今回は、新約時代の教区長制キリスト教会時代400年を蕩減復帰する「氏族メシヤ家庭教会時代」について解説します。
「氏族メシヤ家庭教会時代」は、真の父母を中心として成約聖徒(祝福家庭)たちが氏族のメシヤとなり、神主権の国を復帰していく時代です。
この時代に起きた主な摂理的同時性の史実を取り上げ、それらを比較しながら検証してみたいと思います。
第1節 「氏族メシヤ家庭教会時代」の概要
(1)「氏族メシヤ家庭教会時代」の年代区分
旧約時代は、モーセの時代からイスラエル民族が士師時代400年を歩み、新約時代は、アウグスチヌスの時代からキリスト教信徒たちが教区長制キリスト教会時代400年を歩みました。
最初に、この教区長制キリスト教会時代400年の原理的な意味を『原理講論』から確認してみましょう。
これが、すなわち、キリスト教がローマ帝国の国教として公認されたのち、西暦八〇〇年チャールズ大帝が即位するまでの、士師に該当する教区長によって導かれた、教区長制キリスト教会時代四〇〇年期間なのである。(『原理講論』p461)
この教区長制キリスト教会時代400年を実体的に蕩減復帰する期間が「氏族メシヤ家庭教会時代」の40年間です。
具体的な年代で言うと、1960年の真の父母様の「聖婚式」から、2001年の「神様王権即位式」までの40年間を意味します。
この時代は、教区長制キリスト教会時代400年を10分の1の期間で蕩減復帰する路程となるので、年代別に区分すると次のようになります。
西暦401~500年 ⇒ 西暦1960~70年
西暦501~600年 ⇒ 西暦1971~80年
西暦601~700年 ⇒ 西暦1981~90年
西暦701~800年 ⇒ 西暦1991~2000年
次に、新約時代の教区長と成約時代の氏族メシヤについて見てみましょう。
(2)新約時代の教区長と成約時代の氏族メシヤ
教区長制キリスト教会時代は旧約時代の士師時代の摂理的同時性の時代ですが、この士師と教区長がどのような立場だったのかについて、『原理講論』には次のように記述されています。
彼ら士師たちは、次の時代において分担された預言者と祭司長と国王の使命を、すべて兼任していたのであった。それゆえに、ユダヤ教の封建社会は、このときから始まったのである。
このような士師時代を、実体的な同時性をもって蕩減復帰する時代である新約時代の教区長制のキリスト教会時代においても、教区長たちは、キリスト教信徒を指導するという面において、士師のそれに該当する職分を帯びていたのである。(『原理講論』p470)
新約時代の教区長は、旧約時代の士師と同じく、預言者と祭司長と国王の使命を兼任する立場でキリスト教信徒を指導していました。
成約時代にこのような士師と教区長と同じ立場に立っていたのが「氏族メシヤ」でした。
文鮮明先生は、「氏族メシヤ」の立場と使命について、次のように語られています。
皆さんが祝福を受けたあとは、自分の氏族のメシヤにならなければなりません。夫なら夫の、妻なら妻の親族のメシヤです。「氏族メシヤ」の使命を果たさなければならないというのです。そのような立場で自分を中心として暮らすことができますか。その立場は、ユダヤ教式にいえば祭司長です。夫婦祭司長です。祭司長の使命を果たさなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』90-101 1976.10.21)
家庭教会は、私を中心として家庭、氏族、このように三段階です。蘇生、長成、完成です。ですから、皆さんはここで家庭教会が必要なのです。氏族がなければ国家編成ができません。ここから国が生まれてくるので、私たちは「氏族メシヤ」という名で家庭教会運動を始めたことを知らなければなりません。これは天の国のスタートだというのです。(『文鮮明先生御言選集』124-43 1983.1.16)
このように、氏族の祭司長の立場であった「氏族メシヤ」は、家庭教会をつくり、神様主権の王国である天の国を建設するための基盤をつくることが使命でした。
最初に「氏族メシヤ」の使命を付与されたのは、韓国の36家庭、72家庭、124家庭でしたが、その後、祝福家庭の基盤が拡大し、それに伴って多くの「氏族メシヤ」が誕生することになります。
第2節 真の父母の「聖婚式」と7年路程
(1)迫害の絶頂で迎えた真の父母の「聖婚式」
文鮮明先生が再臨主として朝鮮半島に降誕される時まで、韓国内のキリスト教徒たちは、日本帝国によって激しい迫害を受けていました。
それと同じように、文鮮明先生及び統一教会聖徒たちは、真の父母様がこの地上に顕現されるまで、激しい迫害の路程があったのです。
この期間は、第2次世界大戦が終った1945年から、真の父母様の「聖婚式」が行われる1960年まででしたが、この期間について語られた文鮮明先生のみ言を確認してみましょう。
最初の3年路程(1945~48年)において、先生が最高峰から出発しようとしたことが失敗に帰したため、これを満14年という期間を通して収拾し、1960年度にようやく聖婚の日が整うようになったのです。初めてこの地上に神様が願う家庭が生じたということです。その時は、ちょうどイエス様が十字架で亡くなるようにしたのと同様に、キリスト教と国が一つになって統一教会を葬り去ろうとしていた時でした。(『文鮮明先生御言選集』 67-242 1973.7.1)
洗礼ヨハネが失敗したことにより、イエス様は3年路程の道を行き、民族全体が反対しても、低い所から収拾して上がっていき、その国の教権者たちと主権者たちがイエス様を迎え入れることができる時まで、最高の反対を受けながら闘って勝利しなければなりませんでした。そのようにしなければ、家庭的勝利圏を立てることができないのがイエス様の道でした。しかし、個人的十字架の途上で追い込まれ、その峠を越えることができずに十字架にかけられたのが、イエス様の歩んだ道でした。
先生もそのような正常な道を行かなければならなかったのですが、キリスト教が反対することによって、キリスト教で基盤を築くことができず、キリスト教に足をつけることができませんでした。イエス様を憎んだのと同じように、すべてのキリスト教徒たちは公然と憎んだというのです。これは歴史的サタンが総発動し、一度に矢を集中するのでそのようになったのです。
それで梨花女子大事件が問題になり、1957年度から1960年度までの3年間で反対が最高度に高まったのです。その期間は、どれほど国が反対し、手錠をかけられて死の道を行ったとしても、命懸けで闘争しなければならない期間でした。それが1960年度まででした。(『文鮮明先生御言選集』 71-227 1974.5.1)
このように、第2次世界大戦の終了後、蘇生期の7年(1945~52年)と長成期の7年(1953~60年)の迫害路程を越えて真の父母様の「聖婚式」を迎えました。
再臨主が地上に降誕されるときも、多くのキリスト教徒が犠牲になった「三・一独立運動」を中心とする抗日運動が展開していました。
それと同様に、文鮮明先生を中心とする統一教会に対する国家的迫害が最高潮だったときに真の父母様の「聖婚式」は行われたのです。
当時の激しい迫害の状況について、文鮮明先生は次のように語られています。
このようにしながら、内的な問題では内的サタン、外的な面では外的サタンが合同して闘いをする、その最も複雑な渦中で1960年度4月11日、陰暦3月16日に「聖婚式」をしました。(『文鮮明先生御言選集』 71-228 1974.5.1)
先生は、結婚式場に行く前日まで警察署で調書を作成しながら闘っていたのです。大勢の背信者たちが讒訴する日、イエスの12弟子が反対したのと同様に、統一教会をよく信じていた12人が、一つになって反対するということが起きていました。
統一教会側だった人も反対し、教会も反対し、国も反対したのです。イスラエルの国とユダヤ教とイスカリオテのユダが一つになってイエス様を殺害したのと同様の運命に追い込まれたというのです。
その時が正に1960年の4月です。その時は反対の最高峰でした。もう一歩踏み出せるか出せないか、死ぬか生きるか、ここから新たに出発できるかできないかという境界線に到達していたのです。(『文鮮明先生御言選集』 67-243 1973.7.1)
本来、1945年当時に「小羊の婚宴」として、全キリスト教徒たちが賛美するなかで行われるべき真の父母様の「聖婚式」は、キリスト教の失敗によって、このような迫害の絶頂で行われることになったのです。
(2)モーセとアウグスチヌスと真の父母
上述したように、文鮮明先生が1960年4月11日(陰暦3月16日)、韓鶴子女史を迎えて「聖婚式」を行うことによって、真の父母様がこの地上に顕現されるようになりました。
次に、旧約時代のモーセ、新約時代のアウグスチヌスと摂理的同時性の立場に立つのが真の父母ですので、そのことを数理的な観点から確認してみましょう。
以下の聖句のように、イスラエル民族がモーセに従って出エジプトしたのは、エジプトに入ってから430年目です。
モーセは、ミデヤンの荒野で40年をすごしたあと、イスラエル民族をエジプトから導き出したのですが、このモーセのミデヤン荒野40年と摂理的同時性となる時期がアウグスチヌスの40年の布教活動です。
アウグスチヌスは、西暦391年に北アフリカのヒッポの教会司祭になり、396年には司教となります。
430年に亡くなるまでの40年間、モーセがイスラエル民族を導いたように、西方教会最大の教父としてキリスト教信徒たちを指導しました。
このように、旧約時代のモーセの立場を蕩減復帰する人物がアウグスチヌスであり、そのアウグスチヌスと摂理的同時性の立場となるのが、1960年の「聖婚式」によって顕現された真の父母です。
かつてイエス様は、「新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3章3節)と語られ、堕落した人間は真の父母によって重生しなければならないことを明らかにされました。
そして、その400年後に召命されたアウグスチヌスは、キリスト教の教理のなかに初めて原罪の概念を確立させた人物として知られています。
しかし、アウグスチヌスの時代には、霊的真の父母(イエス様と聖霊)による霊的救いのみで、原罪はそのまま残されていました。
文鮮明先生が真の母を迎えて真の父母となられることによって、人間の原罪を清算し、神様の血統に転換される霊肉の救いの道が開かれたのです。
そして、「聖婚式」のあと、文鮮明先生は36双(1961年)、72双(1962年)、124双(1963年)の祝福家庭を立てられ、この祝福家庭を「氏族メシヤ」として各氏族に派遣されました。
このように、モーセのミデヤン荒野40年、アウグスチヌスの教父活動40年と摂理的同時性の時期が、真の父母の「聖婚式」が行われた1960年から祝福家庭を立てる1963年までの4年間です。
(3)韓鶴子女史が真の母となった理由
①代理使命者を立てる蕩減復帰の原則
第2章で説明したように、再臨のメシヤのために天が準備したキリスト教アベル圏の教団が再建教会でした。
その再建教会を立てたのが崔氏であり、その崔氏から崔先吉女史(1925~2008)が最初の真の母として立てられました。
崔先吉女史は、新約の信仰者としては代表的な女性で、聖書に精通した篤実なキリスト教信徒でした。
しかし、そのように天が再臨のメシヤのために準備した新婦とキリスト教のアベル圏が、文鮮明先生を再臨のメシヤとして受け入れることができずに反対し、その立場を離れてしまいました。
そのため、それに代わる人物たちを立てなければならないのですが、過去の復帰摂理歴史では、中心人物が責任を果たせなったとき、次のような蕩減復帰の原則によって次の人物が召命されてきました。
このように、最初の摂理が失敗した場合、次の摂理は「サタンが一番愛する立場にいる存在」を復帰してこなければならないのです。
言い換えると、アベル圏として立てられた人物がサタンに奪われた場合、蕩減復帰の原則により、カイン圏から次の人物を探したてなければならないということになります。
このような観点から、なぜ韓鶴子女史が次の真の母として復帰されたのか、文鮮明先生のみ言から確認してみましょう。
②父方の崔氏から母方の韓氏へ
崔先吉女史の家系について文鮮明先生は次のように語られています。
最初の真の母である崔先吉女史の父方が崔氏で、母方が韓氏だと語られていることから、父方の崔氏が失敗したため、その対象となる母方の韓氏がその蕩減復帰を担うようになったと見ることができます。
③再臨主と統一教会に最も反対した韓氏
そして、韓氏について文鮮明先生は、ご自身の最初のご家庭が破綻した理由が韓氏の反対によるものだったことを次のように語られています。
先生と聖進の母との家庭が破綻したのは、既成教会のためです。韓景職(ハン・キョンヂク)牧師を中心とする永楽教会のためなのです。聖進の母や親戚を巻き込んで離婚させたのです。「怪しげな悪魔サタンの教主だ」と言いながら、聞く耳をもたずに濡れ衣を着せて反対しました。(『文鮮明先生御言選集』169-200 1987.10.31)
永楽教会を建てたのが誰ですか。(「韓景職です」)。それも韓氏です。また、平壌で活動するとき、反対した夫も韓氏で、反対した教会も韓氏です。その韓氏の家門からオモニ(韓鶴子女史)が出てきたのです。(『文鮮明先生御言選集』316-44 2000.2.9)
韓景職(1903~2000)氏は、永楽教会を設立した長老教の牧師で、1992年にかつて自らが日帝時代に神社参拝したことを告白し、キリスト教界に衝撃を与えた人物として知られています。
つまり、文鮮明先生と統一教会に反対した韓景職氏は、神社参拝を受け入れたカイン圏のキリスト教牧師でした。
そのため、真の母は、天から見て「サタンが一番愛する立場にいる存在」である韓氏から復帰されることになったのです。
④聖書に精通した崔先吉女史から何も知らない韓鶴子女史へ
さらに、聖書に精通した信仰者だった崔先吉女史がサタンに奪われたため、その反対に何も知らない韓鶴子女史がサタン世界から復帰され、聖婚されるようになったことが、次のみ言から分かります。
お母様(韓鶴子女史)が原理を知っていますか? 原理を知らないのです。何も知らないのです。それを教育しながら引っ張ってきて、夫の役割も果たさなければならず、家長の役割も果たさなければならず、氏族長の役割も果たし、宗教圏の代表、天の全権を中心とした代表責任者として立っているというとき、どれほど深刻か分かりません。(『文鮮明先生御言選集』344-269 2001.4.18)
お母様になれる人は、み旨をすべて知って来るのでしょうか。知っていてはいけません。何も知らない人でなければならないのです。何も知らない人を育てていくのです。それで、サタン世界から連れてきたのですが、連れてきたからといってそのまま天の基準には立てません。ですから、サタン世界から一歩一歩ここまで蕩減してこなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』73-242 1974.9.22)
サタンの主管圏:偶像商テラ ⇒ 統一教会に反対した韓氏
カインの立場:長子アブラハム ⇒ 長女韓鶴子女史
以上のような原理的理由により、文鮮明先生と統一教会に最も反対した韓氏の家系から、何も知らない韓鶴子女史が真の母として復帰されたのです。
(4)真の父母を中心とする7年路程
①第1次7年路程(1960~1967)の意義
文鮮明先生御夫妻は、「聖婚式」のあと7年路程を歩まれていますが、その意義について確認してみましょう。
1960年が、いったいどの基準だったでしょうか? 堕落したアダム、エバの立場、長成期完成級の基準です。長成期完成級基準を中心として完成圏まで上がるには、7年の期間が必要です。(『文鮮明先生御言選集』22-196 1969.2.2)
先生が、家庭において、復帰原則を中心として長成段階から完成段階に越えていかなければ、家庭的勝利の基盤を築くことができないというのが原理です。最後に残ったこの峠を越え、家庭を中心として決定的な勝利の基盤を築くために歩んだ路程が、第1次7年路程に該当する期間です。(『文鮮明先生御言選集』73-241 1974.9.22)
さらに、文鮮明先生は、この期間が韓鶴子女史を真の母として育て、再創造する期間であることを次のように語られました。
先生は、個人的な勝利の基盤を築いて民族の限界線を越えてきましたが、お母様はそうではないので、お母様を再創造しなければなりません。これが第1次7年路程です。第1次7年路程は、相対的な立場にいるお母様を中心として再び育てる期間です。エバはアダムを通して創造されました。したがって、アダムはエバを創造しなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』78-168 1975.5.8)
この7年間は、エバがアダムを主管したことを覆して完全にアダムの権限を立て、エバを再び教育する時なので、女性の言うことを聞いていけば問題が起きるのです。その原理を知り、女性が失敗すれば大変なことになるのを知っていたので、常にみ旨を中心としてその女性を従順屈服させるようにしてきたのです。
言い換えれば、エバを教育し、何であっても絶対服従して順応することができ、自分の命を犠牲にしたとしても順応できる、その基準を立てていかなければならないのが第1次7年路程の期間です。(『文鮮明先生御言選集』73-242 1974.9.22)
そして、崔先吉女史に侵入したサタンを分立するために行われたのが、韓鶴子女史と崔元福先生の長女権復帰の摂理でした。
②韓鶴子女史と崔元福先生の立場と使命
次のみ言にあるように、崔元福先生の立場は崔先吉女史の失敗を蕩減復帰する立場です。
このように、崔先吉女史の立場を代わりに蕩減されたのが同じ崔氏の崔元福先生です。
そして、メシヤの新婦となる女性は、生まれながらにして神様の血統であるメシヤとは異なるため、次のような血統転換の過程を経なければなりません。
ここには、必ず平面的(横的)に母が娘になり、娘が母になる、ひっくり返ることが起きなければなりません。天地開闢が起きるというのです。女性の世界で母が娘になり、娘が母にならなければならないのです。(『文鮮明先生御言選集』140-150 1986.2.9)
このような母が娘になり、娘が母になる摂理が韓鶴子女史と崔元福先生との間で行われたのです。
韓鶴子女史よりも先に復帰された崔元福先生(1954年)は、最初は母の立場となり、次に同じ妻の立場で韓鶴子女史がアベル的新婦、崔元福先生がカイン的新婦の立場で一体となる摂理が行われました。
そして、7年路程を経たのち、韓鶴子女史が本来の真の母の位置に座られ、娘の位置に下りた崔元福先生が真の父母様に敬拝されました。
これによって、韓鶴子女史と崔元福先生の間で母と娘が逆転する天地開闢が成就し、韓鶴子女史は真の母として立つことができるようになりました。
このようにして、1968年1月1日に「神の日」が宣布され、完成期の真の父母が顕現されるようになったのです。
第3節 「神の日」以降の摂理的同時性の事象
(1)カナン復帰と西ローマ帝国滅亡と「神の日」宣布
出エジプトから40年目に、ヨシュアを中心としてカナンに復帰したイスラエル民族は、そこで各部族に土地を分配し、新しい選民を増やしながらイスラエル封建社会を形成していきました。
新約時代においては、西暦476年、オドアケルにより西方正帝が消滅し、一般的には、この時をもって古代が終わって中世が始まったとされ、歴史の大きな転換点となりました。
そして、これ以降、新しい選民となったゲルマン民族を中心とする広範なキリスト教社会が西ヨーロッパに形成されていきます。
成約時代においては、1968年1月1日の「神の日」(後に「真の神の日」に改称)以降、430双(1968年)、43双(1969年)、777双(1970年)、1800双(1975年)と祝福家庭の基盤が拡大していきました。
「神の日」は、神様が地上に臨在できる基準が決定されたことを宣布した日であり、復帰摂理史において重要な転換点となりました。
(2)ローマ法王と真の母
新約時代にペトロの代理者を任じていたローマ司教に対して、歴史上初めて「キリストの代理者」という称号が用いられたのは、495年に行われたローマ司教会議でした。
このときローマ司教だったゲラシウス1世に対して「キリストの代理者」という称号が用いられ、他の五大司教(アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープル、アレクサンドリア)に対してローマ司教の優位性を示すことになりました。
このころからローマ司教は、ローマ法王として「キリストの代理者」であり、キリストの新婦圏となる全カトリック信徒を代表する立場として、その権威を増していくようになるのです。
そして、この史実と摂理的同時性の時期となる1968年以降、「神の日」の勝利により、韓鶴子女史が真の母の立場に立ち、成約時代の新婦圏である祝福家庭を代表する立場となります。
このように、ローマ法王と真の母は、西ローマ帝国滅亡と「神の日」宣布以降、それぞれメシヤの新婦圏を代表する立場に立つようになりました。
(3)ゲルマン民族のキリスト教社会と祝福家庭の統一運動
①ローマ帝国の東西分裂と「クローヴィスの改宗」(西暦496年)
この時代に神様はゲルマン民族を中心として、次のように摂理を進められました。
天の側の王国を建設できる基台を造成するため、ゲルマン民族を新しい選民として教化するようになったのですが、その最初の歴史的出来事が「クローヴィスの改宗」(496年)でした。その経過は下記のとおりです。
西暦313年に公認され、ローマ帝国内に広まっていたキリスト教は、ローマ帝国の東西分裂(395年)に伴い、キリスト教界の主導権をめぐって、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の保護を受けるコンスタンティノープル教会と西ローマ帝国の保護を受けるローマ教会が対立するようになりました。
その後、476年に西ローマ帝国が滅亡すると、その政治的な後ろ盾を失ったローマ教会は、ゲルマン民族の中でまだキリスト教化されていなかったフランク王国に接近し、496年、メロヴィング王朝の王クローヴィスをアタナシウス派のキリスト教に改宗させ、新たな保護者を得ることができるようになりました。
この「クローヴィスの改宗」によって、フランク王国はローマ教会と結びつき、異端とされたアリウス派を信仰する他のゲルマン諸国に対して聖戦を行い、同じローマ教会の信仰をもつローマ人と結婚することによって、両者が融合していくようになります。
これ以降、ローマ教会とフランク王国の関係は次第に強固なものになっていき、756年の「ピピンの寄進」を経て800年の「カールの戴冠」により、天の側の王国としてキリスト教を中心とする統一王国が成立することになるのです。
②新約時代と宗教・政治・経済の分化、発展と成約時代の統一運動
476年の西ローマ帝国滅亡後、西ヨーロッパで封建社会が形成されるようになると、宗教と政治と経済が別々の発展過程を経ていくようになり、それぞれの分野で天の側の王国を建設するための基台が造成されていくようになりました。
成約時代において、西ローマ帝国が滅亡した476年の時期に相当するのが1968年前後であり、この時期から祝福家庭を中心として、宗教分野の統一教会は超教派運動、政治分野の勝共連合は共産主義に対する救国救世運動、経済分野の統一財団は科学技術と生活基盤の平準化運動をそれぞれ展開していくようになります。
■宗教分野:「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」
韓国協会 1954年5月1日創立
日本協会 1959年10月2日創立
米国協会 1966年3月30日創立
■政治分野:「国際勝共連合」
韓国勝共連合 1968年1月13日創立
日本勝共連合 1968年4月1日創立
米国勝共連合 1968年5月1日創立
■経済分野:「統一財団」
統一グループ(韓国) 1963年10月創立
幸世商事(後のハッピーワールド 日本)1971年5月創立
これらの団体が、一つの理念を中心として完全に一致した方向に向かって発展することによって、最終的に2001年1月13日の「神様王権即位式」として結実することになります。
これは韓国で「国際勝共連合」が創立(1968年1月13日)されてから33年目の摂理的な出来事でした。
第4節 チャールズ(カール)大帝の即位と「神様王権即位式」
(1)チャールズ(カール)大帝が即位するまでの過程
①「ピピンの寄進」(756年)
カロリング王朝を建てたピピンは、西暦756年、当時ローマ法王と対立していた同じゲルマン民族のランゴバルド王国から奪ったラヴェンナ地方とその周辺をローマ法王に寄進しました。
これによってローマ法王領が成立し、ローマ教会はそこからイタリアの中部に領土を拡大して教会国家が建設されるようになりました。
これは法王を中心とする霊的な王国が初めて地上に定着できる基盤をもったことを意味します。
②チャールズ(カール)大帝のローマ皇帝即位
「ピピンの寄進」以降、フランク王国とローマカトリックの関係はさらに強固になり、800年には「カールの戴冠」により、フランク王がローマ皇帝となります。
こうして、法王を中心とする霊的な王国と国王を中心とする実体的な王国が一つになり、西ヨーロッパにキリスト教を中心とする王国が成立しました。
西暦800年に行われた「カールの戴冠」の摂理的な意義を『原理講論』から確認してみましょう。
新約時代のキリスト教界は、復活されたイエス様を霊的な王の王として信奉する、一つの国土のない霊的な王国です。
この法王を中心とする霊的な王国と国王を中心とした実体的な王国が一つになれば、そこに「メシヤのための基台」ができ、再臨のメシヤを迎えることができるようになります。
歴史上、その最初のチャンスを迎えたのが西暦800年に行われた「カールの戴冠」の時だったわけです。
(2)「神様王権即位式」の意義
霊的な王国と実体的な王国が一つになるという意味で、「カールの戴冠」と摂理的同時性の出来事が、2001年1月13日に行われた「神様王権即位式」です。
この「神様王権即位式」の意義について、文鮮明先生は次のように語られています。
荒野に追い出され、その道を行った真の父母に、神様もついていかなければなりません。悪の世界にいることはできないのです。そうして、死んでいたイエス様の体を、真の父母が初めて実体的基準で取り戻し、再びこの実体的基準に霊的基準を連結させたのが、今回の3000年に向かう出発と、聖書歴史7000年が出発する、2001年の1月13日に行われた「神様王権即位式」なのです。(『文鮮明先生御言選集』346-227 2001.7.1)
このように、「神様王権即位式」とは、失われたイエス様の実体を文鮮明先生が復帰され、霊的基準と連結させることによって、神様の王権が地上に定着できる時代を迎えたことを意味しています。
つまり、天上にいらっしゃる神様が地上の真の父と一体になり、真の父であられる文鮮明先生を通して天の権勢をふるうことができる時代になったのです。
ところで、新約時代に「カールの戴冠」によって霊的な王国と実体的な王国が一つになることができたのは、「ピピンの寄進」の基台があったからです。
この「ピピンの寄進」があった756年と摂理的同時性の時期は1995年になりますが、文鮮明先生は1995年の「真の神の日」に「1995年は統一の年です」と語られています。
しかし、残念ながら成約時代においては、新約時代の「ピピンの寄進」のように、1995年に「南北統一」を実現することはできませんでした。
朝鮮半島の統一が実現しなかったにもかかわらず、なぜ「神様王権即位式」を行うことができたのでしょうか?
次に、文鮮明先生御夫妻が歩まれた路程を見ながら、その理由を考えてみましょう。
第5節「神様王権即位式」のための条件と父子協助時代の出発
(1)神様を解放するための条件
文鮮明先生が「天宙平和連合」創設大会(2005年9月12日)の時に語られたみ言によると、「神様王権即位式」は神様が完全解放されたことを意味しています。
それでは、神様を解放してさしあげるには、どのような条件と基台が必要なのかを確認してみましょう。
これを知ることによって、朝鮮半島の統一が実現していないにもかかわらず、「神様王権即位式」を行うことができた理由が明確になります。
神様を解放するには、天地においてサタンを屈服させ、霊界の地獄とふさがった壁を崩さなければなりません。地上人たちと霊界人たちを、神様を中心とする祝福の道に自由に出ていけるように整備しなければ、真の愛の神様の心情が自由になって解放されないのです。(『文鮮明先生御言選集』343-198 2001.1.29)
神様は、神様ご自身を解放できません。なぜでしょうか。堕落したのはアダムとエバだからです。神様を解放するには、アダムとエバが完成し、このすべての経緯を明らかにしてサタンを除去しなければなりません。そうした後にこそ、神様を解放できるのです。(『文鮮明先生御言選集』263-221 1994.10.4)
以上のように、神様を解放してさしあげるには、次の三つの条件が必要だということになります。
1霊界の解放と祝福
2サタンの完全屈服
3アダムとエバの完成
それでは、どのようにしてこのような条件が立てられたのかを見ていきましょう。
(2)霊界の解放と祝福
①霊界解放‐楽園と地獄の撤廃
文鮮明先生御夫妻は、1995年以降、ウルグアイを中心とする南米の地に行かれて苦難の路程を歩まれます。
なぜウルグアイなのか、そしてなぜ南米に行かれたのかというと、次のような理由からでした。
韓国と軸になりえるのがウルグアイです。これを20年前から準備したのです。これが軸です。ここにも(韓国の独立運動と同じように)独立のための33人がいます。(中略)韓国ができなくなるときは、ウルグアイだというのです。カイン・アベルです。(『文鮮明先生御言選集』292-190~1 1998.4.12)
先生は、愚かなので南米に行って苦労しているのではありません。天主教(カトリック)を抱いて南米と北米を一つにするためです。(中略)キリスト教が歓迎していたら、聖進のお母さんを中心としてすべてを祝福するのです。その時、すべて終わっていたのです。世界的祝福です。40年は必要ありません。(『文鮮明先生御言選集』301-90 1999.4.16)
韓国のキリスト教が受け入れず統一教会を立てましたが、1995年までに「南北統一」は達成できませんでした。
そのため、蕩減復帰の原則によって、韓国の反対側に位置し、カトリック圏のウルグアイを中心とする南米に行かれたのです。
塞がれた霊界の障壁を崩すため、南米の地で限りない精誠と蕩減の条件を立てられ、さまざまな霊界解放の宣布式をされました。
南米に行かれてから「神様王権即位式」までの期間に、ウルグアイやブラジルで行われた主な宣布式は以下のとおりです。
■「世界平和家庭連合の定着と蕩減解消宣布」(ウルグアイ)1996年11月1日
■「地獄解放と天国開門宣布」(ブラジル)1998年5月15日
■「復帰摂理完了宣布」(ウルグアイ)1999年1月7日
■「真の祝福天宙化とサタン血統根絶完全解放宣布式」(ウルグアイ)1999年1月8日
■「天宙解放式」(ブラジル)1999年5月14日
■「神様王権即位式」のための宣布祈祷(ブラジル)2000年12月1日
■「楽園と地獄撤廃および天国入籍」宣布(ウルグアイ)2000年12月3日
以下のみ言にあるように、このような一連の霊界解放宣布によって楽園と地獄が撤廃されたため、「神様王権即位式」をすることができたのです。
長成圏が国家基準ですが、今まで国家基準を中心として迫害してきました。キリスト教文化圏にメシヤを送ったのも、国家基準を越えるためです。今国家基準を越えることができる時が来たので、再び聖酒式をするのです。このようにすることによって、楽園と地獄を撤廃して神様まで解怨したので「神様王権即位式」を宣布することができたのです。(『文鮮明先生御言選集』343-119 2001.1.21)
世界的な家庭です。縦的な家庭を中心として、世界的に家庭を拡大するのです。それで、3万双から36万双、360万双です。蘇生、長成、完成でこれができることによって、世界の統一家庭たちが動くにおいて障害物がなく、歓迎されうる時代になったので、神様がどこに行かれても休むことができる時代が来たのです。それでこの宣布式をしたのです。(『文鮮明先生御言選集』 287-108 1997.9.19)
これを通してサタン主権時代から天の王権時代へと変わることによって、国家、氏族、家庭、個人版図において、サタンが神様の命令を受けなければならない世界的な版図が訪れてきたとおっしゃいました。天宙的な真の父母様の名を中心として、失ってしまった九数を撤廃し、サタン的な役事の根絶を天宙に宣布するとともに、天の最後の勝利の覇権を迎えることができる時代を宣布されました。
それでサタンが天の側の境界線圏内に入ってくることができなくなり、天の前に屈服することによって、天上世界の子女たちと地上の子女たちが、縦横と前後の全体を中心として統一的な愛の王権主義を宣布できるようにされました。(文興進様の霊界からのメッセージ 2002年1月1日)
(3)サタンの完全屈服
1999年5月30日、文鮮明先生は、「真の父母様東西洋(地球星)勝利祝賀宣布式」を行われたその日、李相軒先生の霊界メッセージ『人類の犯罪者ルーシェル』を訓読するように指示されました。
その中に「ルーシェルの謝罪」という項目があり、神様と真の父母様にあてたルーシェルの謝罪文が記載されています。
この文章は『文鮮明先生御言選集』の309巻にもそのまま記載されていますが、その場で文鮮明先生は次のように語られました。
この霊界メッセージについては信憑性の問題がありますが、何よりも重要なことは、再臨のメシヤである文鮮明先生が「1999年3月21日」をサタン完全屈服の日と認められたという事実にあります。
再臨のメシヤのみ言は天法ですから、全人類はもちろん、霊界や天使界もそれに従わなければなりません。
実際に文鮮明先生は、このサタン完全屈服の日から「神様王権即位式」まで、いっそう霊界の整備を急がれたことが次のみ言で分かります。
このようなサタンが完全に屈服したという条件が立ったために「神様王権即位式」をすることができたのです。
(4)アダムとエバの完成
アダムとエバの完成の条件として、1960年の「聖婚式」以降、韓鶴子女史が真の母として何を勝利されたのか、み言で確認してみましょう。
①7年路程(1960~1968)の勝利
お母様が、女性として夫がどのようなことをしても従順屈服し、それ以上の条件は立てることができないという限界点までも越えて従順にした基盤を立てたために、その基盤のもとに「神の日」まで設定できたということを、皆さんは知らなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』74-98 1974.11.14)
②21年路程(1960~1981)の勝利
ヤコブを中心として見るとき、ヤコブの12人の息子を中心としてエジプトに下っていくとき、72人です。モーセを中心として見ても、12支派と72長老です。イエス様を中心として見ても、12弟子と72門徒です。先生の時代も同じです。先生もお母様を中心として12人の子女を生まなければならないという根拠がここから出てきます。12人の子女をもたなければならないのです。20年の過程で、それがすべて展開するのです。(『文鮮明先生御言選集』106-76 1979.12.9)
お母様は子女を12人以上生まなければならなかったのです。20年間でそのように生まなければ大変なことになります。ほかの母親を通して12支派を編成すれば、どうなるでしょうか。お母様が子女を生むことができなければ、ほかの母親を通してでも数を合わせなければならないのです。ですから、20年間で12人以上生んだという事実は驚くべきことです。3次の7年路程でそのような歴史が展開したのです。(『文鮮明先生御言選集』163-261 1987.5.1)
③40年路程(1960~2000)の勝利
1)2000年までの7年路程の意義
1993年末、文鮮明先生は2000年までの7年間について次のように語られました。
2000年までの7年間、女性たちを立てて世界が向かう方向を提示しなければなりません。第2次世界大戦後に、キリスト教文化を中心として、新婦であるキリスト教文化圏が新郎である再臨主を迎え入れることができなかったので、それを蕩減復帰する7年路程が残っているのです。(『文鮮明先生御言選集』252-193 1993.12.30)
2000年までの7年間に、再臨主を迎え入れて世界が向かう方向を設定し、一つの世界にしなければなりません。1945年から1952年までの7年間に成し遂げようとしていたことが失敗したので、蕩減復帰期間が残っています。この期間にお母様を中心として、女性運動を大々的、かつ全面的に世界に拡張させていかなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』252-193 1993.12.30)
このように、韓鶴子女史を中心とする日本及び世界の女性たちが、再臨主を迎える新婦圏を再び立てなければならないのが2000年までの7年間でした。
2)「世界平和女性連合」の創設
文鮮明先生は、新たな新婦圏の中心人物として韓鶴子女史を立てるため、1992年4月10日に「世界平和女性連合」を創設し、その総裁に韓鶴子女史を任命されました。
このために行われたのが、1991年9月17日、日本での第一回「アジア平和女性連合」大会でした。
その話を最初に聞いたときは、雷が落ちたように思ったでしょう。日本の総理夫人まで出てきて座っているのに、その前に行って演説しなければならないというのは、普通のことではありません。しかし、それを断行したのです。それを連結させて韓国に戻ってきながら、「アジア平和女性連合」から始めて「世界平和女性連合」の大会まで行ったのです。(『文鮮明先生御言選集』232-196 1992.7.6)
この大会の翌日、韓鶴子女史は、7000人以上の日本の聖徒たちを前に、次のように語って文鮮明先生を証しされました。
再臨主が新郎ならば、エバは新婦です。そして、本来キリスト教が新婦としてエバの使命を果たさなければならなかったのです。しかし、キリスト教は、お父様に反対しました。新婦が新郎を裏切ったのです。それで、お父様は悲しまれたのです。何の基盤もなく、一人で40年の世界的荒野路程を行かれなければなりませんでした。
お父様は、再び新婦を取り戻さなければなりませんでした。そして、世界キリスト教の代わりとして探し立てられたのが「世界基督教統一神霊協会」であり、その中でも、エバ国家として選ばれた日本の食口たちです。日本の祝福家庭の数が韓国の祝福家庭よりも多くなったことも、お父様が日本をエバ国家、すなわち新婦国家として祝福なさったからです。(中略)
お父様は、日本食口に引き続き経済復帰、万物復帰を強調されながら、多くの責任量を下さいます。
日本の幹部に命令なさる時のお父様は、非常に厳しいのです。譲歩がありません。しかし、部屋に入ってきて祈祷される時は、日本の食口たちの難しい事情を思って涙を流されます。日本の摂理に責任をもった幹部たちの名前を一人一人呼ばれながら涙で祈祷して、日本の食口たちのために全身で精誠を尽くされます。(1991年9月18日 日本・東京ベイNKホール)
このような基台の上で、翌年の1992年4月10日、「世界平和女性連合」の創設大会が行われ、韓鶴子女史を中心に韓国と日本の女性が一つになったという条件が立てられたのです。
日本がカインの位置で一つになることによって、二つの国の女性が、統一圏をもったお母様を中心として、母になれる代表的基準に立ったので、「アジア平和女性連合」を中心として、「世界平和女性連合」の創設が可能だったのです。
これを宣布することによって、天に帰るにあたって、今まで後ろから付いてきたエバがお父様の横に立つようになり、父母圏が立てられたのです。(『文鮮明先生御言選集』229-343 1992.4.13)
そして、「世界平和女性連合」創設後の1年間、韓鶴子女史は世界各国(韓国・日本・アメリカ・ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ロシア・オーストラリア・ニュージーランド・フィリピン・中国)を巡回して講演会をされました。
これは、それまでに文鮮明先生が蕩減復帰されたものをすべて相続するための路程でした。
このように、解放された本然の位置に立つことによって、神様も解放され、父母様も解放され、万民も解放され、新約時代全体が完成するようになったので、これから成約時代を出発することができるのです。(『文鮮明先生御言選集』243-146 1993.1.3)
このようにして、成約時代の新たな新婦圏を復帰する路程が出発することになりました。
3)日本女性指導者16万人特別修練会
そして、韓鶴子女史の国家的な相対圏を立てるため、1993年6月7日から1994年11月20日まで、日本の女性指導者特別修練会が行われました。
この修練会は、アメリカのアラスカ・コディアック、ニューヨーク・イーストガーデン、韓国の済州国際研修院、京畿道九里市の中央修練院で、16万人の日本女性指導者たちを対象に行われました。
2000年代までは、お母様が本当にたくさん苦労しなければなりません。それで、今回の日本の16万名教育は、オモニのためにしたのです。日本の女性たちに、オモニが国ごとの大会を終えたので、これからはオモニとして堂々と世界に代わり、お父様に代わりえる時代が来たことを、何度も通告したのです。(『文鮮明先生御言選集』265-309 1994.11.27)
先生の家内は国がありません。エバの個人的な基盤である国がないのです。ですから、日本を定着させなければなりません。それで3年間、このために日本国の16万の女性を中心として完全に編制し、エバ国家の威信を立てることができる方向を整えました。このようにして、母の国とお母様が、カイン、アベルとして一つになりました。
それで、第2次大戦後、1945年に天地の大道の前に初めて解放を迎えたのと同様に、今年から2000年までの7年間、父母様を中心として1952年の状況と同じになり、再び地上に天国を成しえる世界統一時代に越えていく、このような大変遷時代を迎えるのです。(『文鮮明先生御言選集』262-227 1994.7.23)
4)日本女性世界宣教派遣と母の国日本
文鮮明先生から直接、教育を受けた16万人の日本女性を中心に、1994年から1999年まで、世界各国に多くの宣教師が派遣され、韓鶴子女史を中心とする新婦圏が世界に拡大されたのです。
この基台の上で1998年1月1日、文鮮明先生は「日本をエバ国家から母国家に昇格させる」と発表されました。
5)文鮮明先生による韓鶴子女史の表彰
日本が母の国となり、国家的な相対圏を得た韓鶴子女史は、1999年に世界80か都市を巡回して「真の家庭世界化前進大会」(1.17~5.29 韓国8か都市・日本16か都市・アメリカ24か都市・世界32か都市)をされました。
文鮮明先生は、これを条件として次のように語られ、韓鶴子女史を表彰されたのです。
キリスト教をはじめとする人類の宗教圏を越えて勝利の版図圏に立ったので、失敗したエバが復帰された価値として同じ位置で入籍し行動できる、このような資格をもつために、これを天地に宣布するのです。
それで、この場で文総裁がお母様に対して、韓鶴子女史に対して表彰するのです。今からは対等な位置です。男女平等圏の時代が来ます。愛を中心として男女平等圏時代です。(『文鮮明先生御言選集』302-231 1999.6.14)
以上のように、韓鶴子女史は、文鮮明先生に絶対信仰、絶対愛、絶対服従し、世界を巡回しながら全人類を愛した条件を立てられました。
文鮮明先生がサタン世界から何も知らない10代の韓鶴子女史を復帰され、40年間にわたって真の愛を投入し、教育して導かれた結果、崔先吉女史が失敗したことを蕩減復帰し、成約時代の新婦圏を代表する真の母の立場に立たれるようになりました。
そして、文鮮明先生が1999年6月14日、韓鶴子女史を表彰されることによってアダムとエバが完成した条件が立ったため、「神様王権即位式」をすることができたのです。
6)興進様を中心とする真の子女の基台
清平の地に「天城旺臨宮殿」が建設され奉献式が行われたのは、1999年11月7日でした。
文鮮明先生は、「天城旺臨宮殿」を建設したのは霊界の興進様であると次のように語られています。
神様の息子が王権を立てて神様を王座に座らせてさしあげたいと思ったのと同じように、真の父母様の息子が天上の神様を王座に座らせてさしあげると同時に、先に天上世界に行った息子の興進君が天上を収拾して地上にまで連結し、王権樹立のための準備の訓練所として建てたのが天城何ですか? 天城旺臨? (「宮殿です」)。天城です。天城が旺臨するということです。(『文鮮明先生御言選集』364-100 2002.1.1)
そして、霊界で勝利された興進様に祝福の権限を移譲する宣布式が2000年9月24日に行われ、その日に語られた文鮮明先生のみ言に次のようなものがあります。
地上の父母様を中心として、息子が霊界でしたことを引きおろしてきて、父母様が祝福したこと、皆さんが祝福を受けることができる基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結させ、一つにしなければならないのです。
父母様が地上で息子、娘を祝福した代わりに、霊界が天使長の立場で地上のアダム完成できる祝福基準に順応しなければならないので、興進君が地上に降りてきて、父母様と、父と息子が一つになった立場で祝福をした条件を立ててあげ、父母様がしたことをすべて興進君も再び共にしたと言える価値を認定するのです。(中略)
ですから、今後祝福は地上で先生がしてあげなくても大丈夫です。父がしてあげなくても大丈夫なのです。兄たちが大勢いるので、父が老いて亡くなれば兄たちが祝福してくれるのと同じように、父の祝福を今後、長子権の立場にいる興進君が祝福を地上でもでき、霊界でもできるというのです。
お父様が地上でも祝福してあげることができ、霊界でもしてあげるのと同じように、同等な価値を一体化させるために地上の父が霊界の息子に伝授式をしてあげるのです。(中略)
興進君がいなければ、顕進君が父の代わりに祝福してあげることができる時代に入っていくというのです。2世が父母様の代わりに祝福してあげることのできる時代に入っていくので、霊界は兄の興進君がすれば、この地では弟がするのです。同じ立場で見れば、興進君が兄であり顕進君が弟なので、弟の顕進君が地上世界の皆さんを祝福してあげることもできるのです。(『文鮮明先生御言選集』332-287 2000.9.24)
この日の祝福権の移譲は、霊界においては長子の立場の興進様、地上界においては次子の立場の顕進様に対して行われたものです。
これによって天宙に真の家庭の基台が造成され、神様が真の父母様と一つになって直接主管できるようになりました。
『原理講論』には神様の人間に対する直接主管について、次のように説明されています。
神様の人間に対する直接主管は、人間が家庭的な四位基台を造成することで実現されます。
2000年9月24日の「祝福権移譲式」で真の子女様に祝福権が移譲されることにって、この基台が造成されました。
このような基台の上で「神様王権即位式」が行われ、文鮮明先生と一つになられた神様が真の家庭を直接主管し、天の権勢をふるうことができる時代が開かれたのです。
(5)「天宙平和統一国(天一国)」と父子協助時代の出発
文鮮明先生は、韓鶴子女史に表彰牌を授与されてから3ヶ月目の1999年9月13日、父子協助時代が到来したことを次のように語られました。
その後、「神様王権即位式」を間近にひかえた2000年11月11日、真の子女様と40日海洋修練の修練生が参席するなか、文鮮明先生は、「父子協助時代」を宣言されました。
そして、「神様王権即位式」から約10ヵ月後、10月29日から11月9日に韓国の8大都市で「天宙平和統一国韓国大会」が行われ、「天宙平和統一国(天一国)」が宣布されました。その上で、文鮮明先生は、第42回「真の子女の日」(陽暦11月15日)に「天一国国民証」の発給を宣布され、「父子協助時代」が始まるようになりました。
次の「天宙平和統一王国時代」(2001~2013)は、神様主権の「天一国」を実体的に建国するための12年路程となります。
まとめ
【氏族メシヤ家庭教会時代】(1960年~2001年)
再臨主が真の母を迎えて真の父母となり、その真の父母によって重生された祝福家庭たちが、各氏族のメシヤとして家庭教会を立て、神主権の王国を建設するための基台を造成する時代です。
【教区長制キリスト教会時代と氏族メシヤ家庭教会時代の同時性的現象】
①391~430年 アウグスチヌスの教父活動
⇒ 1960年~63年 真の父母の「聖婚式」と祝福家庭(36双・72双・124双)誕生
②476年西ローマ正帝消滅~495年ローマ司教会議
⇒ 1968年「神の日」宣布~真の母の勝利
③800年「カールの戴冠」⇒ 2001年「神様王権即位式」
以上で「氏族メシヤ家庭教会時代」の解説を終ります。次章は「天宙平和統一王国時代」についての解説になります。