こちらの記事(「統一原理」が提示する神の存在証明方法【前編】【後編】)では、神様が存在するのかしないのか、その証明方法について解説しました。
次に問題になるのは、神様が存在するのであれば、どのような神様なのかということになりますが、これに関する理論が「本体論」です。
「統一原理」が提唱する「本体論」の核心は、神様は心情の神であり、人格的な存在だということです。
今回の【前編】では、正しい「本体論」、つまり正しい神観をもつことの重要性について深掘りしてみたいと思います。
「本体論」の重要性について
神様や宇宙の根源に関する理論である「本体論」(「統一思想」では「原相論」)は、一般的に思想体系の基礎となるものとされています。
この「本体論」を基礎として人間観や世界観、そして歴史観が形成され、それによって現実問題に対する解決方法が構築されるのです。
その解決方法が有効か否かは、基礎となる「本体論」の正確性にかかっているため、正しい「本体論」、正しい神観をもつことがとても重要になるわけです。
正しい「本体論」、正しい神観を立てることができれば、私たちを取り巻く様々な現実の問題を解決できます。
しかし、この「本体論」が間違っていたり、不完全なところがあると、現実問題を解決できないばかりか、宗教や民族、国家の間に新たな争いを発生させるなど、深刻な問題が起きるのです。
冒頭のみ言に「神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない」(『原理講論』p82)とありますが、文鮮明先生は、神様の人間創造の動機と目的を知るために、正しい神観が必要であるとして次のように語られています。
このように正しい神観が立てられることによって、絶対者の創造の動機と目的が明らかにされるのであり、それによって平和のために絶対愛を実践しなければならないその理由も明白になるのです。
そのように見るとき、人類の真の平和のためには、絶対者を正しく理解することによって、その方の愛を実践できるようになり、最終的にはその方の絶対価値を実現できるようにならなければならないという結論に至るのです。(『文鮮明先生御言選集』110-253 1980.11.27)
それでは次に、現代の宗教がその説得力を失ってしまった理由について考えてみることにしましょう。
宗教が説得力を失った理由
(1)「本体論」の曖昧性が宗教衰退の原因
中世以降、宗教がその説得力と実践力を失っていったのはなぜなのでしょうか?
その理由について文鮮明先生は、各宗教の「本体論」の曖昧性にあると次のように指摘されています。
儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見出すことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができます。
ところが、このような絶対者に関する説明がはなはだしく曖昧なのです。絶対者の属性がどのようなものであり、なぜ創造をなされ、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造され、神様(絶対者)が実際に存在するのか等に関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確ではないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。
すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実存性等が十分に明らかにされなければならないのです。(『文鮮明先生御言選集』122-300~2 1982.11.25)
このように、文鮮明先生は、宗教が説得力と実践力を失った理由は絶対者に関する説明が明確になっていないことにあるとされています。
さらに、『原理講論』のp29では、「旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如している」と指摘されています。
科学が発達するにしたがって人間の知性が啓発され、現代の人々はあらゆることに対して科学的な認識を必要とするようになっているのです。
この点についても、文鮮明先生は次のように語られています。
そして、人間の知性が啓発されればされるほど、宗教の教えに対して次のような疑問を抱くようになります。
このような疑問に対して明確に答えることができなければ、その教えは説得力を失ってしまうでしょう。
それだけでなく、宗教に対して反発するようになり、神様に対する信仰はもちろん、その存在さえも信じなくなってしまうのです。
このように各宗教の「本体論」の曖昧性が宗教衰退の原因であり、結果として唯物思想が生まれ、宗教同士の争いが発生してしまうのです。
(2)「本体論」の曖昧性が生む深刻な問題
以上のような「本体論」の曖昧性から生じる深刻な問題をまとめると、次の二つに集約されます。
1 唯物論、共産主義の発生
2 宗教同士の紛争
真の「本体論」が明確にすべきこととは?
それでは次に、真の「本体論」とはどのようなものでなければならないのかについて、文鮮明先生のみ言で確認してみましょう。
それだけでなく、その「本体論」は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的と法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間が守らなければならない規範も、結局この宇宙の法則、すなわち天道と一致するということを解明しなければならないのです。
宇宙の日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と、兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立することを明らかにしなければならないのです。
さらにこの「本体論」は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても肯定されなければならず、歴史の中に「逆天者は亡び、順天者は存続する」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』122-303 1982.11.25)
このみ言から、真の「本体論」は、以下の内容が明確になっていなければならないことが分かりました。
1.すべての宗教は一つの神様から立てられた兄弟的宗教だということ
2.神様の属性と共に創造の動機と創造の目的と法則があること
3.宇宙の日月星辰のように家庭でも縦的、横的秩序が形成されること
4.自然科学的知識とも矛盾せず、人間の良心の判断によっても肯定されるものであること
「統一原理」の「創造原理」と「統一思想」の「原相論」こそ真の「本体論」
今回の記事で紹介した文鮮明先生のみ言は、1982年11月25日、アメリカのフィラデルフィアで開催された第11回「科学の統一に関する国際会議」で語られたものです。
その場で文鮮明先生は、世界各国から集った科学者や教授たちに「絶対的価値観」というテーマで講演され、その最後を次のように締めくくられています。
そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決点が新しい「本体論」によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるようになるのです。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるでしょう。
以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾できる絶対的価値観に関する諸問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広大で、理論的で、知性人までも洗脳するということで有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。(『文鮮明先生御言選集』122-304 1982.11.25)
宇宙の根本原理である「統一原理」は『原理講論』(1966年発行)、文鮮明先生の思想である「統一思想」は『統一思想要綱』(2000年発行)で学ぶことができます。
この『原理講論』の「創造原理」と『統一思想要綱』の「原相論」が、文鮮明先生によって解明された真の「本体論」です。
~【後編】につづく~