【今回深掘りする原理のみ言】
 初めに神は人間を創造し給い、その個性の完成、子女の繁殖、および被造世界に対する主管など、三つの祝福をされた(創一・28)。それゆえに、人間がこれを完成することが、すなわち、神の創造目的なのである。
 ところが、サタンが人間を堕落させて、この三つの祝福を成就することができなかったために、神の創造目的は達成されなかったのである。
 それに対してイエスは神が約束されたこの三つの祝福を復帰することによって、神の創造目的を成就するために来られたのであるから、サタンは祝福復帰への道をふさぐため、その三つの試練をもって、創造目的が達成できないように妨げようとしたのであった。(『原理講論』p411~12)

 

『イエス様の荒野での三大試練』シリーズのまとめとして、神様の定義と三大祝福、そして三大試練との関連性を整理しておきます。

結局のところ、サタンは私たちに三大祝福を実現させないために、それとは反対の方向に誘導しようとしてきます。

その試練を見事に退けられたのがイエス様ですから、その内容を詳細に知ることは、私たちにとって生きた教訓となるはずです。

神様の定義と三大祝福

『原理講論』の創造原理では、神様の定義について以下のように記述されています。

神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(『原理講論』p47)

 

この神様の定義は、それぞれ三大祝福の生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよに対応しています。

本性相と本形状の二性性相の中和的主体 ⇒第一祝福:個性完成

本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体 ⇒第二祝福:子女繁殖

被造世界に対しては、性相的な男性格主体 ⇒第三祝福:万物主管

ですから、言い換えると、アダムとエバにくださった神様の祝福は、「私のようになりなさい」ということなんですね。

神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。(『原理講論』p64)

 

そのため、イエス様も「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ福音書五章48節)と言われました。

このイエス様のみ言について、『原理講論』では次のように説明しています。

マタイ福音書五章48節にイエスが、「それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と弟子達に言われたことも、とりもなおさず、創造本然の人間に復帰せよという意味であった。何故なら、創造本然の人間は、神と一体となることによって神性を帯びるようになるから、創造目的を中心として見るときには、神のように完全になるので、こう言われたのである。(『原理講論』p139~40)

 

三大祝福を実現することによって、私たちは神様に似るものになって名実ともに神の子になるということですね。

復帰摂理歴史に見る三大祝福の条件的復帰

堕落によって三大祝福が実現できなかったので、復帰摂理においては、中心人物が三大祝福を象徴的に復帰した条件を立てなければ、信仰基台や実体基台を造成することができませんでした。

復帰摂理歴史で展開された三大祝福の条件的復帰の例を確認してみましょう。

ノア家庭における三大祝福の条件的復帰

箱舟は三層に分けてつくられたが、その理由は、三段階の成長過程を通して創造された天宙を象徴するためであった。また、箱舟に入ったノアの家族が八人であったのは、ノアがアダムの身代わりの立場であったので、既にサタンの側に奪われたアダムの家族の八人家族を蕩減復帰するためであった。箱舟は天宙を象徴するので、その中に主人として入ったノアは神を象徴し、彼の家族は全人類を象徴し、その中に入っている動物は、万物世界全体を象徴したのであった。(『原理講論』p304)

 

ノア家庭では、ノア自身が個性完成、ノアの8人家族が子女繁殖、動物が万物主管の型を形成しています。

アブラハム家庭における三大祝福の条件的復帰-象徴献祭の前

エジプト王パロが、アブラハムの妻サライを取って、彼の妻にしようとしたとき、アブラハムは、彼女と夫婦であると言えば、自分が殺される憂いがあったので、あらかじめ計って、自分の妻サライを妹であると言った。このように、アブラハムは彼の妻サライと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れていった彼の甥ロトと多くの財物を携えて、エジプトを出てきた。アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。(『原理講論』p318)

 

アブラハムが象徴献祭をする前の路程では、アブラハム自身が個性完成、アブラハムの妻サライと甥のロトが子女繁殖、多くの財物が万物主管の型を形成しています。

アブラハム家庭における三大祝福の条件的復帰-イサク献祭の前

アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1~16)。(『原理講論』p326~27)

 

アブラハムがイサク献祭をする前の路程では、アブラハム自身が個性完成、アブラハムの妻サラと男女の奴隷が子女繁殖、多くの財物が万物主管の型を形成しています。

ヤコブ路程における三大祝福の条件的復帰

アブラハムの「象徴献祭」の失敗による蕩減路程を担当したヤコブは、天のみ旨のため、知恵をもってエサウから長子の嗣業を奪うというかたちで個人的な争いに成功した。また、サタン世界であるハランに入って、彼の母の兄ラバンから長子の嗣業を家庭的に奪う二十一年間の争いに勝利した。そして、彼がハランからカナンへ帰る途中で、天使との組み打ちにも勝利して、人間始祖が堕落して以後、堕落人間として、初めて、天使に対する主管性を復帰できる蕩減条件を立てて、イスラエルという名前を受け、選民形成の基盤をつくったのである。(『原理講論』p337)

 

ヤコブの路程では、長子の嗣業復帰が個性完成、ハラン苦役21年路程での家庭復帰が子女繁殖、天使との組み打ち勝利による主管性復帰が万物主管の型を形成しています。

モーセの出エジプトにおける三大祝福の条件的復帰

モーセも、エジプトからイスラエル民族を率いて民族的カナン復帰路程を出発するとき、サタン分立の三日期間を過ぎたのちに、紅海に向かって出発した(出エ八・27~29)。(『原理講論』p327~28)

モーセはまた、エジプトから多くの財物を取って出発したのであるが(出エ一二・35、36)、これも、将来にあるはずのイエスの万物復帰を、前もって表示されたのであった。(『原理講論』p366)

 

モーセの出エジプト路程においては、モーセ自身が個性完成、イスラエル民族が子女繁殖、多くの財物が万物主管の型を形成しています。

イエス様の三大試練と三大祝福

イエス様が受けられた荒野での三大試練も、同じように三大祝福を復帰する基台造成のための条件になっています。

イエスがこの最初の試練に勝利して、個性を復帰することができる条件を立てられることによって、神の第一祝福の復帰の基台をつくられたのである。(『原理講論』p414)

第二の試練に勝利することによって、本神殿であり、新郎であり、また人類の真の親として来られたイエスは、すべての信徒たちを、分神殿と新婦、そして子女の立場に、復帰することができる条件を立てて、神の第二祝福の復帰の基台を造成されたのであった。(『原理講論』p415)

イエスは第三の試練にも勝利され、被造世界に対する主管性を復帰し得る条件を立てることによって、神の第三祝福に対する復帰の基台を造成されたのであった。(『原理講論』p416)

 

以上のように、イエス様は三大試練に勝利することによって、三大祝福復帰の基台を造成されました。

イエス様がどのように勝利されたのか、三大試練の詳細については、以下の各記事を参考になさってください。

■イエス様の荒野での三大試練①み言で勝利されたイエス様

■イエス様の荒野での三大試練②アダム家庭との比較

■イエス様の荒野での三大試練③第一試練「石をパンにかえよ」の意味

■イエス様の荒野での三大試練④サタンはいつ試練してくるのか?

イエス様の三大試練に関する文鮮明先生のみ言①

文鮮明先生のみ言に、イエス様の三大試練について解説されたものがありますので、そのみ言を紹介します。

 イエス様がこの地上に来られて、サタンからいくつかの試練を受けるようになりました。40日断食の期間に、まず食べる物で試練を受けました。サタンがイエス様の前に現れ、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイによる福音書4章3節)と言ったのです。これは、飢えた人間たちには朗報でしょう。しかし、イエス様はこれを否定し、自分が食べる物のために来たのではないことを表明されました。かえって、神様のみ言を主張することによって、人間が生きていく実際生活圏内においてのすべての条件を、サタンの前で失わなかったという立場を立てたのです。
 その時まで人間は、物質を中心とする闘争歴史を経てきたのですが、イエス様が、サタンの第1次的な試練に勝利することによって、そのような物質を中心とする闘争歴史を終結させるようになったことを、皆さんは知らなければなりません。
 それでは、その次にイエス様は、どのような試練を受けるようになったのでしょうか。イエス様は、サタンに引かれて教会の聖殿の頂上に立たされるようになったのですが、そこで「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイによる福音書4章6節)という試練を受けるようになりました。
 イスラエル民族とユダヤ教を指導できる宗教理念をもって現れたイエス様にとって、「飛びおりなさい」というこの言葉はどのような意味があるのでしょうか? それは、ユダヤ教的な習慣と彼らの主張に屈服し、彼らの指導者の立場を放棄しなさいということです。しかし、イエス様は、ここでサタンの試練に陥ることなく勝利されました。
 その次にはどのような試練がありましたか? サタンは、イエス様を高い山頂に連れていき、天下万国とその栄光を見せてあげながら、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイによる福音書4章9節)と言ったのです。しかし、イエス様はここで、宇宙的な理念をもって神様の国、すなわち天国を建設しようとされる神様のみ旨を立ててさしあげるために、そのようなサタンの要求を一蹴してしまわれたのです。(『文鮮明先生御言選集』3-121 1957・10・13)

イエス様の三大試練に関する文鮮明先生のみ言②

このみ言のあと、さらに文鮮明先生は今の私たちにとって教訓となる内容のみ言を語ってくださっているので、それも紹介します。

 それでは、このような事実は何を意味するのでしょうか。この地上に新しい天地、すなわち天国を建設できる理念をもったイエス様だったので、そのみ旨を表す実現過程において、このような歴史的な不信のすべての条件を蕩減し復帰するという、象徴的な条件を立てなければならなかったのです。
 ですから、終末を迎えた今日の皆さんにも、物質的な条件を中心とする闘争が起きるようになるのです。ところが今日、すべての人間が、そのような物質的な闘争で勝利することができずに敗北すれば、この地は、自然に暗黒の世界に変わるでしょう。ですから、今日の皆さんは、そのような物質的な闘争を踏み越え、イエス様の天国の理念に従っていかなければならず、さらには、全世界のキリスト教徒と力を合わせ、神様の国をこの地上に建設しなければならないのです。
 そして、皆さんは、昔イエス様が、サタンのすべての試練を退けて勝利されたように、皆さんもそのような過程を経なければならないことを知らなければなりません。ですから、終末になれば、物質的な闘争の過程を越えなければならず、その次には、宗教的な闘争の過程を越えなければならないのです。ここで分裂と矛盾、闘争を解決し、これを統括する宗教が出現するというのです。このような時代を象徴したものがイエス様の受けられた試練でした。
 イエス様がどのような逆境の場でも、死の境地でも、変わらずにご自分の姿を表されたのと同じように、皆さんもイエス様のそのような人格に似なければなりません。また、終末にいる今日のクリスチャンたちは、イエス様の世界的な聖殿理念を探したててさしあげるためには、過去に喜んだいかなるものに対しても執着してはいけません。
 また皆さんは、歴史的な使命をもってこの地に来られて、歩まれたイエス様のその生涯路程に符合する路程に立てられたので、皆さんの前には、歴史的な闘いの一時が横たわっていることを知らなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』3-123 1957・10・13)
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