縄張りとミツバチ

この間、1月から今日まで半年間、外に出れば、
花にミツバチが来ているか、観察を続けてきました。

二ホンミツバチはあまり観察できず、
見つけるミツバチの90%以上はセイヨウミツバチ。

 

蜜が取れる花にはたいていはいて、
味気のなさそうな樹木の花にも
セイヨウミツバチは来ているという感じです。

観察できないときは雨の日か風が吹く日ですね。

同じ花に二ホンミツバチとセイヨウミツバチを観察することは、
まずありません。

 

ミツバチもそうですが、
昆虫が群れで活動しているときは、
その群れの力が強い方がその餌場を掌握します。

先日ある樹木の花を観察している時です。
あるハナバチが群れで花の蜜を集めていたのですが、
別の種類の昆虫が餌場に入って来ました。

するとすぐにそのハナバチは、
入ってきた昆虫を追い飛ばして、
縄張りから外に追いやろうとしていました。

 

観察してきた中で例外が1度だけありました。
それは夏みかんの花を観察した時です。

夏みかんの花は開花期間の旬は1週間くらいだと思いますが、
この期間中、花から蜜がふんだんに出てきます。

花の根本から蜜がにじんで出ていて、
光が当たるとキラキラ光るくらいです。

 

こういう感じで、餌場に蜜がふんだんにあると
他の虫を追い飛ばすことなどしなくても
集めたいだけ蜜を集められます。

どんどん出て来る蜜を集めることに
忙しくてたまらない状態。

この夏みかんの花の観察の時、1度だけ、
セイヨウミツバチと二ホンミツバチを同じ木に見つけました。

6カ月の観察では、群れの力は
セイヨウミツバチの方が圧倒的に強いように見えました。

 

昔、子供のころ同じようなことを見ていたことを思い出しました。

カブトムシを獲りに行った時で、
餌場が小さいと強いものが餌場を独り占めし、
餌場が豊富だと、何匹ものカブトムシが
仲良く樹液を吸っていましたね。

カブトムシだけでなく、
クワガタも、カナブンも、チョウとスズメバチも
皆同じ餌場にいました。

餌場と縄張りのこのような関係を観察することができましたが、
観察をするだけで自然の息遣いが学べます。

巣箱のミツバチたちの様子

きょうも活発に活動してくれているようですね。

 

■記事作成:埼玉県在住 Y・H

自然に関するみ言

先生は「統一原理」の80パーセント以上を自然から学びました。ですから、自然から学ぼうというのです。

(『文鮮明先生御言選集』 278-117 1996.5.1)

 

神様の愛を中心とした創造理念世界、すなわち大宇宙のすべての存在物はどれ一つをとってみても、神様の心情の外で生じたものはありません。今日私たちは、このようなことに対して、あまりにも無視し、無関心でした。私たちの周囲で無意識のうちに繰り広げられている天下万象は、神様の愛と共に存在するものであるという事実を知りませんでした。

(『文鮮明先生御言選集』 9-168~9 1960.5.8)

 

私たち人間は自然を愛します。自然を好みます。人間より自然をより好むのです。自然は純粋です。本然の状態をそっくりそのまま所持しています。よい文化住宅に住み、よい文化生活をしながらも、「ああ、山に行きたい。海に行きたい」と思うのですが、なぜ行きたいと思うのでしょうか。そのような所が本然の状態をそのままもっているからです。

(『文鮮明先生御言選集』 107-311 1980.6.8)

 

今日、私たちは、この万物世界、被造世界の原理と法則、公理と公式を解明するために努力する分野が科学だということを知ることができます。そして、自然の中に深く隠れている情緒的な分野を表したのが文学です。自然に表れていたり、隠されている美しさを、ある形態で構成し表現したものが芸術です。そして、自然の根本道理を解明しようとする分野が哲学です。そして、このような段階の上にあるのが宗教です。
それでは、真なる宗教と宗教家が解明するものがあるとすれば、それは何でしょうか。それは、自然の中の深い所に流れている情的な内容を解明することです。そのような責任を宗教が担わなければならないと見るのです。
人類の文化は、自然を抜きにしては考えることができません。自然から離れた人類文化は語ることができないのです。人間がいくら堂々とその威勢を誇り、権勢を享受したとしても、自然を無視すれば、そのすべてのものが成立しないというのです。このように、私たちの生活を価値あるものにしてくれるのが自然であり、私たちの生涯において必ず必要なものが自然なのです。

(『文鮮明先生御言選集』 6-340 1959.6.28)

 

今から皆さんは、一株の草を見るとしても、神様の立場で見ることができなければならず、花を見つめるとしても、神様の心情を代身する立場、神様の心情に通じることができる立場で見つめなければなりません。昆虫や鳥、ある動物を見つめるときにも、神様の心情と因縁が結ばれる、そのような内的な感情を体得することができなければなりません。

(『文鮮明先生御言選集』 6-340 1959.6.28)

 

めずらしいキジのつがいです

 

 

UPMC(「統一原理」マスタークラブ)
中村仁史

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