【今回深掘りする原理のみ言】
終末においては、心霊がある基準に達した信徒たちは「汝は主なり」という啓示を受けるようになるのであるが、そのとき、彼らがこのような啓示を受けるようになる原理を知らなければ、自らを再臨主と自称するようになり、来たり給う主の前に、偽キリストとなるのである。(『原理講論』p570)

 

こちらの記事『40日路程実践プロジェクト』【基礎編】③「信仰基台」成立の判断基準で、「40日サタン分立基台」を立てたのちに神様から「み言」が与えられることをお伝えしました。

その伝達方法は人によってさまざまなのですが、いわゆる「啓示」というかたちで与えられることがあります。

今回は、「啓示」というかたちで「み言」が与えられたときの考え方や対応について深掘りしてみたいと思います。

多くの人が啓示を受けやすくなる終末

使徒行伝の2章17節に、「終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」とあるように、終末になると啓示を受ける人が多くなります。

その理由について『原理講論』では次のように説明されています。

 長成期完成級で堕落した人間が、復帰摂理により、蘇生旧約時代を経て、長成新約時代の完成級まで復帰されて、人間始祖が堕落する前の立場に戻る時代を終末という。
 この時代は、アダムとエバが堕落する直前、神と一問一答したそのときを、世界的に復帰する時代であるので、地上には霊通する人が多く現れるようになる。(『原理講論』p220~1)

 

そして、個人的にも、アダムとエバが堕落した長成期完成級の基準に到達すると、次のような現象が起こることがあります。

堕落人間が復帰摂理によって、長成期の完成級まで霊的に復帰されて、アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に達すれば、神が彼らに被造世界の主になれと祝福なさった、その立場を復帰したという意味から、「あなたは主である」という啓示を下さるのである。(『原理講論』p221)

 

神様はアダムとエバに三大祝福のみ言を下さったのですが、その3番目のみ言を象徴する「あなたは主である」という啓示を受けることがあるわけです。

それでは次に、エデンの園でアダムとエバに下さった神様の二つのみ言について確認しておきましょう。

神様が人間に下さった二つのみ言

神様の創造と復帰摂理はみ言を中心として行われるのですが、創世記を見ると、神様はアダムとエバに対して、二つのみ言を下さっていることが分かります。

一つ目は「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」(創世記1:28)という祝福のみ言であり、二つ目が「取って食べてはならない」(創世記2:17)という戒めのみ言です。

一つ目の祝福のみ言はアダムとエバの2人に対して下さっているのに対して、二つ目の戒めのみ言は、エバが創造される前にアダムに対してのみ語られています。

戒めのみ言について『原理講論』を見てみると、次のような記述があります。

善悪の果を取って食べるなという善のみ言を、神はアダムに伝え、アダムはこれをエバに伝え、エバは天使長に伝えて、善を繁殖すべきであった。(『原理講論』p295)

 

この神様からアダム、エバ、天使長というみ言伝達の流れは、四位基台の形成過程の順番に対応していると考えることができます。

つまり、四位基台の中心である神様、主体のアダム、対象のエバ、合性体の天使長という位置関係です。

このことから、この二つのみ言はどちらも同じ神様のみ言ですが、祝福のみ言はアダムとエバの2人の幸福な姿を見て喜びたいという神様の心情から下さったみ言です。

戒めのみ言は、私たち人間の幸福と命の源泉である神様の愛が流れる四位基台の秩序形成のために下さったみ言と考えることができます。

このように、神様がアダムとエバに下さったみ言にも、心情的なものと原理的なものがあることが分かります。

み言で試練してくるサタン

神様の創造も、創造理想の実現も、そして復帰摂理も、すべてみ言を中心として行われることが『原理講論』に記述されています。

 ヨハネ福音書一章3節に、人間はみ言によって創造されたと記録されている。従って神の創造理想は人間始祖がみ言の実体として、み言の目的を完遂しなければならなかったのであるが、彼等は神のみ言を守らないで堕落し、その目的を達することができなかったのである。
 それ故に、神は再びみ言によって、堕落人間を再創造なさることにより、み言の目的を達成しようとされたのであるが、これが即ち、真理(聖書)による復帰摂理なのである。(『原理講論』p152)

 

そして、サタンもみ言を利用して試練してくることがあるのですが、その典型的な例がイエス様の三大試練です。

イエス様が洗礼ヨハネの立場で信仰基台を復帰するために荒野でサタンから三大試練を受けられたさい、その2番目の試練は次のようなものでした。

もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。(マタイによる福音書4章6節)

 

このときサタンは、旧約聖書の詩篇にある次の聖句をもちいてイエス様を試練してきました。

これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。(詩篇91章11~12節)

 

このことから、「40日サタン分立基台」を復帰した人に対して、サタンはみ言をもって試練してくることがあるということです。

それは、ちょうどエデンの園で長成期完成級の時期を迎えたエバが、「取って食べてはならない」という神様の戒めのみ言と、「取って食べてもよい」というサタンの誘惑の言葉の狭間で混沌となってしまったことを蕩減復帰する現象です。

さきほども言及したように、終末になると時代的恩恵から多くの人たちが啓示を受けやすくなります。

そのため、サタンがこれを利用するので、悪神の業による啓示も起こるようになるのです。

また、善神の業による啓示でも、受け止め方や対応を間違うと、冒頭のみ言のように、啓示を受けた人が偽キリストの立場になってしまうこともあるで、霊的なメッセージに対しては細心の注意が必要でしょう。

啓示の種類とそれぞれの対応

(1)祝福のみ言と戒めのみ言から見た啓示の種類

神様がアダムとエバに祝福のみ言と戒めのみ言を下さったように、私たちが受ける啓示は、大きく分けると二つに区分されます。

つまり、アダムとエバの2人に下さった祝福のみ言のように、ある一定の霊的基準に到達すれば誰でも受ける啓示と、アダムにだけ下さった戒めのみ言のように、主体の立場に立つ人が受ける啓示です。

戒めのみ言に相当する啓示を受けるのは、神様を中心とする四位基台の主体の立場にいる人だけです。

四位基台の対象の立場にいる人は、神様と一体になった主体を通してそのみ言を受けるようになります。

(2)個体目的と全体目的から見た主体が受ける啓示

自分が主体の立場なのか対象の立場なのかは、個体目的中心か全体目的中心かによって異なります。

個体目的を中心とすればすべての人が主体の立場になりますが、全体目的を中心とする場合は、すべての人が主体の立場に立つわけではありません。

一つの組織があるとき、自分がその組織の責任者であれば主体の立場ですし、そうでなければ対象の立場になります。

ですから、個体目的を中心とすれば、すべての人が戒めのみ言に相当する啓示を受けるのですが、全体目的を中心とした場合、戒めのみ言に相当する啓示を受けるのは、その組織の主体の立場にいる人だけです。

それ以外の対象の立場にいる人は、その主体を通してその啓示を受けることになるのです。

【啓示の種類についてのまとめ】

①啓示には、祝福のみ言に相当するものと戒めのみ言に相当するものがある。祝福のみ言に相当する啓示は条件さえ整えば誰もが受けるものであり、戒めのみ言に相当する啓示は、神様を中心とする四位基台の主体の立場にいる人が受けるものである。

②個体目的を中心とするときには、各自が四位基台の主体の立場になるため、誰もが戒めのみ言に相当する啓示を受ける。

③全体目的を中心とするときには、その組織の中心者が四位基台の主体の立場になるため、その人が戒めのみ言に相当する啓示を受ける。

「あなたが一番である」という啓示に対する原理的解釈

【ケース①】

こちらの記事「統一原理とは神様の心情と事情を教えてくれるもの【中編】」で、神様の創造と復帰摂理には心情的理由と原理的理由があることを紹介しました。

神様が「あなたは主である」という啓示を下さることにも、同じように心情的理由と原理的理由があります。

【心情的理由】
神は各自をして復帰摂理の目的を達成させるに当たって、彼らが各自最善を尽くすように激励なさるため、「あなたが一番である」という啓示を下さる。(『原理講論』p222)
【原理的理由】
堕落人間が復帰摂理によって、長成期の完成級まで霊的に復帰されて、アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に達すれば、神が彼らに被造世界の主になれと祝福なさった、その立場を復帰したという意味から、「あなたは主である」という啓示を下さるのである。(『原理講論』p221)

 

もしあなたが「あなたは主である」という啓示を受けた場合、それは神様からの激励の意味と、アダムとエバが堕落する直前の立場と同一の心霊基準に到達したという意味があるわけです。

このような啓示は、条件さえ整えば誰にでも下さるもので、今歩んでいる方向にそのまま邁進すれば、着実にあなた個人の復帰摂理は進展するはずです。

ここで間違ってはいけないことは、「あなたが主であるので、他の人たちはあなたに従うべき」という意味ではないということです。

それは、『原理講論』のp221に「霊通者が、「あなたは主である」という啓示を受けたとき、このような原理的な事情を知らずに、自分が再臨主だと思って行動すれば、彼は必ず、偽キリストの立場に立つようになる」と書かれているとおりです。

 

 【ケース②】

「あなたは主である」という啓示を受ける場合、もう一つ別の理由があるのですが、それがこちらです。

彼が担当した部分的な使命分野においては、事実上、彼が一番であるために、このような啓示を下さることもある。(『原理講論』p222)

 

これは、ある使命分野で主体の立場に立っている人に対して神様から啓示が与えられるケースです。

その使命分野ではその人が主体ですから、その分野に関わる他の人たちを指導しなければなりません。

ここで間違ってはいけないことは、他の人たちを指導するとき、「統一原理」の復帰原理に従って長子権復帰をしてから指導しなければならないということです。

そして、異なる分野の人たちに対してまで主体の立場で行動してはいけません。

例えば、氏族メシヤの立場にいるなら、それに関する啓示を受けた場合、自分の氏族圏にそれを伝えるべきであって、それ以外の人たちに伝えると「偽キリスト」になってしまいます。

 

 【ケース③】

長成期完成級にも到達せず、ある使命分野の主体にも立っていないのに「あなたは主である」という啓示を受けた場合、それは神様の役事ではなく悪神の業の可能性が高いです。

このケースでは、受けた一切の啓示を完全に無視し、祈りの精誠条件やみ言と原理の訓読条件、そして奉仕などの蕩減条件を立てるなどして、サタン分立路程を歩むべきです。

終末になると、悪神の業によって「あなたは主である」という啓示を受ける人が増えてくるため、聖書には次のような聖句があります。

「人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな」(ルカ一七・23)

 

この聖句について『原理講論』では次のように説明されています。

終末においては、心霊がある基準に達した信徒たちは「汝は主なり」という啓示を受けるようになるのであるが、そのとき、彼らがこのような啓示を受けるようになる原理を知らなければ、自らを再臨主と自称するようになり、来たり給う主の前に、偽キリストとなるのである。それゆえに、このような人々に惑わされることを心配されて、そのような警告のみ言を下さったのである。(『原理講論』p570)

最後に ~文興進様のメッセージ~

最後に、「統一原理」を習得することの重要性を再確認していただくために、『原理講論』の一節と文興進様のメッセージをご紹介したいと思います。

 堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。
 今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。
 霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊通人たちを指導することはできないのである。(『原理講論』p120)

【文興進様のメッセージ】

 「神様王権即位式」(2001年1月13日)と「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」(2000年9月24日)、そして先祖解怨式と先祖祝福式を通して、善の役事を拡大できる時代が開かれるようになりました。今から地上人たちは、自らの内面にある堕落性をすべて脱いで、本然の堕落以前の姿に生まれ変わらなければなりません。
 また、霊界と地上が同時に変化し発展するので、真の父母様を誇り、「統一原理」を誇らなければなりません。地上にいるすべての人間たちが、祝福を受けて天国に入っていけるようにするためには、絶対善霊がたくさんいなければならないので、すべての祝福家庭が復帰摂理の主人意識を持っていかなければならないということが何よりも重要なのです。
 絶対善霊には、悪霊がつくことができません。悪霊は絶対善霊の明るい光に対することができませんが、絶対善霊は悪霊を具体的に見ることができるので、彼らを抜き出すことができるのです。このように、悪霊が接することのできない絶対的な善霊が地上に臨在するようになったということは、サタンが地上の恨を持った霊人たちを動かして自分の思い通りに支配した役事を、これ以上できなくなったことを意味します。
 さらには、悪霊たちを整理して絶対善霊に変えておかなければ、「あなたは主だ!」という啓示を受けた霊通人たちが、自分の環境と位置、特性、知能、心霊の程度をきちんと分別できずに、偽りの役事を行なう悪霊たちに騙されて多くの混乱をもたらすということが起こりえます。
 霊眼が開いたからといって、霊界がすべて分かるのではありません。霊を見ることがすべてではなく、霊が善霊なのか悪霊なのかを正確に鑑別できて、はじめて危険ではないというのです。時には悪霊が善霊の仮面をかぶって現れることもあるので、鑑別できる霊的五官が開かれなければなりません。
 霊的五官が開かれるためには、単純に霊眼だけが開かれればよいのではなく、堕落性を脱いで、神様の創造の心情世界に入っていってこそ可能なのです。自らの内面から堕落性がなくなって透明になるときまで、一生懸命に罪を拭って生まれ変わり、神様と真の父母様の心情圏と一体にならなければなりません。
そうなっていれば、キリスト教が一人のお方であるイエス様を信じながらも、お互いに違った見解をもって、教派が分かれ、敵対関係となってしまうというような混乱を招くことを、防止することができるのです。
ですから、真の父母様を中心として、天宙大家族を形成するためには、霊界と地上において、同時に役事ができて主管できるように、偽りのまねをする可能性のある要素をみな、除去しなければならない責任が、私たちにあるのです。(2002年1月1日)