【原語で『原理講論』を読むプロジェクト活動報告】
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先日の12月17日木曜日、【原語で『原理講論』を読むプロジェクト】として、第20回目の韓国語『原理講論』訓読会を行いました。
訓読したみ言の中で、もう少し原文に近い日本語にしたほうが良いかもしれないと思われる箇所をピックアップしてみました。
現在の日本語訳と韓国語原文の直訳文とを比べて、意味やニュアンスの違いなどに注目してみてください。
■第20回韓国語『原理講論』訓読会
日付:2020年12月17日木曜日
場所:東京日暮里の某会議室
訓読:韓国語『原理講論』本文p273~286(第1章復帰基台摂理時代‐ノア家庭~アブラハム家庭)
■今回の訓読で確認した日本語『原理講論』の修正検討箇所一覧
(1)日本語『原理講論』p302の1行目
【日本語】
しかし、創造目的を完成させようとする神のみ旨は変更することができず、したがって絶対的なものとして予定し摂理なさるので、神はアベルが天に対して忠誠を尽くした、その心情の基台の上に、その身代わりとしてセツを立てられたのである(創四・25)。
【韓国語】
그러나 창조목적을 완성하시려는 하나님의 뜻은 변할 수 없는 것으로서 절대적인 것으로 예정하시고 이루시는 것이므로, 하나님은 아벨이 하늘을 대하여 충성했던 그 심정의 터전 위에서 그의 대신으로 셋을 세우셨다(창 4 : 25).
【韓国語原文の直訳】
しかし、創造目的を完成させようとする神のみ旨は変わりえないものであるため、絶対的なものとして予定し成し遂げられるので、神はアベルが天に対して忠誠を尽くした、その心情の基盤の上で、その身代わりとしてセツを立てられた(創四・25)。
(2)日本語『原理講論』p303の後ろから4行目
【日本語】
我々はアブラハムを信仰の祖と思っているが、元来は、ノアがその栄を担うべきであったのである。けれども、次に記録されているように、彼の子ハムの犯罪により、ノアの信仰の祖としての使命は、アブラハムに移されたのであった。
【韓国語】
우리는 아브라함을 믿음의 조상으로 알고 있지만, 원래는 노아가 되어야 할 것이었는데 아래에 기록되어 있는 바와 같이 그의 아들 함의 범죄로 인하여 노아의 믿음의 조상으로서의 사명은 아브라함에게로 옮겨졌던 것이다.
【韓国語原文の直訳】
我々はアブラハムを信仰の祖と思っているが、元来は、ノアがなるべきだったところが、次に記録されているように、彼の息子ハムの犯罪により、ノアの信仰の祖としての使命は、アブラハムに移されたのであった。
(3)日本語『原理講論』p307の4行目
【日本語】
ところが、この鳩は水の上をあちらこちら飛びまわっていたが、足の裏をとどめる所が見つからなかったので、再び箱舟に帰ってきた。そこで、ノアはこれを捕らえ、箱舟の中の彼のもとに引き入れたと記録されている(創八・9)。
【韓国語】
그런데 이 비둘기는 물 위를 왕래하다가 발붙일 곳이 없어서 다시 방주로 돌아가니, 노아가 그것을 받아들였다고 기록되어 있는 것이다(창 8 : 9).
【韓国語原文の直訳】
ところが、この鳩は水の上を往来していたが、足をつける所がないため、再び箱舟に帰ってきたので、ノアがこれを受け入れたと記録されているのである(創八・9)。
(4)日本語『原理講論』p310の5行目
(5)日本語『原理講論』p311の3行目
【日本語】
創造されたアダムとエバが、お互いにどれほど親しくまた近い間柄であったか、また、どれほど神に対しても、その前で隠し立て一つしない、水入らずの関係であったかということは創世記二章25節に、彼らはお互いに裸であっても、恥ずかしいとは思わなかったと記録されている事実から推察してみても、十分に理解できるのである。
【韓国語】
창조된 아담과 해와가 서로 얼마나 가깝고 허물할 것이 없는 사이였으며, 또한 얼마나 하나님 앞에 숨길 것이 없었던가 하는 것은, 창세기 2장 25절에 그들이 서로 나체로 있었어도 부끄러워하지 않았다고 기록되어 있는 사실로 미루어 보아서도 충분히 이해할 수 있는 것이다.
【韓国語原文の直訳】
創造されたアダムとエバが、お互いにどれほど親しく気がねない間柄であったか、また、どれほど神の前に隠しだてのないものであったかということは創世記二章25節に、彼らはお互いに裸であっても、恥ずかしいとは思わなかったと記録されている事実から推察してみても、十分に理解できるのである。
(6)日本語『原理講論』p311の後ろから7行目
【日本語】
ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼らが罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体を現していた、汚れのない人間の姿を御覧になって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。神はこのようなみ意を完成なさるため、ノアを裸で寝ているように仕組まれたのである。
【韓国語】
이에 하나님께서는 노아가 나체로 있어도 그 가족들이 그것을 보고 부끄러워하지 않고 또 숨으려 하지도 않는 모습을 바라보시는 것으로써, 일찍이 죄를 짓기 전 어디도 가린 데 없이 드러낸 나체 그대로의 인간을 보시면서 기뻐하셨던 그 심정을 탕감복귀하려 하셨던 것이다. 하나님은 이러한 큰 뜻을 이루시기 위하여 노아로 하여금 나체로 누워 있게 하셨었다.
【韓国語原文の直訳】
ここで神はノアが裸でいても、その家族たちがそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて罪を犯す前、どこも覆うことなくあらわにした裸体そのままの人間を御覧になりながら喜ばれた、その心情を蕩減復帰しようとされたのである。神はこのような大いなるみ意を成し遂げられるため、ノアをして裸で寝ているようにされたのである。
(7)日本語『原理講論』p311の後ろから4行目
【日本語】
したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、何ら恥ずかしがることなくノアと対したならば、ノアと一体不可分のこの摂理の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダムの家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることができたはずなのである。
【韓国語】
따라서 함도 하나님과 같은 입장에서 하나님과 같은 심정으로 아무 부끄러움 없이 노아를 대했어야 노아와 일체불가분의 뜻 가운데서 죄짓기 전 부끄러움을 몰랐던 아담가정의 입장으로 복귀하는 탕감조건을 세울 수 있었던 것이다.
【韓国語原文の直訳】
したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、何ら恥じることなくノアと対してこそ、ノアと一体不可分のみ旨の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダム家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることができていたのである。
(8)日本語『原理講論』p312の1行目
【日本語】
しかし、ノアの子らはこれと反対に、その父親の裸を恥ずかしく思ってこれを着物で覆ったので、彼らは、堕落後のアダムの家庭と同様に、サタンと血縁関係を結んだ恥ずかしい体となり、神の前に出ることができないという事実を、自証する立場に立つようになったのである。
【韓国語】
그러나 노아의 아들들은 이와 반대로 그 부친의 나체를 부끄러운 것으로 여겨 이를 가렸으므로, 이로써 그들은 타락 후의 아담가정과 같이 사탄과 혈연관계를 맺은 부끄러운 몸들이 되어서 하나님 앞에 나타날 수 없다는 사실을 자증하는 입장에 서게 되었다.
【韓国語原文の直訳】
しかし、ノアの息子らはこれと反対に、その父親の裸を恥ずかしいものと思いこれを覆ったので、これによって彼らは、堕落後のアダム家庭のように、サタンと血縁関係を結んだ恥ずかしい体となり、神の前に出ることができないという事実を、自証する立場に立つようになった。
(9)日本語『原理講論』p313の後ろから7行目
【日本語】
これは、我々が神への道を歩むに当たっては、どこまでも謙虚と従順と忍耐の心がなければならないということを見せてくださっているのである。
【韓国語】
이것은 우리에게 하늘 가는 길은 겸허와 순종과 인내를 요한다는 것을 보여 주고 있는 것이다.
【韓国語原文の直訳】
これは我々に、天に至る道は謙虚と従順と忍耐を要するということを見せてくれているのである。
(10)日本語『原理講論』p314の1行目
【日本語】
しかし、ハムの小さな過ちによってサタンが侵入するようになると、神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく捨てられ、その結果、ノアの家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである。
【韓国語】
그러나 함의 작은 실수로 말미암아서 사탄이 침범하게 되었을 때, 하나님은 복귀섭리의 대상이었던 그 가정 전부를 아낌없이 쓸어 버리시어 노아가정을 중심한 섭리는 실패로 돌아가고 말았던 것이다.
【韓国語原文の直訳】
しかし、ハムの小さな過ちによってサタンが侵入するようになったとき、神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく掃いて捨てられ、ノア家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである。
(11)日本語『原理講論』p316の6行目
【日本語】
しかし、一代を四十日期間で蕩減復帰することは不可能なので、後日、モーセ路程において、偵察四十日の失敗を、荒野流浪四十年期間でもって蕩減復帰したように(民数一四・34)、ここにおいても、その各々の代が、審判四十日の失敗を四十年期間でもって蕩減復帰するというかたちで通算年数を立てられたのである。
【韓国語】
그런데 1대를 40일 기간으로써는 탕감복귀할 수 없었기 때문에, 후일 모세노정에 있어서 정탐 40일의 실수를 광야 표류 40년 기간으로써 탕감복귀한 것과 같이(민 14 : 34), 여기에서도 각 대가 심판 40일의 실수를 40년 기간으로써 탕감복귀하는 통산년수를 세우게 했었다.
【韓国語原文の直訳】
しかし、一代を四十日期間としては蕩減復帰できなかったため、後日、モーセ路程において、偵察四十日の失敗を、荒野漂流四十年期間でもって蕩減復帰したように(民数一四・34)、ここにおいても、各代が審判四十日の失敗を四十年期間でもって蕩減復帰する通算年数を立てるようにしたのである。
■第21回韓国語『原理講論』訓読会の予定日
日付:2021年1月21日木曜日
場所:東京日暮里の某会議室
訓読:韓国語『原理講論』本文p286~301(第1章復帰基台摂理時代‐アブラハム家庭)
※韓国語『原理講論』は2006年2月20日発行の42刷標準横書きから引用
※日本語『原理講論』は2014年5月30日発行の第5版第1刷から引用
※韓国語原文の直訳文の文責は当ブログ管理者にあり、翻訳に際して使用した辞書は『朝鮮語辞典』(小学館)