【今回深掘りする原理のみ言】
アダムが不信に陥り、神を捨てたために、後のアダムとして来られたイエスが、その復帰摂理の目的を成就されるためには、アダムの代わりに神から捨てられた立場をもって信仰を立て、その堕落前の立場を蕩減復帰しなければならなかったのである。それゆえにイエスは、荒野において、サタンの試練までも受けなければならなかったのであり、また、十字架上で神から見捨てられるということまで体験されなければならなかったのである(マタイ二七・46)。(『原理講論』p434)

 

神様の創造から復帰摂理歴史において、サタンが自ら現われて試練してきたのは、アダムとエバ、そしてイエス様です。

アダムの不信と堕落を蕩減復帰すべく後のアダムとして来られたイエス様は、サタンから直接、試練を受けられたわけです。

サタンがアダムとエバ、そしてイエス様に対して、それぞれどのように試練してきたのかを比べてみると、共通点があることが分かります。

このことが分かると、サタンが何をどのように試練してくるのかが明確になります。

復帰されたアダム型の人物だった洗礼ヨハネの責任分担

本題に入る前に、復帰されたアダム型の人物である洗礼ヨハネが果たすべきだった責任分担について確認しておきましょう。

洗礼ヨハネは、完成したアダムとして来られたイエスに対しては、復帰されたアダム型の人物であった。ゆえに洗礼ヨハネは、そのときまでの摂理歴史上において、「信仰基台」と「実体基台」とを復帰するために来たすべての中心人物たちが完遂できなかった使命を、完全に成就して、「メシヤのための基台」をつくらなければならなかったのである。そして、この基台の上で彼を信じ、彼に従うユダヤ民族を導いて、全体的な摂理の基台と共に、イエスに引き渡したのち、信仰と忠誠をもって彼に従い彼に侍るべきであった。(『原理講論』p409)

 

つまり、「信仰基台」と「実体基台」を復帰して「メシヤのための基台」をつくること、そしてイエス様に従って侍ること、これが洗礼ヨハネの責任分担でした。

この責任分担が果たされなかったことが近因となり、イエス様が洗礼ヨハネの立場で荒野に出てサタンの試練を受けることになったわけです。

アダムとエバが受けたサタンの試練とは?

それでは、サタンがアダムとエバに対してどのように試練してきたのか、聖書からサタンがエバに語った言葉を確認してみます。

へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。(創世記3:1)
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。(創世記3:4)
それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。(創世記3:5)

 

サタンがエバに語った言葉を三つに分けてみましたが、これはそえぞれイエス様が受けられた三大試練に該当する内容になっています。

イエス様の三大試練とアダムとエバが受けた試練

それでは、エバに語ったサタンの言葉とイエス様が受けられた三大試練を順番に比較してみたいと思います。

第一の試練

へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。(創世記3:1)
もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい(マタイによる福音書4章3節)

 

サタンは、エバが「戒めはほんとうに神様のみ言なのか?」とみ言に対して不信の思いをもたせ、「取って食べてもよいのでは?」と考えるように誘導しています。

また、イエス様に対しては、石がパンになるように命じて飢えをしのげばよいと試練していますが、これにはどのような意味があったのでしょうか?

 イエスが荒野で四十日の断食を終えられたとき、サタンがその前に現れて、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイ四・3)と試練してきた。ここにはいかなる事情があるのだろうか。
 まずモーセが荒野で「四十日サタン分立基台」の上におかれていた石板を壊し、磐石を二度打ったという行動、および、洗礼ヨハネの不信の結果、その石をサタンが所有するようになったので、これを再び取り戻すため、イエスは荒野に出ていかれ、四十日間断食してサタンを分立しなければならなかった。サタンは、イエスがこのように石を取り戻すために、荒野に出てこられたということをよく知っていたのである。
 したがって、その昔、民族的なカナン復帰のための荒野路程において、イスラエルの祖先たちが飢餓に打ち勝つことができず、不信に陥って、石をサタンがもつようになったのと同じく、今、世界的カナン復帰のための荒野路程におかれているイエスも、彼らと同様、飢餓の中にいるのであるから、次第に不信に陥って、その石を取り戻そうとする代わりに、それをパンに変えて飢えをしのぐようになれば、その石はサタンが永遠に所有しつづけることができるという意味だったのである。(『原理講論』p412~13)

 

さらに『原理講論』にはこの石の意味について、次のように記載されています。

コリントⅠ一〇章4節に、磐石(岩)はすなわち、キリストであると言われたみ言のとおり、磐石はイエスを象徴すると同時に、石板の根となるので、それは、石板の実体であられるイエスの根、すなわち、神をも象徴するのである。(『原理講論』p387~8)

 

このように、石はキリスト、そして神様をも象徴しているので、石をパンにかえるということは、神様を否定し不信することになります。

この試練に対してイエス様は、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある。(マタイの福音書4章4節)」と言われました。

これによって、人は神様のみ言とその実体であるキリストによらなければ生きることができないことを明言されたのです。

第二の試練

へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。(創世記3:4)
もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから。(マタイによる福音書4章6節)

 

サタンは、エバに対して神様のみ言を守らなくても決して死ぬことはないと言っています。

そして、イエス様に対しては宮の頂上から飛びおりよと言っていますが、これはみ言の実体の立場からおりても死ぬことはないと言っているわけです。

この試練に対してイエス様は、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある。(マタイによる福音書4章7節)」と言われました。

神様を試みるなどということはありえず、またみ言の実体である私を試練することもできないとしてサタンを退けられました。

第三の試練

それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。(創世記3:5)
もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう。(マタイによる福音書4章9節)

この試練では、本来の創造主である神様に代わってあなたがこの世界の主人になりなさいとサタンは誘惑してきています。

このときエバは、知的に迷わされ、心情的に混沌となって霊的に堕落してしまいました。

しかし、イエス様は、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある。(マタイによる福音書4章10節)」と語られ、み言をもってサタンを退けられました。

このようにしてイエス様は、アダムとエバが越えられなかったサタンの試練を見事に勝利され、蕩減復帰されたのです。

イエス様の三大試練に学ぶ教訓

サタンがエバに語った内容と、イエス様に対して試練した内容を見ると、神様とみ言に対する絶対信仰を崩そうとしてきていることが分かります。

そして、サタンは「神は唯一の創造主ではない」とか「み言は間違っている」といった明確な否定表現はしていません。

自分では結論を断定せず、あくまで人間自身が間違った判断を下し、その方向に行動するように誘導しています。

ですから、「あなたも神のようになれる」、「み言だけが真理ではない」といった方向に思いと行動を誘導していくのがサタンの戦略です。

聖書に「絶えず祈りなさい」(テサロニケ1五・17)とあるように、私に対して日夜誘惑してくるサタンを祈りとみ言で分立し、神様とみ言に対する絶対信仰を守っていきましょう。

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