科学の限界と神様

 

日付:1979年11月23日
場所:アメリカ、ロサンゼルス、センチュリープラザ・ホテル
行事:第8回「科学の統一に関する国際会議」

 

 親愛なる議長、ならびに参席者の皆様。この度、第8回「科学の統一に関する国際会議」に参加してくださったことを感謝申し上げます。皆様が参加してくださることで、この会議の重要性が年々高まりつつあることを、本会議の創始者として光栄に思います。

 

 科学技術が誤用されている理由

 今回のテーマである「絶対価値の追求における学術的責任」に関連した「科学の限界と神様」について、いくつかの意見を述べたいと思います。

 近来の科学の発達に伴い、人類は大きな期待をもち、科学技術の進歩を通して、霊的、物質的困難から抜け出せるものと信じてきました。人類に貢献することを本来の使命として自覚してきた科学者たちは、究極的な科学的真理を追求すると同時に、科学技術が人間の生活におけるすべての面で応用できるように努力してきました。その結果として私たちが得たものは、目覚ましい経済的発展、物質的豊かさ、そしてそれ以前には見いだすことのできなかった肉体的平安でした。

 しかし、このような功績にもかかわらず、今日の科学技術は大きな欠点をもっており、公害、資源の枯渇、非人間化、核兵器の蓄積といった問題をもたらしています。すなわち、人類の幸福を目的として始まった科学は、その成功とともに恐怖と不安感までももたらすようになったのです。その理由は何でしょうか。それは、科学的中立性を固守するあまり、目的や価値に関して考慮しなかったからです。

 

 真正な価値観定立の必要性

 私がここでお話ししようと思うのは、人間は、その起源から価値をもっているということです。人間は神様の創造物です。そして、人間は創造目的に一致した明確な価値観をもって生きるように創造されました。本来、非常に大きな価値を所有してきた創造物であるにもかかわらず、人間はその価値観を無視して科学の万能性を信じ、それを万能薬としています。その結果、科学技術は次第に損害を増大させる原因となっているのです。

 科学は、人間生活において単なる手段であって、目的にはなり得ません。人生の目的は、神様の創造目的を実現するところにあります。人間は霊と肉の結合体です。したがって人間は肉的な生命を土台として、価値ある人生、すなわち愛と真、善、美の生活をするようになっています。便宜的に言えば、科学技術は、霊的生活に適合した肉的生活に必要なものです。ですから、価値ある生活を強調しなかったり、無視したりする科学は、かえって価値観の破壊をもたらし、今日のような恐怖と不安の現実を招くのです。真の価値観を追求し、発見することによってのみ、この不安な現実の中から人間を救うことができるのです。したがって科学は、絶対価値に基づくこの価値観に一致しなければなりません。

 それでは、この絶対価値はどこで発見することができるのでしょうか。私の考えでは、絶対価値は神様の愛の中でのみ見いだすことができ、神様の愛による真理と善と美こそが、正しく絶対価値なのです。結論的に、科学技術の悪用による被害から人間を解放するためには、科学自体が神様を認識し、神様の愛と同じ方向に沿ってその技術を応用しなければなりません。

 

 真理追求における科学の限界

 次に、自然界の真理を追求するためには、科学だけでは限界があるということについてお話ししたいと思います。20世紀に入り、科学はついに哲学の領域に入って真理を追求するようになりました。東洋と西洋の古代哲学がそうだったように、科学は宇宙の起源に関する問題を扱わずにはいられなくなったのです。

 特に物理学と生物学は、これまで長い間議論されてきたにもかかわらず、いまだに解決点を見いだすことができずにいる本体論の問題に直面しています。実際に量子物理学や分子生物学における一部の実験は、このような本体論的問題を探求するために行われました。

 すなわち、物理学は科学的な実験を通して、物質の本質が何であるかという疑問をもって、本体論を研究してきました。最初の回答は原子であり、2番目の回答は素粒子でした。結局、量子力学の回答は、物質の素粒子をエネルギー自体に結びつけるものでした。同様に、生物学では生命の本質とは何かという本体論的問題を扱った結果、生命の秘密はDNAの特性にあるという回答を得ました。

 このようにして、宇宙の真理を追求する中で自然科学は多くの事実を発見し、驚くべき知識の数々を集めています。しかし、これらも人間が提起する問題を究極的に解決するにはほど遠いと思います。量子物理学は、物質の土台がエネルギーであることを確信していますが、私たちはいまだにエネルギーの根源を知り得ず、それ以前の存在段階が何かも分からずにいます。また、エネルギーがなぜ、どのようにして、それ以前の段階から存在の段階へと移行するのかも分かっていません。なぜ多様な分子が存在するようになったのか、なぜ分子は陽イオンと陰イオンという独特な形態をもっているのか、などという問題は、いまだに明白になっていません。

 分子生物学は、生命の本質がDNA情報に含まれていると主張していますが、そこにも重大な問題が残っています。すなわち、DNA情報を構成する四つの構成単位は、どのようにして、その情報を得るようになったのか、などの問題です。

 科学が真理を追究する中で、驚くべき発展を遂げたにもかかわらず、このように、いまだに科学自体に多くの問題が解かれずに残っているという事実は、何を意味しているのでしょうか。これらの残された科学的問題は、今日、自然科学の領域の外にあるものと考えるしかありません。

 

 科学が直面した最後の挑戦

 今日までの科学は、真理を追究するに当たって、特定の現象に対する直接的原因を研究してきましたが、存在の全体的動機や理由に対する探求を扱ったことはありません。したがって、科学が直面した最後の挑戦は、存在の究極的理由に対する問題です。物質の本質とは何かという問題において、いまだに探求されていないのが「存在の理由」です。生命の本質とは何かという問題において、生命の存在理由それ自体が探求されていません。

 私が提起しようとする内容をさらに明確にすれば、まず目的性を認めなくてはならず、その目的性を認める前にその目的をつくり出した意志、すなわち万物を超越する宇宙的意志を認識しなければならないということです。この宇宙的意志を「神様」と呼ぶとき、未解決の問題を明確にする第1段階は、神様の創造目的を悟ることであり、第2段階は、物質と生命の現象において、物理学的、化学的要素とともに、各自を一定の目的へと向かわせる原因的動機の存在を感知することです。

 以上の内容を整理すると、人間の幸福のために発展してきた科学は、今日、人間の生活に障害と被害までもたらしました。このような被害から抜け出す唯一の方法は、神様の愛を中心とする真の価値観のもとで科学を発展させるところにあるのです。

 より多くの科学者たちが、科学が限界に達したことを認めるようになれば、その限界を超越する鍵が、すべての物質および生命的現象の背後で、神様の創造目的に従って動く動機にあるということを、彼らは発見するようになるでしょう。

 以上、私が申し上げた点が、今日、科学が直面している最も重要で切実な問題であると確信する次第です。著名な学者の皆様が今回のテーマに関して討議なさる際に、このような内容が参考になれば幸いです。

 最後に、絶対真理に関する皆様の研究と真理の追究が成功することを願います。この会議の発表に現れる皆様の努力の結実が、世界平和に貢献することを確信する次第です。ありがとうございました。

 

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