『原理原本』は、1951年5月11日から翌年5月10日まで、韓国のボンネッコルにて、文鮮明先生が執筆された最初の原理の本です。

 『原理原本』を執筆された理由など、文鮮明先生が『原理原本』について語られたみ言をご紹介します。

1.『原理原本』執筆の理由

 凡一洞の聖地からは、埠頭がよく見えます。ですから、毎日、戦争が有利か不利かということを、軍需物資を運ぶ輸送船が増えたり減ったりするのを見て調べました。増えれば戦況が有利だということであり、減れば不利だということを意味するのです。それを毎日のように数えながら過ごしたことが、きのうのことのようです。その中で原理を書きました。私が途中でどうなるか分からないので、『原理原本』を起草しておいたのです。詩のように書きました。私が骨子をまとめて書いたので、説明しなければ他の人たちはよく分かりません。そのように『原理原本』の草案を作っておきました。(『文鮮明先生御言選集』 549-211 2006.12.26)

2.『原理原本』と伝道

 解放後の3年間(1945~48年)で、キリスト教と大韓民国が一つになれなかったために金日成が出てきたのです。ソ連が出てきました。そのとき、私が普通の人の姿をしていれば、教派を一つつくっていたでしょう。教派をつくって12支派をつくります。しかし、そのときに私が一人で書いた『原理原本』を配るのですが、これが世界の霊的な糧になり、万民が崇め得る原理のみ言であることを誰が分かったでしょうか? 私は以北(北朝鮮)から出てきたので、頭を丸めていたため、逃げ回っているかのような姿でした。誰が分かってくれるかというのです。
 ですから、霊界で伝道するのです。歩いていると足が地面から離れず、進むことができないので、こちらに入ってくるのです。このような伝道をしました。統一教会の起源がそれです。聖書以上の内容があります。ありとあらゆる奇蹟としるしの道を通ってきたのです。(『文鮮明先生御言選集』 191-118 1989.6.24)

 統一教会の責任者たちが伝道に出ていくとき、イエス様も120人の中から2人ずつペアにして送り出したときのように、旅費ももたせずに裸足で出発させました。そのまま行って起草しておいた『原理原本』を中心として伝道したのです。そのときは書き写した『原理原本』を分けてあげたのですが、それを書き写した人たちがいました。ここにいる姜賢實やこのような人たちが書き写したのです。金元弼は、私が書いた『原理原本』を直接受けて書き写し、自分で学んで「ああ、神様はこうなのだ」と概略を理解していました。
 そのような立場で『原理解説』が出てきたので、本格的な教育をしました。40日ではなく1週間あれば、これを読むことさえできるなら、読んで教育できるのです。そのように伝道していれば、3000万人をすべて教育して余りあったでしょう。
 『原理解説』は、そこ(『原理原本』)から骨子を選んで簡単にしたのです。自分たちがご飯を食べる時間もなく、寝る時間もないのに、勉強する時間がどこにありますか? そのときの状況に合わせたのです。原理の骨子をまとめ、それだけ覚えて3時間、5時間、2日あればできます。学者や総長も洗脳できる内容を話す必要もありません。門さえ開けておけば、よいものがあれば分かります。そうしてみなが夢中になるのです。(『文鮮明先生御言選集』 601-208 2008.11.7)

3.『原理原本』と私

 先生の原本の本は一つしかありません。私が書いた『原理原本』は5巻からなる700ページに近いものですが、銀行に置いてあったものをきのうもってきました。この博物館に保管しなければなりません。先生が残した尊いみ言は、これと連結され関係が結ばれているので、一か所に集めて世界最高の学者たちが集中的に研究しなければならないというのです。ですから、高次元的な答えを出した、その場で先生も生きなければならず、皆さんも生きなければなりません。(『文鮮明先生御言選集』 590-247 2008.5.22)

 本体論の解説ができなければなりません。『原理解説』があり、講論と本体論がありますが、それを解説して『原理原本』が自分のものにならなければなりません。自分の表題にならなければならないというのです。そうなるべきではないですか? 自分がこのみ言と一つになってこそ、相対的な表題の前に、似た姿の相対となるのではないですか? み言はみ言、自分は自分では、本体論と何の関係がありますか? (『文鮮明先生御言選集』 608-276 2009.2.27)

4.日本語で語られた『原理原本』に関するみ言

 本部には『原理原本』があるんですよ。これは先生がもしも問題あって、先生がどうなるかわからない。それで、ザーッと書いた。横では鉛筆を削って、そしてそれはもう削る暇がないくらいに。Bの鉛筆でもって速記して書いた記録がある。そこにはね、創造原理から見た理想論、そういう理想論があります。
 その本(『原理原本』)をある共産党の相当な人に見せたんですね。その本を見た彼は、「ここにはマルクス主義を凌駕する理論がある。全般的、過去、現在、未来の歴史を統合し得る内容がある。共産主義を掌中に収める理論だ」と。分かる人が見れば、恐ろしいもんですよ。彼らから見れば恐ろしい。先生がいなくても、この本一冊で世界は救える。そうらしくみんなが堂々と言うんだから、そうらしく見えるんだけど、本当にそうか。我々の言う、歴史的背後の未知の世界。これは恐ろしいもんですよ。
 これは先生が考えたんじゃない。事実がどういうふうになっているということを立証した。そして現実はどうなるか。そのままぴったり合っていく歴史的預言だね。実体的預言だね。何千年の歴史的預言が原理だ。学界でも賞品をくれる時も来るだろう。ノーベル賞なんか、創造原理、堕落論、みんな貰える。そういう時が来たら、一回りで回っちゃう。若い者があったら、今から何十年後にずっと飛んで行って、いい気になっちゃうよ。考えると自分が考えざる境地に入って、そして頭が三つ、四つになったみたいになる。
 だから二性性相、創造原理を先生がいかにして探したか。それを解明してやりたいんだけれど、時間がない。二性性相、三段階とか目的観とかはなぜ出るか。それをやるには、時間がかかるんだね。それはそうなったから、そうなったでいいや。それが我々の哲学だね。考えれば実におもしろい。だから原本を頭が組織的な人が見たら、ある一点を見ればこれは100パーセント組織的だ。劉協会長は頭がいい。それを一カ月間読みながら、1ページ1ページ筆記しながら、涙を流した。頭がいい。
 理想的世界とか霊界とか、そういう問題は、君たちがある段階まで行かなければ、その極みに到達できない。そういう一点を残して先生は逝くかもしれない。深く知れば、頭に角がたくさん出るよ。角が出ると引っ掛かる所が多いよ。いかに君たちは兜を被せる帽子を持っておるか。帽子を持ってなかったら、かえってこれは問題である。だからそれは保留にしておく。
 先生を研究しなければならない。原理を研究するんじゃない。言葉の中心は何か? 人だ! 人は誰か? 先生だ。言葉の研究をするには、言葉の実体である先生を研究しなきゃならない。先生の中心は神である。だから、神に対して研究しなければならない。だから君たちの研究することは、たくさん残っているんですよ。(1965年10月3日 夜の和動会でのみ言 松涛本部)

 

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