1.神を中心とする創造本然の四位基台と人間堕落の結果

 

 唯一なる神は「心情の神」ゆえに、心情を投入しながら、愛と生命、そして血統を正分合の三段階の過程を経て被造世界に展開し、神を中心とする創造本然の四位基台を造成しようとされました。下記の文鮮明先生のみ言をご覧ください。

 

 それでは、その愛の中心とは何でしょうか。それが正に神様です。宇宙生成以前からある唯一、永遠、不変の存在なのです。この愛というのは心情の流れです。内的な心情が外的に流れていくのが愛です。ですから、神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。(『文鮮明先生御言選集』65-258,1972.11.26)

 心情とは何でしょうか。それは神経に続くあらゆるものを担っています。それは生活観念など、あらゆるものを通過できる内容と力をもっています。生命の根源の位置にあるのが心情なので、生命を否定したとしても、心情を否定することはできません。存在を否定したとしても、心情を否定することはできません。心情は存在以前のものです。ですから、神様は愛だという結論になるのです。(『文鮮明先生御言選集』15-37, 1965.1.31)

 それでは、神様は、どうして宇宙と人間を創造することができたのでしょうか。それは、神様は心情をもっているからです。心情があるところにおいてのみ生命が現れることができ、生命があるところに発展運動(創造)が起きるからです。その創造には必ず目的があるのですが、その理由は、本来心情というものが目的を指向するものだからです。ですから、創造の目的は、心情を充足させる喜びにあると言わざるを得ません。(『文鮮明先生御言選集』65-258,1972.11.26)

 

 

 神の心情がアダムを通じて愛としてエバに注がれ、その愛がエバの中で生命として結実し、血統となって子々孫々に受け継がれていきます。したがって、血統とは無形の心情が実体化して結実したものであり、神の血統は神の心情が動機となり、出発点となり、根源となって形成されていくものです。

 そして、神の体として創造されたアダムは、神の心情を中心として自己の位置を守り(自己の責任分担を完遂すること)、真の愛でエバと一つになって神を中心とする主体と対象の関係を確立し、神が喜ばれる善なる子女を繁殖して真の父母にならなければなりませんでした。このような神を中心とする家庭的四位基台から、神の血統を受け継いだ善なる子孫たちが天地に満ちあふれ、地上天国と天上天国をつくることが神のみ旨でした。しかし、アダムとエバは成長期間の途上で堕落してしまいました。

 

 ルーシェルと人間始祖が血縁関係を結び、一体となったので、サタンを中心とする四位基台がつくられると同時に、人間はサタンの子女となってしまったのである。(『原理講論』p115)

 神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。(『原理講論』p429)

 

 サタンと血縁関係を結んで堕落したアダムとエバは、サタンを中心とする四位基台を造成し、そのアダムとエバから生まれた子女は、サタンの血統を受け継いだ悪なる子女となり、原罪をもって生まれるようになってしまったのです。

 

2.罪の成立とサタン中心の四位基台

 ①四位基台から見た罪の成立

 ここで、創造原理の四位基台の観点から見たとき、どのようにして罪が成立するのかを確認しておきましょう。『原理講論』では罪を次のように定義しています。

 罪とは、サタンと相対基準を造成して授受作用をなすことができる条件を成立させることによって、天法に違反するようになること(『原理講論』p110)

 

 そして、どのようにして罪が成立するのかについてこのように説明されています。

 サタンも、ある対象を立ててそれと相対基準を造成し、授受の関係を結ばなければ、その存在、および活動の力を発揮することができない。ゆえに、いかなる存在でも、サタンが侵入できる条件が成立し、サタンの相対となって、サタンが活動できるようになったときに、そこで罪が成立する(『原理講論』p310)

 

 この内容を四位基台で整理すると次のようになります。

 

 このように、サタンを中心とする四位基台が造成されたときに罪が成立します。このような罪の成立は、サタンが「これは私のものなので私が所有します」と神に対して所有権を主張できることを意味します。アダムとエバは、サタンと血縁関係を結んで堕落してしまったため、サタンは血縁関係を条件として「人類は自分の子女である」と主張できるようになったのです。

 

 ②サタン中心の四位基台造成の過程で生じた堕落性とその継承

 サタンを中心とする四位基台を造成していく過程で、サタンから継承したものが四つの堕落性です。

 

 天使が神に反逆して、エバと血縁関係を結んだとき(=霊的堕落)、偶発的に生じたすべての性稟を、エバはそのまま継承したのであり、こうして天使長の立場におかれるようになったエバと、再び血縁関係を結んだアダムも、またこの性稟を受け継ぐようになった。そして、この性稟が、堕落人間のすべての堕落性を誘発する根本的な性稟となってしまったのである。これを堕落性本性という。(『原理講論』p122)

 

 エバは霊的堕落によってサタン中心の四位基台を造成し、その過程で堕落性を継承しました。つまり、神を中心とするのではなく①サタン、すなわち自分が中心となり、本来は②対象であるべき存在が主体の立場に立ち、③主管を受けるべき主体を逆に主管し、④犯罪行為を繁殖するという四つの堕落性を受け継いだのです。

 そして、霊的に堕落したエバとアダムが血縁関係を結ぶことによって、全人類はサタンの子女となり、生まれながらにしてサタンが侵入し、その所有権を主張できる原罪をもって生まれるようになりました。このように、サタンの堕落性を継承しながらサタン中心の四位基台を造成したことが人類始祖アダムとエバの堕落でした。

 

3.み言から見た「聖酒式」の意義

 ①「聖酒式」の意義とその恩恵

 真のお父様は、「聖酒式」の意義について次のように説明されました。

 「聖酒式」は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として、神様の体を自分の体の中に投入させる式です。堕落した体は一つしかないので、神様の愛を中心として、ひそかに取りかえる式なのです。これが正に「聖酒式」だというのです。 イエス様が、「パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない」と語ったのと同じように、愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清めることができる式です。この式を経なければ、祝福の場に出ていくことができません。ですからこの式は、血統を転換させる式です。(『文鮮明先生御言選集』35-245,1970.10.19)

 

 以上のように、「聖酒式」は原罪を清算し、サタンの血統を神の血統に転換できる式です。

 このような「聖酒式」を制定できる権限は、再臨のメシアであり、神の生命の種をもってこられた真のお父様だけがもっていらっしゃいます。ですから、「聖酒式」は、神様と真のお父様を中心として、真のお父様が定めてくださったとおりの天的手続きによって行われなければなりません。堕落した人間は、この「聖酒式」で血統を転換して、はじめて「祝福式」の場に立つことができるのです。

 祝福一世は「聖酒式」と「祝福式」を経て原罪が清算され、サタンの血統から神の血統に転換された立場に立ちました。その基台の上で誕生したのが祝福二世です。祝福二世は、神様によって直接造られたアダムとエバと同じく、原罪をもたない神の血統をもって生まれたので、神と真の父母様の子女であり、サタンがその所有権を主張することができません。

 

 「聖酒式」と「祝福式」を通して原罪のない祝福家庭が誕生することによって、神を中心とする家庭的な四位基台が造成され、サタンはその「祝福家庭」を自らの主管下に置き、活動の基盤にすることができなくなったのです。

 ②「聖酒」の意義

 創造本然の人間は、神の心情と真の父母の愛の結実として生まれるからこそ、神の血統を継承した神の子女として誕生することができます。堕落した人間は、神と心情において一体となられ、その命の種をもってこられた再臨のメシアのみがつくることのできる「聖酒」を飲むことによって、神の心情と真の父母の愛を受けることができるのです。

 「聖酒」には、父母の愛を象徴するものが入っています。そして、血を象徴するものが入っていなければなりません。したがって、それを飲めば、父母の愛と一体になり、また血と一体になります。(『文鮮明先生御言選集』35-211,1970.10.18)

 

 ですから「聖酒」は、イエス様がサマリアの女に「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ福音書4章14節)と言われたその“生ける水”と同じものであり、「聖酒」を飲むことによって私たちは真に生ける者となり、永遠の命を得ることができるのです。

 この「聖酒」は誰でもつくれるものではなく、神とサタン、そして全霊界が公認する場で、その権威と権限をもった方でなければつくることができません。

 聖酒は簡単なものではありません。それは、そのようにできるように神様とサタンが契約し、談判して勝利の覇権の場で公認を受けた内容をもって立ててきたものです。(『文鮮明先生御言選集』284-208,1997.4.17)

 聖酒は、ただ作られるのではありません。ただそのままできるのではないということです。サタンと神様の立ち会いのもとに、霊界にいる数多くの天使たちの立ち会いのもとに作られるのです。(『文鮮明先生御言選集』46-233,1971.8.15)

 

 このような「聖酒」をつくり、「祝福式」を行う権威と権限を真のお父様から相続、継承された方が文亨進二代王様であり三代王権です。

 

~【後編】につづく