【今回深掘りする原理のみ言】
 韓国民族も、第三イスラエル選民となり、天宙的なカナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、四十数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これがすなわち、日本帝国に属国とされ、迫害を受けた四十年期間であったのである。(『原理講論』p587)

 

 『原理講論』の「摂理的同時性」で記録されている復帰歴史は、メシヤを迎えるための基台を復帰してきた歴史であり、再臨主の降臨までが記録されています。

 一方で「再臨論」には、その後の「光復節」(1945年)や韓国動乱(1950~53年)について言及され、韓国民族が40年の苦役路程を歩んだとなっています。

 今回は、この二つの観点の摂理観を比較し、両者がどのように連結されているのかについて深掘りしてみたいと思います。

(1)40数サタン分立期間の原理的意義

 最初に、40数サタン分立期間の原理的な意義について、『原理講論』で確認しておきましょう。

 当時の人間たちの淫乱によって、この四十数蕩減期間がサタンの侵入を受けたので、神はノアの箱舟を中心として、四位基台を完成する摂理を再びなさるため、サタンの侵入を受けたこの四十数を復帰する蕩減期間として、四十日審判期間を立てて、「信仰基台」を復帰しようとされたのである。このようにして、四十数は、その後の蕩減復帰摂理路程において、「信仰基台」を復帰するためのサタン分立数として必要になった。(『原理講論』p305)

 

 このように、蕩減復帰摂理歴史で頻繁に登場する40数の期間は、「信仰基台」を復帰するためのサタン分立数として必要な期間です。

 アダム家庭の復帰摂理が失敗したため、神様はアダムから10代目にあたるノアを中心人物として立てられました。そのノアを立てるまでの期間が40数を復帰するための蕩減期間でした。

 しかし、ノアの時代の人たちの不信によって、その40数にサタンが侵入してしまったことから、これを蕩減復帰するために行われたのが40日の洪水審判でした。

 このようにして40数は、ノア家庭以降、現在に至るまでの復帰摂理でも、「信仰基台」を復帰するために必要な数理的な条件期間となりました。

 これが復帰摂理路程で繰り返し登場する40数サタン分立期間の原理的意義です。

 それでは、「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間について見てみましょう。

(2)「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間

①「摂理的同時性」の40数サタン分立期間

 「摂理的同時性」の時代の対照表を見ると、「摂理的同時性」の最終点は再臨主の降臨ですが、これは1920年、文鮮明先生が朝鮮半島に聖誕されることによって実現しました。

 そして、再臨主降臨から40年後の1960年に、人類史上初めて実体の「真の父母」が地上に顕現され、さらにその40年後には「神様王権即位式」(2001年1月13日)が行われました。

 「成約時代の摂理的同時性」の観点から見たとき、再臨主降臨から「真の父母」が顕現するまでの40年は、旧約時代の「エジプト苦役時代」、新約時代の「ローマ帝国迫害時代」の「摂理的同時性」の時代であり、結果として「真の父母」を地上に迎えるための期間になりました。

 また、「真の父母」の顕現から「神様王権即位式」までの40年は、旧約時代の「士師時代」、新約時代の「教区長制基督教会時代」の「摂理的同時性」の時代であり、結果として神様を地上にお迎えして主権を復帰するための期間になりました。

 このように、再臨主降臨以降の成約時代も、旧約時代、新約時代と同様に40数を中心として「摂理的同時性」の時代が形成されながら復帰摂理が展開しています。

②「再臨論」の40数サタン分立期間

 一方「再臨論」では、韓国民族が歩んだ40年路程について次のように説明されています。

 韓国民族は、一九〇五年の乙巳保護条約以後一九四五年解放されるときまで四十年間、第一、第二イスラエル選民が、エジプトやローマ帝国で受けたそれに劣らない迫害を受けたのである。(『原理講論』p589)

 韓国民族も、第三イスラエル選民となり、天宙的なカナン復帰路程を出発するための「四十日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、四十数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これがすなわち、日本帝国に属国とされ、迫害を受けた四十年期間であったのである。(『原理講論』p587)

 

 このように韓国民族は、1905年から1945年まで、「40日サタン分立基台」を立てるための苦役路程を歩んでいます。

 その後、1945年から40年間の荒野路程がありましたが、この40年荒野路程の摂理的な意義について文鮮明先生は次のように語られています。

 先生は地上で、神様は霊界で、縦的父母と横的父母が地上に一体圏を成し、イエス様の体と霊が分かれてしまったことを、この地上において宗教圏、第2イスラエル圏であるキリスト教文化圏を中心として、霊肉の統一を中心に家庭的出発を世界化させることのできる7年路程を備えることができないことによって、再び40年荒野路程を経ていかなければなりませんでした。4000年歴史を蕩減するにおいて、一生を中心として1代で40年の期間、最短距離を中心として蕩減すべき道を再び出発しなければならなかったその位置というものは、その悲しみの位置というものは、この地上の誰も知りません。
 韓国は解放されたと万歳を叫び、自由世界が第2次世界大戦の勝利を讃えることのできる環境でしたが、縦的な真の父母である神様と横的な真の父母である父母様は、喜びではなく悲しみの行路を中心として追放され、歓喜する環境と反対の家庭的40年荒野路程を歩んできたのです。(『文鮮明先生御言選集』 298-50 1999.1.1)

 

 このような40年荒野路程は、1985年8月16日の「一勝日」をもって終結しました。

 以上のように「再臨論」では、「摂理的同時性」の時代区分とは異なる40数サタン分立期間が説明されています。

 次に、「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間はどのような関係になっているのかについて考察してみましょう。

(3)「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間の比較

①父母と子女の一体化によりメシヤのための基台を造成してきた摂理歴史

 これまでの復帰摂理歴史では、父母と子女の一体化によって信仰基台と実体基台を復帰し、メシヤのための基台を造成してきました。
 
 例えば、アダム家庭ではアダムとアベル・カイン、ノア家庭ではノアとハム・セム、アブラハム家庭ではアブラハムとイサク・イシマエル、イサクとヤコブ・エサウです。
 
 モーセ路程の場合は、それまでの旧約前の時代とは異なり、モーセ自身が父母と子女の二つの立場に立っていました。
 
 モーセは、イスラエル民族に対しては、父母の立場に立っていたのである。また一方、モーセは、イエスに先立ってその道を開拓すべき使命を担った預言者でもあったので、その子女の立場にも立っていたのであった。(『原理講論』p354)
 
 
 そして、父母の立場で信仰基台を復帰したモーセとイスラエル民族が一体となることによって、子女の立場のモーセを中心に実体基台が復帰されるようになっていました。
 
 モーセは、「信仰基台」を立てることによって、同時に、既に述べたような「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」をつくるのに必要な、アベルの位置をも確立していたのである。ゆえに、カインの立場にいたイスラエル民族が、彼らの父母の立場であると同時に、子女としてのアベルの立場にもいたモーセに、信仰を通じて従順に屈伏し、彼から神のみ旨を継承することによって、善を繁殖することができたならば、そのときに「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「民族的な実体基台」を蕩減復帰するようになっていたのである。(『原理講論』p357)
 
 
 以上のように、旧約時代までの復帰摂理は、父母と子女の二代の一体化、そして父母と子女の立場に立った中心人物との一体化によってメシヤのための基台を造成してきました。
 
アダム家庭:アダムとアベル・カイン
 
ノア家庭:ノアとハム・セム
 
アブラハム家庭:アブラハムとイサク・イシマエル、イサクとヤコブ・エサウ
 
モーセ路程:モーセとモーセを中心とするイスラエル民族
 
 そして、イエス路程では、復帰されたアダム型の人物であった洗礼ヨハネがモーセと同じく、父母と子女の立場に立っていました。
 
 洗礼ヨハネは、モーセと同じ立場に立てられていたので、ユダヤ民族に対して、父母と子女という二つの立場に立っていたのであった。(『原理講論』p406)
 
 
 ただし、このときは、すでに完成したアダムとして、実体の父母であるイエス様が降臨されていたことがモーセ路程と異なる点です。
 
 縦的な蕩減条件を横的に蕩減復帰するという原理から、イエス路程では、父母と子女の二代の一体化の摂理がイエス様と洗礼ヨハネ、そして父母と子女の立場に立った中心人物との一体化の摂理が洗礼ヨハネとイスラエル民族との間で同時に展開していました。
 
 では、このイエス路程の観点から「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間について考察してみましょう。

②イエス路程から見た「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間

 イエス路程では、イエス様がメシヤとしてこの地上に降臨することができましたが、その基台となるべき洗礼ヨハネや母マリアの不信によって、イエス様は家庭的、民族的、国家的な基台を失い、メシヤとしての公的な摂理を出発することができませんでした。

 そのため、イエス様ご自身が洗礼ヨハネの代わりにアベルの立場で第2次世界的カナン復帰路程を出発されたため、弟子たちに自分がメシヤであると証してはいけないと言われました。

 イエスの道を直くするための使命を担って生まれてきた洗礼ヨハネ(ヨハネ一・23、ルカ一・76)が、その使命を完遂できなかったために、洗礼ヨハネが受けるべきであったはずの苦難を、イエス自身が代わって受けなければならなかったのであった。
 このようにイエスは、メシヤであられるにもかかわらず、洗礼ヨハネの代理に復帰摂理路程を出発されたという事情のために、ペテロに向かい、自分がメシヤであるという事実をユダヤ人たちに証してはならぬと言われたのである(マタイ一六・20)(『原理講論』p410)

 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。(マタイによる福音書16章20節)

 

 このことから、メシヤが地上に降臨されることと、そのメシヤがメシヤとして公的な摂理路程を出発されることとは、それぞれ別の基台が必要ということが分かります。

 再臨主を中心とする摂理でも同様に、再臨主が朝鮮半島に降臨できましたが、その出発基台を造成しなければならなかったキリスト教の不信によって摂理が延長してしまいました。

 その結果、再臨主はメシヤの立場から洗礼ヨハネの立場で荒野40年路程を歩まれるようになり、キリスト教に代わる新しいアベル圏として「世界基督教統一神霊協会」(1954年5月1日設立・以降統一教会)が立てられたのです。

 再臨主の降臨は、1517年のルターの宗教改革から始まった「メシヤ再降臨準備時代400年」の基台の上で実現されました。

 それに対して韓国民族が歩んだ1905年から1945年まで40年路程は、韓国民族(特にキリスト教徒たち)が再臨主の公的摂理出発のための基台を造成する期間だったのです。

 これはメシヤとして降臨されたイエス様が洗礼ヨハネを中心としたユダヤ教の基盤の上に立って、初めて公的な摂理路程を出発できることと同じです。

 以上のように、イエス様の路程から見たとき、「摂理的同時性」の40数サタン分立期間は、メシヤの降臨などメシヤを中心とする路程であり、「再臨論」の40数サタン分立期間は、そのメシヤが公的摂理を出発するための基台をアベル(圏)を中心として復帰する路程です。

 どちらも40数サタン分立期間であることは同じですが、誰が中心か、何を目的としているかに違いがあるので、次にこの点について考えてみましょう。

③メシヤ(父母)中心の摂理とアベル圏(子女)中心の摂理

 結論から言うと、「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間は、主体と対象、中心と周辺、信仰基台と実体基台、そしてメシヤ中心の摂理とアベル圏中心の摂理という関係になっています。

 また、メシヤは人類の真の父母として来られるので、「摂理的同時性」と「再臨論」の40数サタン分立期間は、父母を中心とする摂理と子女を中心とする摂理という関係でもあります。

 したがって、出発基台を造成する路程は、子女の立場であるキリスト教や統一教会といったアベル圏が中心となって歩む路程です。

 このようなメシヤ(父母)を中心とする摂理とアベル圏(子女)を中心とする摂理の区別があることは、文鮮明先生の次のみ言を見ても確認できます。

 1960年度からサタン世界には大揺動が起こりました。歴史家たちも言っていますが、なぜ大揺動が起こるのでしょうか? 1960年度から40年間、2000年までそのようになるはずですが、なぜ大揺動が起こるのかというのです。それが清算する期間なのです。清算するためには、引き剥がして、ばらばらにして、一掃してしまわなければなりません。ですから、内的40年間、外的40年間、このようなことが起こるのです。
 統一教会は1985年まで荒野40年路程を歩んでいます。韓国の解放歴史を見れば、1945年から1985年まで40年です。これが再蕩減期間です。歴史時代において、統一教会が荒野時代を経ていくのが1985年までです。(『文鮮明先生御言選集』 122-103 1982.11.1)

 

 また、摂理が延長してもメシヤ(父母)が中心であることは変わりませんが、アベル(子女)圏の使命は次のアベル圏に継承されていきます。

 新約時代は、イエス様を中心としてユダヤ教、十二弟子、キリスト教へと使命が継承され、成約時代は、再臨主を中心としてキリスト教、統一教会、家庭連合へと、その使命が継承されていきました。

 次に、成約時代の摂理ではアベル圏の使命がどのように継承されていったのかを見てみましょう。

(4)成約時代の再臨主のための出発基台造成摂理

 韓国のキリスト教がアベル圏として歩む1905年から1945年まで40年路程は、統一教会がアベル圏として歩む1945年から1985年まで40年路程に延長されました。

 それでは、本来、天が予定していた摂理はどのようなものだったのか、文鮮明先生は次のように語られています。

 父母様がこの地上に来て、1960年度を中心として「聖婚式」をしたという事実は、驚くべきことです。本来、この「聖婚式」は、キリスト教が先生を受け入れていれば、1945年にこれが始まるのです。それから7年だけすぎれば、この地上にアダム圏内で失敗したすべてのものが復帰されるのです。(『文鮮明先生御言選集』 272-288 1995.10.13)

 イエス様の体を失ってしまったので、霊界を代表するキリスト教を中心とした連合国が、第2次世界大戦を通して枢軸国と戦って勝つことによって、キリスト教文化圏が世界を統一するようになりました。キリスト教が世界を統一することによって、霊肉が一つになることができる時代となり、怨讐の世界を完全に占領したので、連合国と枢軸国が天の側の世界に帰属することができたのです。
 この基盤を中心として、旧教と新教が一つになった立場に立ち、キリスト教文化圏を代表して来られる再臨主を迎えていたならば、その時から統一天下の運勢を受け、1945年から3年半ないし7年、1952年には、統一天下を成し、その時に神様の即位式が終わっていたことでしょう。(『文鮮明先生御言選集』 342-267 2001.1.13)

 

 本来の予定では、1945年当時に「小羊の婚姻」である真の父母の「聖婚式」が行われ、1952年には「神様王権即位式」、そして再臨主が40歳になるまでに、世界は神様を中心として完全に統一されていました。

 ところが、実際には摂理が延長してしまい、このようになってしまったのです。

 成約時代のアベル圏を中心とする再臨主のための出発基台造成の摂理を整理すると次のようになります。

 

■キリスト教を中心とする40年路程
(1865~1905年:丙寅教獄※~乙巳保護条約)
⇒1910年代の受難:中心使命が神社参拝を拒否したキリスト教アベル圏に移行

※丙寅教獄(へいいんきょうごく)とは、1866年3月に朝鮮で起こったキリスト教徒大量虐殺事件。キリスト教徒弾圧事件として最大規模。パリ外国宣教会から派遣され、朝鮮に潜入して布教に当たっていたシメオン=フランソワ・ベルヌー司教ほか9名のフランス宣教師、高宗の乳母(朴マルタ)を含む8000名におよぶ信徒たちが犠牲になった。

 

■キリスト教のアベル圏(※)を中心とする40年路程
(1905~45年:乙巳保護条約~光復節)
⇒1950年代の受難:中心使命が「統一教会」に移行

※キリスト教のアベル圏とは神社参拝を拒否した教団や信徒たち。

 

■統一教会を中心とする40年路程
(1945~85年:光復節~一勝日)
⇒1990年代の受難:中心使命が「家庭連合」に移行

まとめ

 「摂理的同時性」の40数サタン分立期間は、再臨主から真の父母、そして天の三大王権を中心として展開する路程であり、主体的、中心的摂理です。

 一方で、韓国のキリスト教、統一教会を中心として歩んだ「再臨論」の40数サタン分立期間は、「摂理的同時性」の40数サタン分立期間に対して対象的、周辺的摂理となります。

 そして、1945年から1985年までの荒野40年路程は、キリスト教に代わるアベル圏として立てられた統一教会が、メシヤから洗礼ヨハネの立場に立たれた文鮮明先生と一つになって実体基台のアベルの位置を確立するための期間でした。

 ここで先生がアベルの位置に立って、キリスト教と一つになることができる道を開いたのです。先生とキリスト教が一つになり、キリスト教と統一教会が一つになる日には、政府が降伏する段階に入るというのです。それでキリスト教文化圏が失敗したことを統一教会文化圏を中心として、ユダヤ教からキリスト教の4000年歴史を40年間で統一教会の人たちがすべて一つになり、皆さんはカインの立場、先生はアベルの立場でカインを復帰し、アベル圏を拡大してきたのが今までの統一教会の歴史だということを皆さんは知らなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』 135-26 1985.8.20)

 

 荒野40年路程は1985年8月16日の「一勝日」をもって勝利して終結し、文鮮明先生および真の家庭がアベルの位置を確立されました。

 その基台の上で長子権復帰路程を歩まれ、1989年8月31日の「八定式」(長子権復帰)、1992年8月24日の「メシヤ宣言」(父母権復帰)を経て、失われた1945年から1952年までの7年を蕩減復帰し、文鮮明先生は再びメシヤの立場に復帰されました。

 そして、2001年の「神様王権即位式」(王権復帰)へと勝利圏が連結され結実していくのです。

 

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