【本記事で深掘りする『原理原本』のみ言】
 太初はすなわち「一(いち)」であられる。この「一」がすなわち太初の根本である。この根本がすなわち「ハナニム(神)」であられる。(『原理原本』p11)

 原理の起源はどこからかというと相対を定めることから始まる。その相対を得れば対象に向かう力が作用するようになる。この力が作用する一つの回路を中心に授けて受ける目的が成立し、対象を構成して原理が完成するのである。(『原理原本』p503)
 
 人間は神を中心とする存在位置が造成され、地上をすべて主管する中心になっていることから見ても、原理完成による天宙主管を目標として神と一つになり、原理主管のための根本理想を立てることが創造目的である。(『原理原本』p541)

1.「一なる神(ハナニム)」から「原理完成」へ

(1)原理の中の原理とは?

 『原理講論』は人間の幸福について言及するところから始まりますが、『原理原本』では「一なる神(ハナニム)」について言及するところから始まります。その「一なる神(ハナニム)」を中心に、人間を含むあらゆる存在は自己の対象を完成して「原理完成」へと進み、創造目的を完成していきます。

 この「原理完成」までの過程を整理してみると、まず、ある存在が第一存在である神の完全対象となって神との縦的関係を確立します(①)。そして自己の相対を立て、神を中心にその相対と授受作用しながら相対から対象を造成し、横的関係を確立することによって(②)、その存在と対象が神の完全対象になります(③)。これが「原理完成」であり、『原理講論』で言うところの「四位基台」完成に相当します。

 

 人類始祖アダムとエバの場合は、まず「一なる神」、すなわち神(ハナニム)とアダムが一体となって父子の縦的関係を確立し、神と一体となったアダムを中心としてエバと夫婦の横的関係を確立することによって「原理完成」となります。これが「真の父母」です。

 

  この神を中心とする縦的関係と横的関係について、文鮮明先生は次のように語られています。

 宇宙の中で、永遠、不変、絶対の原理とは何でしょうか。それは原因と結果、主体と対象の関係であるという結論になります。これを人間社会に適用すれば、親子関係と夫婦関係がその核心になるのですが、一つは縦的な主体と対象の関係であり、一つは横的な主体と対象の関係です。
 両者は次元の高い主体と対象の関係にありながら、縦的に合わさったものが新しい主体となり、横的に合わさったものが新しい対象となり、円満な授受作用を通して渾然一体となって立体化し、調和した球形運動をするのです。それが愛を中心とした力の作用であり、人間社会の基本単位である理想的家庭のモデルです。(『文鮮明先生御言選集』 89-226 1976.11.27)

 

 『原理原本』では、このような「一なる神」から「原理完成」へと向かう原理について、「対象原理」や「根本原理」、「基本原理」といった表現で繰り返し言及され、異なる角度で何度も説明されています。この原理こそ、まさに原理の中の原理であり、根本かつ基本の原理であり、宗教と科学の根本問題を解明する究極の原理なのです。

 

(2)旧約から新約、成約を通じて最も重要な教えは「一なる神」

 神がモーセに授けた十戒は、律法の中心であり、旧約聖書(口語訳・以下同)の中心ですが(『原理講論』p387)、その十戒の第一は、「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記20章3節)です。

 さらに、申命記6章4節には、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」とあります。ユダヤ教で最も重要視され、ユダヤ教徒が毎日唱える祈りである「イスラエルよ、聞け(シェマー・イスラエル、Shema Yisrael)」は、この聖句から始まります。

 イエス様は、この申命記の聖句を引用されながら、律法の中で最も重要な戒めとして、次のように語られました。

 第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』(マルコ福音書12章29~30節)

 

 そして、冒頭で紹介したみ言のように、『原理原本』の最初に記録されているみ言も「一なる神」です。

 太初はすなわち『一』であられる。この『一』がすなわち太初の根本である。この根本がすなわち「神(ハナニム)」であられる。(第一巻序章)

※韓国語で「神」を「하나님(ハナニム)」と言います。「하나(ハナ)」は「一」、「님(ニム)」は「方(かた)」を意味するため、「ハナニム」とは「一なる方」という意味です。

 

 このように、旧約時代から新約時代、そして成約時代まで、「一なる神」の教えが最も重要かつ中心となる教えとなっています。

(3)「原理完成」から見た旧約の律法(十戒)と新約の福音

 旧約聖書の出エジプト記20章3節から17節に記録されている十戒の内容は次のとおりです。

 第一の戒め:わたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
 第二の戒め:自分のために、刻んだ像を造ってはならない。
 第三の戒め:あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。
 第四の戒め:安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 第五の戒め:あなたの父と母を敬え。
 第六の戒め:殺してはならない。
 第七の戒め:姦淫してはならない。
 第八の戒め:盗んではならない。
 第九の戒め:隣人について、偽証してはならない。
 第十の戒め:隣人の家をむさぼってはならない。

 この十戒を『原理原本』で明らかにされた「一なる神」を中心とする「原理完成」の観点から見たとき、次のように分類することができます。

 

 そして、新約聖書の福音書でイエス様が語られた最も重要な二つの戒めがこちらです。

 第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。(マルコ福音書12章29~31節)

※福音書では他にマタイによる福音書(22章37~40節)にも同様のみ言がありますが、そちらには「一なる神」についてのみ言はありません。

 

 申命記6章4節から引用された第一の戒めは、「一なる神」であることを明らかにした上で、神を愛すること、すなわち神との縦的な関係を結ぶことについて語られています。レビ記19章18節から引用された第二の戒めは、隣人を愛すること、すなわち対象との横的な関係を結ぶことについて語られています。

 

 また、『原理講論』では、主体に相対する対象の位置について次のように説明されています。

 その主体は神の対象となり、神を中心として回転して神と合性一体化し、また、その対象が、このような主体と合性一体化するようになるとき、初めてその合性体は、神の二性性相に似た実体対象となる。このように、その対象は、その主体と合性一体化することによって、初めて神の対象となることができるのである。(『原理講論』p55)

 

 このように、対象は、神と合性一体化した主体と合性一体化して、初めて神の対象になることが明記されています。対象の位置にある存在が直接、神の対象になることはできず、神の完全対象となり神との縦的関係を確立した主体と横的関係を確立することで、初めて神の完全対象になるのです。ここに主体と対象の格位(主管する資格をもつ位置)の違いがあります。

 さらに『原理講論』では、このような原理についてキリスト教を挙げながら次のようにも説明しています。

 キリスト教は、愛と犠牲により、イエスを中心として、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である。(『原理講論』p53)

 

 以上のように、旧約聖書の律法(十戒)も、新約聖書の福音も、そして成約の原理も、その中心となる原理は、「一なる神」を中心に自己の対象を完成して「原理完成」することなのです。これが『原理原本』が提示する原理の中の原理です。

2.今なぜ『原理原本』なのか?

(1)「独生女論」が非原理理論であることを明確にする『原理原本』

 上で言及したように、旧約から新約、成約を通じて最も重要な教えは「一なる神」です。それはなぜかというと、歴史上、ユダヤ教徒やキリスト教徒たちは、常に多神教や自然崇拝の影響にさらされ、偶像崇拝に陥らせようとするサタンの試練を受けてきたからです。

 今日の成約聖徒たちも同様の試練を受けています。それがまさに韓鶴子オモニと「家庭連合」が主張する「独生女論」です。

 「独生女論」は、「天の父母」という二元論の神観をもって「一なる神」に対する信仰を破壊し、「真の母無原罪誕生」をもって、本来、主体と一体化して神の対象となるべき存在が、逆に主体を主管して自ら主体存在となることで対象原理を破壊しようとするものです。

 

 このように、「独生女論」の何が、どのように非原理なのか、そしてそれを主張し信奉することがなぜ天宙的な大罪なのかということが、『原理原本』を通してより明確になるのです。ここに今『原理原本』が世に出る一つの大きな意義があると言うことができます。

(2)「小羊の婚宴」から見た新約聖書と『原理原本』

 『原理原本』は、「太初はすなわち「一」であられる」(p11)から始まり、最後に「原理完成」と「小羊の婚宴」について言及されています。

 完成父格であるイエスは、完成の母を探し立て、人類にとって基準となる根本の原理完成を定めるために婚宴を行うが、それを小羊の婚宴と言う。(『原理原本』p710)

 

 そして、新約聖書は、福音書で最も重要な二つの戒めが記録され、「ヨハネの黙示録」(19章6~9節)で「小羊の婚宴」についての預言が記録されています。

 「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。(ヨハネの黙示録19章9節)

 


 このように『原理原本』と新約聖書は、最初と最後が同じ内容になっています。旧約聖書の「イザヤ書」から「マラキ書」までの預言書に該当するのが「ヨハネの黙示録」ですから(『原理講論』p467)、『原理原本』の第5巻で言及されている第三次世界大戦やキリスト教徒中心の政党などは、今後起こることに対する預言的なみ言とも言えるでしょう。

(3)神の審判と三大王権完成時代の到来

 2022年7月13日、日本の群馬天正宮にて、文亨進二代王様は、「ヨハネの黙示録19章1~2節に預言された『神の審判』が始まった」と語られました。

 「ハレルヤ、救と栄光と力とは、われらの神のものであり、そのさばきは、真実で正しい。神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、神の僕たちの血の報復を彼女になさったからである」。(ヨハネの黙示録19章1~2節)

 
 これは、現在も続く日本政府およびマスメディアなどによって行われている家庭連合に対する国家的な糾弾現象を指しています。そして、この現象は大淫婦に対する神の審判であり、「ヨハネの黙示録」では、このすぐあとに「小羊の婚宴」について預言されていることから(19章6~9節)、天の三大王権完成の時代が到来していることが分かります。

 そのことを全天宙に告げる行事こそ、まさに2023年4月23日に行われた三代王信俊様の聖婚式です。三代王様の聖婚式が成就することによって、ミクロにおいてもマクロにおいても、サタン世界の崩壊現象がよりはっきりと現れることになるでしょう。

 

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