四位基台は、「統一原理」の根本原理の一つなのですが、中心、主体、対象、合性体の4つから構成されています。
創造目的の三大祝福も、具体的にはこの四位基台を個人、家庭、被造世界でつくることによって完成します。
今回は、四位基台と堕落のときに偶発的に生じたという4つの堕落性の対応関係について深掘りします。
四位基台は「統一原理」の根本原理
まず、四位基台が「統一原理」の根本原理であることを確認しておきましょう。
創造目的と四位基台
神様の創造目的を完成するというのは、結局のところ四位基台を完成することを意味しているのです。
文鮮明先生は、この四位基台とは何かということについて具体的に説明されていますので、そのみ言を紹介します。
それでは、四位基台とは何でしょうか。完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願われる夫婦となり、その次に、神様が願われる家庭を築くためには子女がいなければならないので、子女を完成させることです。(『文鮮明先生御言選集』80-268 1975.11.2)
三大祝福と四位基台
『原理講論』のp64~5に「神の三大祝福は、いかにして完成されるのだろうか。それは、創造の根本基台である四位基台が成就された基盤の上でのみ成就されるのである」とあるように、三大祝福も四位基台が造成された基盤の上で完成します。
個性完成、子女繁殖、万物主管のそれぞれの段階でどのような四位基台が造成されなければならないのかというと、以下のようになります。
このように、それぞれの段階で神様を中心とする四位基台をつくることが三大祝福完成の内容になっています。
創造本然の価値と四位基台
さらには、「創造本然の価値は、ある対象と人間主体とが、神を中心として、創造本然の四位基台を完成するときに決定される」(『原理講論』p70)とあります。
創造本然の価値が決定するのも四位基台が完成するときですし、善か悪かの判断基準においても、何を中心として四位基台をつくるのかによって決定されます。
神様や真の愛を中心として四位基台をつくる行為やその結果は善ですが、サタンや自己中心な目的で四位基台をつくる行為やその結果は悪であるというのが「統一原理」の善悪基準になります。
以上のように、四位基台は「統一原理」の根本原理なので、私たち人間が行っているのは、この四位基台をつくろうとしていることなのです。
異なるのはその中心が神様なのかサタンなのかということで、神様の心情とその創造目的が分からなくなってしまった堕落人間の場合、その多くはサタンを中心とする四位基台をつくろうとしてしまっています。
堕落とはサタンを中心とする四位基台をつくったこと
『原理講論』のp115に「ルーシェルと人間始祖が血縁関係を結び、一体となったので、サタンを中心とする四位基台がつくられると同時に、人間はサタンの子女となってしまったのである」とあります。
四位基台という観点から見たとき、人間始祖の堕落は、結果的にサタンを中心として四位基台をつくってしまったということです。
本来は神様を中心としてつくられるべき四位基台が、人間始祖の堕落によってサタンを中心として非原理的な四位基台がつくられてしまったのです。
そして、そのサタン中心の非原理的な四位基台がつくられていく過程で偶発的に生じたのが4つの堕落性です。
四位基台と4つの堕落性
『原理講論』に記述されている堕落性は、次の4つの性稟になります。
天使長ルーシェルは、神様と同じ心情で人間を愛することができず、人間に仕えるという天使の位置を離れ、本来主管を受けるべき人間を逆に主管し、自らの犯罪行為に人間を巻き込んで悪を繁殖しました。
また、エバは、天使から誘惑されたとき神様の立場に立って考えることができず、戒めのみ言を守るという自分の位置を離れ、主体であるアダムを逆に主管し、アダムまで堕落させて悪を繁殖しました。
この堕落とはサタンを中心に四位基台をつくってしまったことですから、これらの4つの堕落性は、四位基台の中心、主体、対象、合性体にそれぞれ対応していると考えることができます。
つまり、神様と同じ立場に立てずに、本来神様がいらっしゃるべき四位基台の中心に自分が立とうとするのが第一の堕落性です。
そして、本来主体は神様の対象の位置に立ってはじめて主体となるのが原理なのですが、その神様の対象の位置から離れようとするのが第二の堕落性です。
さらに、主体の主管を受ける対象の位置にいながら、逆に主体を主管しようとするのが第三の堕落性です。
最後に、主体を逆に主管した状態で神様の創造目的に反する行いによって神様を悲しませようとするのが第四の堕落性です。
創造本然の性稟とは
以上のように、堕落した人間は、天使長ルーシェルと一つになることによって4つの堕落性を受け継ぐようになってしまいました。
これは、愛によって一体になれば相手のものを相続するという原理があるためですが、この堕落性を取り除くにはどうすればよいのか、『原理講論』には次のように記述されています。
神様のひとり子であられるイエス様と一つになることによって創造本性を復帰できるということですね。
では、この創造本性とはどのような性稟なのかということを考えてみましょう。『原理講論』には復帰摂理について以下のように説明しています。
この原理から考えてみるとき、創造本然の性稟とは堕落性とは反対の方向性をもつものだと言うことができます。
ですから、堕落性がサタンを中心とする四位基台を形成していくものであるとすれば、創造本然の性稟とは、神様を中心とする四位基台を形成していくものなのです。
つまり、創造本然の性稟とは、四位基台の中心である神様と同じ立場に立って考えようとするのが第一の創造本然の性稟です。
そして、四位基台の中心である神様の対象の立場にいる自分の位置を守ろうとするのが第二の創造本然の性稟です。
さらに、対象の位置で本来主管されるべき主体から主管を受けようとするのが第三の創造本然の性稟です。
最後に、神様の創造目的を実現することによって善を繁殖し、神様に喜びをお返ししようとするのが第四の創造本然の性稟ということです。
まとめ
以上のように、人間始祖が霊的肉的に堕落していく過程で、サタンを中心とする四位基台をつくりながら、その中心、主体、対象、合性体に対応する4つの堕落性を受け継いでしまいました。
復帰摂理路程を歩む私たちにおいては、神様を中心とする四位基台をつくりながら、創造本然の4つの性稟を体恤する路程を歩んでいるのです。
まず何よりも、神様の心情をその立場に立って考え、判断し、行動しようとすることが、復活への第一歩になります。