【40日路程の原理的根拠】
成長期間は、これまた、四十数完成期間でもある。ゆえに、第四には、堕落前の未完成期にあった人間始祖は、四十数による「信仰基台」を立てて、創造目的を完成することにより、四十数完成実体とならなければならなかったのである。しかし、彼らの堕落により、これにサタンの侵入を受けたので、復帰摂理歴史路程において、これを蕩減復帰する中心人物は、四十数を復帰する蕩減期間を立てて、「信仰基台」を蕩減復帰しなければ四十数完成実体の復帰のための「実体基台」を造成することができなくなっている。(『原理講論』p446~7)

 

「統一原理」では、「40日サタン分立基台」を立て、「神のみ言を中心として立つこと」によって「信仰基台」が成立するとしています。

それでは、本当に「信仰基台」が立っているのかどうか、何を基準にどう判断すればよいのでしょうか?

今回は、「信仰基台」成立の判断基準について解説します。

もし「今あなたに信仰基台は立っていますか?」と聞かれたら?

「あなたは、信仰をもっていますか?」と聞かれたら、信仰を持っている人は「はい」、持っていない人は「いいえ」と、問題なく即答できるでしょう。

しかし、「今あなたに信仰基台は立っていますか?」と聞かれた場合はどうでしょうか?

「神様と真の父母を信じているので、信仰基台が立っています」、「毎日、精誠条件を立て、み言を訓読しているので、信仰基台は立っています」などなど、いろいろな答えがあると思いますが、自信をもって答えられる人は少ないでしょう。

学校のテストなどであれば、点数が明確に出るので、自分の学力がどのくらいなのかはっきり分かります。

また、経済活動でも、企業の業績が数値化され結果が明確になりますし、個々人も基本的には仕事の結果が数値化され、それが報酬に反映されます。

このように、現実生活での努力や活動は数値化されやすいことが多く、今の自分の実力や成長度合いがどの程度なのか分かりやすいですね。

ところが、信仰生活の場合は、基本的に無形な神様や霊界、そして自分の心の問題になるので、数値化することが大変難しいわけです。

だからこそ信じることが大切になってくるのですが、ややもすれば盲信したり、現実から目を背けたまま思考停止に陥ったりすることがあるのも事実です。

『原理講論』のp29に「宗教も科学的なものでない限り、よく知ってそれから信ずるということが不可能となり、宗教の目的を達成することはできない」とあります。

私たちは、自分自身を客観的に見つめて今の位置と状態を把握し、自己満足的な信仰生活にならないようにしなければなりません。

そのためには、まず復帰の第一歩である「信仰基台」についても、本当に今の自分に「信仰基台」が成立しているのか確認する必要があります。

本質世界と現象世界は表裏一体

それでは、「信仰基台」成立の有無を判断するために、目に見えない本質世界と目で見える現象世界の関係について確認してみましょう。

本質世界と現象世界との関係は、例えていうならば、心と体の関係に等しく、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、そして、主体的なものと対象的なものとの関係をもっているのである。心と体とが完全に一つになってこそ完全なる人格をつくることができるように、本質と現象との二つの世界も、それらが完全に合致して初めて、理想世界をつくることができるのである。それゆえ、心と体との関係と同じく、本質世界を離れた現象世界はあり得ず、現象世界を離れた本質世界もあり得ないのである。(『原理講論』p28)

 

本質世界と現象世界は人間の心と体の関係と同じで、「霊人体に感じられるすべての霊的な事実は、そのまま肉身に共鳴され、生理的現象として現れる」(『原理講論』p87)ようになっています。

さらに、創造原理には、「内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れている」(『原理講論』p44)とあります。

以上の原理から、もし「信仰基台」がきちんと成立していれば、それを認識できる何らかの現象があるということになります。

そこで『40日路程実践プロジェクト』では、「信仰基台」成立の判断基準として、次の3つの基準を定めています。

「信仰基台」成立の3つの判断基準

①40数の数的基台が立っていること

『40日路程実践プロジェクト』では、『原理講論』の訓読を毎日行うことを条件としています。

この『原理講論』訓読を40日間、1日も欠かさず毎日行ったかどうか、行っていれば、40数の数的基台が立っていると判断することができます。

②み言が与えられていること

『原理講論』の訓読を毎日行い、長成期完成級の試練を感謝して越えることができれば、40日路程の最後の3日間、あるいは終了後の3日間で、神様からみ言やメッセージが与えられるようになっています。

それは、み言や原理を訓読している時かもしれませんし、礼拝の説教や誰かの話かもしれませんし、時にはドラマや映画、駅や電車で見た広告の中にあることもあります。

また、人によっては、夢を通して神様からのメッセージを受けるときもあり、文鮮明先生はこれを「몽시」(モンシ:夢示、夢の啓示)と表現されています。

いずれにしても、神様からあなたに、今最も必要なみ言やメッセージが与えられるので、「これが神様からのメッセージだ!」と感じるものがあれば、「信仰基台」が成立していると判断することができます。

例えば、ヤコブは天使との組打ちに勝利したあと、天使から次のようなメッセージを受けています。

あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです。(創世記32章28節)

 

この「イスラエル」という言葉の意味について『原理講論』では次のように説明されています。

イスラエルという名は、ヤコブが「実体献祭」のためのアベルの立場を確立するために、ヤボク河で天使と闘い、それに打ち勝つことによって、「勝利した」という意味をもって天から与えられた名であった。(『原理講論』p583)

 

ヤコブは天使との組打ちに勝利することによって「信仰基台」を立てたので、このようなメッセージを受けるようになりました。

 

ここで一つ、疑問に思うことがあるかもしれません。

それは、「統一原理」には「神は彼らが完成したのちに初めて直接主管する」(『原理講論』p130)という原理があるのに、神様が未完成の私にみ言を与えるのは、その原理に違反するのでは?という疑問です。

その疑問に対する回答はこちらになります。

「信仰基台」を造成するための条件として、彼は善悪の実を食べてはならないと言われた神のみ言を守るべきであり、さらに、この信仰条件を立てて、その責任分担を完遂するところの成長期間を経なければならなかった。そうして、この成長期間は数によって決定づけられていくものであるがゆえに、結局この期間は、数を完成する期間であるということもできるのである。(『原理講論』p277~8)

 

つまり、個性完成していない私たち堕落人間であっても、数を完成させることはできる、ということです。

ですから、40日間、きちんと訓読条件を全うすれば、数を完成したという条件が立つので、神様が私にみ言を与えてくださることができるわけです。

③長子権復帰する相手が明確になっていること

3つめの判断基準は、自分がアベルの立場で長子権復帰すべきカインとは誰か明確になっているかどうかです。

この3つ目の判断基準が最も大切で、長子権復帰するカインが明確でなければ、サタン屈服の典型路程を歩むことができません。

「信仰基台」を立てた人は、「実体基台」のアベルの立場に立つようになるのですから、長子権をもっているカインが目の前に現れるようになっています。

それは、突然自分の前に現れることもありますし、今までずっと一緒にいた人に対して、「ああ、今はこの人から長子権復帰をするんだ!」と自分が認識することもあります。

このような現象は、復帰摂理においてアベルを立てる目的がカインを救済することにあるという原理から起きるものです。

そして、「信仰基台」を復帰した人に対して「カインの命をあなたに任せる」という、神様の信頼の証でもあるのです。

 

以上、「信仰基台」成立の3つの判断基準をまとめます。

■40数の数的基台が立っていること
■み言が与えられていること
■長子権復帰する相手が明確になっていること

40日間、『原理講論』を訓読し、長成期完成級に起きる試練を感謝で越えていけば、「信仰基台」が成立した現象として、このような状態になります。

「信仰基台」を立てたあとの注意点

「信仰基台」が成立すると、本然の位置として「実体基台」のアベルの立場に立ち、従うべきみ言が与えられ、長子権復帰すべきカインが明確になっているという本然の状態になります。

ここで「信仰基台」を立てた人が注意しなければならないことがありますので、よく心にとめておいてください。

それは、「信仰基台」を復帰して「実体基台」のアベルの立場に立つと、カインの堕落性や短所がよく見えるようになるということです。

これは、長子権復帰するカインの立場の人だけでなく、周りの人たちに対しても同様で、今まで以上に周囲の人たちの堕落性や短所が目について裁きやすくなるのです。

なぜこのようなことが状態になるかというと、「実体基台」の復帰に失敗したアベルの立場を蕩減復帰しなければならないからです。

アベルがどうしてカインに殺されてしまったのか、その理由について文鮮明先生は次のように語られています。

アダム家庭において、実体基台を勝利するためにカインとアベルが一つにならなければならないという摂理をされるとき、神様がアベルの祭物だけを受けるようになったのですが、これに対してアベルが驕慢な心をもつようになったので、サタンがそれを讒訴してカインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです。(『文鮮明先生御言選集』374-12 2002.4.4)

 

このように、祭物を捧げたあとにアベルは驕慢な心をもってしまったがゆえに、サタンから讒訴されるようになったのです。

ですから、「信仰基台」を復帰した人は、アベルのように驕慢な心をもちやすいので気をつけてください。

もしあなたがどこかの組織に所属している場合、直属のアベル(上司)も、個体目的を中心として見れば、あなたに対してカインの立場になるので、その人との間で何かのトラブルが起きることがあります。

信仰生活で精誠を尽くし、熱心に活動して実績もあげた人が、「信仰基台」を立てたあと、このアベル・カイン問題を克服できずに信仰の道を離れてしまうことほど、神様にとって悲しいことはありません。

アベルの正道に関する文鮮明先生のみ言

「信仰基台」を立てることもそう簡単ではないのですが、「信仰基台」を維持しつつ、アベルの立場に立ち続けることは、もっと難しいと言えます。

この問題は、私たちの復帰路程において避けては通れないことですので、アベルはなぜカインに殺されてしまったのか、アベルはカインに対してどうすればよかったのか、文鮮明先生が詳細に説明してくださっていますので、それらのみ言を紹介します。

 アベルが、カインすなわち兄と共に供え物をささげたとき、神様が自分の供え物だけを受けとられて兄の供え物を受けなかったとしても、兄に純粋に対さなければなりませんでした。兄のことを考えなければなりませんでした。そして「ああ、お父様、なぜ私の供え物だけ受けとられたのですか」と言って泣き、兄のところに行って「私の供え物だけを受けとられた神様は嫌いです」と言ったなら、神様はどうされたでしょうか。間違いなくカインを愛さずにはいられなかったでしょう。
 カインとアベルは、同じように祭物を用意して神様の前に捧げたはずです。カインは穀物を、アベルは羊を、一年間精誠を尽くして育てて捧げたのです。精誠を尽くすことはよいのです。誰がより精誠を尽くしたかという問題を離れ、祭物を受けとる受けとらないという問題について見てみるとき、神様はアベルの祭物を受け取らざるを得ない立場だったために受け取ったのです。
 ところが、アベルは神様が自分の祭物だけを受けとられたので、自分が優れていて、神様が自分だけを好まれるから受けとられたと思い、「お兄さん、見てください。私の祭物は受けとられました」、そのように誇ったでしょう。間違いなくそうしたのです。
 そうでなかったなら、じっとしているカインの顔がなぜ真っ赤になったのでしょうか。アベルが黙っていたのにそうなったのでしょうか。間違いなくアベルはカインに、「お兄さんは何ですか。私の祭物を受けとられました」としつこく言ったでしょう。アベルは驕慢になってはいけません。謙遜でなければならないのです。(『文鮮明先生御言選集』34-271 1970.9.13)
 アベルは、カインを愛する心と哀れむ心をもってカインに同情し、慰労してあげなければなりませんでした。しかし、アベルは間違いなく神様が自分の祭物だけを受け取られたと喜んだのです。もしアベルが、神様がカインの祭物を受け取られなかったことを哀れみ、涙を流して同情し、「私が相続したものは、すべてお兄さんのために受けたものなので、代わりに受け取ってください」と言っていればどうなっていたでしょうか。
 自分の貴い愛を、一つしかない貴い贈り物をカインにすべて与えていれば、それは天使長を誰よりも愛したという立場に立つようになるので、自動的に復帰されるのです。このようにできなかったことが恨です。それであらゆる宗教は、従順で温柔、謙遜であれと教えるのです。(『文鮮明先生御言選集』34-86 1970.8.29)
 アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには先にカインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が厚く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈服させたあとに、カインたちのほうから、「私たちの代身となって指導してください」と願われた時、「はい」と答えてアベルになれるのです。(『文鮮明先生御言選集』106-201 1979.12.30)
 アベルは、サタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕え、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史にいま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。その場合、サタン世界の僕たちと天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかということを中心として、アベルがアベルとして認定されなくてはなりません。
 そのときにサタン世界の僕たちが、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えてくれた」と認め、「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と言うようにならなければなりません。その認められた事実を通して、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなければなりません。
 そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界に対するみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立するのです。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのがカインです。そうすることで天の国に行くことができるというのです。(『文鮮明先生御言選集』106-177 1979.12.30)

 

以上で、「信仰基台」成立の3つの判断基準についての解説を終わります。

 

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