先回の「アダムとエバの堕落①」の記事では、エバが神様ではなく、アダムから戒めのみ言を聞いたことを説明しました。
そして、このことを天使長ルーシェルは知っていたので、これを利用してエバを誘惑してきました。
その結果、エバは天使長と霊的に堕落してしまったのですが、どのような過程で堕落したのかについて解説します。
天使長がエバを誘惑してきた動機
最初に、天使長であったルーシェルがなぜエバを誘惑してきたのか、その動機について確認します。
このように、アダム・エバの創造前と同じように神様からの愛を独占する位置を保ちたいということが霊的堕落の動機でした。
知恵と欲望がある以上、神様から愛されたいという思いが生じるのは当然ですし、この思い自体は非原理的なものではありません。
しかし、神様の愛を自分が独占したいという思いは、愛に対する過分な欲望ですから、非原理的なものです。
こうして非原理的な欲望を抱いたルーシェルが、エバを誘惑していくようになります。
天使長はどのようにエバを誘惑してきたか
冒頭の序文で、「ルーシェルはエバがアダムから戒めのみ言を聞いたことを知っていた」と言いました。
どうしてそう言えるのかというと、ルーシェルがエバを誘惑するさいに、次のように語ったからです。
天使長ルーシェルを象徴するへびが語ったこの「ほんとうに」という言葉がポイントです。
エバが神様から直接戒めのみ言を聞いていたのなら、最も狡猾だったというルーシェルがこのような言い方をするでしょうか?
サタンが誘惑してくるとき、断定的な表現で「これこれこうだ」と自分から結論を言うことはありません。
どこまでも人間自身が自分で神様のみ旨とは異なった方向に考えるように誘導してくるので、「~ではないですか?」と問いかけてくるのです。
このようにルーシェルは、エバが「取って食べてはいけないというのは、アダムが勝手に言ったことなのかもしれない」という不信の思いをもたせようとしたと洞察できます。
また、この問いかけからルーシェルがアダムではなく先にエバを誘惑してきた理由も見えてきます。
もしアダムに対して「ほんとうに神が言われたのですか」と言ったらどうなるでしょうか?
「いやいや、ほんとうもなにも、私は神様から直接聞きましたから」と言われて一蹴されてしまったはずです。
天使長に誘惑されたときのエバの心の状態
このルーシェルの誘惑の言葉に対して、エバは次のように答えています。
エバは「神は言われました」と言っていますが、創世記では戒めのみ言を下さったあとにエバは創造されていますし、『原理講論』にはアダムがエバに戒めのみ言を伝えたとなっています。(『原理講論』p296)
ですから、エバはアダムから「神様がこう言われた」といって戒めのみ言を聞いたのです。
では、ルーシェルから誘惑されたときのエバは、どのような状況だったのでしょうか?
アダムからは神様のみ言として「取って食べると死ぬ」と聞き、一方でルーシェルからは「取って食べても決して死なない」と、まったく正反対のことを聞いていました。
ですから、エバはこのとき、知的に迷わされ、心情的に混沌となってしまっていたわけです。
戒めのみ言を不信してしまったエバ
私たちが正反対の話を聞いたとき、自分で判断できればよいですが、知的にも心情的にも混沌となっていれば、何を基準にその正否を判断するでしょうか?
それは、その話をした人と自分との心情関係や信頼関係によって判断するのではないでしょうか。
話している内容が異なるとき、信頼できる人の方の話を受け入れやすくなるものです。
学生時代に、担当する先生が好きか嫌いかによってその学科の成績が上下したという経験がある人もいるのではないでしょうか。
また、職場でも、社長の方針や指示を直属の上司から聞いたとき、その上司との関係が良好だと社長の方針や指示を受け入れやすくなります。
しかし、反対に直属の上司とうまくいっていないと、その方針や指示に対しても反発したくなるものです。
ですから、エバが戒めのみ言を守るか、それとも誘惑の言葉に従うかの判断は、そのときにアダムとルーシェルのどちらと信頼関係があったかによって決まるということになります。
このときの状況について、文鮮明先生は次のように語られています。
このようにして、知的に迷わされ、心情的に混沌となっていたエバは、アダムより多くの時間を一緒に過ごしていたと思われるルーシェルの言葉を信じるようになったのです。
エバの霊的堕落に見る教訓
「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」(創世記3:5)というルーシェルの誘惑の言葉を聞いたエバは、未完成の立場で神様のようになることを願いました。
もしこのとき、エバにアダムとの信頼関係ができていれば、「そんなによいものなら、アダムにも教えてあげよう」と考えて、アダムにも天使長の言うことを伝えていたはずです。
しかし、エバは、天使長が「あなたがた」と言っているのに、自分だけが神様のように善悪を知る者になろうと考え、アダムには何も伝えませんでした。
アダムとエバの間に心情的な隙間があることを知っていたからこそ、天使長は「あなた」と言わずにわざと「あなたがた」と言ったのです。
それは、エバの心に自分だけで独占したい、アダムを見返したいという思いを抱かせようという意図があったからです。
このようにして、時ならぬ時に時のことを望む過分な欲望を抱いたエバ(『原理講論』p291)と、愛に対する過分の欲望によって自己の位置を離れたルーシェル(『原理講論』p109)の間に相対基準が結ばれ、その授受作用によって生じた非原理的な愛の力によってエバは堕落線を越えてしまいました。
アダムとエバの責任分担の一つは、愛の減少感を抱き、愛に対する過分な欲望をもって誘惑してきたルーシェルを正しく主管することでした。
この場合、正しく主管するとは、神様がルーシェルを愛するのと同じように愛することだったと考えられます。
そうすることによってルーシェルの愛の減少感は満たされ、神様からも愛され、アダムとエバからも愛されるという、今まで以上に愛を受けることになっていたでしょう。
そして、ルーシェルから誘惑されたとき、エバは自分だけで判断せず、アダムと一緒に神様に相談してみるべきでした。
エバの霊的堕落の経緯から、「絶えず祈りなさい」(テサロニケ1五・17)と聖書にあるように、神様と一問一答しながら生活することが、サタンの誘惑を退ける最善の道です。