「神の日」(1968年1月1日)

 

※1994年天暦3月1日(陽暦4月11日)の「父母の日」以降、「真の神の日」に改称

 

 人間たちは、今まで自分が生まれた日を祝賀し、自分たちが結婚した日を祝賀してきました。また、国家は国家で記念できる日を祝賀してきました。今は、何かの日を世界的に祝賀する時代になりつつあることを私たちはよく知っています。
 しかし、今までの数多くの(記念)日の中で、神様をお迎えして心から記念する日、「神の日」がありませんでした。そして、これがどれほど大きな悲しみであり、天地にしみわたる恨であるかを、私たちは原理を通してよく知っています。

 この日まで神様が最も苦労された

 神様の前に堕落した世界が横たわっているかぎり、この「神の日」を定めることができません。ですから、この日を求めて立てるためには、堕落した基準を蕩減復帰しなければならないのです。
 この地に堕落した父母が生じたので、この堕落した父母を蕩減しなければならないのですが、この堕落した父母を蕩減して勝利の日として立てたのが正に「父母の日」です。
 今まで人類は、堕落した父母をもったことが恨でした。しかし、天の側で勝利した「父母の日」を求めて立てることにより、初めて神様の前に進み出ることができる父母の因縁をもつようになりました。それで、ここから祝福された統一の一族が出発するようになったのです。
 私たちが「父母の日」を定めたのですが、完成段階をすべて越えて定めたのではありません。完成とは、世界を統合し、世界を自ら主管できる権限まで備えることですが、アダムとエバが長成期完成級で堕落したので、私たちはこの段階を越え、完成を望む場でその基準を完成して「父母の日」を定めなければならないのです。
 それで、「父母の日」を定めておき、その父母を中心として、堕落していない本然の子女たちが神様と因縁を結ぶことができなければなりません。そうして地上で四位基台をつくらなければならないのです。
 今まで人間は、サタンを中心として四位基台をつくって神様を遠ざけ、背く立場にいました。しかし、神様を中心とする「子女の日」を定めることによって、四位基台の栄光の基盤を地上でつくることができるようになりました。
 「子女の日」が定められることにより、人間が完成級に向かって進む過程で失ってしまった万物を取り戻したという基準を立てるようになったのですが、このように万物復帰の基準を立てた日が「万物の日」です。
 私たちはこのような日を定め、7年路程を経てきながら民族的な闘争をしてきました。大韓民国を中心として、7年という長い歳月に渡ってあらゆる精誠をすべて捧げ、命までも捧げることを覚悟して闘ってきたのです。霊的な基準においても、思想的な基準においても、今後、韓国の国民が私たちの道に従ってこなければなりません。そうしてこそ、この国の国民の命が保全され経済が復興します。そして、神様が摂理される因縁と接するためには、統一の旗印のもとにとどまらなければなりません。このようなことを私たちは知って闘ってきました。
 私たちは、最初は怨讐視されるなかで、反対と迫害を受けながら闘ってきました。しかし、粘り強い闘争の歴史過程を経て、7年路程の最後を越えていく今は、新しい世界に発展できる一つの基準を立てた立場に立っていることを思うとき、神様がどれほど苦労されたかということが分かり、もう一度、神様に感謝せざるを得ません。
 このような基準を中心として見てみるとき、私たちは、イエス様が十字架で亡くなられる直前にダビデの一族を中心として成し遂げようとしていた神様の内的なみ旨を終結する、統一の一族が設定されるようになったという事実を知ることができます。
 統一の一族が設定されたということは、民族的な蕩減条件を立てたことを意味します。すなわち、責任を完遂した基準の上に立ったのです。それで、氏族的な安息の基盤にとどまることができるようになりました。
 そして、氏族を中心として、または家族を中心として、神様が自由に運行なさることのできる勝利の基盤が準備されたのです。ですから、神様がエデンの園でアダムとエバを中心として願っていたその基準を、これから築くことができるようになりました。それゆえに、「神の日」を定めて宣布するのだという事実を知らなければなりません。

 蕩減の時代は流れていった

 この日が設定されることによって、これから天地の前に新しい方面で、発展段階に向かって一層発展するだろうと見るのです。それで、今までの歴史は蕩減の歴史だったため、私たちが苦労し、汗を流し、犠牲になったとしても、それらは蕩減のためのものだったに過ぎず、神様が本当に喜ぶことのできる苦労にはなりませんでした。しかし、今後、私たちが涙と血の汗を流して苦労したあらゆる実績は、サタン世界で蕩減条件となって流れていってしまうのではありません。
 これからの私たちの苦労は自分のものとして連結され、自分の実績として収めることができるのです。そのような時代圏内に入りました。すなわち、私たちの苦労は、全面的に神様の勝利として決定される時代になったのです。このように栄光の時代圏内に入ったので、すなわち神様が喜ぶことのできる時代的限界が設定されたので、神様が干渉できる時代を迎えたのです。それで「神の日」を設定したという事実を皆さんは知らなければなりません。
 今、「神の日」が始まることによって、神様を中心として皆さんの第1次7年路程と先生の21年路程を越え、これから第2次7年路程が始まりますが、その後の世界においては、天の家庭を中心として、神様が直接的に指揮できる時代になることを皆さんは知らなければなりません。これを連結させ、氏族を立てたのは民族を救うためであり、これが神様の使命なのです。ですから、これから皆さんに残された使命は、民族を中心として復帰の使命を完結していかなければならないということです。
 私たちの段階は、すでに迫害が消えてしまいました。長く困難だったその蕩減の時代が行き、これからは、私たちがまけば収めることができる時代になったことを知って、神様に感謝しなければなりません。
 これから皆さんが10の苦労をすれば、その10の苦労が実を結び得る時代圏をつくりました。これが神様の前には無限な誇りとなり、サタンの前では無限に怨めしい事実になりました。このことゆえに、1968年1月1日午前3時を期して「神の日」を定めたのです。
 この日は、すべてのものを捧げ、あらゆる精誠を注いで感謝し、神様に栄光をお返ししなければなりません。この日は、千秋万代の私たちの子孫が永遠に称えるでしょう。神様がいらっしゃることを知らせたこの日を、永遠に称えなければならないことを皆さんは知らなければなりません。
 このような歴史的な時点に、きょうこのような「神の日」に、この式典に参与したこの栄光は、霊界の大勢の霊人たちもうらやむことであり、この場は、この地上に生きている30億の人類が願った希望の中の希望の場なのです。ですから、この日を祝賀する意義を理解し、また祝賀する心情をもってもてなすことができるという事実は、皆さん1代だけではなく、霊界にいる先祖たちも喜ぶことのできる事実であり、また子孫たちまでも喜ぶことができる事実であることを、皆さんは考えなければなりません。

 神様の栄光のためにいっそう奮闘しよう

 皆さんは、だれよりもこの日に対する深い意義と高い価値を知らなければなりません。そして、この日を指標とし、この日の前に栄光となり得る各自の生活の土台を開拓し、さらには、統一の一族としての責任を追い求め、民族的な責任を完遂しなければなりません。そうして、民族がこの日を永遠の「神の日」として侍るときまで、絶えず前進を継続しなければなりません。これを皆さんがもう一度、誓ってくれることを願います。
 「神の日」が定められることによって、霊界の数多くの霊人たちが地上に降りてきて、神様が願われるみ旨を中心として、本格的に闘うことができる時期になりました。今までは、神様がサタンの讒訴条件にかけられ、それを弁償して防御する時代でした。しかし、これからは、神様がこのサタン世界を占領できる条件を立て、神様が攻撃できる時代になったのです。ですから、霊界の大勢の預言者や烈士たちが地上に降りてきて、自由に活動できる舞台が展開しました。先生は、このようなことを準備するために40か国に120か所の聖地を選定し、このようなことを準備するために120か国を代表する124家庭を探し立てて祝福しました。このような事実を、皆さんはみ言を通してよく知っているでしょう。
 このような立場にいたので、今まで世界の運勢は振り出しに戻る運勢でした。つまり、今までは神様が恩恵を下さっても、その恩恵を世の中に戻さなければなりませんでしたが、これからは、神様が下さる恩賜を皆さんが収穫できる時代圏内に入ってきたのです。ですから、皆さんが10回努力すれば、10回努力したその代価は、皆さん自身はもちろん、子孫と皆さんの一族たちもその結実を収めることができる時代を迎えたというのです。このような点から考えてみるときには、皆さんは先生よりももっと幸福な立場に立っていることを知らなければなりません。
 皆さんのように、先生も故郷があり、愛する家族や親戚がいます。しかし、今まで彼らのために伝道したり、あるいは神様の前に彼らの代わりに蕩減条件を立ててみたりしたことがありませんでした。ですが、皆さんは、この時代的な栄光を占有することによって、それができる立場に立っています。ですから、そのような条件を立てることにおいては、つまり栄光の基台をもつことにおいては、先生よりももっと栄光ある立場に立っていることを知らなければなりません。
 先生が直接、そのような時期を備えて成し遂げられなかったことを、皆さんがこの時代において、全民族を代表し、全世界に代わって成し遂げなければなりません。すなわち、私が願っていたことをしなければならないのです。そうすることによって、神様に勝利の栄光を収めてお捧げすることができます。ですから、これからは、よりいっそう喜ばしいことをして前に推進させていくことを、皆さんがもう一度、決意してくれることを願います。この日が立てられたので、私たちはこれから真の忠臣が備えるべきところのものを備えていきましょう。
 皆さんは、この栄光の「神の日」をもったのですから、責任を果たして完成の峠を越えなければなりません。そうして、「家庭の日」を定めるようになれば、そこから天国の出発が始まるのです。ですから、これからは、民族的責任を果たして越えていかなければならない時期です。
 先生は、第2次7年路程に私たちが責任を果たせば「家庭の日」が成されるのではないかと考えています。これに向かって進んでいく父の命令に従っていくことを決意する皆さんにならなければなりません。
 そして、皆さんが「神の日」の内容はどのようなものかということを後代、子孫に教えてあげ、彼らをして遺言とするようにしなければならない責任があることを、深く感じてくださることを願います。(『文鮮明先生御言選集』 19-175~180, 1968.1.1)

 

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