摂理から見たアベルたち(3/10)

1979年12月30日(日)
アメリカ・ベルベディア

※このみ言は、1979年12月30日の聖日に、新しく80年代を迎えるに当たって、私たち統一教会員のアベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、10時間にわたって語られたものです。また、日本では、『摂理から見たアベルの正道』というタイトルで小冊子になりました。

 アメリカを中心として世界的蕩減路程を行かなければ

 さあ、韓国のキリスト教が滅べば、アメリカのキリスト教は自動的に滅びます。アメリカの宣教師が韓国に行き、そのまま居続けたので……。世界を代表したというのです。統一教会に反対するキリスト教が、2000年間反対されながら発展してきたキリスト教が、約20年内にすっかり滅びるのです。レバレンド・ムーンは何でもない存在であり、統一教会は何でもない存在なのですから、私たちに反対したためにそのようになったという結論が出てくるというのです。ですから、20年の間に統一教会はキリスト教の世界圏と……。地の果ての最もへこんだようなところから発展し、今では全世界のキリスト教が束になってもレバレンド・ムーンをどうすることもできません。統一教会の基盤をどうすることもできない段階に入ってきました。

 ヤコブが7年間で行くところを21年間で歩んでいったように、21年歩んでするのです。キリスト教が統一教会に反対していなければ、7年以内に全世界のキリスト教は統一されてあまりあったのです。間違いないというのです。それを知らなければなりません。皆さんはそうだと思いますか?

 皆さん、1週間以内に皆さんの思想が変わっていくでしょう? 約7時間以内で皆さんの思想が変わっていくというのです。それが事実ですか?(「はい」)。そのように、あらゆる人が統一教会に反対し、レバレンド・ムーンが悪い、洗脳し、搾取すると言っていても、全世界のキリスト教が「よい、よい」と言うときは、7時間以内に変わっていきます。

 それでは、レバレンド・ムーンが悪い意味の親分になったでしょうか、良い意味の親分になったでしょうか? (「良い意味の…」)。それでは、レバレンド・ムーンが個人的なカイン・アベルの蕩減復帰を一瞬のうちに、家庭的なカイン・アベルの蕩減復帰も一瞬のうちに、すべてを一瞬のうちにすれば、キリスト教と一つになり、世界的版図を中心としてがつんとやるのです。そのときに私は、アイゼンハワー大統領ならアイゼンハワー大統領に乗っていかなければなりません。それで、私がその後、アイゼンハワー大統領と会談した場で、「韓国動乱が最後の峠だったとき、休戦してはいけなかった」と言ったのです。

 さあ、アイゼンハワー大統領はアメリカの大統領です。このアイゼンハワー大統領と一つになっていれば、キリスト教が反対したことを蕩減復帰します。それで私がニクソンも支持したのです。ニクソンはアジア政策に反対した人です。アジアから韓国を外し、アラスカから日本を経てニュージーランドとオーストラリアに連結するその防御線を立てた人なので、韓国には怨讐です。しかし、このニクソンに会えば、キリスト教が反対したことを蕩減復帰できます。キリスト教が反対したことを蕩減復帰するのです。それで世界史的なカイン圏の蕩減基準を立てようというのです。何の話か分かりますか?

 それで、7年の基盤を中心として、全世界が分かるようにアメリカの中をすべてひっくり返すのです。それで私がアメリカに入っていきました。1981年まで7年路程です。74、75、76、77、78、79、80、81年……。それをすべて合わせれば21年です。反対するので、世界的な蕩減路程として、3次7年路程を中心に私がアメリカの大統領にまで会っていかなければなりません。それが先生の使命です。

 それで、アメリカに来てそれをしたのです。この反対するアメリカ大統領もすべて私が擁護して……。このアメリカ国民が先生の話を聞いていれば、このようになりません。このカーターが無分別に行動し、このケネディ……。今後、アメリカがどのようになるか、見ていなさいというのです。

 アベルが行く公式

 アメリカの統一教会員の中には離れた者もいるのです。自ら頭を引いて逃げていった者たちもいます。「ああ、アベルについていけない。アベルは嫌いだ。先生についていくのは大変だ。ついていけない」ということです。アメリカ国民が統一教会を受け入れようとするときは、統一教会の群れがすべて離れていくかもしれない峠があるというのです。それはあり得ることです。

 それで今後、統一教会から離れていった人たちが統一教会に反対しないよう、アメリカ国民が彼らに対して「こいつ、なぜそのようにした?」と言います。間違いなくそうです。私が黙っていても、「こいつ、何だ? 統一教会の文先生がごろつきで詐欺師か、こいつ」とアメリカ国民が審判してしまいます。

 もしアメリカ国民ができなければ、南米がして、黒人がして、アジア人がするのです。白人たちができなければ、スパニッシュ系がして、黒人がして、アジア人たちがするのです。世界がするというのです。世界の人たちがこのアメリカ国民を打ちます。何の話か分かりますか? 南米でレバレンド・ムーンを招請しているというのです。自分の国に来なさいと人が来て連絡してきています。

 それでは、レバレンド・ムーンが行くとき、皆さんはアメリカに残っていますか、ついていきますか? (「ついていきます」)。行って何をするのですか? その国に行けば迫害を受けます。また迫害を受け、ムーニー、ムーニー、ムーニー……。アメリカよりも皆さんはもっと悲惨でしょう。

 南米に行くたびに下部の人たちが「レバレンド・ムーン、ムーニーが好きになった」と言います。アメリカでも反対されるとき、下部の人、黒人たちとスパニッシュの人たちと近くなったというのです。それは同じ公式路程です。捨てられた人たち、アメリカで捨てられた人たちばかりが押し寄せてきたのです。ですから、「ムーニーたちは、みな信義がある人たちであり、心情の愛がある人たちであり、思想がある人たちだ」という噂がひっきりなしに立つのです。

 7年路程でこのアメリカが座ったまま方向が変更されない日には、これが延長されて2000年代まで……。このような歴史的な圏内にいるので、「イギリスに新しい基地を準備して、南米に新しい基地を準備しなさい」と先生が命令を下したのです。ヨーロッパに新しい基地をつくらなければならず、南米に新しい基地をつくらなければならない、このように考えるのです。また、アフリカに新しい基地をつくり、アジアに新しい基地をつくらなければならないと考えます。もしアメリカを指導すれば、私がモスクワ大会をすることは遠くない将来に可能です。何の話か分かりますか?(「はい」)。

 ですから先生は、1日が1000年のように耐えがたいほど追い立てるのです。それでこのアメリカの幹部にとって先生は恐ろしい先生になったというのです。皆さんもそうでしょう? それが誰のためにそうしたのですか? あなたたちの国のために……。民主世界のためです。共産党の波及を私が1人で防いでいます。共産党は後ろから攻撃するのですが、私が1人で防いでいるのです。サタンの攻撃を私が1人で防いでいるというのです。教会のあらゆるサタンを私が防いでいます。皆さんはそれを嫌うではないですか? 皆さんもそれを嫌うのではないですか? 皆さん、そのようなことは嫌いでしょう? どうですか? (「好きです」)。

 私が一つ尋ねてみましょう。皆さんが昔、愛して好きだった男性や女性がいれば、その人が慕わしいでしょう? (「いいえ」)。踊って、自慢して、自分を中心として生きていたでしょう? クリスマスになり、年末になれば、村中が喜び、思う存分食べたのに、このようにみすぼらしくなって何がいいのですか? どこに行っても「あいつを見ろ。目を見ろ、鼻を見ろ、口を見ろ、耳を見ろ。見苦しくないものがない。足の指を見ろ、あのおしりを見ろ、あいつ」と言いながら、見苦しくないものがないというのです。「レバレンド・ムーンのやつ、早く死ねばいい」と言います。アメリカ人の中で「レバレンド・ムーンは死ね」と祈祷する人がどれほど多いか知っていますか? 国務省もレバレンド・ムーンを追放するために、「あいつを放っておけば、このアメリカが飲み込まれてしまう。アメリカが滅びる」と言うのです。ぴったり同じです。ローマ時代のキリスト教とぴったり同じだということです。

 アメリカは「レバレンド・ムーンがこのアメリカをすべて飲み込んでしまおうとしているのだ」と考え、共産党は「共産党をすべて飲み込んでしまおうとしているのだ」と考えているというのです。キリスト教もそのように考えています。ですから、キリスト教の怨讐であり、共産党の怨讐であり、アメリカの怨讐になっています。これが公式です。アベルが行く公式です。歓迎せずに反対する日には、この公式をすべて歩んで行かなければなりません。サタン世界は反対するのであって、歓迎するようにはなっていないというのです。

 ですから、先生の一生は、「ああ、個人的なカインよ! お前は去りなさい。家庭的なカインよ、来なさい。家庭的なカインよ、すぐに去りなさい。その次に、氏族的なカインよ、来なさい。民族的なカインよ、来なさい。国家的なカインよ、来なさい。アジア的なカインよ、来なさい。世界的なカインよ、来なさい。共産主義の世界的最後のサタン、カインよ、来なさい」、こうではないですか? すべて殺そうとします。個人的、家庭的に殺そうとし、氏族的に殺そうとし、民族的に殺そうとし、国家的に殺そうとし、世界的に殺そうとするということです。

 アメリカでこのように苦労するのは共産党を消化するため

 ですから、皆さんに例外がありますか?(「ありません」)。何の文化ですか? レバレンド・ムーン文化、アダム文化、神様文化です。何の伝統ですか? レバレンド・ムーンの伝統、天の国の摂理的伝統です。これを立てるために私がこのようなことをしているのです。アジアや韓国の伝統ではありません。神様の伝統です。何の話か分かりますか?(「はい」)。もう分かりましたか? このように世の中が動くのです。

 さあ、もう結論を下しましょう。先生は祈祷するとき、「民主世界の反対の矢がアメリカ国会から、フレイザー議員から飛んできて世界が攻撃する状況で、アベルが行くべき十字架路程を越えていくようにしてください」と祈りました。それで先生は越えたというのです。これから共産世界、あのモスクワでの十字架を越えなければならないということです。越えていかなければ、私たちの子孫がそれを越えなければなりません。

 皆さんを訓練させるのは、この共産党に勝って残ることができるムーニーにするためです。皆さんをソ連に送り、そこで働いて暮らすようにするでしょう。そうしようとすれば、皆さんはお金が必要であり、計画が必要です。ですから、お金を稼がなければなりません。反対していた人たちに同情され、ファンダレイジングできる経済的実力をもたなければならないのです。反対していた相手を伝道できる能力がなければなりません。お金を稼ぐことができますか? 一生の間、出ていってひとり黙々と基盤を築きながら……。それをしなければなりませんか、してはいけませんか?(「しなければなりません」)。カンボジア戦線を考えなさいということです。ベトナム戦線を考えなさいということです。イランのホメイニと戦っていることを心情に鋭敏に感じながら立ち上がり、それに対して備えなければなりません。ムーニーの理念があったなら、これはこのようになっていなかったはずですが……。それは何の話か分かりますか?

 この者たち、あなたたちは、今までのように満たされて楽しく暮らす、そのように考えていいのですか? いいと思いますか? そのような考えで、これから訪れる世界の前に天のみ旨を立てることができるのかというのです! そこでは天が絶対保護しますが、そうでないところは保護しないのです。アメリカで私がこのようにしているのは、共産世界をすべて消化させるためです、未来のために。このようにしているので、未来の世界の主人公になるのです。未来の世界が神様に保障されるというのです。ですから、皆さんは苦労しなければなりませんか、してはいけませんか?(「しなければなりません」)。

 皆さん、「先生、ひとりで行ってください、私たちはあとをついていきます」ですか、「その道はカインたちが行かなければならない道です」ですか? どちらですか?(「カインたちが行かなければならない道です」)。では、先生の前を行かなければなりませんか、あとについていかなければなりませんか? どのようにしなければなりませんか?(「先生の前を行かなければなりません」)。それでは、先生の前にカインがいますか、いませんか?(「います」)。皆さんはアベルをもちましたか?(「はい」)。どうしてアベルをもっていると言えるのですか? 皆さんは、「先生が私の権力を奪い、私のすべてを奪っていった。私の人格とすべてのものを奪っていった。私は統一教会に入ってきて滅びた」、このように考えているのではないですか?(「違います」)。

 「私はすべて捨てて入ってきた、母親も何もすべて捨てて入ってきたから、これからは先生がために生きてくれなければならないのに、先生も分かってくれない」、こうではないですか?(「ノー」)。何がノーですか? きょう話を聞いてノーと言っているのであって、今までは「先生は私を愛しているのか? いないだろう」と言っていたではないですか? 「レバレンド・ムーンは韓国人をより愛し、その次には日本人をより愛し、アメリカ人は3番目に愛している」、そのように言ったではないですか? それは原理に外れているのではないかというのです。

 韓国の生活方法と伝統を学ばなければ

 私が韓国を捨て、アジアを捨ててアメリカに訪ねてきたのです。アメリカに訪ねてきました。なぜですか? 世界的版図の時代なので、それで世界のために私にある精誠をすべて尽くすのです。韓国の人も精誠を注がなければならず、日本の人も先生と共に注がなければなりません。皆さんは、その伝統を受け継がなければなりません。その根源を受け継がなければならないのです。何を残さなければならないのですか? 新しい文化を残さなければならず、生活方法を残さなければならず、新しい伝統を残さなければならないのです。

 皆さん、韓国の古い食口が先生の生活方法や伝統を皆さんよりもたくさん知っているではないですか? それをすべて教えてあげるのです。私は口がたくさんありません。私が何か叱責しても、先生に叱責されても皆さんはうれしいと言いますが、私に口がたくさんありますか? 個別に皆さん一人ひとりについて歳月を送ることができますか? ですから、知っている人たちを連れてきて教えざるを得ないのです。

 皆さんは、その文化、その生活方法を学ばなければならないのであって、皆さんの伝統がどこにありますか? 何が伝統ですか? 何の話か分かりますか?(「はい」)。皆さんは日本人を連れてくると、「ああ、私たちだけでやればよい」と言いますが、皆さんだけでできると思いますか?(「できません」)。さあ、韓国が蘇生であり、アジアが長成であり、アメリカを完成とすれば、蘇生圏を吸収してこそ完成することができ、長成圏を吸収してこそ完成することができ、それでこそ完成的なものが可能なのではないですか。天使長圏がアメリカですが、アダム圏、エバ圏ではない他のところから何かを受けることができますか? それが何の話か分かりますか?

 すべて同じです。皆さんよりも韓国人がここに来てもっと苦労し、日本人がもっと苦労するということを知らなければなりません。皆さんよりもっと苦労することを知らなければならないのです。韓国人が英語を学ばなければならず、日本人が英語を学ばなければならない、そのような原則はないというのです。皆さんも韓国語、日本語を学びなさいということです。同じです。先生が英語を学び、先生が日本語を学んだように、皆さんも学ばなければなりません。皆さんも韓国語を学び、日本語を学びなさいということです。

 日本人が話をするときは韓国人、アメリカ人が困り、韓国人が話をするときは日本人、アメリカ人が困るのですから、しかたないではないですか? 韓国の幹部は韓国語で話さなければなりません。私が韓国語で話さなければならないのであって、日本語で話さなければなりませんか、英語で話さなければなりませんか? ですから、皆さんも学ばなければなりません。先生がどこに行っても、義理の子の言葉は話せないというのです。韓国に行っているときは、日本人が多くいて韓国人が1人だとしても、韓国という国のための立場では韓国語で話さなければならないというのです。日本に行っているときは日本語で話さなければならないでしょう。アメリカに来ているときは、私はできるだけ英語で話そうとします。しかし、通訳を立てるのはアメリカの言葉が上手ではないからです。それはしかたがないということです。

 先生がアメリカに来てどれほどあぜんとしたでしょうか。本を見れば分かるのですが、会話に入るときちんと理解できません。一つも分からないというのです。イエスとノーしか分かりません。最近は私も通訳の話が分かりますが、その通訳がいいかげんです、いいかげん。ですから、「ああ、心情世界がこれでは……。願った私の間違いだ」、そのように慰めます。「あれはああするしかない」と私が許すのです。皆さんは先生よりも若いではないですか。ですから学ぶのです。

 先生が英語を勉強するときですが、昔は私が本を20ページさっと一度読めば、単語がどこにあるということをはっきりとすべて分かりました。しかし今は……。昨夜も私が単語をコンサイス(辞書)で調べておいて、一晩3時間だけ寝て起きてみると、これがそれのようで、それがこれのようでとおぼろげです。混乱が起こるというのです。健忘症が生じます。今は理解できるので、かえって分からないときよりもっと苦痛が激しいです。何の話か分かりますか?(「はい」)。

 外国に、異国の地に来てこのようなことをしようとするので……。皆さんであれば、このような場にいなさいと言えば、いることができると思いますか? みな逃げていったでしょう。この国を救ってあげようとして来たのに、この国が捕まえて殺そうと、ありとあらゆることをすべてしたのです。それは発表しないだけであって、すさまじいというのです。先生がもっと難しいのであって、皆さんは難しくありません。先生を同情しなければならないはずなのに、かえって先生に同情してくれることを願うのですか? ですから、先生を同情しなければならないというのです。天を信じて神様のために行うこの闘いを誰が闘うのかということです。

 さあ、皆さん、アベルをもっていますか?(「はい」)。誰ですか、誰?(「お父様」)。では、皆さんは本当に天の側のカインですか、サタン側のカインですか?(「天の側のカインです」)。それでは、先生が迫害を受けるようにしなければなりませんか、皆さんが迫害を受けなければなりませんか? 先生の話を原理的に考えてみてください。(「私たちが迫害を受けなければなりません」)。皆さんが「ああ、私がこのように苦労したので、先生、分かってください」、こうでなければなりませんか、「ああ、先生、責任を果たせず申し訳ないです」、こうでなければなりませんか?(「責任を果たせず申し訳ないですと言わなければなりません」)。

 カインが行く道

 個人的基準で迫害を受けたなら、その迫害を悲しまず、氏族的基準で迫害を受けたなら、その迫害を悲しまず、民族的基準で迫害を受けたなら、その迫害を悲しまず、国家・世界的な迫害を受けて先生の前途をすべて準備しなければなりません。そのような責任が自分にあるのです。これが自分の責任なのに、「世界的迫害は嫌だ」というのがカインですか?(「違います」)。「世界的迫害を私がすべて受けて、先生が行く道を、アベルが行く道を楽にしなければならない」というのがカインですか?(「はい」)。

 皆さんは先生をアベルだと思いますか? 本当にアベルですか?(「はい」)。そのレベルは家庭的レベルですか、氏族的レベルですか、国家的レベルですか、世界的レベルですか、天宙的レベルですか? どのレベルですか?(「ユニバーサルレベルです」)。ユニバーサルレベルと答えるのは簡単ですが、ではそのユニバーサルレベルのカインになろうとすれば、結婚してなるようになっていますか、ユニバーサルレベルですべて果たし、ユニバーサルのアベルを迎えた場に戻ってきて家庭をもたなければなりませんか? 考えてみてください。(「ユニバーサルレベルを成し遂げた次に家庭をもたなければなりません」)。それはありがたいですね。

 アベルの家庭を中心としてカインの家庭が「私たちの家庭は犠牲になっても、アベルの家庭が犠牲になってはいけない」というのがカインの行くべき道であって、「ああ、私たちの家庭は安らかで、アベルの家庭は犠牲にならなければならない」、それがカインの行く道ですか?(「違います」)。皆さんが「先生はイーストガーデンで息子、娘と安らかに、裕福に暮らし、私たちの家庭はみな苦労している、これは何だ? 原理的に見るとき、アベルがそれではいけないのに」、そのようになっていますか?(「違います」)。先生はそれをすべて経てきたというのです。ですから、イーストガーデンを中心として、「私たちの息子、娘が犠牲になり、私たちの家庭が犠牲になっても、イーストガーデンを保護する」というカインが生じるということです。

 カインが本当に天の側のカインになったなら、アベルを世界で一番になれるようにしなければならない責任があり、今日苦労させたことを反対に蕩減復帰して栄光の場にアベルを迎え、世界の場をすべて譲らなければならないと考えなければなりません。これがカインの行く道だということです。原理がそうです。私はそのように考えているというのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。(『文鮮明先生御言選集』 106-192~200)

 

~つづく~

 

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村