神様が「おいおい、アダムとエバよ。善悪の実を取って食べてはいけないよ」というようなイメージをもっている人もいるかもしれません。
聖書の創世記の1章と2章には天地創造の過程が繰り返し記述されていますが、それを見るとエバは神様から直接戒めを聞いていないことが分かります。
エバがどういう経路で神様の戒めのみ言を聞いたのかということは、アダムとエバの堕落を理解するうえで大切なポイントの一つです。
それでは、この戒めのみ言の伝達経路について確認してみましょう。
戒めのみ言伝達経路のイメージ
「統一原理」の堕落論の講義を受けた人の中には、次のようなイメージをもっている方もいるのではないでしょうか?
神様:おいおい、アダムとエバよ。善悪を知る木からは取って食べてはいけないよ。取って食べると死んでしまうから。
アダムとエバ:はい、神様。分かりました!
『原理講論』にも神様がアダムとエバに戒めを与えたという記述が複数箇所ありますので、こういったイメージをもつ方もいるでしょう。
創世記に見る戒めのみ言の伝達経路
創世記を見てみると、神様が戒めを語られたのはアダムに対してで、エバに語れた場面はありません。
エバがつくられたのは、神様がアダムに戒めのみ言を与えたその後になっています。
ということは、エバは神様から直接戒めのみ言を受けたわけではないということになります。
ではなぜ、神様がアダムとエバの二人に直接戒めを語られたようなイメージをもってしまうことがあるのでしょうか?
神様がアダムとエバに下さった二つのみ言
創世記には神様の創造過程が1章と2章の二度に渡って描写されていますが、そこでは神様が人間に対して二つのみ言を下さっています。
一つは「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」という祝福のみ言、二つ目が先ほど紹介した「取って食べてはならない」という戒めのみ言です。
それでは、祝福のみ言を語られた場面について、創世記の1章を見てみましょう。
こちらを見てみると、祝福のみ言を下さったのは男と女の創造、つまりアダムとエバを創造したあとになっています。
この創世記の1章と2章の出来事を時系列で整理してみるとこのようになります。
アダムの創造 ⇒ 戒めのみ言 ⇒ エバの創造 ⇒ 祝福のみ言
創世記の1章ではアダムとエバの二人に対して神様は祝福のみ言を下さっています。
このことから、戒めのみ言も二人に対して直接語られたようなイメージをもってしまうのではないでしょうか。
※創世記の1章と2章は別文献をもとに書かれたとされる説があります。(1章はビロン捕囚以降の時代に書かれた祭司資料、2章はダビデの時代に書かれたヤハウェ資料)しかし、1章と2章を通じて一貫した原理と原則を見出せるところに、聖書が神のみ言であり、神からの啓示によるものであることの証です。
さらに、神様は「命の木から取って食べてはならない」ではなく、「善悪を知る木から取って食べてはならない」(創世記2章17節)と言われています。
このことから、この戒めのみ言はアダムに対して言われたみ言であることが分かります。なぜなら、『原理講論』p103にあるように、命の木はアダムを、善悪を知る木はエバを、そしてその実はエバの愛を象徴しているからです。
このように、「善悪を知る木から取って食べてはならない」とは「エバの愛を取って食べてはならない」という意味です。
そして、創世記の3章3節に「これに触れるな」と神様が言われたとありますが、文鮮明先生は「その善悪の実とは何ですか。善悪の実とは女性の生殖器のことです」(『文鮮明先生御言選集』 262-74 1994.7.23)と言われています。
ですから、「これに触れるな」とは「エバの生殖器に触れるな」という意味です。したがって、この戒めのみ言はアダムに対して言われたみ言です。
このことは、アダムとエバが堕落したあと、神様がアダムに対して次のように語られたことからも理解することができます。
神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。 (創世記3章11節)
更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。(創世記3章17節)
この聖句にあるように、神様はアダムに対してのみ「食べるなと命じた」と言われ、同じく堕落したエバに対しては語られていません。
エバに戒めのみ言を伝えたのはアダム
エバが誰から戒めのみ言を聞いたのかについて『原理講論』では次のように記述されています。
このように、エバは神様から直接戒めのみ言を聞いたのではなく、アダムを通して聞いたことが分かります。
それでは、神様は、祝福のみ言は二人に語ってくださったのに、なぜ戒めのみ言はアダムにだけ語られたのでしょうか?
神様はなぜアダムにだけ戒めのみ言を下さったのか?
創造原理的理由
まず創造原理の観点、つまりアダムは主体、エバは対象ということから考えてみます。
神様を中心とする主体と対象の関係について、『原理講論』から引用します。
このように創造原理には、対象は神様と一体となった主体と一つになってはじめて神様の対象になるという原理があります。
ですから、対象のエバは、アダムを通して神様の戒めのみ言を受け、アダムと一つになってはじめて神様の対象になるわけです。
このような創造原理があるために、神様はアダムにだけ戒めのみ言を下さったのだと考えることができます。
復帰原理的理由
次に復帰原理の観点から考えてみると、『原理講論』には次のような記述があります。
堕落とは神様の血統からサタンの血統になってしまったことですが、神様の血統をもっているのはアダムです。
ですから、たとえエバが堕落してしまったとしても、アダムが戒めのみ言を守れば、神様の血統がそのまま残ります。
神様の血統が残っていれば、堕落してしまったエバを復帰することはそれほど難しくなかったということですね。
これが復帰原理的な観点から見た、神様がなぜアダムにだけ戒めのみ言を下さった理由だと考えることができます。
まとめ
以上のような原理的理由から、神様はアダムに対して戒めのみ言を下さり、エバにはアダムを通して戒めのみ言を伝えたのだと考えることができます。
そして、このことはアダムとエバが堕落してしまった理由を考える上で重要なポイントの一つになります。
なぜなら、天使長のルーシェルは神様の創造の過程をすべて知っていたので、当然戒めのみ言をエバは神様ではなくアダムから聞いたことを知っていたからです。