韓国語と日本語の『原理講論』を比較してみると、言葉の表記についても様々な発見があります。
今回は、「終末」や「法王」、「僧侶」といった表記について、深掘りしてみたいと思います。
「終末」を意味する韓国語の三つの言葉
韓国語で「終末」を意味する言葉は次の三つです。
말세(マルセ)
종말(チョンマル)
끝날(クンナル)
「말세(マルセ)」と「종말(チョンマル)」は漢字語で、漢字表記は「末世(マルセ)」と「終末(チョンマル)」になります。
「끝날(クンナル)」は、終わりを意味する「끝(クッ)」と日を意味する「날(ナル)」の合成語です。
韓国語の『原理講論』には、この三つの言葉が使われているのですが、興味深いのはその使用回数です。
말세(マルセ) 82ヶ所
종말(チョンマル) 33ヶ所
끝날(クンナル) 15ヶ所
意外にも「말세(末世 マルセ)」が総数130ヶ所のうち6割以上を占めています。
一方で、日本語の『原理講論』には「末世」という表記は1ヵ所しかなく、ほとんどが「終末」か「終わりの日」と訳されています。
そのうち「終わりの日」は3か所しかありませんので、上記の三つの言葉はほぼ「終末」と訳されているわけです。
日本語の『原理講論』で「末世」と表記されている箇所を例文としてあげておきましょう。
【例文】
사탄주권의 죄악세계가 하나님주권의 창조이상세계에로 교체되는 시대를 말세라고 한다. 따라서 말세는 지상지옥이 지상천국으로 바꾸어지는 때를 이르는 것이다.
サタン主権の罪悪世界が、神主権の創造理想世界に転換される時代を終末(末世)という。従って終末とは、地上地獄が地上地獄に変わるときをいうのである。(『原理講論』p147)
「終末」と「末世」の意味
この「終末」と「末世」の意味を辞書で調べてみると、次のようになっています。
終末:世界の終わり。キリスト教で、世の終わりをいう。
末世:一つの時代の終わりであり、道徳が衰え、けがれた世のこと。仏教で、釈迦入滅後、遠き時代が隔たった世のこと。仏法が衰え、修行もすたれた末の世。
これを見ると、「終末」は、一つの時代の終わりという時期的な意味だけなのに対して、「末世」はそれに加えて道徳や仏法が衰えるという意味もあることが分かります。
「末世」という言葉は、儒教や道教などの古代中国思想に由来する言葉だそうですから、伝統的に儒教思想の強い韓国でこちらが多く使われるのは理解できますね。
また、「末世」と「終末」では上記の意味のようにニュアンスが異なりますので、日本語の訳も韓国語の原文に合わせて表記するほうがよいと思われます。
日本語の『原理講論』に見る仏教用語
「世も末」という言葉があるように、日本では「末世」という言葉は仏教用語ですが、『原理講論』には他にも仏教的な表記がいくつかあります。例えばこちらです。
ここに出てくる「法王」と「僧侶」という言葉も仏教用語で、辞書でその意味を調べてみると以下のようになっています。
「法王」
1 仏語。法門の王。仏法の世界の王。すなわち、仏の称。法皇。
2 天平神護二年称徳天皇が僧道鏡に授けた称号。法皇。
3 親王の唐名。
4 ローマ‐カトリック教会の最高の聖職。ローマ法王。教皇。
「僧侶」
出家してみずから修行するとともに仏道を教え広める者の集団。また、その個人。桑門。僧徒。
このようにどちらも仏教用語なので、キリスト教的には「教皇」や「聖職者」と表記するほうがよさそうですね。
次に韓国語の『原理講論』ではどうなっているのかを見てみましょう。
韓国語の『原理講論』に見る仏教用語
日本語の『原理講論』で「法王」となっているところは、韓国語の『原理講論』ではすべて「교황(教皇 キョファン)」となっていて、「법왕(法王 ポバァン)」という表記はありません。
日本では「ローマ法王」という表記が一般的ですが、「法王」と「教皇」の呼称について、日本のカトリック教会の中央団体である「カトリック中央協議会」では次のような見解を発表しています。
「ローマ法王」「ローマ教皇」という二つの呼称について
「新聞を見ると『ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『ローマ教皇』と書いてあります。どちらが正しい表記ですか?」
このような質問が多く寄せられます。簡単に説明します。教会では「ローマ教皇」を使います。
以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。
そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。
バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」
ところが東京都千代田区三番町にある駐日バチカン大使館は「ローマ法王庁大使館」といいます。なぜでしょうか?
日本とバチカン(ローマ法王庁、つまりローマ教皇庁)が外交関係を樹立した当時の定訳は「法王」だったため、ローマ教皇庁がその名称で日本政府に申請。そのまま「法王庁大使館」になりました。
そのため、外務省をはじめ政府は「法王」を公式の呼称として用い、マスコミ各社もこれに従っています。
こうしていまでも「法王」と「教皇」が併用されているのです。
カトリック中央協議会のホームページより
https://www.cbcj.catholic.jp/faq/popeofrome/
韓国語の『原理講論』もすべて「教皇」ですし、カトリック中央協議会も「教皇」という呼称を推奨しているので、日本語の『原理講論』でも「ローマ教皇」と表記した方がよいかもしれません。
一方で、「僧侶」の場合は、韓国語の『原理講論』でも「승려(僧侶 スンニョ)」と表記されています。
さきほど紹介した日本語の『原理講論』の一節は、韓国語では次のようになっています。
韓国では、キリスト教が入ってきた当時、古くからあった仏教の用語がキリスト教にも使われ、カトリックの神父を西洋の僧侶とみていたそうです。
今ではそういうことはほとんどないですが、『原理講論』が出版された1966年当時は、まだその傾向が残っていたため、「승려(僧侶 スンニョ)」と表記されたのではないかと考えられますね。
まとめ
■「終末」を意味する韓国語は、말세(マルセ)、종말(チョンマル)、끝날(クンナル)の三つがある。
■韓国語の『原理講論』では말세(マルセ)が82ヶ所(全体の6割以上)で使われているが、日本語の『原理講論』には1ヵ所しかない。
■「終末」は一つの時代の終わりという時期的な意味だけだが、「末世」はそれに加えて道徳や仏法が衰えるという意味もある。
■日本語の『原理講論』で「法王」となっているところは、韓国語の『原理講論』ではすべて「교황(教皇 キョファン)」になっている。
■日本語の『原理講論』で「僧侶」となっているところは、韓国語の『原理講論』でも「승려(僧侶 スンニョ)」と表記されている。