かります。

そして、人間の場合は、神様がその人からしか得られない個別の喜びがあるのですが、万物の場合は、種類ごとの喜びを感じるように創造されています。

そのため、「統一原理」では、神様の喜びの対象という観点から人間を形象的個性真理体といい、万物を象徴的個性真理体と称しています。

「創造理想」について

まず「理想」という言葉の意味を辞書で調べてみると、次のようになっています。

 

行為・性質・状態などに関して、考え得る最高の状態。
[広辞苑 第七版]

 

このように、「理想」という言葉は、人間の願うことが完全に実現された状態を意味しているのです。

ですから、神様の「創造理想」という場合は、神様が創造するときに願われたことが完全に実現された状態のことを意味しています。

また、神様と人間の関係から表現すれば、神様に似た人間によって神様の愛が完全に実現された状態のことを神様の「創造理想」と言うのです。

このことについて『統一思想要綱』には次のように記述されています。

ここで神の創造理想とは何か、明らかになる。それは「神が創造されたとき意図(希望)されたことが完全に実現された状態」であり、未来において、「神に似た人間によって神の愛が完全に実現された状態」である。(『統一思想要綱』p146)

 

復帰原理に出てくる言葉に「創造本然の位置と状態」がありますが、これは神様の「創造理想」が実現していることを意味しているわけです。

※「創造本然の位置と状態」についてはこちらの記事を参照
創造本然の位置と状態への復帰と信仰基台・実体基台の関係 

 

「創造目的」と「創造理想」の違い

神様の「創造目的」とは、心情的には喜びを感じることであり、原理的には四位基台を完成することです。

そして、創造者である神様が被造世界を創造するときに立てた目的のことを「創造目的」というわけです。

一方で、「創造理想」は、創造者である神様が被造世界を創造するときに立てた目的が実現された状態のことを意味しています。

つまり、「創造目的」は「創造するときに立てた目的」だけを意味し、「創造理想」は「創造するときに立てた目的が実現している状態」を意味します。

ですから、以下のみ言のように、神様の「創造目的」とは、神様の「創造理想」を実現することで達成され、「創造理想」は「創造目的」が達成されている状態のことを言うのです。

このように神の創造目的が完成されたならば、罪の影さえも見えない理想世界が地上に実現されたはずであって、このような世界を称して、我々は地上天国という。(『原理講論』p69)

 

文法の時制でいえば、「創造目的」は未来形、「創造理想」は未来完了形に相当すると考えることができます。

『原理講論』における「創造目的」の三つの意味

前文でお伝えしたように、『原理講論』では「創造目的」という言葉が、本来の意味とは別に「創造理想」や「被造目的(存在目的)」の意味でも使われています。

それぞれの例文を挙げながら、比較してみることにしましょう。

(1)「創造目的」と「被造目的(存在目的)」

堕落した人間たちに対して摂理される神のみ旨は、あくまでも、この創造目的を復帰することにある。(『原理講論』p240)

 

このみ言にある「創造目的」は、文字通り神様が喜びを感じることを意味しています。

一方で、こちらのみ言にある「創造目的」は、「被造目的(存在目的)」の意味で使われています。

創造原理によれば、創造目的を完成した人間は、神と一体となり神性をもつようになるので、罪を犯すことができない。したがって、そのような人間は、創造目的から見れば、天の父の完全なように完全な人間である。それゆえに、イエスが弟子たちに言われたこのみ言は、すなわち創造目的を完成した人間に復帰され、天国人になれという意味のみ言だったのである。(『原理講論』p178)

 

このみ言の「創造目的を完成した人間」のところは、「被造目的を完成した人間」という表現に置き換えることができます。

「創造目的」は創造者の目的のことで、神様が喜びを感じられることであるのに対して、「被造目的(存在目的)」は、人間が神様に喜びを返すことです。

神が人間を創造された目的は人間を見て喜ばれるためであった。従って、人間が存在する目的はあくまでも神を喜ばせるところにある。(『原理講論』p134)

 

ですから、本来の「創造目的」の意味で解釈すると、「喜びを感じることを達成した人間」という意味になってしまいます。

「被造目的を完成した人間」という表現であれば、「神を喜ばせることを達成した人間」という意味になり、こちらの方が自然な文章になります。

「創造目的」と「被造目的(存在目的)」の区別は、主に文脈から判断できますが、主語が神様なのか人間なのかによって判別することができます。

(2)「創造目的」と「創造理想」

堕落人間をして、「メシヤのための基台」を立てるようにし、その基台の上でメシヤを迎えさせることにより、創造目的を完成しようとした神の摂理は、既にアダムの家庭から始められたのであった。(『原理講論』p281)

 

このみ言にある「創造目的」は、「喜びを感じること」よりも、それが実現された状態と解釈するほうがより自然です。

以下の例文のように、一般的に「目的」という言葉は「目的を達成する・目的を遂げる」と表現され、「理想」という言葉は「理想を実現する」と表現されます。

愛と美の目的は、神から実体として分立された両性が、愛と美を授受することによって合性一体化して、神の第三対象となることによって、四位基台を造成して創造目的を達成するところにある。(『原理講論』p72~3)

このみ言は創世前から神のうちにあったその創造理想が、アダムという完成実体となって実現されることを願って、彼を地上に創造されたが、しかし、彼が堕落したので、彼を中心としては、地上にその創造理想を実現できなくなり、神はやむを得ず、そのみ旨成就を後日に回して、その理想をいったん、地上から取り戻されたということを意味するものである。(『原理講論』p307)

 

「創造目的を完成」のように「完成」という言葉があとに続くときは、「創造目的」よりも「創造理想」と理解したほうが自然な文章になります。

まとめ

以上のように、『原理講論』に出てくる「創造目的」という言葉は、文字通りの「創造目的」、「創造理想」、そして「被造目的(存在目的)」の三つの意味で使われています。

主語が神様の場合は「創造目的」、人間の場合は「被造目的(存在目的)」の意味で使われています。

そして、「創造目的を成就する」など、「成就」や「達成」、「完遂」という言葉が使われているときは、「創造目的」の意味になります。

「創造理想」は「創造目的が実現された状態」を意味しますが、「創造目的を完成する」などのように「創造目的」のあとに「完成」という言葉が使われている場合は、「創造理想」の意味で使われていることが多くあります。

「統一思想」ではこの三つの意味が明確に区別されて使われていますが、『原理講論』では区別されていません。

「創造目的」という言葉がどの意味で使われているのかということにも留意しながら『原理講論』を学ぶと、「統一原理」に対する理解がより深まると思います。

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