新約聖書の福音書には、イエス様の系図が二つ記録されています。一つは「マタイによる福音書」、もう一つは「ルカによる福音書」です。
なぜこのような系図を記録する必要があったのか、またなぜ二つの系図が掲載されているのでしょうか?
イエス様の系図から見出せる神様の役事と啓示、そして原理を深掘りしてみたいと思います。
(1)なぜ福音書にはイエス様の系図が記録されているのか?
最初に結論から言うと、旧約聖書に「メシヤはダビデの子孫として生まれる」という預言があるからです。
福音書は、イエス様が神のひとり子であり、メシヤであることを証するために編纂されたものです。
イエス様ご自身が「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである」(ヨハネ福音書5章39節)と語られています。
ですから、イエス様の系図を記録し、イエス様がダビデの子孫であることを明らかにする必要があったのです。
『原理講論』p564にも、「イエスの初臨のときにも、多くの学者たちは、メシヤがユダヤのベツレヘムで、ダビデの子孫として生まれるということを知っていたのである(マタイ二・5、6)」とあります。
では、ここで旧約聖書の中から、メシヤについて預言された聖句を確認してみましょう。
わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。(エゼキエル書34章23〜24節)
このような旧約聖書の預言が、イエス様の降臨を通して成就したことを証するため、福音書の著者は、イエス様がダビデの子孫であることを明らかにする必要があったわけです。
それでは、そのイエス様の系図が「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の二つの福音書に記録されているのはなぜでしょうか?
この二つの系図がまったく同じ内容であれば問題ないのですが、登場する人物が異なっているところがあるのです。
次にこの二つの系図について見てみましょう。
(2)福音書に二つの系図があるのはなぜか?
①「マタイによる福音書」の系図
まず「マタイによる福音書」の系図を確認しておきましょう。少し長いですがそのまま引用します。
アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。
ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。(マタイ福音書1章1~16節)
以上がアブラハムからイエス様までの系図なのですが、このすぐあとに次のような聖句があります。
イエス様の母マリヤが「聖霊によって身重になった」というなら、イエス様はヨセフの子ではないということになります。
イエス様がヨセフの子でないのであれば、イエス様はダビデの血統でないことになってしまうのです。
そこで出てくるのが「ルカによる福音書」の系図です。
②「ルカによる福音書」の系図
「ルカによる福音書」の系図は下記のようになっています。
この二つの系図は、記載の順序が反対になっているので、比較しづらいですが、一度ゆっくり比べてみてください。
比べてみると、ダビデ以前の先祖はほぼ同じですが、ダビデのあとから最後のヨセフまでは別人物になっていることが分かります。
これは一体、どういうことでしょうか?
「ルカによる福音書」の系図の最初に、イエス様について「人々の考えによれば、ヨセフの子であった」とあり、これが一つのヒントになっています。
この聖句は「多くの人はヨセフの子と考えているが実際には違う」ということを示唆していて、キリスト教では、この系図は母マリヤの系図だという考え方があるのです。
つまり、上記聖句の「ヨセフはヘリの子」(ルカ福音書3章23節)の「ヨセフ」は母マリヤのことで、その父親がヘリ(新共同訳では「エリ」)だという主張です。
この系図では、母マリヤの先祖をたどっていくとダビデにつながるので、その母マリヤから生まれたイエス様はダビデの子孫だというわけです。
③母マリヤの父親は誰か?
実は、母マリヤの父親については諸説あり、また母マリヤ自身も、ダビデが属するユダ族ではなくレビ族で、アロンの家系だという説もあります。
■母マリヤの父親はヨアキム説
ヨアキム(Joachim)は新約聖書外典「原ヤコブ福音書」に登場し、ユダ族の出身でダビデ王の家系に属する人物です。正教会、カトリック教会、聖公会では聖人とされています。
■母マリヤの父親はヘリ(エリ)説
上記の「ルカによる福音書」を根拠に一部のプロテスタントがこれを支持しています。
また、ヨアキムとヘリが同一人物であるとする説もありますが、ヨアキムもヘリもダビデの子孫であることは同じです。
ですから、母マリヤの父親がヨアキムでもヘリでも、母マリヤから生まれたイエス様はダビデの子孫になります。
■母マリヤアロン家説
こちらはマリヤがダビデの子孫、つまりユダ族ではなくレビ族と考える説で、下記の聖句を根拠としています。
そこでマリヤは御使に言った、「どうしてそんなことがあり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言った、「聖霊があなたに望み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリザベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六ヵ月になっています。神には、なんでもできないことはありません」。(ルカ福音書1章34~37節)
マリヤはアロン家の娘エリザベツと親族なのだから、アロン家出身であり、レビ族の子孫だということです。
しかし、そうなると、母マリヤから生まれたイエス様はレビ族ということになり、旧約聖書の預言どおりではないことになってしまいますね。
以上のように、母マリヤの父親については、キリスト教の中でも教派によって異なる見解をもっているということになります。
では、イエス様の父親は誰なのか、文鮮明先生のみ言から確認してみましょう。
(3)イエス様はダビデの子孫なのか?
①イエス様の父親は誰か?
文鮮明先生は、イエス様の父親について次のように語られています。
マリヤは、イエス様の父親がだれかということを知っていました。ザカリヤとエリサベツも知っていました。洗礼ヨハネも、イエス様が自分と同じ父親から生まれた兄弟だということを知っていたのです。(『文鮮明先生御言選集』 248-144 1993.8.1)
洗礼ヨハネと同じ父親ということは、すなわちザカリヤがイエス様の父親ということです。
聖書でその根拠を探してみると、「ルカによる福音書」に次のような聖句があります。
この3ヵ月の間に、マリヤはイエス様を身ごもったということになります。
②ザカリヤがユダ族の血統でもある聖書的根拠
イエス様の父親がザカリヤだとすれば、ザカリヤは祭司ですからレビ族なので、イエス様もレビ族の子孫ということになります。
ということは、旧約聖書の預言とは異なってしまうのですが、これはどういうことでしょうか?
実は、旧約聖書のサムエル記下8章18節に次のような聖句があります。
この聖句は、ユダ族ダビデの子孫とレビ族の祭司との間に血縁関係があったことを示しています。
ソロモン以外のダビデの子たちが祭司になったということは、ダビデ自身にレビ族の血が流れていなければ、その子たちが祭司になることはできないはずです。
なぜなら、神様がモーセに対して「あなたはアロンとその子たちとを立てて、祭司の職を守らせなければならない。ほかの人で近づくものは殺されるであろう」(民数記3章10節)と命じられており、律法の定めによってレビ族でなければ祭司にはなれないからです。
さらに、出エジプト28章43節には、大祭司が青服の上に着用する「エポデ」(新共同訳では「エフォド」)について次のように記録されています。
アロンとその子たちは会見の幕屋にはいる時、あるいは聖所で務をするために祭壇に近づく時に、これ(※エポデのこと)を着なければならない。そうすれば、彼らは罪を得て死ぬことはないであろう。これは彼と彼の後の子孫とのための永久の定めでなければならない。(出エジプト28章43節)
この「エポデ」をダビデがまとっている場面が聖書に記録されています。
そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。(サムエル記下6章14節)
他にも、サムエル記上の23章9節や30章7節、歴代誌上15章27節でダビデがエポデをまとっている場面が記録されています。ですから、ダビデ自身がユダ族であると同時にレビ族でもあり、王であると同時に大祭司だったわけです。
士師記17章7節にも、ユダ族でもありレビ族でもある若者が登場していますので、ザカリヤもユダ族の血統を継承する祭司だったということです。
③なぜザカリヤなのか?
「統一原理」の蕩減復帰原理から見たとき、イエス様の父親になれる人物はどのような人物なのかについて、文鮮明先生は次のように語れています。
このようにしてイエス様は長子として生まれました。堕落した長子権から新しい血統へと清められ、天の側の長子権として生まれたのです。それゆえイエス様を信じる人が神様を中心として神様の愛に接することになるので、その血統はサタンとは異なるのです。(『文鮮明先生御言選集』 143-104 1986.3.16)
このみ言にある「天使長級の天の側の人物」が、まさにザカリヤでした。
神様は、メシヤを地上に送るため、イスラエル民族のレビ族の中でも、ユダ族の血統をも継承した家系を通して、サタン分別された神の子の種を準備してこられたわけです。
そして、それと平行して、神の子が宿るためのサタン分別された母の立場と胎中を準備してこられました。
それが、「マタイによる福音書」の系図に登場するタマル、ラハブ、ルツ、バテシバであり、その勝利権を受け継いで登場したのが母マリヤだったのです。
母マリヤとエリサベツの関係は、ヤコブの2人の妻、ラケルとレアの関係で、ヤコブ家庭の蕩減復帰をすることで、神様の息子の種がアダムとエバの堕落以降、初めて地上に着地できようになったことが次のみ言で分かります。
有史以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになったのです。(『文鮮明先生御言選集』 277-206 1996.4.16)
まとめ
■イエス様がダビデの子孫であることを証するため、福音書にはイエス様の系図が記録されている。
■福音書にはイエス様の系図が二つあり、「マタイによる福音書」の系図はヨセフの系統、「ルカによる福音書」の系図は母マリヤの系統である。
■母マリヤの父親は、ヨアキム説、ヘリ(エリ)説、ヨアキム・ヘリ同一人物説がある。
■イエス様の父親は祭司ザカリヤであり、ザカリヤはユダ族とレビ族の両方の血統を受け継いでいる。
次回、中編では、イエス様の系図から見た神様の役事と啓示、そして原理について解説します。