摂理から見たアベルたち(4/10)
1979年12月30日(日)
アメリカ・ベルベディア
※このみ言は、1979年12月30日の聖日に、新しく80年代を迎えるに当たって、私たち統一教会員のアベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、10時間にわたって語られたものです。また、日本では、『摂理から見たアベルの正道』というタイトルで小冊子になりました。
信仰、愛、理想においてアベルであってこそ真正なアベル
それでは、そのレバレンド・ムーンがアベルであれば、今まで何をしましたか? 世界史的な個人レベル、世界史的な家庭レベル、世界史的な氏族レベル、世界史的な国家レベル、世界史的な世界、天宙レベルを歩んで闘い、ついに位置を定めたのです。その時に初めて定着しました。それは誰のためにしたのですか? 皆さんたちのためです。共産党が民主世界の責任を受け継ぎ、民主世界の私たちが天のための忠孝の道理を果たし、サタン世界と闘うというとき、アメリカは定着するようになります。
垣根がなければなりません。今まで先生が全民主世界にサタンから攻撃されないように垣根をつくっておいたので、皆さんが家庭をもって楽に暮らすことができるという話です。何のことか分かりますか?(「はい」)。そのような原理的思想をもたなければなりません。これが今、原理を知らないというのです。今回、マイケルがあのようになったのは原理を知らないからです。それは歴史的な伝統の原理ですが、これは今日の生活的な原理だということを知らなければなりません。皆さんにぴたっと当てはまるのです。公式です、公式。
さあ、このような原則に従ってみるとき、今日のレバレンド・ムーンが宗教指導者として、歴史始まって以来の世界的な迫害を受けるという事実は、世界的アベルの責任があるからだという結論が出てきます。何の話か分かりますか?(「はい」)。黒人の中でレバレンド・ムーンに反対した人がいますか?(「いません」)。反対したのです。噂だけを聞いて「そのレバレンド・ムーンは間違っている、間違っている」、最初はそうでした。それは理解が浅かっただけです。
全世界127か国に宣教師を送り出したのは、すべて攻めなさいと送り出したのです。世界的に反対を受けなさいということです。そこには、アメリカ人、日本人、ドイツ人が行ったのですが、これは現在、南北米中心であり、これはアジア中心であり、これはヨーロッパ中心です。日本、ドイツ、アメリカ、この3か国が世界を動かします。そうでしょう?(「はい」)。彼らはお互いに怨讐です。怨讐だとしても一つになりなさいということです。これが一つになるのは簡単ですか?(「いいえ」)。そこで「ああ、私がアベルだ」というのは怨讐です。アベルは、カインをつくっておいてアベルの本分を果たさなければなりません。互いが責任者になろうと……。
まずカインをつくり、心情的にして、「ここにいる宣教師が最も愛が多く、最もアイデアがよい」という話を聞けるように模範を見せてあげ、自然屈伏させた後に「私が指導してあげよう」と言えば、「はい」と言うのです。このようにしなければなりません。その次に、食べるとき、一番先にご飯をがつがつ食べ、おいしく食べようというのがアベルですか?(「違います」)。「あなたたちが食べなさい、私は食べ残したものを食べる」と言うのがアベルです。また、「あなたたちは寝なさい、私は寝なくてもよい。あなたたちは休みなさい、私は苦労してもよい。私がやろう」と言うのがアベルです。それでカインが「あなたは天の人です、私たちの代表になってください」と言うとき、そこからはご飯を先に食べてもよく、先に寝てもよく、先に休んでもかまわないのです。「私が先に入ってきたから私がアベルだ。あなたがご飯を用意しなさい」、そのような道理はないというのです。
もしそうだとすれば、年上の人が先に世の中に生まれたのですが、おじいさんが一番のアベルですか? 統一教会でも、神様の前でも、先にきた人がアベルですか? それでは、何においてアベルでなければならないのですか? 信仰においてアベルでなければならず、愛においてアベルでなければならず、理想においてアベルでなければなりません。いくら先にきたとしても、自分を救ってくれ、自分を伝道してくれなければ、アベルが出てこないというのです。生んであげなければなりません。エバの立場で生んであげなければならず、アダムの立場で生んであげなければならないのです。それが何の話か分かりますか?(「はい」)。
カインとアベルを一つにしてこそ祝福を受けることができる
皆さんは今、アダムとエバの立場にいますか? 皆さんがカインとアベルを一つにすることができなければ、祝福を受けることができないようになっています。そうではないですか? この3代、神様、アダムとエバ、息子娘の3代です。皆さんも同じだというのです。それで、伝道は命と代えて……。四位基台をもつことができなければなりません。外的に、内的にもてなければならないのです。それが原理ではないですか?
では、息子、娘が生まれれば、養うことができなければなりません。それでファンダレイジングをするのです。人の子女たちを養って生かし、すべて結婚させ、嫁がせることができる経費を稼ごうとするのですから、私がお金をつくることができ、伝道することができなければなりません。ファンダレイジングをするのはすべて経験です。準備するのです。
外的家庭を祝福してあげ、その次に自分の息子、娘を祝福してあげるのが原理ではないですか? 先生もそのように行くのです。先生だからといって例外ではありません。先生もそのように行くのです、先生も。これを思い通りにできますか? 思い通りにできるなら、私がなぜ苦労するのですか?
自由主義の傾向がある皆さんを結婚させてあげて、何か利益がありますか? 生活が苦しいと、「苦しいから助けてほしい」と報告してきて、どれほど困り者ですか? お金があれば助けてほしいと、「レバレンド・ムーンは裕福に暮らし、私たちはこのように苦労している。レバレンド・ムーンの息子、娘は裕福に暮らし、私たちは苦労するのだな」、このように言います。皆さんがレバレンド・ムーンを助けてくれましたか? レバレンド・ムーンを助けてあげて裕福に暮らすのですか? 私が血と汗を流し、死ぬほど苦労して稼ぎました。何の話か分かりますか?(「はい」)。
そして、外的な家庭を中心として養い、結婚させるとき、世の中の父母が生んであげた以上にしてあげなければならないということです。そうしてこそ、祝福された家庭、3家庭以上が先頭に立ち、天が祝福することを称えてこそ家庭が生じるのです。内的家庭が生じます。それが原理だというのです、原理。そして、彼らが自分の息子、娘にそれを教えてあげのです。自分の内的な家庭と一つになれる方法を教えてあげるということです。
それでは、私がこのアメリカで苦労して追い出されていき、「このアメリカを離れなければならない」と言うとき、「ああ、あなただけが離れていってはいけません」とついていってこそ霊的子女であって、そうでなければ霊的子女ではありません。それを知らなければならないというのです。「私たちがお世話になったことを返す道は、あなたの息子、娘にこのようにしてあげることだと思うので、それを返すためについていきます。あなたが私たち3家庭のためによくしてくれたので、私たち3家庭は、あなたの息子、娘が結婚し、嫁いでいくときにすべての精誠を尽くし、あなたが苦労しなくても、あなたがする以上にしてあげたいです」と言わなければなりません。そのようにしてこそ返すことになるのです。そのようにしておいて、初めて自分の息子、娘のために愛することができます。どうしてですか? アベルの息子、娘のために愛するように、自分の息子、娘を愛するのです。祝福を受けた家庭が世の中の何を知っていますか? 世の中の何を知っているのかというのです。
さあ、「イーストガーデンに行ってどろぼうしてでも、自分の息子、娘を養わなければならない」と考えてはいけないというのです。私は今、原理の話をしているのです、原理の話を。これはレバレンド・ムーンの話ではありません。そのような目的に向かって世界に行くことができる伝統の道を歩んできたのがアベルなので、それ一つを希望として歩んでいくのです。伝統を残すために行くということです。これを誰が立てるのかというと、アベルが立てなければなりません、アベルが。何の話か分かりますか? はっきりと分かりますか?(「はい」)。
それで、私たち統一教会の主張は、「復帰の道は僕の僕の立場から僕の立場へ、養子の立場へ、その次には息子の立場へ、父母の立場へ、こうして神様へと行くのである」と言います。これが統一教会の復帰の公式です。この「サーバント(servant:僕)」という言葉は何の言葉かというと、天の側のサーバントではありません。サタン側のサーバントです。天の側ではないというのです。それを知らなければなりません。サタン世界の僕の僕にならなければなりません。僕の僕となって蕩減復帰しなければならないのです。
さあ、アベルとは何かというと、(サタン世界の人たちにとって)自分たちの家を奪いに来た存在です。自分たちの家を奪いに来たのがアベルというのです。アベルが自分たちの家を奪いに来たのです。ですから、主が来るときは盗人のように来るのです。奪いに来たということです。サタン世界は泥棒にしてしまうところです。分かりますか? 誰ですか? 誰がここの王ですか?(「サタンです」)。では、誰が泥棒ですか?(「サタンです」)。ですから、すべてサタンです。苦しめるようにふるまい、ありとあらゆることをして殺そうとします。
僕の僕の立場から養子の立場に行ってこそ祝福を受けることができる
それで、四方を見渡してみても、自分の方がひどいということ、息子を見ても恥ずかしく、父母を見ても恥ずかしく、その次には、先祖を見ても恥ずかしく、町を見ても恥ずかしく、国を見ても恥ずかしく、世界を見ても恥ずかしく、自分の方が恥ずかしいことを知って、はじめて屈伏するのです。それを知らなければなりません。母と、父と、町の人と、国全体を前にして、自分の方がひどかったのではないかということを感じて、はじめて屈伏するのです。いつサタンが屈伏し、いつカインが屈伏するのかということを知らなければなりません。いつ僕が屈伏するのかということを知らなければならないのです。町中から「あいつの方が死ぬべきだ!」、そうなってこそ、このサタンが……。分かりますか?
皆さん、そのように迫害を受けてみましたか? 皆さんは僕の僕の立場に行ってみましたか? 皆さんは話だけを聞いたのであって、やってみたのかというのです。「統一教会の教会員たちは全員この立場に行きなさい」と言えば、一人残らず皆逃げていくというのです。特にアメリカの者たちは……。
僕の主人が僕の僕を見て、僕に対して「おい、こいつ、そいつはそこにいることはできない。私の家に送りなさい」と言うのです。僕の主人が「お前に彼は負担だから私に送りなさい」と言います。しかし、主人のところに行ったからといって楽ですか? 違います。「あいつを連れてくれば、お金も稼ぐことができ、何でもこき使うことができる、私の家が裕福になる」と思ってつれてきて、ひたすら死ぬほど仕事をさせるのです。お金を稼ぐよう、ありとあらゆることをすべてさせます。このようにこき使っていると、あとから「牛を買ったのもあのアベルのおかげで買い、土地を買ったのもあのアベルのおかげで買った」、このようにあちこちの村で噂になり、「財産を集めたのは、あの作男が入ってきてすべて集めたのであって、主人が集めたものは一つもない。この主人は死ぬべきだ、死ぬべきだ!」と噂になるとき、はじめて主人が「私の土地の片隅を一つあげよう」と分け前をくれるのです。そのようにして受けてこそ、僕が養子の立場に行くことができます。そのままでは行くことができません。自分の所有をもち、祭祀を捧げることができる立場に立ってこそ、養子圏内に行くことができます。それで養子になるのです。
そのようになれば、養子が祭祀を捧げるとき、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。皆さん、養子の立場がどのような立場か分かりますか? これをはっきりと知らなければなりません。皆さんの中で祝福を受けた人たちは知りなさいというのです!
この養子の立場に行き、ここで天のために忠誠を尽くせば、天の祝福を受けるのですが、多くの財産ができたとしても、その財産は自分のために稼いだものではなく、来られるメシヤ、息子のために稼いだと考えなければならないのです。そうしてこそ養子になるのです。「自分のために稼ぐ。自分のものだ」と考える人は、絶対に天の国の息子、娘の立場に行くことはできません。これを知らなければなりません。息子に会うことができないというのです。それは何の話かはっきり分かりますか?(「はい」)。これが皆さんの行くべき道です。話だけでなく、行かなければならない道です。これが行くべき道なのです。
それで、この養子圏を中心として家庭をつくり、国家をつくり、世界をつくって、「おお! 神様の真の息子よ、さあ来てください!」と言わなければなりません。これが何かというと宗教圏です。神側の僕です。これが神側の僕なのです。この養子圏が神側の僕です。そのように世界的につくったのがユダヤ教であり、これがキリスト教であり、これが統一教会だということです。(板書しながら語られる)これが天の側の天使長です。僕が何かというと天使長側であり、天使長側が何かというとカイン側です。天の側のカインです。
皆さんは何の立場ですか? 皆さんの立場がどこなのか、皆さんがどの立場にいるのかを知らなければなりません。1970年代の内容も知って越えていかなければなりません。皆さん、何の立場にいますか? どの立場ですか、どの立場?(「僕の立場です」)。どちらの側の僕ですか? (「天の側の僕です」)。それでは、皆さんは、サタン側でこのようなことをすべてして、あちこちの村がすべて知り、世界がすべて知って、「あまりにひどい、あまりにひどい」と噂になり、「ムーニーが何の過ちを犯したというのか」と味方になる人をもちましたか? 今、「レバレンド・ムーンの何が悪いのか」と言う時が来たというのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。
この道を行かなければなりません。この道を行かなければ祝福を、結婚生活をすることができません。決して子どもを生むことができません。この道を行かずに息子、娘を生めば罪です。それは十字架です。これを背負っていかなければなりません。そうでなければ息子、娘を苦労させるようになります。ですから、終わりの日には身重の女は罪があると言うのです。今日のキリスト教はこの立場にいるので、養子の立場を経なければ結婚できないために独身生活です、独身生活。神父、修道女は皆独身生活をするのです。何の話か分かりますか?
高次的な宗教であるほど独身生活を強調したのは、この運命のためです。この養子圏を満たすためにこのことをしなければならないということです。ですから、宗教者は皆独身生活をしなければなりません。
この僕の僕の立場を経ていくとき、妻がいればどれほどあぜんとするでしょうか? 子女がいて迫害を受け、苦難を受ければ、耐えられるでしょうか? どれほど途方もない苦痛ですか? それでレバレンド・ムーンが出てきて何をしたかというと、僕の僕を中心として、この途方もない苦痛を断ち切り、養子の道理を、養子の特権を付与する恵沢を与えてきたのです。
2000年の歴史を20年で蕩減される道を歩んできた
さあ、それでは、レバレンド・ムーンがどのようにしてこれをしたのでしょうか? この原理をすべて知って、神様の前でサタンと勝負を決め、サインを受けたというのです。世界を代表する闘いで個人的勝利のサインを受け、家庭的勝利のサイン、氏族的勝利のサイン、民族的勝利のサイン、国家的勝利のサイン、世界的勝利のサインを受けてきたのです。2000年間、数千年間の歴史を収拾し、1代で、20年間で先生がその道を築いておきました。20年間で蕩減されたのです。
さあ、このことを知ることだけでも大変ですが、このことをやり遂げなければならないのですから、どれほど途方もないことかというのです。これをやらなければならないのです。やらなければなりません。それで、レバレンド・ムーンが一生を捧げて今まできたのです。ですから、レバレンド・ムーン自身が天の国の伝統の原理を、神様の理想的文化圏を中心として、身もだえしながら、不信の子女になるまいと、不心情の子女になるまいと、不理想の子女になるまいと、天地天国の理念に背く子女になるまいと、そのようにしてきました。生きる場に行こうと、死ぬ場に行こうと、これを残してから死ななければならないと考えて歩んできたというのです。
全世界のサタンが個人的に打ちます。個人的にノックアウトされるように家庭的に打つのです。家庭的にノックアウトされるように氏族的に打つのです。氏族的にノックアウトされるように国が打つのです。国家的にノックアウトされるように世界が打つのです。それで、20年前にお母様を迎えて家庭をもちました。「お母様は絶対服従しなさい」、こうして今までこの道を築いてきたのです、20年間。
女性は話をよく聞きなさい、絶対服従しなさいということです。20年間このように迫害を受けながら、1次7年路程、2次7年路程……。そのようにしてすべて私の家庭を打たなければなりません。子女たちを外部に送り出して苦労させなければならず、その次には統一教会を打たなければなりません。統一教会の祝福家庭の子女たちをすべて追い出さなければなりません。アメリカに来ても、夫を捨て、子女を捨てて出ていくよう妻を追い出すとき、不平を言ってはいけない、ということです。感謝しなければならないのです。アメリカだけでするのではありません。韓国でもして、日本でもしたというのです。これが伝統です、伝統。
なぜそうするのかというと、エバが神様を否定し、夫を否定し、息子、娘を否定したというのです。この息子は夫であり、その次に天の側としては子女なので、子女と夫をすべて否定していかなければなりません、エバが。それで自分の夫を捨て、子女を捨てて出ていきなさいというのです。どこに行くのですか? 最も大変なところへ行きます。最も非難されるところに行くのです。それで、カープ活動をするのです。そこで不平を言ってはいけません。このエバのために私も苦労し、イエス様も死に、先輩たちが皆犠牲になりました。年を取った人たちはそれを知らなければなりません。
先生は何をしたのですか? 原理の伝統を立てなければならない責任があるのです。それはやらなければなりませんか、やってはいけませんか? (「やらなければなりません」)。それでは、先生個人は準備をどのようにしなければなりませんか? 神様の息子、娘を立てるためには、霊界の……。アダムが堕落することによって、すべての霊界がばらばれに別れ、霊界のあらゆる秩序が塞がっているので、先生が霊的にやらなければならないことが何ですか? この分裂した霊界を合わせなければならないということです。統一しなければならないのです。
先生はどのような人ですか? アダムの一族と同じようにアダムの伝統を受け継ぎ、霊界を統一しなければなりません。何の話か分かりますか?(「はい」)。アダムが堕落してこのようになったので、堕落した怨恨を霊界で解かなければなりません。そのような統一的な約束を神様が信じて地上に送ったので、地上に来て、迫害を受けるなかで統一的な家庭を編成していき……。家庭から修繕してこそ、霊界の統一も並行して進むのです。霊的な世界でまずこれを公認されてからやらなければなりません。神様のサインを受けてやらなければならなのです。
誰よりももっと天を愛さなければならない
それでは、その原則は何ですか? 永遠の信義の人、永遠の愛の人、永遠の神様の人として垣根を引いておくのです。この地上で結ばれたものを何度も解いてこれをつくっておかなければなりません。それをどこから始めるのですか? 家庭から始めるのです。家庭から始めたというのです。ですから、統一教会は、家庭から解かなければなりません。これが問題なのです。
ですから、夫たちは妻の愛を信じなければなりません。妻も夫の愛を信じなければなりません。絶対信任しなければなりません。その人が白人であれ黒人であれ……。それで、この2人の愛を切り離すことができないようにしなければならないのです。父が切り離すことができず、国が切り離すことができず、サタンが切り離すことができず、先生が切り離すことができない、そのような愛にしなければなりません。それで夫についていかなければなりません。妻についていっては滅びます。夫が行くことができないときは、「あなた、私のために強く雄々しくあってください。私を導いてくれる責任があります」、このように激励してあげなければなりません。「私が足になってあげるので、私に乗って越えていってください、乗り越えて私を引っ張りだしてください」と言えるようにしなければならないのです。
そのことを誰からやらなければなりませんか? 先生の家庭からやらなければなりません。いくら複雑な環境にいても、その原則は守っていかなければならないのです。父と自分の夫について見てみるとき、夫よりも父のために生きれば、すべてのことが通じるというのです。ですから、私を愛さなくても、私から離れても、神様をもっと愛するのであれば送り出さなければなりません。
それはなぜですか? 息子の愛と父の愛を体験し、完全な神様の愛をエバが受けることができるからです。息子と夫の愛を受けることができなかった神様が、夫の愛を受け、息子の愛を受けたその体験をもち、妻の愛よりも、夫の愛プラス息子の愛で神様が私を愛してくれればそれでよいというのです。そのような愛が来ます。そうしなければ神様からそのような愛が来ることができません。分かりますか?
それで、私を捨てて神様をもっと愛し、息子を捨てて神様をもっと愛すれば、神様が私を好むようになります。そうしてこそ、その愛を受けることができる伝統が生じるのです。それは損する商いではありません。損する商いではなく、利益になる商いです。何の話か分かりますか?(「はい」)。
皆さん、この次に、夫に「あなたは私をどれくらい愛していますか?」、このように尋ねるとき、「ああ、神様よりも、息子、娘よりも、誰よりもあなたを愛している」と言うのがうれしいですか。「あなたが夫を愛しているくらい愛している」と言うのがうれしいですか? ここにいるアメリカの女性たち?(「最初です」)。女性は堕落したので仕方がありません。(笑い)悲惨な状況です。(笑い)はっきり分かりますか?(「はい」)。
レバレンド・ムーンは、妻を捨て、子女を捨てて天の道を行ってみると、その神様は私を妻のように愛され、私に息子の愛、父の愛、妻の愛までも与えてくださるのです。そして、私の息子と妻が愛を受けることができるようにするために、私の代わりに天がすべて役事してくださり、愛してくださるのです。このように天は、私がやらなければならないことをいつでも代わりにやってくださいます。レバレンド・ムーンが行くところは、どこでも天が共にいらっしゃるのです。
それで、レバレンド・ムーンが世の中の人と違うことが何かというと、レバレンド・ムーンがどこかに行けば、父も愛し、妻も愛し、夫も愛し、息子、娘も愛し、3代が愛することができる男になるのです。そのような男になるので、サタン世界ではこれが問題です。レバレンド・ムーンに惚れ込み、夢中になるので噂になるのです。
世の中にそのようなことはないのに、なぜこのレバレンド・ムーンの力は強いのかというのです。これはこの原則があるからです。神様をもっと愛するので……。それは何の話か分かりますか?(「はい」)。そのような理論が成立します。理論として定立するのです。このようなことを皆さんに与えようとするので、「息子、娘を捨て、父母を捨て、妻を捨て、家庭を捨てて天をもっと愛しなさい」と言うのです。これを観念的ではなく、生活的に成さなければならないので、皆さんをそのように追い立てるのです。相続してあげるために……。
そうすることによって、エバが堕落したあらゆる怨恨をすべて崩してしまうということです。四方をすべて崩してしまうのです。これが3代ではないですか? 息子、娘、夫、神様、このように塞がっているものをすべて崩してしまおうというのです。これをやらないのですか? これがアダム、エバ、子女を中心として四位基台です。(板書しながら語られる)
結論は何かというと、そうすることによって、私は、神様に対して夫よりも愛し、自分よりも愛し、妻よりも愛し、息子、娘よりも愛したという、その伝統が継承されます。そうしてサタン世界を狭めていくことができます。統一教会の祝福を受けた者が、神様よりも妻にもっと未練があり、子女にもっと未練があれば、それは引っかかるのです。それはまだ自分の側にいます。原理の側ではなく、天の側ではなく、自分の側にいるのです。
そのような人が家庭を率いて天国に入っていこうとすれば、天国の門が塞がってしまいます。誰をより愛したのか、ということが最も重要なのです。神様を自分の息子よりも、自分の妻よりももっと愛さなければなりません。聖書でもそうではないですか? 私の弟子になろうとすれば、誰よりも私を愛さなければ弟子になれないとあります。そのような聖書のみ言は一理があるのです。それは正しい話ですか、正しくない話ですか?(「正しい話です」)。しかし、聖書はレバレンド・ムーンのように説明をしてくれません。
それでは、誰の時代から分かり始めたのですか? 誰のために?(「お父様です」)。レバレンド・ムーンのために、レバレンド・ムーンがそのような人だと世の中は知らなかったのです。皆さんも知らずにいます。このようなことをすべて知ってみるとき、今までの皆さんは、本物の統一教会の教会員でしたか、偽者の教会員でしたか? どちらですか? 自分が天の側の人ですか、サタン側の人ですか? どちらの人ですか? はっきりと分かりますか? 分かりませんか、分かりますか?(「分かります」)。
(『文鮮明先生御言選集』 106-201~212)