「成約時代の摂理的同時性」の完結編として、「御国の福音は必ず成就する-成約時代の摂理的同時性Ⅱ-」が出版されました。
 
 
今回は、出版記念として第1章の一部を公開します。続きの内容にご興味のある方は冊子をお求めください。
 
 

序論

 
 
「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を解明するとき、まず明確にしなければならないことは、文鮮明先生の聖和が『ヨハネの黙示録』の何章何節に預言されているのかということです。
 
なぜなら、「成約時代の摂理的同時性」は、文鮮明先生がなぜ2012年9月3日(陽暦)に聖和されなければならなかったのかを解明することから始まったからです。
 
その結論として、「成約時代の摂理的同時性」では、文鮮明先生の聖和を成約時代の十字架であるとし、イエス様の十字架と摂理的同時性の出来事であるとしています。
 
イエス様の十字架は、第2次世界的カナン復帰路程の終了と第3次世界的カナン復帰路程の出発を意味しています。
 
したがって、文鮮明先生の聖和は、第2次天宙的カナン復帰路程の終了と第3次天宙的カナン復帰路程の出発を意味していることになります。
 
『ヨハネの黙示録』において、文鮮明先生の聖和について預言されている箇所が判明すれば、それを基点として自ずと全体像が見えてくるのです。
 
そして、『ヨハネの黙示録』を解明するときにもう一つ重要なことは、聖書の七数に関する概念を明確にすることです。
 
『ヨハネの黙示録』には数多くの七数が登場しますが、その主なものは「七つの教会」、「七つの封印」、「七つのラッパ」、「七つの鉢」です。
 
これらが相互にどのような関係にあり、「成約時代の摂理的同時性」といかに対応しているのかを明確にすることで、はじめて「統一原理」の摂理的同時性の観点から『ヨハネの黙示録』を解明できるのです。
 
それではまず、総論として、『ヨハネの黙示録』に対するキリスト教界の解釈と「統一原理」の見解を確認し、『ヨハネの黙示録』解明の中心基点と聖書の七数概念について調べてみることにしましょう。
 
 

第1章 総論と対照図の概要

 

第1節 『ヨハネの黙示録』に対するキリスト教界の解釈と「統一原理」の見解

 

(1)キリスト教界の解釈

 
『ヨハネの黙示録』に関するキリスト教界の主な解釈としては、歴史主義的解釈、過去主義的解釈、象徴主義的解釈(観念主義的解釈)といったものがあります。
 
①歴史主義的解釈
 
『ヨハネの黙示録』は預言書であるとし、1世紀からキリスト教会の歴史、そして未来に起きるキリストの再臨、最後の審判、新天新地の到来が預言されていると解釈するのが歴史主義的解釈です。
 
このような解釈は、ルターをはじめとする宗教改革者たちが主張したもので、『ヨハネの黙示録』に対するプロテスタントの主流解釈となっています。
 
②過去主義的解釈
 
『ヨハネの黙示録』の預言は、それが成立した時代に対する預言であり、すべて、あるいはほとんどの預言が初代教会の時期にすでに成就していると解釈するのが過去主義的解釈です。
 
この解釈は、宗教改革者が「大淫婦バビロンはローマ・カトリックである」と主張したため、それを否定する目的でイエズス会修道士のアルカザールが体系化したものとされています。
 
※宗教改革者たちは、『ヨハネの黙示録』の13章に登場する「先の獣」をローマ教皇のことであるとし、ローマ教皇を反キリストと主張しました。
 
③象徴主義的解釈(観念主義的解釈)
 
『ヨハネの黙示録』は、歴史主義や過去主義のように、特定の歴史や未来の預言に関するものではなく、時代を超越した善と悪、神とサタンといった宗教的な真理や教えを説いていると解釈するのが象徴主義的解釈です。
 

(2)「統一原理」の預言に対する解釈

 
序文でも言及したように、「統一原理」では『ヨハネの黙示録』を預言書としています。
 
ですから、「統一原理」の『ヨハネの黙示録』に対する解釈は、プロテスタントの歴史主義的解釈に近い立場と言えます。
 
ただし、人間には神様も干渉できない責任分担があることから、「統一原理」では預言について次のように説明されています。
 
 人間の責任分坦の遂行いかんによって生ずる両面の結果に備えて、神はイエスのみ旨成就に対する預言を二とおりにせざるを得なかったのである。そうであるから、イザヤ書五三章の記録のように、ユダヤ民族が信じない場合に対する預言もなさったのであるが、また、イザヤ書九章、一一章、六〇章とルカ福音書一章31節以下の記録のように、彼らがイエスをメシヤとして侍って、栄光の中にみ旨を成就するという預言もされたのである。(『原理講論』p190)
 
 
旧約聖書の預言書「イザヤ書」には、ユダヤ民族がイエス様を信じてみ旨が成就されるときと、不信してみ旨が成就されないときの二通りの預言が記録されているというのが「統一原理」の解釈です。
 
この観点から見れば、預言書である『ヨハネの黙示録』にも、再臨主を中心とする摂理において、成約聖徒たちが責任分担を全うするときと全うできないときの預言がなされているはずです。
 
再臨主を中心とする摂理は、蘇生期のアダムと長成期のイエス様の基台の上で展開される完成期の摂理なので、必ずみ旨は成就されるようになっています。
 
したがって、『ヨハネの黙示録』には、成約聖徒たちが再臨主を信じ侍ってみ旨が成就されるときと、責任分担を全うできずに復帰摂理が延長されるときの両面の預言がなされていると考えることができます。
 

(3)『ヨハネの黙示録』に対する文鮮明先生のみ言

 
『ヨハネの黙示録』に対する文鮮明先生のみ言をいくつか紹介します。
 
 『創世記』は創造を、『ヨハネの黙示録』は復帰を記録したみ言である。(『文鮮明先生御言選集』16-205 1966.5.21)

 聖書を見ると、『創世記』が堕落を中心として記述されたものだとすれば、『ヨハネの黙示録』は復帰を中心として、この内容を解説したものだということが分かりました。(『文鮮明先生御言選集』196-206 1989.10.22)

 『ヨハネの黙示録』を人間に例えて説明すれば、すべて説明することができる。(『文鮮明先生御言選集』15-158 1965.10.7)

 
 
このように『ヨハネの黙示録』は復帰について記録されたものであり、人間に例えて説明すればすべて説明できるとなっています。
 
このような文鮮明先生のみ言と「統一原理」の『ヨハネの黙示録』に対する解釈をまとめると次のようになります。
 
 
①『ヨハネの黙示録』は預言書である。
 
②預言書ゆえに人間が責任分担を果たしたときと果たせないときの両面の預言が記録されている。
 
③『ヨハネの黙示録』は復帰について記録されたものであり、人間に例えて説明すればすべて説明できる。
 
 
以上の三つの基準を中心軸として、「成約時代の摂理的同時性」の観点から『ヨハネの黙示録』を解明してみたいと思います。
 
 

~以降の内容~

 
第2節 『ヨハネの黙示録』解明の中心基点
(1)文鮮明先生の「聖和式」の摂理的意義
(2)『ヨハネの黙示録』12章は「天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式」の預言
(3)『ヨハネの黙示録』9章~11章は「天地王権分立時代」の預言
(4)文鮮明先生の「聖和式」を示す聖句は8章13節
 
第3節 聖書の七数概念から見た『ヨハネの黙示録』
(1)聖書に見る七数の概念
(2)『ヨハネの黙示録』に見る七数概念
(3)モーセ路程に見る聖書の七数概念
 
第4節 「成約時代の摂理的同時性」と『ヨハネの黙示録』の対照図の概要
(1)新約時代と成約時代の区分
(2)成約時代の天宙的カナン復帰路程
(3)天宙的カナン復帰路程と『ヨハネの黙示録』の対応関係
 
 

~冊子の購入方法~

 
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