(1)無原罪誕生に対する浅見定雄氏の批判
統一教会に反対した浅見定雄氏は、自身の著書で、兄弟がいることを理由に、文鮮明先生の無原罪誕生を次のように批判しています。
「ふつうの朝鮮人夫婦の7人の子供の次男として生まれたのですから、どうして彼だけが遺伝的原罪のない人なのか、だれも説明できません」(浅見定雄著、「統一協会=原理運動」(1987年)―その見極め方と対策―、53頁)。
浅見氏の指摘のとおり、文鮮明先生にはご兄弟がいらっしゃいます。同じご両親(文慶裕氏〔忠父様〕と金慶継女史〔忠母様〕)からお生まれになりながら、他の兄弟には原罪があるのに、なぜ文鮮明先生には原罪がないのでしょうか?
その理由の一つは、中心人物が召命される条件として「時」の問題があるからです。
それでは、その「時」の問題とは何かを知る前に、神様が創造や復帰の摂理をされるときの原則について確認しておきましょう。
(2)1から始まる神様の創造と復帰摂理
神様の復帰摂理歴史では、同じ時代に2人の中心人物が同時に召命されることはありません。
なぜなら、唯一絶対の存在の神様が、横的な実体世界に対して復帰の摂理をされるときは、縦横が90度に交わる一点から始められるからです。
神様がご自身の実体対象として人間を創造されるときも、最初に1人のアダムが創造され、そのアダムをかたどって相対のエバが創造されました。
このような創造原理に従って展開する復帰摂理も、まず1人の中心人物を神様は召命されるようになっています。
そして、その召命を受ける中心人物がどのように選定されるのかについて、『原理講論』の予定論では次のように書かれています。
同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。
さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。(『原理講論』p246~7)
この最後にある5つ目の条件として「天が必要とする時機と場所に適合する個体」とありますが、これが正に「時」の問題です。
神様が無原罪のメシヤをその時代の中心人物として送られるときにも、この条件に適合した人物を選ばれるのです。
それでは、次に摂理的同時性の観点から見た再臨主降臨の時機について見てみましょう。
(3)摂理的同時性の観点から見た再臨主降臨の時機
イエス様は、復帰摂理時代(旧約時代)が終ったのちに降臨されたので、アブラハムから摂理的年数の1930年間を経たのちに降臨されたことになります。
この1930年間とは、エジプト苦役時代400年、士師時代400年、統一王国時代120年、南北王朝分立時代400年、ユダヤ民族捕虜および帰還時代210年、メシヤ降臨準備時代400年を合計した年数です。
イエス様の降臨と摂理的同時性となる再臨主の降臨は、復帰摂理延長時代(新約時代)が終るころになりますので、イエス様の降臨から摂理的年数の1930年を経た時までに降臨されることになります。
そして、『原理講論』には、再臨主降臨の時機について次のようにも説明されています。
第1次世界大戦が終了したのは1918年ですので、再臨主降臨の時機は1918年以降となり、さきほどの摂理的年数を加えれば、1918年から1930年までが再臨主降臨の時機となります。
文鮮明先生は1920年にお生まれになっていますので、この再臨主降臨の時機と合致します。では、文鮮明先生のご兄弟について確認してみましょう。
(4)再臨主降臨の時機と場所に適合しているのは文鮮明先生のみ
①再臨主降臨の時機に適合
文鮮明先生には兄と弟がお一人ずついらっしゃいますが、兄の文龍壽大兄様は1915年3月5日(陰)にお生まれになっているため、再臨主降臨の時機(1918~1930年)から外れています。
一方で弟の文龍官氏は、文鮮明先生のみ言によると8歳年下とありますので、1927~8年にお生まれになったことになり、再臨主降臨の時機と合致しています。
しかし、こちらのみ言によると、文龍官氏は男女の双子でお生まれになっています。
文龍官氏は文鮮明先生と同様、再臨主降臨の時機に合致した時にお生まれになっていますが、双子でお生まれになっていますので、1人の中心人物という原則から外れることになります。
また、すでに無原罪のメシヤとして文鮮明先生がお生まれになっているため、同じ時代に2人の中心人物を立てることはできないのが原則です。
②再臨主降臨の場所に適合
当時の朝鮮半島は日本帝国の統治下にあり、国家主権を失っていたため、メシヤが降臨するためには国家的基台の条件が必要でした。その条件になったのが「三・一独立運動」です。
「三・一独立運動」は、韓国のキリスト教、天道教、仏教の信徒たちが中心となって1919年3月1日(陽)に蜂起し、その後、5月までこの運動は続きました。
文鮮明先生は、この「三・一独立運動」の期間に金慶継女史(忠母様)の胎中に宿られたのです。
文鮮明先生がお生まれになった定州は独立運動の激戦地であり、しかも独立運動の首謀者の1人として、文鮮明先生の大叔父文潤國牧師が3月8日に逮捕され、5月13日に懲役2年の刑を宣告、6月20日に刑が確定するという状況でした。
文潤國牧師の親族も取調べの対象とされ、官憲から最も弾圧を受けているとき、金慶継女史は命懸けで文鮮明先生を身ごもられました。
このとき金慶継女史は、イエス様の母マリヤの胎中を相続する立場となったため、文鮮明先生は無原罪のメシヤとして地上に誕生することができたのです。
このように、摂理的な再臨主降臨の時機に合致し、かつ中心人物の原理的条件に一致するのは、文家のご兄弟の中で文鮮明先生しかいらっしゃいません。
以上が、同じ兄弟の中で、文鮮明先生だけが無原罪で誕生された原理的な理由です。