祈祷の重要性(3/3)
1979年4月15日
神様の愛を体恤する道は祈祷のみ
祈祷は必ず成し遂げられます。祈祷することによって力を受けます。祈祷することによって、今後この問題がどのように展開していくのかという展望が、すべて教えられるというのです。「このことはこのようにして、このことはこのようにする」と教えてくれます。それを知ってこそ、皆さんが大きなことができるのです。祈祷によってのみ、その道を開拓できます。分かるでしょう?(「はい」)。祈祷がご飯を食べることよりも重要だということを知らなければなりません。
ですから、先生も自然を好み、一人でいる時間を一番の趣味としています。静かな夜が先生は本当に好きです。そのような話をしないだけであって、先生にもそのようなものがないでしょうか? 皆さんに見せないだけです。そのような、生活の豊かな底辺基盤を築くことができるのは、祈祷以外に道がないことを、皆さんは知らなければなりません。
その世界、その場で愛を感じ、その場で愛を体験できるのであって、普通のところでは難しいのです。そのような基台の上で、自分自身が力を補強できる位置に立ってこそ、皆さんの信仰の道を皆さん自身が行くことができるのです。いつもこのように先生が導いてあげていては、先生がいなければどうするのですか? そのような裏面(りめん:内情)の生活を備えるためには、祈祷が必要だということを、皆さんは知らなければなりません。
ですから、誰が見ていようと見ていまいと、私がするべきことは私がやらなければなりません。私たちが神様との約束をきちんと守らなければならないというのです。夜も昼も全体のために祈祷してこそ、それが生きた祈祷になります。そうしてこそ、何年かごとに、自分が祈祷を通して願う内容が変わり、題目が変わりながら発展するのです。したがって、時が今どのような時なのかを知らなければなりません。そのような裏面の生活を、皆さんは祈祷生活を通して備えなければならないことを知らなければなりません。何の話か分かりますか?(「はい」)。
皆さんの中で、祈祷する人は手を挙げてみてください。では、どのように祈祷しましたか? 神の国と神の義のために祈祷しなければなりません。皆さんは、アメリカの国のために祈祷しなければなりません。皆さんは、どんな人よりも、アメリカを愛するどんな愛国者よりも多くの涙を流さなければならないのです。この国の若い層や、この国の実状を見るとき、この国の現在の国家情勢を見るとき、責任を実感しながら、神様が憂慮する以上に皆さんが憂慮してこそ、この国が生き残るのであって、神様が憂慮する以上に皆さんが憂慮できないときは、この国が滅びる運勢に傾くのです。そうしなければ滅びます。
ホームチャーチを中心として祈祷しなさい
同じように、統一教会なら統一教会を先生が導いていくのですが、どこに導いていくのですか? 神様が願うところに導いていかなければなりません。何かの実績が問題ではなく、行くことが問題です。どれくらい時間を短縮させるのか? 今から時間を短縮させれば短縮させるほど、被害が小さいのです。時間が延長するほど被害が大きくなり、危険性が高まります。私たちは団結して……。今が最大の転換期です。社会的に、世界的に見るとき、転換期であるのと同じように、信仰的にも歴史始まって以来、最大の転換期なので、このときに私たちがあらゆる精誠を尽くし、完全に方向を備えることによって、転換させておかなければならないということです。
きのう、私が中央にいる幹部たちに、ホームチャーチ(home church:家庭教会)について話をしました。ホームチャーチというものがどのような意味かということを私が話したのです。これは、歴史始まって以来、神様と真の父母と人類に与えられる贈り物の中の最高の贈り物です。前にもなく、後にもない贈り物だということです。それを皆さんが受けて成就させることによって、神様を皆さんの神様にすることができ、世界を皆さんの世界にすることができ、全体を皆さんのものとし、神様の息子、娘になり得る特権が間違いなく皆さんに与えられるのです。
それでは、先生が一生を通して、60年の生涯で成したすべてのものを、皆さんに無条件の贈り物として与えることによって、60年の生涯でやってきたことを6年以内にすべてできるのです。そうしようとすれば、皆さんが祈祷すべきことはどんなことですか? ホームチャーチの基準を中心として祈祷しなければなりません。ホームチャーチは、先ほど話した以上の立場で、父母の心情をもって地獄にいる子女を救い出す責任を果たすのです。その心情を体恤できなければ、その心情をどのように体恤するのかについて祈祷しなければならないというのです。村の人たちを訪ねていくとき、神様を愛するように愛さなければなりませんが、その心がもてないので、実際に行ってその心をもつまでやらなければなりません。
さあ、皆さんが国民学校(小学校)を卒業するために、6年間毎日学校に行きましたが、現在のこのホームチャーチがその国民学校のときよりもできないのですか? 一生をかけて、どんなところに行くよりも精誠を尽くして行かなければなりません。これをすることによって、全世界を愛したと神様が認定してくださるのです。考えてみてください。アメリカは約7000万世帯ですが、今後ホームチャーチが360軒として、20万名さえできれば、アメリカはすべて回っていくのです。(板書しながら語られる)キリスト教がすべて統一教会を受け入れればどのようになりますか? それを知らなければなりません。ですから、これから皆さんが精誠を尽くさなければならないのは、ホームチャーチを中心として精誠を尽くすことです。
皆さん、考えてみてください。祈祷がどれほど偉大ですか。ある人を決めておき、精誠を尽くして祈祷すれば、その人が訪ねてきます。涙を流しながら精誠を尽くせば、そこから見えない磁石で引っ張られてくるというのです。その人は、自分でも分からずに引かれてきます。祈祷をして、「きょう私は、あのアパートで誰々と会います」と精誠を尽くせば、そこから出てくるというのです。そのような力があります。それは何の話か分かりますか?
祈祷は方向さえ備われば能力を発揮する
皆さん、あの心理学を使った催眠術をする人が、精神力で影響を及ぼすのに、神様を愛する愛の力をもって影響を及ぼすことができないのかというのです。それを知らなければなりません。距離を超越して影響を及ぼすようになります。祈祷を通して霊界を動員することができ、天使を動員してすべて活動させることができるのです。先生の霊が、皆さんを通していつでも活動するでしょう? そうでしょう? (「はい」)。そのような能力があるのです。
それで、方向さえ備われば、どんな偉大なことでもすべてできるのです。そのような偉大な力があることを、皆さんが歓迎するためには、それを活用しなければなりません。ケープケネディから人工衛星を打ち上げようとすれば、いくらその重さの衝撃があっても、崩れることのない基台を備えなければなりません。基台を備えなければならないのです。
そして、いつも祈祷しながら注意することは、絶対に自分の欲心をもって祈祷してはいけないということです。そのようにすれば、精神が狂うことがあるのです。いつでも公的なことを中心として祈祷すれば、心がだんだんと清くなります。皆さんがそのような生活をすれば、自分が今どのような段階で、どのようなことが起こるのかという予感がすぐに来るのです。ですから、そのような予感が来ることに備えて祈祷しなければなりません。
そして、人間は、私というものは、いつでも二重になっているのです。そして、いつでも内なる人が外なる人よりも鑑になっています。清いのです。これが常に一つになったり、一つにならなかったりするのですが、一つになるときはうれしく、一つにならないときは悲しいのです。そのような作用をしています。人と向き合えば、その人がどのような人なのか分かるのです。誰かが報告する言葉を聞けば、これが良いことなのか、悪いことなのか、すぐに連結されて分かります。先生は、それを鋭敏に感じるというのです。誰かが入ってくれば、良い報告なのか、悪い報告なのか、すぐに分かります。二重的なのです。
祈祷によって霊的体験をしなさい
ですから、皆さんは、いつも心に尋ねてみなければなりません。心は神様と通じるので、心に尋ねてみなければならないのです。皆さんのレベルが高くなれば、心が語ることを聞くようになります。そうではないですか? 霊人体があるなら、霊人体がこの体に対して語りたいと思うのではないですか? 口がじっとしていても、私の考えが口を通して出てくるのです。「きょうは何があり、何があり、何がある」と……。そのような現象が起こります。人間は、そのように神秘的な面をもっている存在だということを、皆さんは知らなければなりません。
皆さん、考えてみてください。船の中にいるネズミが、その船が難破することを知って逃げていくのに、この万物の霊長が自分の生死が分からないのかというのです。ですから、祈祷が必要なのです、祈祷が。内的な人格を革新し、革命するには、祈祷が必要だということを知らなければなりません。しかし、絶対に自分のために祈祷してはいけません。私は今、お母様を迎えて子どもたちをつれていますが、子どもたちのためには絶対に祈祷しないというのです。いつも世界の問題や国の問題、これを心配するのです。そうすれば、神様は私のことを心配してくださいます。
もし自分の家庭のためにひたすら祈祷していれば、ひっきりなしに病気になり、調子が悪くなるのです。教会のことや全体のことを重要視せず、自分の家庭を重要視すれば、家庭に事故が起こるというのです。それで先生は、家庭生活については夢にも考えません。教会生活や全体のことを考えます。家庭のことは神様がすべてしてくださいます。それを知らなければなりません。すべて同じことです。それが原理の与えて受ける道理ではないですか。原理は与えて受ける道理です。大きなことをする人は、それ以下のすべての人が尊敬するものであり、ために生きれば天が高めてくださるのです。天理の道理がそのようになっています。さあ、もうどのように祈祷するのか分かったでしょう?(「はい」)。無駄な祈祷はするなというのです。無駄な祈祷はしてはいけません。
それで、皆さんは今後、霊的な体験をしなければなりません。自分のすることが成功するのか、失敗するのか、それを知らなければならないというのです。熱心に祈祷すれば、すぐに成功することが分かります。それをすれば気分がよく、体が軽くなります。肉体的にすぐに分かるのです。そうではないですか。体はそうなっているのです。
そのようにしようとすれば、身についている自分を考える観念や個人主義的観念をすべてぬぐってしまわなければなりません。すべてぬぐってしまわなければならないのです。その闘いを皆さんが克服しなければなりません。そのためには祈祷しなければなりません。祈祷しなければならないのです。「神様! 私の力が足らないので、私を助けてください」と祈祷して実践しながら、自分がきのうときょうで違うのかをテストしてみなさいというのです。
それでできなければ、また祈祷するのです。「神様!きょうやってみましたが、できませんでした」、そのようなことをしなければなりません。それで、それが習慣化し、自然に一つになれる段階に越えていかなければならないのです。何の話か分かりますか?(「はい」)。そのような努力をこれからしなければなりません。
(『文鮮明先生御言選集』 104-111~115 1979.4.15)