【今回深掘りする原理のみ言】
 心との関係がなくては、体の行動があり得ないように、神との関係がなくては創造本然の人間の行動もあり得ない。したがって、無形世界との関係がなくては、有形世界が創造本然の価値を表すことはできないのである。ゆえに、心を知らずには、その人格が分からないように、神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない。(『原理講論』p82)

 

こちらの記事(「統一原理」が提示する神の存在証明方法【前編】【後編】)では、神様が存在するのかしないのか、その証明方法について解説しました。

次に問題になるのは、神様が存在するのであれば、どのような神様なのかということになりますが、これに関する理論が「本体論」です。

「統一原理」が提唱する「本体論」の核心は、神様は心情の神であり、人格的な存在だということです。

今回の【前編】では、正しい「本体論」、つまり正しい神観をもつことの重要性について深掘りしてみたいと思います。

「本体論」の重要性について

神様や宇宙の根源に関する理論である「本体論」(「統一思想」では「原相論」)は、一般的に思想体系の基礎となるものとされています。

この「本体論」を基礎として人間観や世界観、そして歴史観が形成され、それによって現実問題に対する解決方法が構築されるのです。

その解決方法が有効か否かは、基礎となる「本体論」の正確性にかかっているため、正しい「本体論」、正しい神観をもつことがとても重要になるわけです。

正しい「本体論」、正しい神観を立てることができれば、私たちを取り巻く様々な現実の問題を解決できます。

しかし、この「本体論」が間違っていたり、不完全なところがあると、現実問題を解決できないばかりか、宗教や民族、国家の間に新たな争いを発生させるなど、深刻な問題が起きるのです。

冒頭のみ言に「神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない」(『原理講論』p82)とありますが、文鮮明先生は、神様の人間創造の動機と目的を知るために、正しい神観が必要であるとして次のように語られています。

 人間が絶対者によって創造され、絶対者の愛を実践するようにつくられたとすれば、人間の創造に動機と目的があったことは明らかです。その動機と目的を明らかにするためには、絶対者がどのような方かという問題、すなわち正しい神観がまず立てられなければなりません。
 このように正しい神観が立てられることによって、絶対者の創造の動機と目的が明らかにされるのであり、それによって平和のために絶対愛を実践しなければならないその理由も明白になるのです。
 そのように見るとき、人類の真の平和のためには、絶対者を正しく理解することによって、その方の愛を実践できるようになり、最終的にはその方の絶対価値を実現できるようにならなければならないという結論に至るのです。(『文鮮明先生御言選集』110-253 1980.11.27)

 

それでは次に、現代の宗教がその説得力を失ってしまった理由について考えてみることにしましょう。

宗教が説得力を失った理由

(1)「本体論」の曖昧性が宗教衰退の原因

中世以降、宗教がその説得力と実践力を失っていったのはなぜなのでしょうか?

その理由について文鮮明先生は、各宗教の「本体論」の曖昧性にあると次のように指摘されています。

 宗教ごとに、その教理が成立する根拠としての絶対者がいます。ユダヤ教の絶対者は「主なる神」であり、キリスト教の絶対者は「ゴット」、すなわち「神様」であり、回回教(イスラーム)の絶対者は「アッラー」です。
 儒教や仏教は絶対者を明示していませんが、儒教の徳目の根本である「仁」は天命と連結するので、「天」が儒教の絶対者と見ることができ、仏教では、諸法は常に変化しており、真理は諸法の背後にある「真如」から見出すことができるとしているので、「真如」が仏教の絶対者と見ることができます。
 ところが、このような絶対者に関する説明がはなはだしく曖昧なのです。絶対者の属性がどのようなものであり、なぜ創造をなされ、創造の動機は何であり、どのような方法によって創造され、神様(絶対者)が実際に存在するのか等に関する解明が、宗教ごとに明確になっていません。したがって、各宗教の徳目が成立する根拠が明確ではないので、今日の宗教の説得力が弱まっているのです。
 すべての宗教の教えである徳目、すなわち実践要目がきちんと守られるためには、その宗教の本体である絶対者の属性と創造の目的、その絶対者の実存性等が十分に明らかにされなければならないのです。(『文鮮明先生御言選集』122-300~2 1982.11.25)

 

このように、文鮮明先生は、宗教が説得力と実践力を失った理由は絶対者に関する説明が明確になっていないことにあるとされています。

さらに、『原理講論』のp29では、「旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如している」と指摘されています。

科学が発達するにしたがって人間の知性が啓発され、現代の人々はあらゆることに対して科学的な認識を必要とするようになっているのです。

この点についても、文鮮明先生は次のように語られています。

 中世時代、または近世までは、人間の頭がそれほど分析的、論理的でなかったために、「あなたの隣人をあなたの体のように愛しなさい」、「王に忠誠を尽くして、父母に孝行しなさい」と言えば、無条件にその教えが正しいと思って従順に従いましたが、科学が発達した今日においては、人間の精神がとても分析的になり、論理的になって、いくら宗教指導者が「…をしなさい」と教えても、「なぜそのようにしなければならないのですか」と、その理由を徹底追及するようになります。(『文鮮明先生御言選集』122-302 1982.11.25)

 

そして、人間の知性が啓発されればされるほど、宗教の教えに対して次のような疑問を抱くようになります。

 宗教の教えに対する反問には、さまざまなものがあります。「はたして神様はいるのか」、「神様が全知、全能、無所不在であり、至善、至美、愛であり、審判の主であり、人類の父等と表現しますが、そうだということをどのように知ることができるのですか。「じっとしていてもよい神様がなぜ宇宙を創造したのか」、「神様の創造の目的は何か」、「創造には方法があるはずだが、その方法とは何か」、「絶対善である神様が創造した世界になぜ弱肉強食の現象が展開しているのか」、「人間が堕落して罪の世界になったというが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落したのか」等がそれです。(『文鮮明先生御言選集』122-302 1982.11.25)

 

このような疑問に対して明確に答えることができなければ、その教えは説得力を失ってしまうでしょう。

それだけでなく、宗教に対して反発するようになり、神様に対する信仰はもちろん、その存在さえも信じなくなってしまうのです。

 このような反問に対して合理的な答えが与えられない限り、今日の知性人たちは、宗教(例えばキリスト教)を受け入れようとしないのです。したがって、キリスト教の愛の徳目、儒教の家庭倫理の規範、仏教の修行の実践要目、回回教のコーランの要目は、捨てられたものになってしまうのであり、時には知性人が反宗教的な行動までも起こすようになるのです。(『文鮮明先生御言選集』122-302 1982.11.25)

 

このように各宗教の「本体論」の曖昧性が宗教衰退の原因であり、結果として唯物思想が生まれ、宗教同士の争いが発生してしまうのです。

(2)「本体論」の曖昧性が生む深刻な問題

以上のような「本体論」の曖昧性から生じる深刻な問題をまとめると、次の二つに集約されます。

1 唯物論、共産主義の発生

 歴史的にキリスト教の世界である欧州(西欧と東欧)の土壌に、近世以後唯物論、無神論が発生し、今日、全世界を席捲しているのは、その根本原因がまさにこの「本体論」の曖昧性にあるのです。その最も顕著な例が、マルクス、レーニン、スターリン、ニーチェなどが、キリスト教の家庭に生まれていながらも、無神論者、反キリスト教人になったという事実です。(『文鮮明先生御言選集』122-302 1982.11.25)

 

2 宗教同士の紛争

 人間の闘争を仲裁して、人間の精神を先導しなければならない宗教が、今日、時として紛争を起こすことによって、宗教の威信と権威をより一層失墜させています。ユダヤ教と回回教(イスラーム)が闘い、旧教と新教が闘い、キリスト教と仏教が闘い、はなはだしきは、同じ宗教の教派間で闘っています。このような宗教紛争の根本原因も、やはり「本体論」の曖昧性にあるのです。(『文鮮明先生御言選集』122-302 1982.11.25)

真の「本体論」が明確にすべきこととは?

それでは次に、真の「本体論」とはどのようなものでなければならないのかについて、文鮮明先生のみ言で確認してみましょう。

 新しい宗教のための新しい「本体論」は、従来のすべての絶対者が各々別個の神様ではなく、同じ一つの神様だということを明らかにしなければならないのです。それと同時に、その神様の属性の一部を把握したものが各宗教の神観だったことと、その神様の全貌を正しく把握して、すべての宗教は一つの神様から立てられた兄弟的宗教だということを明らかにしなければなりません。
 それだけでなく、その「本体論」は、神様の属性と共に創造の動機と創造の目的と法則を明らかにし、その目的と法則が宇宙の万物の運動を支配していることと、人間が守らなければならない規範も、結局この宇宙の法則、すなわち天道と一致するということを解明しなければならないのです。
 宇宙の日月星辰の創造の法則、すなわち天道によって縦的秩序の体系が形成されているのと同じように、家庭においても、祖父母、父母、子女によって形成される縦的秩序と、兄弟姉妹によって形成される横的秩序の体系が立てられると同時に、相応する価値観、すなわち規範が成立することを明らかにしなければならないのです。
 さらにこの「本体論」は、その理論展開が自然科学的知識とも矛盾してはならず、人間の良心の判断によっても肯定されなければならず、歴史の中に「逆天者は亡び、順天者は存続する」という命題が適用されてきたことが証明されなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』122-303 1982.11.25)

 

このみ言から、真の「本体論」は、以下の内容が明確になっていなければならないことが分かりました。

1.すべての宗教は一つの神様から立てられた兄弟的宗教だということ

2.神様の属性と共に創造の動機と創造の目的と法則があること

3.宇宙の日月星辰のように家庭でも縦的、横的秩序が形成されること

4.自然科学的知識とも矛盾せず、人間の良心の判断によっても肯定されるものであること

「統一原理」の「創造原理」と「統一思想」の「原相論」こそ真の「本体論」

今回の記事で紹介した文鮮明先生のみ言は、1982年11月25日、アメリカのフィラデルフィアで開催された第11回「科学の統一に関する国際会議」で語られたものです。

その場で文鮮明先生は、世界各国から集った科学者や教授たちに「絶対的価値観」というテーマで講演され、その最後を次のように締めくくられています。

 新しい「本体論」によって、神様に関するすべてのことが解明され、すべての宗教の神様が、結局唯一の絶対神として、すべて同じ一つの神様だということが明らかにされれば、ここにすべての宗教は、各自の看板をそのまま維持しながらも、実質的な宗教の統一が成され、神様の創造理想である地上天国を実現することに共同歩調をとるようになるのです。
 そして、すべての宗教の教理における不備な点、未解決点が新しい「本体論」によって補完され、実質的な教理の一致化までも実現されるようになるのです。かくしてすべての宗教は、神様が宗教を立てられた目的を完全に達成するようになるでしょう。
 以上のように、今日の世界的な大混乱を収拾できる絶対的価値観に関する諸問題点を解決するために、新しい宗教として登場したのが統一教会であり、その内容は、広大で、理論的で、知性人までも洗脳するということで有名な「統一原理」と「統一思想」なのです。(『文鮮明先生御言選集』122-304 1982.11.25)

 

宇宙の根本原理である「統一原理」は『原理講論』(1966年発行)、文鮮明先生の思想である「統一思想」は『統一思想要綱』(2000年発行)で学ぶことができます。

この『原理講論』の「創造原理」と『統一思想要綱』の「原相論」が、文鮮明先生によって解明された真の「本体論」です。

 

~【後編】につづく~