既存価値の再評価と絶対価値の探究

 

日付:1978年11月25日
場所:米国・ボストン、シェラトン・ホテル
行事:第7回「科学の統一に関する国際会議」

 

 尊敬する議長、そして、世界各国から来られた著名な教授、学者の皆様! きょうこのように第7回「科学の統一に関する国際会議」に参席してくださった皆様を心から歓迎します。世界の英知が一か所に集まり、「既存価値の再評価と絶対価値の探究」という主題で討議する本大会が、未来を明るくする永遠の真理と希望の産室となることを願います。

 

 絶対価値は宇宙の第一原因者の理想の中にこそ見出すことができる

 現代文明は、その副産物として方向を失った没価値を生み、大衆は機械と野合して刹那的な享楽主義に陶酔するようになりました。その結果、人類は個性を無慈悲に規格化して物化し、人間の尊厳性や各自の本性を忘却しつつあります。今日のこの世界は、正に混沌と無秩序の世界です。このような混沌と無秩序は、ある特定の人や特定の社会に限定されたものではなく、個人の中に、家庭と社会の中に、そして国家と全世界の中に及んで問題となっているため、さらに深刻です。
 現代文明の問題点は、人間の知性があまりに実用主義的な面にのみ傾き、宗教的な面、精神的な面が不足していることにあると分析する人もいます。文明のテンポがあまりにも早いため、個々人が自分の中で消化させて摂取するにも無理があり、また人間生活の究極の目標となる文明の根本主流と傍系とを識別することが難しくなっていると見ることもできます。
 精神文明も物質文明も、すべて人類には必要なものであり、さらには、文明のテンポが早くても遅くても、あるいはその種類が多くても少なくても、そのこと自体に善悪はありません。ただ人間が文明の主体として自覚し、全体を調節して均衡を成すようにしなければなりません。このような点から、私はより根源的な次元で所信を披瀝することで開会の挨拶にしようと思います。
 理想と価値体系が崩れてしまった現代社会で、根本的な価値体系を定立することは、何よりも至急に要請されることです。しかし、相対的な世界で生きている人間自体だけでは、絶対的価値を定立することもできず、また、その価値を最後まで追求する能力を持つこともできません。そして、結果世界だけでは、どこのどのような状況でも絶対価値は発見されません。
 絶対価値の実現は絶対者自身も必要とするのです。絶対価値は、宇宙の第一原因者、すなわち絶対者の理想(目的)の中においてのみ見出すことができるものとして、結論的に言えば、絶対者の理想、つまり愛の中に見出すことができるのです。

 

 絶対者の愛の理想と調和・合一してこそ絶対価値が実現される

 万有は二重目的、すなわち個体のための目的と、全体の中で和合し、より高い次元のもののために生きる全体目的を持っています。それゆえ、宇宙は二重目的の連体(相互関連性を持つ個性真理体)からなる一つの大きな有機体と同じであり、個体内で主体と対象が完全に一つになって個体目的を完成した存在は、それ自体だけで孤立し、単独で固定された状態でのみ存在することはありません。
 個体は他の存在と関連を結ぶために主体的立場、あるいは対象的立場をとり、それと一つになることによって、より高次元の方向性と目的性を備えた存在へと発展するのです。このように宇宙は、主体と対象の共通利益によって連結されている共同目的体であり、その中に宇宙全体の共同目的のために働くある力、宇宙力を持っています。
 主体と対象の永遠なる調和合一のための最も濃く、完全な相関関係の内容とは何でしょうか。愛を中心とする授受関係です。愛の動機は人間から始まったのではありません。愛の究極的根源は絶対不変の原因的主体です。ご存じのように、宗教ではこの第一原因者を神と言います。私は、生涯を通して神と深い交わりを持ちながら、多くの体験を通してそのみ旨と愛を証してきました。
 神にとって最も重要で必要なことは何でしょうか。神に知識は必要ありません。全知の表現であるこの宇宙の奧妙な調和がその証拠です。その方は、お金や権力や名声を必要としません。愛の本体である神に絶対に必要なただ一つのものは、その愛を施すことができる対象、すなわち神が愛することのできる対象なのであり、この対象として現れたものが結果の世界です。
 それで、結果世界の中心であり総合実体相である人間は、絶対者の愛の理想にとって最も貴い対象存在なので、絶対者も人間を通して、その愛の理想の完全実現、すなわち絶対価値の実現を願うのです。それゆえ、絶対愛の理想が人間を中心として完成する基点は、人間が絶対者の対象体として完成する瞬間です。つまり絶対的主体の愛の前に相対的対象として合一調和すれば、愛の理想が実現される基点になるのです。

 

 絶対者との愛の共鳴圏が絶対境地と接する最低基準

 それでは、人間の完成、すなわち絶対者の対象体として完成するというのはどのような境地でしょうか。愛と完全調和の主体でいらっしゃる絶対者の前に対象体が備えるべき条件は、自体内の主体と対象が完全に調和し一体を成すことです。ですから、人間が絶対者を中心とする人格的成長により心と体が完全に一つになれば、絶対愛を実現する基となり、このときに人間は絶対者との愛の共鳴圏に入っていくようになるのです。すなわち、心と体が少しの相克もなく完全に調和すれば愛の感応圏が生じ、音叉が共鳴するように絶対者との共鳴圏が自動的に生じるのですが、これは相対的な世界で絶対境地に接する最低基準になるのです。
 人の心身が一体になる度数がどのくらい高くて純粋かというその程度によって、その人と主体的な絶対世界が和合し共鳴する程度が変わります。このような観点から見れば、宗教で言う人間の堕落とは、すなわち人間が絶対者との愛の共鳴圏に完全に到達する前に離れてしまったことを意味するものであり、救いとは、共鳴できない故障した音叉のような人間を修繕し、愛の共鳴体に復帰させる歴史的な摂理を意味します。
 心と体が絶対愛の下で完全に和合した個体、すなわち理想的個体になれば、個体だけに留まらず、他の個体との間に主体的または対象的立場をとり、発展的な授受の関係を結ぶようになります。愛の理想の発展は、絶対者の理想実現のための過程によって段階的に発展して高い次元に到達しなければならないからです。ですから、絶対愛の下で心と体が完全に一つになった理想的個体は、他の理想的個体と一つになって理想的家庭に発展し、この理想的家庭は理想的社会、国家、世界に発展し、絶対愛に対する感応によって得た喜悦と幸福が全体に波及して永遠に調和するのです。

 

 愛の立体的内容が欠乏した既存の価値体系は再評価を受けなければならない

 本来、愛自体は手段になり得ない目的であり、愛自体の方向性により平面的な相対関係や縦的な主従の秩序が定まります。愛にはあらゆるものが一つになろうとするのです。悪なる世代の没理解と迫害の中でも、愛の道を実践した聖人たちは、犠牲になり、ために生きることによって、世上の相克性を中和させる模範を見せてくれました。
 絶対的価値は、知識ではなく愛、情緒と結びつけて考えなければなりません。愛こそそれ自体が目的であり、完成であり、最高価値なのです。真の愛は、施す人が喜び、それを受ける人もまた喜ぶのです。本来、愛は本性で感じることによって個体の中で芽生え、体恤されるものであって、学んでなされるものではありません。
 知識の世界は認識を通して啓発されますが、情の世界は啓発することができません。それゆえ、絶対価値は知識の次元ではない絶対愛の次元です。このような点から第一原因者は、私たちの認識圏内で見出し得るものではなく、情緒的次元で感応し体恤するものであると言うことができます。
 愛の立体的な内容が欠乏した価値は永遠不変なものにはなり得ず、いつかは流れていってしまいます。現在までの様々な系統の主義と思想は、一面では人類の助けになりましたが、かえって人類の思想体系を誤った道に導き、歴史を発展的に導くことができなかった面も多いと思います。そのような意味で既存の価値体系の再評価が不可避であると思うのです。それだけでなく、各分野の学問的研究の業績が価値体系の混乱と転倒によって誤用されている事例がとても多いことも、嘆息せざるを得ません。
 このような諸問題を深刻に感じて先に目覚める者たちには、力を合わせてあらゆる学問的成果が人類のために正しく活用されるように処方し、監視しなければならない使命があると思います。誤った道に導かれた価値観を立て直すことを、これ以上、学者たちが傍観してはいけないと思うのです。そして、このことには、ある特定の専攻分野に分けて考えるのではなく、各分野の学者たちが使命意識によって協助することで成果を挙げることができると思います。
 尊敬する代表の皆様! 私は今回の大会が、現代社会が抱えている本質的な問題を解決するための真摯な討論の場となることを期待します。また、新しい希望を提示する会議となり、人類が理想とする世界を建設することに大きく寄与することを願いながら、記念の辞を終わります。

 

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