今回は、UPMC主催の『40日路程実践プロジェクト』【基礎編】について、その原理的な意義と価値、そしてその目的について解説します。
【40日路程実践プロジェクト】のコンセプトを一言で表現すると、「40日路程を歩んで信仰基台を立て続けよう」というものです。
「40日路程」は、復帰摂理路程の最初の一歩である「信仰基台」を、自分自身が実際に立てるための一つの方法論になります。
信仰者が罪を犯してしまう理由
最初に、神様を中心として善の道を行くべき信仰者が、どうして罪を犯してしまうことがあるのか、その理由を『原理講論』で確認してみましょう。
「観念的」とは、「現実を離れて、抽象的、空想的に頭の中で考えるさま」を意味しています。
それに対して「実感」というのは、「現実のものとしてそう感じることや、心からそうだと感じること」を意味します。
つまり、神様という存在が頭で考えているだけのもので、実際の体験を通して「ああ、本当に神様が生きて働いていらっしゃる」という実感がないことが、信仰者が罪を犯してしまう理由だと述べています。
頭の中で神様がいらっしゃると信じているのと、自分自身の経験によって神様の存在を実感しているのとでは、あきらかに違いますね。
もし信仰が観念的なものであれば、いくら神様の願われる善の方向に行きたいと頭で考えていても、神様に対する実感がなければ、体はその方向に従って行動することができません。
それを船で例えると、羅針盤があっても、その羅針盤が示す方向に進むためのエンジンがないのと同じです。
そこで私が提案したいことは、生活の中で生きて働かれる神様を実感するために「40日路程」を実践することです。
「40日路程」を実践することで、「統一原理」が真理であり、本当に神様がいらっしゃり、私を愛してくださっていることを体験できるようになります。
ですから、「40日路程」とは、生活の中で生きて働く神様を実感するための一つの方法論なのです。
「40日路程」の原理的意義
それでは、「40日路程」の原理的根拠をあげながら、その意義と価値を解説したいと思います。
40数の創造原理的意義
最初に、創造原理から見た40数の原理的な意義について確認しておきましょう。
このように、人間の成長期間は、40数を完成する期間でもあることが分かります。
堕落することによってこの40数を完成できなかったので、蕩減復帰の路程では、40数を復帰することによって、条件的ではありますが堕落していない立場に立つようになるのです。
「信仰基台」を立てることは復帰の第一歩
「メシヤのための基台にも個体目的と全体目的がある」の記事でも説明したように、信仰基台と実体基台は、人間が堕落したために生じた条件ではなく、堕落前の創造本然のアダムが立てなければならない条件でした。
そして、『原理講論』のp278に「堕落人間が創造目的を成就し得る基準を復帰するためには、まず初めに、人間始祖が立てることのできなかった、その信仰基台を蕩減復帰しなければならない」とあるように、私たちが最初に立てなければならない条件が「信仰基台」です。
この「信仰基台」を蕩減復帰するためには、「中心人物」、「条件物」、「数理的な蕩減期間」の3種類の蕩減条件を立てなければならないというのが原則です。
復帰基台摂理時代と復帰摂理時代の「信仰基台」
次に、どのようにすれば「信仰基台」が復帰されるのかについて確認したいと思います。
まず、アダム家庭からアブラハム家庭までの復帰基台摂理時代の「信仰基台」について確認してみると、次のようになっています。
そして、モーセ路程以降の復帰摂理時代になると、万物を献祭するという条件とは異なる条件になっています。
このように、「40日サタン分立基台」と「神のみ言を中心として立つこと」、この二つによって「信仰基台」が復帰されるようになっているわけですね。
■アダム家庭からアブラハム家庭までの「信仰基台」
⇒「40日サタン分立基台」+「象徴献祭」
■モーセ路程以降の「信仰基台」
⇒「40日サタン分立基台」+「神のみ言を中心として立つこと」
この原則は、イエス様以降の復帰摂理延長時代においても同じです。例えば、復帰摂理延長時代のキリスト王国時代の中心人物だったチャールズ大帝(カール大帝)について見てみましょう。
このように、「40日サタン分立基台」と「神のみ言を中心として立つこと」によって「信仰基台」が復帰されるというのは今も適用される原則になります。
「神のみ言を中心として立つこと」とは?
それでは、「神のみ言を中心として立つこと」とは、具体的にどういうことなのでしょうか?
結論から言うと、40数サタン分立期間の後に神様から「み言」が与えられ、そのみ言を信じ従うことを意味しています。
復帰摂理歴史のモーセ路程から、その具体的な例を挙げてみたいと思います。
このように、モーセが40日間にわたって断食をしたあとに、神様から十戒のみ言を受けるようになりました。
もう一つの例として、モーセは、エジプトからイスラエル民族を導き出す前に、神様から次のようなみ言を受けています。
モーセは、このみ言に従ってイスラエル民族をエジプトから導き出そうと決意し、そのとおりに行動したので、「信仰基台」を復帰して「実体基台」のアベルの位置に再び立つことができました。
韓国語から見た「神のみ言を中心として立つこと」の意味
「神のみ言を中心として立つこと」は、私たちが「信仰基台」を復帰するために欠かすことのできない条件ですので、さらにその意味を原語の韓国語から深掘りしてみます。
韓国語で「神のみ言を中心として立つこと」に該当する所を確認すると次のようになっています。
韓国語でも日本語でも「立つ」という言葉はいろいろな意味がありますが、韓国語の辞典で「서다」を調べてみると、その中に「(値段・覚悟が)つく、決まる」という意味があることが分かります。
これは、「굳은 결심이 서다」(堅い決心がつく)のように使われるそうで、日本語だと「立ち上がる」に近い意味になりますね。
このことから、韓国語から見た場合、「神のみ言を中心として立つ」とは「神のみ言を信じて従おうと決心し、そのとおりに行動を起こすこと」と解釈することができます。
「40日路程」の目的
次に、「40日路程」を歩む目的について解説します。以下の3つがその目的になります。
1.神様のみ言を復帰すること
2.自分が神様の所有になること
3.サタンに対する主管性を取り戻すこと
それでは、順番に説明していきたいと思います。
神様のみ言を復帰すること
『原理講論』のp305に「四十数は、その後の蕩減復帰摂理路程において、「信仰基台」を復帰するためのサタン分立数として必要になった」とあります。
なぜ必要になったのかというと、アダムとエバが神様の戒めのみ言に従わずに堕落してみ言を失ってしまったため、そのみ言を復帰しなければならないからです。
前の項目で説明したように、堕落によって失ったみ言を復帰するためには、40数のサタン分立期間を立てなければならないのですが、それこそが40日路程を歩むことの第一の目的です。
そして、「信仰基台」を立てるために必要な条件は、「中心人物」、「条件物」、「数理的な蕩減期間」の3つです。
40日路程を実践する場合、「中心人物」が私で「数理的な蕩減期間」が40日となりますが、「条件物」にあたるのがみ言になります。
自分が神様の所有になること
「信仰基台」を立てるための条件の一つである条件物の目的について、『原理講論』では次のように説明されています。
神様から見たとき、人間に「条件物」の条件を立てさせるのは、「この人間は神に所有権がある」とサタンに認めさせるためだということです。
自分がサタンを分立して神様の所有になることによって、神様が私を通して働くことができるようになります。
そうすると、この現実世界の中で神様が生きて働いていらっしゃることを、自分自身の体験を通して実感できるようになるわけです。
天使に対する主管性を復帰して実体基台のアベルの立場に立つこと
「条件物」と「数理的な蕩減期間」について、文鮮明先生のみ言には次のようなものがあります。
そして、『原理講論』にも、自分自身が条件を立ててサタンを自然屈服させなければならないとしています。
人類の復帰摂理歴史上、初めて実体で天使に対する主管性を復帰したのがヤコブで、これによってヤコブは、実体基台のアベルの立場を確立しました。
もし私たちが「信仰基台」を立てて神様の所有になれば、サタンはこれ以上、私を通して活動することができなくなります。
私自身がサタンを分立し、サタンを自然屈服させて人間の主管性を取り戻すこと、
これが地上天国を復帰する第一歩になり、私から天国が始まることになるのです。
最後に
全体目的では、私がカインの立場で「堕落性を脱ぐための条件」を立てて「実体基台」を立てなければなりません。
そして、それは「信仰基台」を復帰した組織のアベルに対して私が行う責任分担です。
一方で、個体目的においては、自分がアベルの立場ですから、自分自身でサタンとの相対基準を断ちきり、「信仰基台」を復帰して神様の所有にならなければならないのです。
そのための一つの方法論として私が提案するのが「40日路程の実践」になります。
決してこの方法しか「信仰基台」を復帰することはできないわけではないですし、他にも方法があると思います。
ただ、これまで私自身が信仰生活をしてきた経験から、この方法が最も「信仰基台」を復帰しやすい方法だと考えているので、こうして提案している次第です。
「40日路程」の具体的なやり方と注意事項などについては、こちらの記事で確認してください。
⇒『40日路程実践プロジェクト』【基礎編】②「40日路程」の実践方法